冬に桜は
それは冬にしては珍しく暖かな日が続いた後の雪の日。
積もった雪が街頭の光を反射してぼんやりと夜道を照らす。
その日は朝から花屋の店主である尚樹の保護者が仕事で家を留守にしていた。
もちろん店主が家を留守にしたからといって尚樹の生活が変わるわけではない。近所のおばさんが昼時にサンドウィッチとりんごをくれたりはするが。
今日は冷えるなぁと店でストーブをたいて暖をとるも、開け放たれた店内はお世辞にも暖かいとはいえない。店内だというのにふわふわのファーが着いた上着を着込みこれまたふわふわの耳宛をつけるという完全装備で尚樹はこの日の店番に挑んでいる。
ちなみにセレクトは寡黙で威圧感十分の店の主人、齢54。朝その格好で少年に見送られながら寒さも吹っ飛んだそうな。
寒いがしかし商売の関係上手袋をつけられない尚樹はあっついお茶を入れては手を温めると言う行動を朝から繰り返していた。
キキッと店の前に見慣れた軽トラックが止まる。
尚樹は少し高めに作られた椅子からひょいっと降りると小走りで運転手に近づいた。
「こんにちは。ご苦労様です」
「やぁ尚樹君。今日はずいぶんとかわいらしい格好だね」
運転席から降りてきた人の良さそうな男性は荷台から箱に詰まった花を下ろす。尚樹は注文表とそれらを見比べて数があっているかを確認してから朝店主に預かっていた判子を押してついでにサイン。
「ああそうだ。尚樹君これ、サービス」
そういって運転手が差し出したのはほのかに色づく春の花。
小振りの枝だがしっかりと花弁を開いている。
「どうしたんですか? これ」
季節外れなその美しさに尚樹は目を細めた。本来はピンク色なのだろうそれは、早く咲きすぎて色素が足りなかったのか、まるで雪のよう。
「俺んとこの庭で咲いたんだよ。ほら、ここ最近暖かかったから」
「ああ…狂い咲き…」
空の気まぐれに騙されてしまったのだろう。おっちょこちょいな桜は春を待たずにその花弁を開いてしまったのだ。せめて誰かに愛でてもらわなくてはその存在意義がないというもの。
「ありがとうございます」
ほおを緩めた尚樹に運転手は喜んでもらえればいいよと照れくさそうに笑う。
熱いお茶入れますから一服していってくださいと手を引く尚樹に申し訳なさそうにしながらも運転手はじゃあちょっとだけと促されるままにストーブの前に座った。
運転手にもらった桜を大きめの花瓶にその存在感を失わぬよう他のあまりものの花と一緒に活けて店先に飾る。あの花に詳しい運転手が桜を切るのはあまり良くないと知りつつも持ってきた一枝。できるだけ多くの目に留まるようにと飾ったそれが、尚樹の今日と言う日を彩ってくれるわけだけれどもそれは神のみぞ知る。予測不能、いうなれば運命?
とりあえずはやいお花見を1人で決行しようと店番もそこそこにいったんストーブの火を消して店先に運ぶ。店先のベンチに積もった雪を払い座布団をひいた尚樹は再びストーブに火を入れて薬缶の変わりに酒粕の入った片手鍋を置いたのだった。
酒粕がお湯に溶け始めると、甘酒独特の香りが漂い始める。実年齢外見年齢ともに若い尚樹だが、やることは年寄りくさい。
尚樹が鼻歌まじりに甘酒を造っているといつもどおり老人達が休憩所よろしく入れ替わり立ち代り寄ってくる。尚樹はそんな老人達をささやかな花見に誘っては彼らに甘酒を振舞った。
日が傾いてくる頃にいったん客足が途絶える。
もう少し立てば今度は仕事帰りのオトーサンやオネーサンでにぎわうので、尚樹はしばし休憩とストーブの火を強くして差し入れでもらった鯛焼きをほおばる。まだほのかに暖かい。
「ストーブで餅って焼けないのかなぁ…」
一体店先で何をするつもりなのか。おそらく尚樹本人にも明日は見えてないに違いない。
