手に入れたいもの

その針が憎い、と掌に爪の跡がつくほどこぶしをきつく握り、悔しさに目頭が熱くなるのを瞼をきつく閉じることで尚樹は耐えた。
「…何も泣くことないでしょ」
何気なくのばされてわずかに滲んだ涙をさらっていく手は、その形容しがたい容姿に似合わず長くて自分好みだというのに。自分をなだめる声も、申し分のない美声だというのに。なのに。
「ぅ…ぅ…ひどい。俺の心のオアシスが…」
顔がギタラクルだというだけで全部台無し。あらかじめ分かっていたとはいえ目の前にすると半端ない。
「ごめんイルミさん…俺外見がどんなにひどくても大事なのは中身だよ☆…って言えるほど心が広くないんですー!」
重要だよ外見!顔!
尚樹は面食いだって言われても構わないと(心の中で)高らかに宣言してくるりと踵を返し人ごみの中にまぎれた。
1人残されたギタラクルことイルミが静かにショックを受けていたことは本人以外知る者はない。


すり、と自分の足元に寄ってきた黒猫を尚樹はひょいっと抱き上げてかぶっているフードの中に入れる。フードが大きいからこそやれる荒業だが、肩が重いのを我慢すれば天然の毛皮なので意外と暖かい。初めてこれをやられたときは苦しいと抗議したものだが、気温が下がるにつれて尚樹は自ら愛猫をフードに入れるようになった。
「何だ尚樹。夜一さんも連れて行くのか」
「はい。俺の飼い猫ですし、もともと俺が面倒見るって約束ですから」
夜一さん…というのは尚樹がかれこれ2年ほど飼っている猫の名前で詳しくは番外参照
「荷物はそれだけでいいのか?」
腰に店番のときに使っているシザーバッグひとつという軽装の尚樹に過保護な花屋の店長は心配顔。
実はこのバッグかなりいろんなものが入っているのだが、それは準備をした尚樹とそれを傍で見ていた夜一さんしか知らない。
「はい。忘れ物はないです」
「気をつけて行ってきなさい。変な人に着いて行くなよ? あと危なそうだったら途中でリタイアしなさい」
「ゼタさん…」
仮にも試験官がリタイアしたらまずいですって…とちょっと遠い目をしながら尚樹は返事をした。
「それじゃ、行ってきます!お店のことお願いしますね」
「ああ。店の方は心配するな」
びしっと敬礼をする尚樹に今の写真撮ればよかったと頬が緩みそうになるのを店主が苦笑でごまかしていることをもちろん尚樹は知らない。
夜一さんはなんとなく気付いている。
店から少し離れて横道に入った尚樹はまわりに人の気配がないのを確認し、念のため陰を使って他人には見えないように蛍光ピンクのそれを具現化した。はっきり言ってしまうと一般的にどこでもドアと呼ばれるネコ型ロボットの便利道具…なわけだが。
そっとドアノブを回して顔を覗かせ人がいないことを確認してそれをくぐる。そこは薄暗い路地だった。
人気の多い方に向かって歩くといくらもしないうちに開けた道に出た。道路の向かい側には今回の試験会場。
「成功。なんか久しぶりに使ったからちょっと心臓バクバクです」
「…ハンターとしてどうなんだそれ」
フードの中から聞こえた呟きを尚樹は綺麗にスルーして道を渡った。
こじんまりとした定食屋の暖簾をくぐり一言。
「焼肉定食下さい」
こちらの席へどうぞーと普通の席に案内され尚樹は首をかしげる。確かこの後焼き加減を聞かれる予定だった…ハズ。
この世界に来て今年で6年目となる尚樹の記憶はいい感じにおぼろげだ。正直漫画の内容を逐一覚えているわけがない。
焼肉定食じゃなかったかとお品書きを眺める。
「…すいません…ステーキ定食? と間違えました」
これで更に間違えてたら恥ずかしいなと思いつつも、試験会場を教えなかったネテロさんが悪いと責任転嫁。
尚樹に声をかけられた店員がはっと息を呑んだのを見て尚樹はどうやらあたりかな、と更に言葉を続けた。
「弱火でじっくり…でお願いします」
お客様こちらへどうぞーと個室らしきところを示されて尚樹は安堵の息をついた。
目の前でいい感じに焼けている肉にちょっとだけ手をつけたところで入ってきたほうとは反対側の壁が開く。
出口のところでプレートを配っていた小さい人が尚樹を見て少しだけ頭を下げた。どうやら尚樹のことは知っているらしい。
「こんにちは」
「番号札をどうぞ」
受け取ったプレートには何も書かれていなかった。
「俺仕様?」
「はい。のちのち必要になれば適当に番号をつけるそうなので持っていて下さいとのことです」
周りに聞こえないように小声で話して、尚樹はプレートをシザーバッグにしまった。
自然な動作で周りを見渡すと、まだ人はまばら。トンパがいないことに少し安堵した。
実は前回試験を受けたときに顔を見られているので見つかると面倒なのだ。そのときはトンパは2次試験までしか残っていなかったので、3次で落ちたことにするつもりではいるのだが。見つからないにこしたことはない。
尚樹はフードを少し深くかぶりなおして隅の方に腰を下ろした。
「はやく来過ぎちゃったな…」
まだ数えられるほどの人数しかいない状況に、これから400人近く来るのを待たなきゃいけないのかと尚樹はうなだれた。

「よるな変態」
尚樹は到着してから同じ場所に座り続け、今もまたその場所で静かに声を発した。子供らしい外見に似合わず地を這うような声だった。
「ひどいなぁ◆」
「言ったはずだ…俺に近寄るときはその奇抜なメイクをとってからにしろ」
せっかくの美形が台無しどころかマイナスだと尚樹は恨めしげにヒソカの奇術師スタイルを睨んだ。ちなみにスーツ希望。
「そうは言ってもねぇ…ここは君の店じゃないし」
「お前のポリシーは分かった。だが俺もこれだけは妥協できないね。店の外でもピエロの格好してるときは赤の他人だ」
実はヒソカには他の客が寄り付かなくなるからとメイクをした状態で店に近寄ることを禁止している尚樹。ヒソカもメイクをした状態だとかなりひどい扱いを受けることを身をもって知っているので、尚樹の前では素顔でいることが多い。…というか強制的にメイクを落とされるのだが。
念能力を使ってまでメイクを落とす尚樹にヒソカのほうが先に折れた。
しかしここは試験会場で、尚樹が来るなど微塵も知らなかったヒソカがいつもの格好で来るのは仕方のない事。
そんな感じで2人がどうしようもないやり取りを静かに、しかし邪悪な雰囲気でしているところにギタラクルことイルミが現れ冒頭のシーンに至る。

ハンター試験は始まったばかり。


HUNTER×HUNTERで20題
1)手に入れたいもの