目標を達成した木曜日
11th day-Thursday
ドアの前に座り込む姿に緒方は一瞬足を止めた。
行儀悪く床に腰を下ろして緩く目を閉じる姿はいつものチャラチャラした雰囲気とは違った印象を受ける。
ゆっくりと開かれた瞳が緒方へと向けられた。
今日はバイト無し。土曜日は休み。後1日学校に行けば休み。週休2日最高!
大して長くもない人生で、どうしてこうもせかせか生きないといけないのかマジ分かんない。
あ、長くないからか。
「オガタさん、お茶入れてもいー?」
「……座ってろ、俺が入れる」
「場所教えてくれれば自分で入れるのに」
「お前に任せとくと、いろいろ割ったりしそうだ」
ひどくね? これでも俺は一人暮らしなのに。
いったいオガタさんの中で俺ってどんだけドジッ子なんだろう。……まあ、鍵落として濡れ鼠になってたところを拾ってもらったくらいだし、仕方ないのか?
そうそうに台所から追い出されてしかたなくソファに腰を下ろした。いつも思うけど、高そう。うちにはソファなんて洋風な代物はないから今のうちに堪能しておこう。
待っている間に上着を脱いでシャツの襟を緩めた。どうも詰め襟はいけない。開けてても窮屈だ。
オガタさんはいつもネクタイ閉めてるっぽいけど、肩こんないのかな。
慣れってやつ?
すぐにマグカップを片手に戻ってきたオガタさんに、ああ、またコーヒーだなって思った。
俺は出来れば日本茶がいいんだけど。オガタさんは確かにコーヒーってイメージかも。そう言えば、タバコをすってるとコーヒーがうまいんだっけ? カフェイン摂取量が多くなる、とかどっかで聞いたことあるかも。
受け取ったマグカップの中は、予想通りコーヒーだったけれど俺の分だけミルクが入っていた。口を付けると甘い味。
「……オガタさんて女の人にもてそうだよね」
「何だいきなり」
「こっちの話」
この微妙な気遣い。男の俺に発揮していったい俺をどうしようって言うんだろう? 女の人ならきっとこれでコロっていっちゃうんだろうな。女の人なら。
「あ、それよりさ、オガタさん。今日はネット碁やらせてよ」
なんだかんだでやりそびれたから。昨日は結局オガタさんと打っててネット碁は出来なかったし、今日こそはと意気込んできたわけよ。サイだってオガタさんとばっか打ってたら飽きるだろーしね。俺は飽きたね。
俺の言葉にオガタさんは少しだけ顔をしかめたけど、ついてこいって行って立ち上がった。初、オガタさんの私室。
ぱたぱたと裸足でオガタさんのあとについていく。
「おさかなー。金魚だ金魚」
「違う、熱帯魚」
「ふーん?」
個人的には出目金が好き。縁日の金魚つりで赤い群れに混じる黒いのを良く狙ったっけ。結局赤いのばっかりとれちゃうんだけどさ。
「ほら、さっさと座れ」
パソコンの前のイスを引かれる。それに座ってパソコンに向き合うとオガタさんが電源を押した。ディスクの回転する音が聞こえて画面に文字が浮き上がる。
パソコンって立ち上がるの遅いよね。人間並み。
後ろから手を伸ばしてきたオガタさんがマウスを握って何かのソフトを立ち上げた。どんどん画面が進んでログイン画面になる。
この人、教える気さらさらないよね。いいけどさ。
「適当に名前を入れろ」
「名前って、ほんみょー?」
「どっちでも。あんまり本名を入れる奴はいないがな」
「ふーん」
それってつまり偽名入れろってことだよね? 偽名っていうか、ハンドルネームとかいう奴?
なまえ、名前、なまえねぇ。
あおぐように後ろを見るとサイの向こうのオガタさんとまで目が合った。その前にいるサイに焦点を合わせると速く速くと見えない尻尾を振っている。犬め。
慣れないキーボードから目的のアルファベットを探す。
「P……」
見るたびに思うけど、このならびになんか意味あんのかな。ひらがなもアルファベットももっと規則正しく並べって感じ。さがすのに無駄に時間かかるじゃん。
「……ポチ?」
pochi。
俺がようやく打ち終わった画面に映る名前をオガタさんが読み上げる。そんなに眉間にしわを寄せなくても。
オガタさんには見えないかも知んないけど、俺の後ろあんたの前にはでかい図体してるくせにしっぽぶんぶん振ってる犬みたいな奴がいるんだよ。
もうこれはあれだね、まさしくポチって感じ。
「オガタさん、はやく、続き続き」
「……分かったから大人しくしてろ」
なんでそんなどうしようもない、みたいな顔してため息つくかな。幸せが逃げちゃうよ? なんてまあただの迷信だけどさ。でも世の中には言霊、って概念もあるわけだしお約束だし、一言いっとかなきゃだよね。
「オガタさん、幸せが逃げるよ」
「この程度で逃げられたらたまらんな」
そうそう、それでいい。他人から与えられた毒のある言葉を引き受けちゃいけない、ってじいちゃんが言ってた。まあ、簡単な厄払いみたいな感じ?
オガタさんは、自力で厄の一つや二つ払っちゃいそうだけどね。
さて、オガタさんの相手はこれくらいにして、そろそろサイの相手をしてやるか。あんまりほっとくとしっぽを振りすぎてちぎれそうだ。
「あ、ちゃんとあとでオガタさんとも一局打つから、すねないでね」
「……誰がすねるか」
「あはは」
せっかくのポーカーフェイスなのに声がすねてるよ、オガタさん。残念。
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今時の高校生がこんなにパソコンを使えないなんてことがあるのか、と眉間にしわを寄せる。
「もー、オガタさんと打つのはまだ後だよ」
「違う。代わりに打ってやるからお前どこに打つか口で言え。時間がかかってかなわん」
「えー」
でもそれって軽く伝言ゲームだよ、と緒方に席を譲りながら雅仁が思っていたことは佐為しか知らない。