短い休憩を終えて、また忙しくなる前にと尚樹は今朝仕入れておいた籐で編まれたタイプの直径12センチほどの小さいリースを手に取る。他にも暇を見つけては拾い集めていた松ぼっくりと余った花で作っておいたドライフラワー。仕事で遠出する店主に頼んで(…)拾ってきてもらったヒバの枝。赤緑金銀の幅の広いリボン。それらを籠にまとめて店先のベンチに腰を下ろす。
あんまりもさもさしないようにと控えめに飾り付けていき、仕上げとばかりにクリスマスカラーのリボンを結べば完成。
きたる年末の宗教的行事が書入れ時とこんなものを手間を惜しんで作ってしまう尚樹は意外と商魂たくましい。しかも材料費は極力ただで。
もともと店主は儲けるつもりで花屋を開いてはいなかったから、赤字経営もいいところだった。
それが黒字に転換したのはここ2年ほど。といってもまだぎりぎりだが。
もくもくと尚樹がクリスマスリースを作っていると、店先の桜に目を留めた客が1人。
冬の短い日はまだそう遅い時間でものないのに暗くなるのがはやい。しかし尚樹の座る店先は店内から漏れる光でまだ明るく、暗く影を落とし始めた道に、その存在をうき立たせて見せた。
「ねぇ、これ桜?」
かけられた声に手元ばかりを見ていた尚樹はこの人と気配が希薄だなぁもしかして店長の客? と視線を上げた。
そこには明るい店先に立っていてもその後ろに広がる闇に紛れてしまいそうなほど黒の似合う青年。一見好青年に見える容姿は尚樹には危険のシグナルにしかならなかった。
「はい…あの、店長なら留守にしてますよ」
とりあえず、花なんて買いに来る人物じゃないだろうと口にした尚樹の言葉に青年はきょとんとした表情を返した。
「べつにここの店長に用がある訳じゃないんだけど…」
てっきり依頼だと思っていた尚樹は青年の言葉に首をかしげる。
「うちはただの花屋ですから貴重なものは何もありませんよ」
その言葉ににこやかだった青年の顔が無表情へと一転。周囲の温度が2,3度下がった気さえする。
尚樹はいつでも対応できるように垂れ流しにしていたオーラをするりとその身に纏わせた。その変化に青年は興味を引かれたかのように目を細める。
「へぇ…君使えるんだ」
何を、とは言わなくても分かる。尚樹はその問いには答えず相変わらずもくもくと手を動かす。青年から見ればそれはずいぶんと余裕のある態度の見えたが、尚樹にとって手を動かすことはマインドコントロールの一種、といえば聞こえはいいが実はただの動揺の表れ。
手を動かしながらどうやってこの場を切り抜けようかと尚樹は考えをめぐらす。
まず戦って勝てる相手ではない。なんせ相手は天下の大泥棒。やはりここは三十六計逃げるにしかず…逃げ足なら自信のある尚樹は最悪の場合は念を使って逃げようと心に決める。
ただし最悪の場合は、だが。
街中で遭遇したならともかく、ここは店の前。尚樹の身元は明々白々。逃げるだけ無駄。
さてどうしたもんかな、と尚樹はようやく手をとめて再び視線を上げた。
「それで、あなたは俺を殺すの?」
無表情で尋ねられる言葉に青年の唇は弧を描く。
「そうだと言ったら、どうするの?」
尚樹は手に持っていた完成品のリースを籠に入れ、上着のポケットをごそごそと探る。ついで目的の物がなかったのかズボンのポケットを探る。それでもなかったようで、困ったように首をかしげる。
青年はその様子を楽しそうに眺めていた。
尚樹はもしかしてと籠の中をがさがさと漁ってみる。すると花や枝に埋もれていたようで、底の方から探していたものが出て来た。それは子供の手に収まるほどの卵型のもの。端のほうに何か刺さっていて、更にそこに紐が続く。
尚樹はそれをよく見えるように青年の方にかざした。
「これを抜きます」
左手に本体を右手にヒモを握り準備万端。
「それは何かな?」
「チカン撃退ブザー」
少年の答えに青年は思わず噴出した。
「あ、チカン撃退ブザーをなめてますね?
