手に入れたいもの

ハンター証は売れば7代遊んで暮らせる金額が手に入るもといわれ、担保にすれば高額の借金が可能。入国禁止国の90%、立ち入り禁止区域の75%に入場可能、といった特権がついている。
そして何より。
公共施設の95%を無料で利用できるのだ。


ぜぃぜぃと息を切らしながら周りの喧騒などまったく気にとめず、尚樹はぬかるんだ足元に視線を落とした。
尚樹は暗器の類を仕込めるという理由で好んで余裕のあるブーツを履くことが多い。実はさりげなく靴底に鉄板が仕込んであったりする。
最初こそ重いと思ったものだが毎日それを履いて店の中を動き回っていると気にならなくなった。…実際は足首が冷えなくていいというじじくさい理由が大半を占めているがそれを知る者は少ない。もちろん冷え込むときにこっそりカイロをしのばせているなんてことはない、断じて。
花屋で何故暗器が必要なのかと突っ込みたくもなるが、意外と出番は多い。主に対変態装備に成り下がっているあたりが悲しいところだが。
話がそれた。
つまり何が言いたいかというと、湿原はつらいということだ。
「うそだ!そいつは嘘をついている!」
で始まり結果的にヒソカのトランプによって決着がつく一連のやり取りを完全にスルーして、尚樹はすごく個人的なことで悩んでいた。
「走るのは何てことない…ことはないけど」
すでに激しく息切れしている尚樹は皆が他の事に夢中なのでセルフツッコミ。大体花屋の店番は花屋で働く程度の体力があれば十分だと1人で言い訳をする。
「泥が跳ねそう…」
かなりどうでもいいことで悩んでいたらしい尚樹にフードの中、細い肩の上で器用にバランスを取っていた黒猫は突っ込む気すら起きなかった。
「それでは参りましょうか。二次試験会場へ」
試験官であるサトツの言葉に場の雰囲気が少し張り詰めたものになり、また民族大移動の開始。
受験生達がぞろぞろと移動し始めるのを眺めながら尚樹はどうしたもんかと軽く足を踏み出す。
ブーツが子供の体重にしては深く沈み案の定泥が跳ねた。尚樹は溜息をつきその場でいまだ300人以上いる受験生を見送るべく完全に足を止めた。
小さくなっていく受験生達の背中を眺めながら尚樹は誰にともなく手を小さく振る。
「で、どうする気だ」
走り出す気配のない飼い主を訝しげに見、黒猫はものすごく白けたオーラを漂わせた。
「そんなかわいそうな子を見る目をしなくても…さすがにリタイアしないから」
本当は内部試験官だから受験生に紛れて観察とかしなきゃなんないんだろうケド、と呟いて尚樹は垂れ流していたオーラをその身に纏わせる。
「ま、どうせ何も起こんないしいいでしょ」
湿原に入ってすぐ起こるヒソカの試験官ごっこは有事には値しないらしい。
尚樹は数時間前に具現化した蛍光ピンクのドアを今度は堂々と具現化した。
「これ以上汚れるのはごめんだし、直接2次試験会場に行っちゃおう」
「…場所分かるのか」
黒猫のもっともな問いに尚樹は口の端を上げるだけで笑い、ビスカ森林公園とだけ返した。


話は少し遡る。
原作どおり主人公組が登場したところで試験開始となり、イルミやヒソカと離れた尚樹は皆が移動を始めてからもしばらく入口付近にたたずんでいた。
「行かないんですか?」
「…マーメン? さんでしたっけ…」
問いかけた方はまさか尚樹が自分の名前を知っているとは思わなかったのか、その目がわずかに開かれる。
「はい」
「………俺、ハンターだけどちょっと走りきる自信ないんですよね…」
確かに一般人のそれに比べたらあるといえるだろう持久力。
が、なにぶん花屋の店番。
ライセンスを取ってからハンターらしいことは何もしていない。
先の見えない地下道。見えはしないがその先に続く階段。
80kmも走れるかなぁ…と尚樹は思わず虚空を眺める。
「ま、走れるところまで走りますか。あんまりぼやぼやしてると追いつけなくなるし」
じゃあ、と軽くマーメンに会釈をして尚樹は足を踏み出した。
昔はこんなに早く走れなかったなぁと単調に流れていく景色を視界の隅に捉える。
「夜一さん大丈夫?」
「ああ。相変わらず走り方だけはうまいな」
「だけは余計だよ。ま、ゼタさん仕込みだしね」
ほとんど体が上下しない尚樹の走り方は以前保護者に叩き込まれたものだ。
一体何の仕事をしているのか、店の店主は足が異常にはやい。そのスピードに遠く及ばない尚樹は、しかし走り方だけはそっくりだった。
そうかからずに受験生の背中がちらほらと見えてくる。あまり目立たないよう脇の方から何人か抜かす。少しペースを落としてへばってきた受験生を抜いていくと、目の前に階段。
「何だこれ天国への階段かちくしょう」
果てしなさに愚痴が漏れる。80キロ近く走った時点で息が切れている尚樹としては遠慮したい。
走っているときは気にならないが止まると一気に自覚される激しい動悸と呼吸に軽い眩暈がする。
「なんか止まったら死んじゃうっていうキャラどっかにいたよな…」
いやでもむしろ自分は苦しくても積極的に止まりたいと尚樹は切実に思った。
気を取り直して階段に足をかける。
先ほどと変わらぬペースで階段を駆け上がっていくと前方から穏やかではない会話が聞こえた。思わずスピードを落とす。
「緋の目」
ク ラ ピ カ!? 
そしてレオリオもいるはず!と尚樹は視線を上げる。そこには予想通り上半身裸のレオリオがいた。
6年目にして初めてまともな(命の危険を感じない)主要キャラを目にした尚樹は、疲労でまともに動かす気にもならない無表情の下で一気にテンションが振り切れた。
しかしそれも続くクラピカの言葉で鎮火。
もちろん幻影旅団うんぬんのくだりだ。
不可抗力とはいえ旅団に何人か知り合いのいる尚樹は、別にクラピカと面識があるわけでもないのになにやら板ばさみな気分だ。
「ありもしない良心がうずきますよ夜一さん…」
「…とうとうボケたか?」
ひどい!と一連のやり取りを小声で済ませ、今度はレオリオの言葉に耳を傾ける。
その言葉を聞いて尚樹は首をかしげた。
「あれ? ………俺どうしてハンターになりたかったんだっけ…?」
たしか渋るゼタさんを説得してまで受けたはずなんだけど、ともう2年前になる記憶を尚樹はたどろうとした。
しかしそれは次の瞬間開けた視界に意識の隅に追いやられることになる。