雨に降られた土曜日
6th day-Saturday
雨にぬれた道を歩いていた。
下を向いて歩いても、暗く染まった道に金属の輝きはない。
鍵を落とした。
朝はこれでもかというくらい晴れていたのに、夕方には嘘のように大粒の雨が降り出した。
もちろん傘なんて持ってない。
バイトで疲れた体を引きずって雨の中ようやく家に着いたと思ったら、いつもポケットに入っているはずのものがない。
こういうときに限って家の戸締りは完璧で、ネズミの入る隙もない。
一言で言うなら、ついてない。
どんどんマイナスに引きずられていく思考を、加速させることは出来ても減速させることはできない。
「俺、超不幸」
(雅仁、のんびり探してたら本当に風邪を引きますよ)
「ひかねーよ、馬鹿だから」
(もう!そんなこと言って…早く探しますよ!)
「ヘイヘイ」
サイに叱咤されながら、のろのろと鍵を探す。
どうせ見つかりっこない。
こういうのは見つからないと相場が決まっているのだ。
口に出したらサイに怒られるから言わないけど。
来た道を半分くらい戻ったところに、大きなマンションがある。
きっと金持ちが住んでんだろーな、とその建物を見上げながらどうでもよいことを考えた。
雨宿りをするのも馬鹿馬鹿しいくらいびしょ濡れなので、入口に続く階段に腰を下ろす。
(雅仁、そんなところで休憩してないで!鍵を探さないと!)
「分かってるって。だけど疲れたの。休みたいの」
つーか、鞄の中の教科書とかノートとか、きっとでろんでろんになってんだろーな。
間違いない。
あー、ってか、月曜学校に着てく制服がない。俺の一張羅なのに。
マンションのロビーへと続く階段に、黒い学生服姿の少年が座り込んでいた。
こんな土砂降りの中、雨宿りもせずにそんなとこに座り込むとは物好きもいたものだ。
ぬれるのは個人の自由だが、正直そこは通行の邪魔だと言いたい。
主にそのマンションの住人にとって。
緒方精次は普通の人間なら避けて通るだろうその少年の前でわざわざ立ち止まり、思ったことをそのまま口に出した。
「邪魔だ」
のろのろと顔を上げた少年の顔は、ぬれた髪が顔に張り付いていて分かりづらい。
本人もそんな前髪を鬱陶しいと思ったのか、するりと前髪を掻き揚げた。
その顔にどこか見覚えがある。
どっこいしょ、と掛け声の聞こえてきそうな動作で腰を上げた少年は、そんな緒方の心境を察したかのように、「火曜に、棋院で会いましたよね」と言った。
雨音にかき消されそうなそれに、記憶を手繰り寄せる。
そういえば、こんな顔だったかもしれない。
「こんなところで何をしている」
「諸事情で、今日泊まるところがないんですよ。一晩雨ざらしの刑です」
相手の態度が淡々としすぎていてどこまでが冗談なのか量りかねる。
しかしこのまま雨の中話しているわけにもいかないだろう。
自分はともかく、相手は傘もなく雨に打たれ放題なのだ。
「……とりあえず、ついて来い」
ため息混じりにそう言った緒方の後を、不審そうな顔をしながらも少年はついてきた。
どれくらいの間雨に打たれていたのかは知らないが、エレベーターを待つ間にも床に水たまりができる。
お互いに無言のままエレベータに乗り、緒方の部屋の玄関まで上がったところで、少年は足を止めた。
「どうした」
「……床、濡れますよ」
「拭いたところで変わらんだろう。……とりあえずシャワーでも浴びて来るといい」
初対面に近い人間にどうしてここまでしてやらなきゃならないんだと思わなくもないが、放っておくわけにもいかない。
玄関でぼんやりたたずむ少年の腕を引っ張り、脱衣所へ押し込んだ。
つかんだ指先にひやりとその冷たさが伝わり、相当の時間雨に打たれていたことをうかがわせる。
しばらくの間少年は戸惑っていたようだが、無事シャワーの音が聞こえてきたので、緒方もいささか濡れてしまった服を着替えるべく自室に引っ込んだ。
ジーパンにシャツと簡単な格好に着替えて、はたと気づく。
「……どう考えてもでかいが仕方ないか」
身長はそう低いほうでもないだろうが、自分よりは低いし、中高生男子にありがちな薄い体。
そんな相手にかす服などそう都合よくあるわけがない。
自分の持っている中でも一番細身のジーパンと、気持ちサイズが小さいと思われるシャツを引っ張り出した。
「……やっぱり大きかったな」
「いえ…ありがとうございます」
ズボンのすそもシャツの袖も折り返している少年を振り返って、当然といえば当然の結果に緒方はつぶやいた。
独り言のつもりだったのだが聞こえていたようだ。
とりあえず話を聞こうと、ソファに座るよう促す。
どこか居心地悪そうに向かい側に座った少年に、さてどうしたものかと緒方はため息をついた。
「……それで、どうしてあんなところに居たんだ」
緒方の質問に気まずそうに視線を泳がした後、あー、とぬれた頭を乱暴に掻きながら、少年は一言「鍵をおとしました」といった。
「………は?」
予想外の返答に思わず間抜けな声を出してしまう。
「……家には誰かいないのか」
「…一人暮らしなので」
「君はまだ高校生だろう」
まあ、そうなんですけど、とばつが悪そうにつぶやく少年に、緒方はそれ以上の追及を避けた。
これ以上の厄介ごとはごめんだ。
「とりあえず、今日はもう遅いから泊まっていけ。明日鍵屋を呼んでやる」
「え……でも」
「気にするな」
緒方の押し切るような態度に、初めは戸惑っていたようだが、諦めがついたのか「ありがとうございます」と頭を下げた。
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