結構すごいんですよこれ。チカンを撃退できて更にチカンの心ざっくりをえぐることができるんですから。できるだけ人目のあるところで使うのがコツです。嫌いな人を精神的に痛めつけるのにも便利かと。
ついでに普通のブザーじゃなくてショタコンーチカンー犯されるーっていう音が鳴ります」
先ほどまで余裕の笑みを浮かべていた青年は尚樹の言葉が続くにつれてその笑顔を引きつらせた。
あれもしかしてこの子性格悪くない? というのが青年の心境。
もらったときは役に立たないと思ったけど意外とこれ使えるなぁというのが尚樹の心境。
ひゅうっと木枯らしが吹いて2人の間を通り抜ける。先に沈黙を破ったのは青年の方だった。
「冗談、何もしないよ。桜が珍しくて寄っただけ」
もともと青年が何もする気がないのはなんとなく分かっていたので尚樹はあっさりと防犯ブザーを下ろす。
まるで先ほどのやり取りが無かったかのように籠から今度は大きめのリースを取り出す尚樹を見てからかったつもりがからかわれたかなと青年は頭をかいた。
「座っても?」
「どうぞ。番茶がいるならありますよ」
いただこうと遠慮なく言った青年に尚樹はストーブの上の薬缶から急須にお湯を注ぐ。青年の分とついでに冷えてしまった自分の分も入れ替えた。
青年は番茶をすすりながら、隣で無心にリースを作る少年をじっと見下ろす。時折籠のなかのオーナメントを物色してはリースを飾り付けていく手際に、器用なもんだと胸中で呟く。
「それは売り物?」
「いえ、この大きいのは店に飾るやつです。小さいのが売り物」
仕上げのリボンを真剣に選びながら尚樹は質問に答える。よし赤と銀の二本どりでいこうといささか長めにとってループを4つ。
「こっちの桜は?」
「それはお花見用です。冬に桜なんてなかなか乙でしょう? これで肉まんがあれば文句なしですよね」
斜め向かいの中華屋さんに並ぶ出来立ての肉まんを眺めながら言えば、それって暗に俺に買って来いって言ってる? と青年。
いえいえそんな恐れ多いことと棒読みで返す少年。
尚樹は作り終わったリースを籠に入れいったん店内へと戻った。いつものように開きすぎてしまった花を売り物からはずして他の籠にリボンと一緒につめて店先に戻ると、律儀にも肉まんを持った盗賊団団長が立っている。
「あなた犬みたいだって言われたことありませんか」
「…いや」
ベンチに座りなおして青年から受け取った肉まんをほおばる。欲を言うなら酢醤油が欲しい。
隣で同じように肉まんをほおばる青年を見て尚樹はだんちょーさんでも肉まん食べるんだと意味の分からないことに感心した。
肉まんを食べて満足した尚樹は再び手を動かしていつものように小さな花束を作り出す。
飽きもせず自分の手元を見ている青年に尚樹は諦めて顔を上げた。
「いつまでいる気ですか?」
「冷たいな。客なのに」
それにほら、肉まん買ってやっただろう? と言う青年に尚樹は何も買わない人は客とは言わないんですよと生ぬるい視線を返す。
「そんなに桜が欲しいなら、売り物じゃないんだから盗ればいいでしょう」
「いいの?」
「ダメといっても盗るときは盗るでしょう?」
「ねぇ…君さ、俺が誰なのか知ってるんでしょ」
イエソンナマサカ。あなたかショタコンだなんて知りませんよと尚樹が無表情で言えば青年があわててその口を塞ぐ。
さすがに彼でもショタコンだとは思われたくないらしい。
「はぁ…まぁいいや。今日のところは冬の桜で我慢するよ」
ちらちらと振り出した花弁に青年はようやくその重い腰を上げる。
冬の桜と称されたそれは人肌に触れてすぐに姿を変えた。
「帰るの?」
「ああ」
じゃあその前にストーブ店にしまってという少年にせっかくかっこよく決めたのにと脱力しながら律儀に店じまいを手伝った青年は、帰りしな駄賃とばかりに渡された幻といわれる青い植物界被子植物門双子葉植物綱バラ亜綱バラ目バラ科バラ属の花に目を見開いた。
「ま、桜もバラ科だからね。それで我慢してよ。色も冬っぽいでしょ?」
という少年の言葉に青年は二の句をつなげなかったとか。
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