約束を交わした土曜日

13th day-Saturday

私服で学校の校門に立つって言うのは、目立つようで意外と目立たないもんだ。
遠路はるばる親の転勤先までやって来たって言うのに、傘を忘れた妹を迎えにいかされる俺、かわいそう。
ズボンの裾は濡れるし、靴は汚れるし、ホント、鬱。


最悪だ。
朝は晴れていたのに、午前中の授業が終わった頃には外は土砂降りで、社はげんなりした。
もちろん傘なんて持って来ていないし、あいにく置き傘もない。
走っても、この雨では気休めにもならない。
玄関で止む気配のない雨を眺めて、水でぬかるむ地面を見た。
落ちて来た透明なしずくが、色を持ってはねる。
校門の方を見ると、学生服にまぎれて私服の人間が一人。さしている傘とは別に、手にも傘を一本持っているから、きっと誰かの迎えだろう。
ちらほらと、生徒を迎えにくる車の姿も見える。
雨程度で迎えに来てもらえるなんて、うらやましい限りだ。
まっすぐに社のいる玄関まで歩いて来たのは、保護者と言うよりはまだそう年も変わらないような少年だった。
顔はよく見えないけれど、服装や歩き方からそう感じる。
ズボンの裾はすっかり濡れて、スニーカーから泥が跳ねる。なんとも悲惨な格好だ。
もっとも、傘を持っていない社は1分もたたないうちに彼よりひどい姿になるだろう。
社の隣に立って、さしていた傘を畳むその姿を横目で見る。うつむいた顔は、髪に隠れて良く見えない。
気になってその動きを眼で追っていると、顔を上げた相手と見事に目が合った。
「……あ」
濡れた手から、傘を伝って水滴がコンクリートに落ちる。
思わず声を上げた社に何か?と少年が首を傾げた。
社を見る目は、とぼけているわけではなく、本当に忘れているようで少しだけ腹が立った。
自分はこんなに鮮明に覚えているのに、不公平だと思った。
「一回だけ、碁を打ったやろ。社や」
「うーん、大阪の知り合いはいないはずなんだけど」
「……社、社清春や」
「ああ、思い出した。ヤシロキヨハル」
ヤシロじゃ、わかんねーよ、といまいち分からないことを言って河野が笑った。
「自分、なんでこんなとこにいるん?」
そう聞こうとした社の声を、第3者の声が遮った。
「雅仁君?」

ゆっくりと顔を動かして声の主を見つけた河野が遅いよ、と軽く文句を言った。
駆け寄って来た女の子はきょとんとして悪びれた様子は無い。
「どうしてここにいるの?」
「今日会いにいくって言ったじゃん」
「そうじゃなくて、どうして学校にいるのって聞いてるんだよ」
「ああ、お前傘忘れてったろ」
ほら、と差し出された傘に、周りにいた友人らしい女子数名が色めき立った。
その声だけで、何を考えているか手にとるように分かる。
あらためて女子生徒の顔を見遣った。河野菜摘。知ってる、同じクラスだ。
「……もしかして、自分ら兄弟か」
社の言葉に菜摘の友人達が落胆するのが分かった。女ってこういう話が好きだよな、と彼女達の一喜一憂する姿を冷めた眼で見つめる。
「ご名答」
それより、もしかして傘もってねーの? と尋ねた雅仁に社は素直に頷いた。
今まさにそれで困っていたところだ。
「菜摘、ちっと濡れるけどいいよな?」
「いいよ」
主語の無い質問に、菜摘も当然のように返事を返す。兄弟って、こんなもんかとその慣れたやり取りを眺めた。
妹から自然な動作で鞄を受け取る河野は、正直兄と言うよりも恋人に見える。
「自分ら、仲ええなあ」
「そうか? 普通だろ」
「地域差じゃない?」
なんや、地域差て……。
至極真面目そうに言った菜摘に、心の中でだけ突っ込んでおく。
河野の腕に捕まってバランスをとりながら靴を履き終えた菜摘にはっとなる。
この前はかろうじて名前だけ名乗ったが、それでは意味が無いことに新幹線に乗ってから気がついた。
また碁を打ちたい。引き止めるようにその肩に手を置いた。
「自分、もう帰るん?」
「ああ、菜摘迎えに来ただけだから。ほら、これ貸してやるよ」
まだ濡れていない女物の傘を差し出されて、社は反射的にそれを受け取った。
「ええんか」
「俺は菜摘と一緒に帰るから、へーき。今度妹に返しといてよ」
「……おおきに」
「どういたしまして」
河野が濡れたままの傘を再び広げて、妹が自然とその体を寄せる。
傘をかりたかったわけじゃない、と慌ててその背中に声をかけた。
「自分携帯のアドレス交換せん?」
「あ、ごめんね社君。雅仁君は携帯持ってないんだよ」
「はぁ!?」
「そーいうこと。うちの番号は今度妹にでも聞いてよ」
じゃーな、と今度は引き止める間もなく相合い傘で手を繋ぎながら帰ってしまった二人を見送って、やっぱり仲ええやないか、とかりた傘をひろげた。
女物は少し恥ずかしいが、この雨の中を濡れて帰るよりはマシだろう。
「今時ケータイ持っとらんて、どういうことや……」
今度東京行ったときにでも碁打とうと思ったのに、と社は肩を落として雨の中に歩を進めた。


「 雅仁君、正直に答えてね?」
「なん、改まって」
「うっすら背後に人の気配がするんだけど、家から何か連れて来たりしてないよね?」
びくぅ、とサイが身を震わせたのが視界の隅に映る。この小心者め。
「別に家のは連れて来てないよ。だいたい俺家にいるの見たことねーし」
「家のは、ね」
ふう、とため息をつきながら意味深につぶやいた菜摘に、ばれたか、と視線を泳がせた。
嘘はついてない。家にいる俺に見えないあれやこれは連れて来ていないはずだ。
「母さんには内緒な」
「いいけど、すぐばれると思うな。お母さんは私より鋭い」
「へーきだって」
「じゃあ、口止め料。明日一緒に映画行こ」
雅仁君のおごりで、と悪戯っぽく笑った菜摘に、はいはい、と苦笑で返した。
わが妹ながら、ちゃっかりした奴だ。