過去を振り返った木曜日
4th day-Thursday
タバコの煙って、充満するとこんな風になんだ…ともはや視界自体がうっすらもやのかかったように白い空間を眺めた。
うあー…骨の髄までヤニ臭くなりそう。
かなり失礼なことを考えつつも、並んでいるこわそーなおっちゃんたちを前に口を開くことなんてムリ、絶対ムリ。
口は災いの元って昔の人も言ってるし、ここは一つ、おとなしくしときましょーか。
ワヤ曰く、碁会所ならいろんな人と碁が打てる、ということなので早速つれてきてもらうことにした。
…早速後悔の嵐だけど。
「つか、席料取られるなんてきーてないし」
「ただでやれると思うほうがどうかしてるだろ」
そりゃそーだ。でも1000円って高くない? 高いよ。
学生には痛いよ。
自給800円の世界なんだよ、高校生なんて。
「チクショー自分が社会人だからって」
「はいはい。で、とりあえず打つか?」
打ちます!と間髪いれずにサイが元気よく挙手をする。
もちろん、どんなに元気よく返事をしたところでワヤには見えないが。
おーおー尻尾ふってら、とそのうれしそうな姿を眺めた。
「や、とりあえず見とく」
ええ〜!? 打ちましょうよう!雅仁は碁石握ってくれるだけでいいんですからあ!
うるさい犬ころだ。怖いおっさん達と打つオレの身にもなってくれ。
耳元でキャンキャンほえるサイを無視してワヤについていく。
奥のほうに、珍しく若い(みんなじじぃばっかだ)2人が和やかに碁を打っていた。
「こんちわ、冴木さん、白川さん」
「こんにちは、和谷君」
「和谷、めずらしいなこの時間に来るなんて。いつもはネット碁だろ?」
「あ〜、今日はこいつ連れて来たんすよ。碁会所つれってってくれって頼まれて」
ネット碁、という言葉にピンと来た。
前にサイが「四角い箱のようなものでいろんな人と碁が打てる」とかいってたやつか。
幽霊のくせにそんな現代技術の恩恵を受けていたらしい。
「河野、オレの兄弟子の、白川道夫さんと冴木光二さん。で、冴木さん、白川さん、こいつはオレの中学のときのダチで河野雅仁です」
ワヤに紹介されて「どーも」と軽く頭を下げる。
どうでもいいけど、冴木さんとやらはずいぶんかっこいいなオイ。
白石さんはいかにも善人そうだし。
冴木さんはじーっと俺の顔を見ている。いやそんなに見つめられると照れるんですけど。
「…あ、やっぱり雅仁だ。覚えてない? 昔近所に住んでたんだけど」
自分の顔を指差しながら聞いてくる冴木さんにオレは首をかしげた。
引っ越したのは確か7つのときだから…と古い記憶を呼び起こす。
言われてみればそんな人もいたかもしれない。だんだんそんな気がしてきた。
「覚えてないかぁ、小さかったもんなあ」
「はあ…すんません」
あのころの記憶はうっすらもやがかかっていてはっきりとは思い出せない。
だからきっと、冴木さんの言うことが正しいんだろう。
ガキの記憶力なんてそんなもんだ。
「まあ2人とも座りなよ」
白川さんに勧められてワヤと2人そろって腰を下ろす。
「兄弟子ってことは2人ともプロなんですか?」
「ああ、そうだよ。河野君の棋力はどの程度かな?」
「キリョク?」
白石さんの言葉に首をかしげる。
キリョク? 気力?
気力ならゼロだが。
「こいつは初心者ですよ」
くだらないことを考えていた俺の変わりにワヤが答える。俺に説明はナシか。
「へえ。じゃあ俺と打とうか、雅仁」
「え? や、俺は見てるだけで…」
打ちましょう!
いやいやいやいやいや…お前が打ったら間違いなく勝っちゃうからマジで。
プロ相手にそれはマジないって。
打たないと泣いちゃいますよ!
「……………ヨロシクオネガイシマス」
サイがめそめそするので、ちょっぴり気分が悪くなりつつ頭を下げる。
その瞬間に目を輝かせたサイに拳骨をかましてやりたい。
「じゃあ、和谷君は僕と打とうか」
「はい。よろしくおねがいします」
逃げ場なし。
ワヤのほうは早くも隣の碁盤に移動してしまった。
仕方なく俺は冴木さんの前に座る。
「雅仁が黒石でいいよ」
なんだか知らない人(って言うか覚えてない人)に親しげに名前を呼ばれるのってなんか変な感じ。
向こうからしたら俺は弟みたいな感じなんだろうけど。
サイの動きにあわせて石を握る。
人差し指と親指で石を持った俺を見て、冴木さんはなんだか微笑ましそうに小さく笑った。
俺が激しく恥ずかしいんですけど。
「……………笑ってもいいですよ」
「ああ、ごめん。そんなつもりじゃないよ」
石を置きながら、そういえばサイに勝ちすぎないように釘を刺してなかったと思い出す。
まあ、言わなくても分かってるとは思うけど。
「今おじいさんとこで暮らしてるんだっけ? おじいさんとはうまくやってる?」
「ええ、まあ。俺、もともとおじいちゃんっ子だから…」
「俺も何度か会ったことあるけど、なかなか渋い人だよね。元気?」
「いえ、3日前に亡くなったんで」
さらっと発した俺の言葉に冴木さんの手がとまる。
顔を上げると、なんともいえない微妙な顔をしてた。
「………冴木さん、詐欺に引っかからないようにしてくださいね?」
俺の心底心配そうな言葉に、冴木さんは騙されたとばかしにため息をついた。
「………そういう冗談はたちが悪いと思うけど」
「ハハ…すみません。じいちゃんなら元気すぎて困ってるくらいですよ」
ちょっと怒ったような表情をしてたけど、すぐに冴木さんは笑って許してくれた。
うん。いい人だ。
きっと女の子にもてるんだろーな。
顔綺麗だし。
全く展開のわからない碁盤に石を置く。
この作業は結構退屈だけど、分かれば少しは面白くなるんだろうか?
ヤシロもトウヤも碁盤に向かうときはすごく真剣な目をしてた。
冴木さんも、試合のときはそうなんだろうか。
「いつから碁、はじめたの?」
いやまだ始めてないです、とはさすがにいえない。
千年前からは論外。
「………月曜からです」
強いて言うならサイと会った時?
俺の言葉に冴木さんは目を丸くした。やっぱりもっとサバを読んでおくべきだったかな?
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