何故誰もこの青に疑問を抱かないのだろう

抜けるような空は夏のそれ。
いやと言うくらいに晴れたその日はその年の最高気温を打ち出した。


その花屋は店先は陰になっており足を休めるためのベンチもあるため、特にお年寄りでにぎわう。
もともとそのベンチも商品を置くために設置したものだったが、いつしか老人の休憩所になってしまった。その頃の名残なのか、ベンチの端にはかわいらしく小さな花が一鉢だけ置かれている。
「はい、おじーちゃん」
その店で毎日のように店番をしているお人形のような少年は、時折来ては自由気ままに腰を休めていく老人達に麦茶を振舞うのが夏の習慣になってしまった。冬は番茶だ。それがここを老人休憩所になるのを助長しているのだが、本人は気付いていない。
「おお、尚樹ちゃんありがとう。今日は暑いのう」
「そうですね」
ハンター協会会長を務めるネテロはこの店に何度か足を運んでいるので尚樹も知っている。
ついでに言えば少年は5年ほど前に現代社会のベッドの中から気がついたらジャングルど真ん中に放置プレイされたあげく、体も激しく退化しちゃったと言う経歴を持っている。その経歴についてはまた次の機会に語ることにして。
つまり、本当は会う前からネテロの存在は認識済み。サブカルチャーの代表格ともいえる情報誌を読んだという反則技で。
ただの食えないジィさんと侮るなかれ、彼もこの花屋を営む主人の客…つまり裏の人間と言う意味だが…なのだから。
まぁ彼の場合はハンター協会がらみがほとんどのようでそんな法に触れるような依頼はない…ハズ。
ついでとばかりに少年はネテロの隣に腰を下ろしていささか古くなってしまって売り物にならない花が入ったかごを膝の上に置く。
店先にお客ではないとはいえ、近所の老人方がここに座っているとどうにも尚樹は1人にして置けないのだ。まぁそれも本当は老人に限らずではあるのだが。
だいたい、客以外でここに顔を出すのは5年前からここの店番を務める尚樹目当てなのだから、尚更放って置けない。老人方は孫感覚で、オクサマ方は近所の子供感覚で、オネーサマ方はかわいいもの見たさで。
もちろん尚樹は若いオネーサマ方の心境など知る由もない。
ネテロは隣に座って話すでもなく、籠の中から花を選んでは茎を短めに切り、手の中で綺麗なスパイラルを描きながら小さなブーケを次々に作っていく尚樹に感嘆の声を上げる。
「器用なもんじゃのう」
「ネテロさんもおひとつどうです?」
「貰ってもいいのかの?」
「はい。どちらにしてももう売り物になりませんし。古くなっちゃった子はこうして皆に上げちゃうんです」
捨てるのは忍びないからと言う尚樹にネテロもそれならばとその小ぶりな花束を受け取った。
尚樹はできた花束を籠に入れてはまた残っている花をまとめるという作業を無言でこなしていく。
時折近所の顔馴染みさんがそんな尚樹を認めては、花束をひとつまたひとつと受け取っていった。同時に籠の中に飴玉やクッキーなどの包みが増えていく。
「花売りの少年じゃの」
「そのまんまじゃないですか…」
「ふぉっふぉっ。ところで尚樹ちゃん。来年のハンター試験を受ける気はないかのう?」
ネテロの突然の言葉に考えるような仕草を見せながらも尚樹の手は着々と花束を作っていく。
「ネテロさんその”尚樹ちゃん”って言うのは…まぁいいや」
いい年こいてちゃん付けされるのはちょっと抵抗のある尚樹だが、お年寄りというのはどうもちゃん付けが標準装備のようだとここ数年で理解しているのですべて言い終わらないうちに自己完結する。
「俺、ハンター証持ってるんですけど?」
と本題の方を口にすれば、わかっとるよとネテロ。
