Rainy,Rainy
16
雨の気配がする。
空気はからりと乾いて、空は抜けるような青。
しかし、時折吹く風にわずかな雨のにおい。自分以外誰にも分からぬだろうそれは、長い間自分の生活を支配してきたものだ。
晴れているのに街中で傘を差しだした自分を、好奇の視線が通り過ぎてゆく。
そんなものはもうずいぶん昔に慣れてしまった。
結局、皆これからすぐに傘を差す羽目になるのだ。自分がこのにおいを間違えたことはない。
最近やっと思い通りに使えるようになった念は、結構気に入っている。
父には色々言われたが。
本当は能力に関して父に言っていないことがまだいくつかある。言えばきっと長い説教が待っているだろうし、父と自分で認識に違いがあると言うだけの問題だから黙っておくことにしよう。
風が強くなってきた。
軋むことのない傘骨に、わずかに笑みを浮かべる。強化系が得意でよかった。これで台風の日も堂々と傘がさせると言うものだ。
傘の水切りももとが放出系の自分には朝飯前。
くるくると機嫌よく傘を回す。
父親が攻撃や防御用の念だと思っているものも全て雨対策だと言うことは自分だけが知っていれば十分なのだ。
17
いつも仕事を斡旋してもらっている情報屋からいくつかメールが着ていたけれど、最低でも2ヶ月は仕事を請けないと心に決め、メールにもそう示す。
これは自分なりのルールで、仕事を請けた後はしばらく休業。長さは請けた仕事の長さに比例。後は気分しだい天気しだい。
雨はようやく止んだものの、雲はくずくずととどまっていた。
飛行場に入り、一番時間の早い飛行船のチケット一枚、とカウンターで告げると変な顔をされた。
30分後の便があいている。
ラッキーだなぁと上機嫌でゲートを抜け、ほとんど手ぶらのまま乗り込む。行き先は知らない。着けば分かるだろう。
値段が高いゆえに広々とした椅子に深々と沈み目を閉じる。
少しいらいらして疲れた。怒るのは好きじゃない。普通に生きていくのの何倍も体力が必要だ。
カリカリして神経質な人を見ると、よく疲れないなぁ、と感心してしまう。
父も母も、怒らない人だった。もしかしたら怒っていたのかもしれないが、諭されたことはあっても怒鳴られたことはない。母はとても穏やかな人だったし、父は我慢強く冷静な人だ。
そういう人間に囲まれて育った自分は、あまり怒る、と言うことに慣れていないのかもしれない。
それでも、今回みたいにいらいらしてしまうことはあるわけで。
「俺もまだまだガキだねぇ」
晴れ間の見え出した空に、***は小さく言葉を投げた。
18
「…何やってるの?」
意外な人物に、思わず声をかけた。
相手は今まさに帰ろうとしていたようで、自分の家とは逆方向につま先を向けている。
「あ、久しぶりー。」
「…久しぶり」
無邪気な笑顔を向けてくる雨月に内心で戸惑いつつも言葉を返す。
はじめてあったときから雨月はこの調子だった。それはとても珍しいもので、かけらの恐れも見られない態度。
ひどく主張する色を持っているのに、気にならないほどの存在の軽さ。
そばにいてらくな人間と言うのは、自分にとってこういうタイプなのかも知れない。
「どうしてこんなところにいるの?」
「ああ…てきとーに飛行船に乗ったらさ、どうもここ行きだったらしくてさ。おまえんち近いからたまには遊びに行こうかなって思って」
「行き先、知らなかったの?」
「うん。ま、休暇ってやつ。そしたらさっき女の子に会ってさ、これ以上中には入っちゃダメって言われたから他行こうと思って」
「………ふーん」
自分もマイペースだとよく言われるが、雨月はそれに輪をかけてひどい。
いや、むしろこれはマイペースというよりものすごく大雑把なだけかもしれない。
「***って放出系でしょ」
「? うん、そうだよ」
当然じゃん、と言うようにあっさり認めた雨月に突っ込むべきか否か。
まぁ、いいか。
あ、でも他の人間に知られるのはなんとなく気に入らないから、釘をさしておこう。
「他の人に教えちゃダメだよ」
「…? なんで?」
「俺がいやだから」
俺の返事に雨月はその黄色の虹彩をじっと向けた後、いつものように無邪気に笑って「じゃあ教えちゃダメだね」と言った。
