Rainy,Rainy

11

赤く染まる視界に、死を覚悟した。
何もかもがスローモーションのように見える。そしてその視界を黄色い何かがさえぎった。


何がおきたのか分からない。
前に立った司会らしい男が、「くたばればいいね」といって、もう一人の男が念を使った。
とっさに縁の下の11人を使って自分をガードしたけれど、圧倒的な力の差で防ぎきれなかった。
自分の後ろにはヴェーゼと雨月がいる。二人だけでも逃さなくては。
そう思ったけど、「逃げろ」と叫ぶのが精一杯で、やむことのない攻撃になす術もなかった。
一瞬、世界から音が消えて、時間が止まったかのように全てが緩慢に見える。
しかし視界に入った目の覚めるような黄色い傘に、全ての音が返ってきた。
自分の前に華奢な体が立っている。背中しか見えないから顔は見えないけれど、雨月だった。
少しだけはっきりした意識でその光景を見る。
驚いたことに、自分の縁の下の11人を貫通した念弾は、あの黄色の傘に全て防がれていた。強化系だったのか。
やっとやんだ攻撃に、まるで水でも払うかのような仕草で雨月が傘を振るう。
そして、初めて会ったときのように傘をさした。まるで、ただ雨が降っただけ、というような態度。
「なんだ、地下競売はもう終わり?」
本気なのか、ふざけているのか。
変わらぬ口調で司会の男に話しかける雨月。
ああ、そんなことをしたら。
案の定神経を逆撫でされた男が攻撃を仕掛けてくる。速い。
しかしその手が雨月に届くか届かないか、というところで男は動きを止め、ついには床にひざを着いた。
顔からは明らかな苦痛の色が見て取れる。
雨月が何か仕掛けたのだろうが、まったく分からなかった。というか、強化系じゃなかったのか。
「終わったんなら、俺帰ってもいい? なんかトチーノやばそうだし」
学校の先生にでも質問するような口調で、いまやほとんど床に這いつくばっている男に声をかける。
ひどく場違いだ。
「ヴェーゼ、怪我ないんならトチーノつれて外に出て。トチーノはロビーのソファーにでも置いといてよ。俺がつれて帰るからさ。ヴェーゼは悪いけどその辺でタクシー拾って」
てきぱきと指示を出す雨月に、我にかえったヴェーゼがうなづく。少々乱暴に引き起こされて全身が痛んだ。
俺もすぐ行くよ、とこちらに背を向けたままの雨月になんだか二度と会えないような、そんな気がした。

「俺、歩けないからさっさと迎えにこいよ」
とっさにそんな言葉が出て、でも肺が傷ついているのかちゃんとした言葉にはならなかった。
それでもどこか笑いを含んだ声で「もちろん」と雨月が答えたから、ヴェーゼに引っ張られてトチーノはその場を後にした。

12

鼻歌交じりに雨の中、空中散歩を楽しむ息子をみて筋は悪くないのに、とその暴挙を止められなかった過去の自分をうらんだ。

完成した息子の念は、当初より少しだけ改良されて(この辺は自分の根気強い説得が斜め上の結果をもたらしたものだ)もはやほとんど操作系としかいえない能力になってしまった。
結局、傘の下、円の範囲を一つの世界ととらえて天候、重力を操作できる。
そして、息子曰く絶対にはずせないのが水分の出入り。
実はこれの習得に一番時間がかかった。一番不要な能力なのに…。
強制的に空気中の水分以外を排除する、と言うもの。なんでも雨が振り込むのも嫌だが、足元の水溜りも許せない、らしい。
結果的に水の流れを操作することで落ちついた能力だが、傘だけではさすがに足元の水を排除することはできず、雨靴を履くことになった。
普通に子供がはくような、傘とおそろいの黄色い雨靴を買おうとする息子を何とか押さえ、ブーツを買い与えた自分を褒め称えたい。
結局派手な黄色になってしまったところは、お互いの妥協点だったと言うことだろう。
こちらも傘と同じで、履いていなければ念が適用されない。
放出系と強化系は得意なようで、堅を使えばかなりの強度が出るし、ちょっとした衝撃波のように円状に広い範囲で念を飛ばせる。
…ただし、傘使用時限定で。
だからなんで素直にそっちの能力にしなかったのかと小一時間。

まぁ、雨の日でも気兼ねなく出かけられると息子はご機嫌だが、手段と目的がごっちゃになっている感が否めない。いまさら言ってももう遅いわけだが。
本人がそれで満足しているならそれでいい…と息子の育て方をどこで間違ったのかと振り返りつつ、サトツは深いため息をついた。

13

空に、月が二つ。

片方の月が、だんだんと大きくなる。それはそのまま自分たちのほうに落ちてきて、とん、と軽い音を立てて着地した。
雨月だった。
きつい血のにおいがする。
「ダルツォルネさんに連絡取れる? トチーノが怪我したからホテルのほうに医者呼んでって頼んで」
雨月の言葉どおり、左手で抱えられているトチーノはぐったりしている。出血がひどそうだ。
「何があったんだ」
「説明はあと。速く連絡して」
質問を跳ね除けた雨月は少し苛立っているようだった。
「センリツ」
「ええ」
目配せすると、すでにセンリツ電話ををかけている最中だった。
「地下競売は終わったから、あんたたちもホテルにもどんな。悪いけど俺トチーノ連れて先戻るから」
言うが速いか、再び傘を差して雨月が軽くコンクリートをける。
風もないのに一瞬のうちに上昇して、ホテルのほうへと消えてしまった。
その黄色い傘が脳裏に焼くつく。
「特質系かしらね、彼」
自分と同様にその傘を目で追っていたらしいセンリツがのん気に言った。
どういう原理で空を飛んでいるのか分からないが、あの傘にそういう用途があったのかと思う。
てっきり武器代わりだと思っていた。
いや、今はそれよりも。
「センリツ、とりあえず私たちも戻ろう。状況が分からない」
「そうね」
地下競売は終わった、と雨月は言った。だが実際には競売が始まってから10分とたっていない。
それにトチーノのあの傷。地下で何があったのか、少なくとも競売ではないだろう。
とにかく、いったん戻らなければ何も分からない。
それはとても重要なことだと、予感にも似たものをクラピカは感じた。

