闇の中で光る黒

艶やかな瞳は黄色。
闇に溶け込むその毛並みは漆黒。
瞳孔が縦に長く、つりあがった瞳は本来ならきつさを強調するものなのに、それが毛のはえた4足歩行の動物についているというだけで愛らしく見えるのだから不思議なものである。


尚樹は勝手口を開けた途端するりと入り込んできたそれに、身を震わせる。
実年齢18歳+3歳、外見年齢10歳の尚樹は無類の猫好きだった。しかし人にお世話に(しかも通行人に)なっている手前猫を飼う事も出来ず、時折捨てられている猫を発見しては涙を飲むという行動を繰り返していた。
今現在書斎に篭っている家主は突如として入り込んできたこの小さな存在には気付いていない。
尚樹はそっと勝手口を閉じて三和土にたたずんでいる猫に手を伸ばす。
逃げられないよう恐る恐る撫でてやると、人になれているのか逃げも抵抗もせずに猫はおとなしくそれを受けた。
「かーわーいーいー」
根が怠惰な尚樹は滅多なことでは酷使しない表情筋をこれでもかと緩ませて猫の柔らかな毛並みを堪能する。
漆黒の毛並みに黄金の瞳、とくればこれはもう
「夜一さん」
しかないだろうと尚樹は勝手にその猫を夜一さんと認定した。BLEACH読んでない人ごめんなさい。
出来るだけ音を立てないように冷蔵庫の中からミルクを取り出し、手頃な小皿に注ぐ。 尚樹がそれを猫の前にそっと置くと、夜一さんもとい黒猫は躊躇いもなくそれをなめた。
愛らしい姿に尚樹が和んでいると早くもミルクを飲み干した黒猫夜一さん類似品が口を開く。
「足りん」
その言葉に尚樹はごく自然な動作で立ち上がり先ほどのように冷蔵庫を開いてミルクを取り出す。空になった皿にミルクを注いだところで、少しは驚けよ、と猫である自分がしゃべったことを軽くスルーされていたたまれなくなった夜一さんが突っ込んだ。
そういわれても…と黒猫を夜一さん認定した時点で猫が話す=当然の図式が成り立ってしまっていた尚樹は首をかしげた。
ついでに言うと気がついたらジャングルど真ん中に突っ立てたあげく身体が退化しちゃいましたな不思議体験をした尚樹にしてみれば、猫がしゃべるなんてかわいいものだ。
もっとも猫にしてみればそんなことは知るよしもないので、いささか不服なのだが。
とりあえず新たに継ぎ足されたミルクを舌で器用にすくいながら猫は風変わりな子供を見上げる。猫が話さないことに驚きを示さないのは子供故なのかいやいや子供にしたってそんな猫が話すなんてふぁんたじーなことを信じている年でもないだろうよというのが夜一さんの心境。
ちらりとこちらを窺う目線(上目遣い)がたまらねぇというのが尚樹の心境。
2人が分かり合える日は果てしなく遠い。
「少年、名前は?」
「え!? だめだよ夜一さん。そこは小僧って言わないと!」
何がダメなんだどんなこだわりだそれとは懸命にも口に出さず、かみ合わない会話をかみ合わせるべくもう一度名前を問う。
「尚樹だよ、夜一さん」
「…誰が夜一さんだ誰が」
いつの間にやら勝手につけられた名前に抗議の声を上げるも思い込んだら一直線、尚樹の耳には届かない。
ややげんなりしながらもまぁもともと名前なんてなかったし、そんなぶっ飛んだ名前でもないからいいかと投げやりに考えて夜一さんの称号を甘受する黒猫。
ちなみに彼はオスだったが夜一さんなる人物が染色体XXであることはもちろん知らない。
残念ながら彼がその事実を知るのはもっと先の話だ。
「ふん。まあいい。オイ小僧、明日も来るからちゃんと固形の餌を用意しておけ」
尚樹に言われたとおり少年から小僧と言い換えるあたり実はノリがいいんじゃないだろうか。
「うーん…そうしたいのは山々なんだけどね、夜一さん。俺も人に世話になってる身だからさ、できれば他にパトロン探して?」
「ちっ…使えねぇなオイ」
そんなどこぞの悪役みたいに…と呆れながらもそのかわいらしい外見と言葉遣いのギャップが更にかわいいと尚樹は手近なものをばしばしと叩きたい衝動を抑える。
すっかり黒猫にほだされている尚樹を現実に引き戻したのは、低めのハスキーヴォイス。別名エロヴォイス。
「さっきから何を1人でしゃべっているんだ?」
「ぴ!」
びくんと大げさにはねる薄い肩を見ながら元通行人A現保護者であるゼタはぴってなんだぴってと尚樹のかわいらしい叫び声に内心で激しく動揺。渋いナイスミドルな通行人は実は花屋なんて営んじゃうかわいい物好き。
ガキは嫌いだけど観賞にたえうる上に世話のかからないガキ(つまるところ尚樹)は目に入れても痛くない。
よくあるうちの子が一番かわいいと思っててしかも自分は親ばかじゃないと言い張る典型的な大人。
恐る恐る振り返りながらも自分の影に隠れておそらくまだ気付かれていない黒猫の存在をどうやってごまかすか思考を高速回転。ついで遠心力に耐えられず思考がぶっ飛んで頭 真っ白。つまり、呆然。
こちらを振り返ることでわずかに見えた黒い塊が猫だと分からないほど近視でも老眼でもないゼタは溜息をひとつ。
尚樹本人から聞いたことはないが、猫の姿を認めると足を止めたりこっそり餌をやっている姿はゼタのみならずご近所の皆様に目撃されている。
ついでにあまり笑うことのない尚樹が猫を前にするとわずかにほほを緩めることも周知の事実。
知らぬは本人ばかり。
続けて二つ目の溜息をついたゼタに気まずげに視線を逸らす尚樹。
「1匹だけだぞ」
突然発せられた言葉に顔を上げつつもよく理解できないで居る尚樹にゼタは更に言葉を続ける。
「散歩は自分ですること、餌も自分でやること、風呂も自分で入れること…あー…つまり自分でしっかり世話をすること。
それが守れるなら、1匹だけ飼っていい」
ゼタが言い終わった途端、言葉の意味を理解したのか尚樹がそわそわしだす。
「えっと…ゼタさん、この子夜一さんって言います」
言外に飼ってもいい? という尚樹に可愛いやつめと思いつつも54歳のプライドにかけてポーカーフェイス。
飼ってもいいという意味を込めてうなづいてやれば滅多に見せることのない満面の笑みを浮かべる尚樹。
しかしそれはいつもの無表情へと一転し、尚樹の足元にたたずんでいた黒猫の姿は同時に掻き消えた。
たしっ!となんとも気の抜ける音。その音源へとゼタが目を向ければそこには闇の中で光る黒と、闇の中に溶ける黒。
心なしか青ざめた尚樹の顔にわずかな焦りが浮ぶ。
「夜一さん!めっ!ばっちぃ!ポイしなさい!」
天敵を前に思わず幼稚園児に話しかけるようになってしまう18+3歳。
若干涙目でかわいらしいことを言っちゃった尚樹にノックアウトされた54歳。
つい猫の本能で黒いそいつ…コックローチを捕らえてしまった夜一さん。
そんな危機的状況にしばらくゼタ家は騒然としたとか。


オチをつけたい詩的な色の5題
2)闇の中で光る黒
…………その名はコックローチ!
配布元