「とりあえず、家きなよ。毒入りじゃない紅茶くらいなら出してあげる」
そういって歩き出したイルミに、雨月が目を輝かせた。
19
自分とは違う、漆黒の瞳。
その手はわずかばかりの血にぬれて、雨に混じってそのにおいが自分にも届いた。
くるくるっと軽く傘をまわす。傘布に当たる水の音は、まだ先ほどの雨が完全に止んでいないことを告げた。
「…誰?」
「ん? んー…あんたに分かるように説明するのは難しいかなぁ。なんせ天下のゾルディックと違ってこちとら駆け出しのハンターですから」
ふざけてるの? とでも言うようにその端整な顔がゆがめられる。
それににこりと笑顔で返すと少し戸惑ったような空気が感じられた。
「気にしなくても、別に仕事の邪魔はしないよ。ただ俺が依頼料もらえないってだけで」
彼の足元に横たわるきれいな死体を見つめながら肩をすくめる。
ま、相手がゾルディックじゃ俺みたいな若葉マークには分が悪いと言うものだ。
「あれ、君も暗殺者?」
「や、君の足元で寝てる人の護衛かなー」
すたすたと近づいて距離を縮めると、わずかな圧迫感。
まぁ、警戒されても仕方ないけど、俺もかなわない相手に喧嘩を売るほど馬鹿じゃないし。
パチン、と傘をたたんでその先で依頼人だったものをつつく。もちろん反応はない。
「死亡確認、依頼破棄。さて、帰るかー」
「…いいの?」
「ま、仕方ない。これ以上ここにいてもすることないしね」
くるりときびすを返した背中に視線は感じるものの、敵意や殺気は感じられない。
きっと自分がターゲットでもなければ、邪魔者でもないからだろう。
ふと思いついて顔だけで振り返る。
「ねぇ、あんた名前はなんていうの?」
「……イルミ」
「そ。俺は***。またね」
笑って手を振るとイルミは訝しげに眉根を寄せつつも、軽く手を振り替えしてくれた。
20
「おおー、さすがゾルディック。豪邸だぁ」
自分の部屋をちょろちょろと歩き回る雨月をベッドに座って視線だけで追う。
ずっとここに住んでいる自分には何がそんなに楽しいのか分からないが、こうして雨月を眺めているのは結構楽しい気がするのでよしとする。
「すこいなぁ、ベッドふかふかだし」
自分の後ろに勢い良くダイブした雨月は、その柔らかな感触が気に入ったのかクッションに顔をうずめた。
そのしぐさが、猫のようだと思う。
自分と同じ黒髪がさらさらと揺れた。
「泊まってけば」
「………うーん…気が向けばね。雨が降る前に帰るよ」
ガラス越しの空を見上げながら、あまり乗り気ではないように雨月が言葉を濁す。それにちょっとだけむっとした。
「これだけ晴れてるんだから、雨なんて降らないよ」
「…かもね」
再びクッションに顔をうずめた雨月が、少しだけこちらに顔を向けて微笑む。
この笑い方が反則だといつも思う。何が反則かと言われると困るけど。
ただ、ちょっと落ち着かない気分にさせられるから。
「ねー、お風呂って大浴場みたいなのないの?」
「大浴場かどうかは分からないけど、広いのは地下にあるよ」
自分の言葉に、がばっと雨月が起き上がる。
その目はかなりうれしそうだ。
「えー、入りたい!入ろう!」
「いやだよ、部屋のやつで十分…」
地下の風呂場は良く父や祖父が使っているから自分ではあまり使わない。大体、どの部屋にもバスルームが着いているのだからその必要もないだろう。
「部屋のってどれ?」
「奥…」
指で示してやると、軽い足取りで雨月がそちらに駆けていく。
ドアを開け顔だけ突っ込んで中をのぞいた雨月は、目を輝かせて自分のほうを見た。
「さすがゾルディック!俺ここでも良い〜。ねぇ、お湯張っても良い?」
「別に」
わーいと子供のように喜んで風呂場に引っ込んだ雨月に、何がそんなにうれしいんだろうと首をかしげる。
しばらくして戻ってきた雨月はひどく上機嫌で、まぁ、いいかとその疑問を軽く放り出した。
「一緒に入ろ!」
「…一人で入んなよ」
「そうつれないこと言うなよう。俺泳げないから、一人だと湯船つかれないんだよ」
だからいっしょに入ってー、と腕を引っ張る雨月に、どうやったら湯船でおぼれるんだと思いつつも、一緒に入ってしまうイルミだった。
「…俺、ほんとに湯船でおぼれそうになる人間初めて見たよ」
「だから絶対手はなすなって言ったじゃん!」