では何故再びハンター試験を受けなければならないのかと尚樹はますます首をかしげる。
確かにハンター証を持ってはいるが、花屋で店番をしている尚樹にすればそれは無用の長物だ。実は一度も使ってないと言うのは尚樹と店の主人だけが知っている。
「試験官として、ハンター試験を受けんかと言っておるんじゃ」
試験官として…? 尚樹はますます首をかしげた。試験官なら試験を受けると言う表現はいささかおかしい。
そんな尚樹の疑問をくんだのか、ネテロが説明を付け足す。
「ぼちぼち試験の申し込みが来ておるんじゃがの、なかなかに荒れそうな感じなんじゃ。試験官も個性派ぞろいじゃし。それで尚樹ちゃんには受験者の振りをして紛れ込んで欲しいんじゃ」
「はぁ…一波乱ありそうなのはよく分かりましたけど、受験者の振りをして紛れ込んだ俺は何をすればいいんですか?」
「受験者の観察と、試験官のストッパーじゃ。なにぶん参加者が多いからの。受験者の評価も難しい。そのために受験者の様子を観察して欲しいのじゃ。あとは試験官が暴走したときのストッパーじゃな。まぁこちらは大丈夫じゃと思うが…どうじゃ?」
「はぁ…」
それって果てしなくめんどくさくない? というのが少年の心境。
実はもともとこの依頼は店の主人に持ってきたのだが取り付く島もなかったのでこのまま尚樹がOKしてくれたら楽じゃなーというのが好々爺の心境。
うちの尚樹に何言っとんじゃこのじじぃというのが店の主人の心境。
音もなくネテロの背後に立った店主は何の遠慮もなくそのこぶしを振り下ろした。ご丁寧に堅までして。
金槌で釘を打つような激しい音がしたがそこは腐ってもハンター協会会長。ケロリとしている。
ハンター協会会長に全力で拳骨する人物って他に居るんだろうか…と尚樹はのん気にも考えていた。こんなときにも尚樹の手は器用に動いて花束を生産していく。
「尚樹、暑いだろう」
そういって店主は尚樹に麦藁帽子をかぶせ、小さな器に盛られた青を差し出す。
それは削り氷。
「ありがとうございます」
ひんやりと冷気漂うそれを受け取って尚樹は一匙口に含む。口に入れた途端そのしゃりしゃりしたものはするりと溶けて喉を過ぎていく。
人工的な甘さが舌に残った。
「で…何の話でしたっけ?」
店主の登場によってどこかへ吹っ飛んでしまった話を尚樹が引き戻す。
しかし引き戻した本人は削り氷に夢中で本当は既に興味対象外なのだが。その証拠に話の内容を軽く忘れている。
「おお、そうじゃった。それで引き受けてくれんかのう」
「いいともー」
ここ5年ほど見ていないテレビ番組のノリで返事をすると、店主がそれはもう渋い顔をした。返事をした本人は何を引き受けたのがよく分かっていない。なぜならかき氷に夢中で以下略。
「じゃあ頼んだぞい。今度詳細をメールで送るからのう」
過保護な店主が何か言い出す前にと光陰のごとく言い放ったネテロは逃げるようにその場を後にする。状況的にはワンクリック詐欺のよう。
クーリングオフをし損ねた店主の右手がむなしく宙を舞う。
このときほぼ無意識に返事をしてしまった尚樹は来年の試験が第287期だと言うことに後で気付くわけだが、それはまた今度。
自分の傍で電光石火の闘争と逃走が行われていたことなど露知らず、尚樹は最後の一匙を口にした。
その微笑ましい光景を見ながらも微妙に和めない複雑怪奇な心境の店主は溜息ひとつ。
尚樹はべーっと舌を出して青くなったそれを眺めた。
「ゼタさん…」
店主の名を呼ぶ声に視線で問いかければ、尚樹は一言。
「ブルーハワイって何の味ですか?」


オチをつけたい詩的な色の5題
6)何故誰もこの青に疑問を抱かないのだろう
…………ブルーハワイって何の味?