至福の金曜日

5th day-Friday

今日も今日とて碁会所へ。
ていうか、ここ数日碁石を握らない日はない。
たまに、って言う約束はどこ行った。


俺の家にパソコンがあればネット碁ができるのに。
がっくし。
和気藹々とじーさんたちにまぎれて碁を打つ。
こわそーな顔なんて思ってごめんねみんな。
俺みたいに若いやつは珍しいのか、みんなが孫みたいにかわいがってくれる。
俺年寄り受けいいから。
それに自分でも自覚してるほどジジコンだし。
トウヤのおとーさんとか、マジかっこよかった…。
俺もあんなふうに年取りたいもんだ。
「坊主、答え分かったか?」
「んー…こう?」
「はは!おしいなあ」
こうやってこう…とじーさんたちは鮮やかな手並みで白石を取っていく。
碁がまったく分からない俺に、詰め碁を教えてくれてるのだ。
こういう小さなスケールなら何とか分かる。
「まだまだ読みが浅いなあ、坊主」
「そりゃー百戦錬磨のじーさんたちにはかなわないよ」
あと坊主じゃなくて雅仁だよ。
「まあまあ、始めたばっかりにしては筋がいいじゃないか」
ぐしゃぐしゃと頭をなでられる。
褒められるってのはいくつになっても気持ちいいやね。
「じーちゃん好きー」
「お、なんかなつかれたぞ」
こうやってじーちゃんたちに囲まれるなら碁をやるのも悪くないかもしれない。
席料1000円は痛いけど。
あと後ろでスゲー喜んでるサイが癪だけど。
なんかサイの思うつぼなところがいただけない。
しかし、当面の問題はサイの欲求不満をどう解消するかだ。
ここではじーちゃんたちが色々構ってくれるもんだからつい素でやってて、サイに打たせることはできない。
詰め碁もろくに出来ない奴がいきなりプロ並みの碁を打ったら怪しいことこの上ないからね。
できれば顔の見えないネット碁がベストだけれど、いかんせんうちにネット環境が整ってない。パソコンもない。携帯もない。
さすがにそろそろサイの視線が痛くなってきたところだ。

「こんにちは。なんだか今日は賑やかですね」
打たせろ打たせろと騒ぐサイを無視して、めずらしく若い声に雅仁は声のした入口のほうを振り返った。


久しぶりに顔を出した碁会所はなんだか盛り上がっているようで、奥のほうに人が集まって碁盤を囲っているようだった。
「なんだか今日は賑やかですね」
「ああ…昨日から来た高校生がお年寄りに人気でね」
席料を払いながら受付の人に聞くと、人の集まっているほうを見て、理由を教えてくれた。
言われてみれば、碁盤の前に座っている人影は、黒いガクランに身を包んでいる。
「和谷くんがつれてきたんだよ」
「和谷が?」
こちらに背を向けているから顔は見えないけれど、和谷よりは少し大人びているような気がした。
お互い会うのはいつも棋院や碁会所だから、考えてみれば友好関係は全くといっていいほど知らない。
たぶん、ガクランを着ているから学校関係の知り合いだろうが、なんだかそれが意外な気がした。
和谷は高校にはいっていないから、幼馴染とかそのあたりだろうか。
そんなことを考えていたら、足は自然とその少年のほうに向いていて、いつ気付いたのか、こちらを振り返った彼と目が合った。
曖昧に笑い返すと、へらり、と人懐っこい笑みが帰ってくる。
「やあ、ひさしぶりだね。伊角君」
「お久しぶりです」
常連さん達が声をかけてくれて、それに笑顔で返す。
棋院も落ち着くけれど、ここも自分にとっては居心地がよく落ち着く場所のひとつだ。
「こんにちは。えっと…和谷の友達なんだって?」
「こんにちは。そう、中学のときのダチだよ。イスミ? さんは和谷のこと知ってるんですか?」
「雅仁くん、伊角君もプロなんだよ」
彼の問いに答える前に、周りに集まっていた人が返事をする。
その答えに、雅仁、と呼ばれた彼は「えー…」となんだか微妙な顔をした。
その反応に首をかしげていると、それに気付いたのか「今週は会う人会う人プロ棋士だからなんか微妙な心境なんだ」と理由を教えてくれた。
「会う人会う人って…そんなに?」
正直、そんなに棋士がごろごろしているとは思えないのだが。
思わず疑問を口にした伊角に、少年はトウヤ親子でしょ、冴木さんに白川さん…あ、あと緒方さん…と指折り数える。
「あれ? 意外と少ないかな?」
「いや、十分だと思うよ」
会った人数というよりも、その豪華なラインナップに意味もなく冷や汗が出た。
「雅仁くん? は囲碁初めてどれくらいなの?」
「雅仁でいいよ。最近はじめたばっかりのばりばり初心者」
人懐っこく笑って右手を差し出してきた雅仁の、その無防備さになんとなく面食らって、ぎこちない笑みを返しながらもその手を握り返した。
「イスミさんも一緒にやろーよ、詰め碁。俺、ちょっと分かるようになったところなんだ」
「坊主と伊角君じゃレベルが違いすぎるぞー」
茶々を入れる外野に「いーの!」と小さな子供のような反応を返す雅仁に、犬並みの人懐っこさだな、と失礼なことを思いつつ、思わず笑みが漏れた。