14

呼びかたなど、くだらない。
必要のない物だ、とゾルティクの意見に内心で同意した。


9月1日、地下競売の会場から一人残らず客が消えた。
いや、正確には3人逃げ延びた。
自分と同じく警備を勤めていたトチーノとヴェーゼ、そして雨月。
トチーノは結構重症でいまだ意識は回復していない。
ヴェーゼと雨月は無傷だった。
犯人を問いただしたところ、ヴェーゼは分からないと言ったが、雨月は
「幻影旅団の3、8、10番かな、確か」
とかなり具体的な答えが返ってきた。知り合いなのか、と聞けば仕事で何度かかち合っている、とのこと。
蜘蛛の情報を得られなかったのは残念だが、その答えに少しだけほっとした。
その雨月は、しばらくトチーノのそばについていたけれど、今はボスのそばに控えている。
そちらが本業であるし、彼女をなだめるのは彼が一番うまいと判断されたためだ。
不思議なことに、彼がいるとボスは癇癪を起こしたり無茶なわがままを言わない。
人柄の違い、と言うやつか。

「ノリが悪いなぁ、ゾルディックは。あ、ちなみに俺はイエローが良いな」

突然すぐ背後から聞こえた場違いに明るい声と、その命とりな内容に体がこわばる。それが今考えていた人物のものなら尚更。
気配を感じなかったのに。
勢いよく振り返ると、そこには屋内だと言うのに黄色い傘。
競売の時には履き替えていた靴も、元の黄色い雨靴に戻っていた。
そのカラーに、周りがわずかにざわめく。
これだけ主張されれば、彼が雨月だと分からない人間はいないだろう。
「雨月か…顔を見るのは初めてだな」
「あ、やっぱり? そうかなーって思って分かりやすいように傘をさしてみたんだけど」
からからと笑ってくるりと傘を回す雨月。初対面ではないらしいやり取りに、ゾルディックとも知り合いなのか、と驚く。
暗殺者と護衛屋だから、対立しないはずはないが、もし仕事でかち合っているなら命はないだろう、普通。
「護衛屋はお呼びびゃないんじゃないか?」
「そー邪険にしないでよ、ゼノじいちゃん。まぁ、お仕事の延長ってやつでさ。味方同士なんだし、今回は」
「まったく、調子のいい奴じゃ。お前さんのおかげでこっちは儲かり損ねたと言うのに」
やだなぁー、そんな前のこと忘れてよ、と傘をたたみながら雨月がシルバ・ゾルディックの横に腰を下ろす。
和やかに交わされる会話は、雰囲気こそ和やかだが内容は限りなく物騒、と言うか信じられないような内容だ。
「…雨月、ボスの方はどうしたんだ?」
逸れそうになる思考を現実に戻す。今は、雨月とゾルディックの関係は脇に置いておくとして。
雨月はボスの警護に当たっているはずだ。なのに何故ここにいるのか。
「ん? …ああ、平気じゃない? 他の2人がついてるよ」
「そんな…無責任だろう」
他の2人を信じていないわけじゃないが、雨月がいるからと安心していた面もある。
わずかな焦りをそのまま声に出すと、雨月はにこり、と笑った。
今までに見たことの無い笑い方だった。
「心配しなくてもいいさ。本来、こういうのは俺の仕事じゃないんだけどね、まぁ、今回は特別。
これが終わったら、俺の仕事は終わりだよ。
なんか勘違いしてるかもしれないけど、俺の仕事はもともとヨークシンまでの護衛だから」
いつもと違う、落ち着いた話し方に先ほどの笑みの意味を理解した。
彼のこの話し方を知っている。地下競売の日に、見張りをしていた屋上で、これと同じ話し方をした。

予定よりも長引いた仕事、予定外の仕事に、彼はイラついていたのだと、このとき初めてクラピカは気付いた。

15

初めて間近で見る雨月は、予想以上に幼い印象を受けた。
自分は一度、父は3度雨月と仕事で対立している。そのどれも、ことごとく雨月にしてやられた。
暗殺返し、というのは珍しい手ではないが、どこから仕入れてくるのか必ず依頼人を突き止めて先手を打たれる。
いつもあと一歩というところだから、実際にやりあったことはない。
それでも、わずかなやり取りで雨月が油断できない奴だと分かった。
今も、何気ないしぐさで自分の隣に腰を下ろし楽しそうに他の連中を眺めているのに、わずかな殺気を感じる。
自分に向けられたものではないが、一度気がついてしまえば無視できないほど鋭いそれ。
意図していたわけではないが、つい子供をなだめるような感じでぽんぽんと頭をなでてしまった。
周りの連中の表情が固まったのが見なくても分かる。自分でも何をやっているんだろうと思わず自分の手を見つめた。
雨月だけが、何事もなかったように視線をこちらに向けへらりと笑う。先ほどの殺気はなりを潜めていた。
「ねぇシルバ、パパって呼んでいい?」
室内の空気が凍ったと思うのは自分の気のせいではないだろうと、今度はその頭を軽くはたいてやった。