眩むほどの色彩で
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夏休み。
周りは民家すらない場所で、する事と言えば、外を眺めたり、宿題をしたり。その宿題も、もともとホグワーツでフライングしていたために、大した時間もかからずに終わってしまった。
セブルスからかりた魔法薬学の本も読み終わり、既に2週目。
仕方がないので予習をし、あまり得意ではない歴史学とルーン文字学を復習。
さすがに、4年もホグワーツに通えば要領もつかめるというものだ。
つまり何が言いたいかと言うと、唯は盛大に暇を持て余していた。
ソファの上に本を開いて読んでいた体勢から、頭をさげて柔らかなそれに預ける。この体勢でいるとついうとうとしてしまっていけない。自堕落になってしまう。
何かしなければ、と一念発起して立ち上がった。
台所に顔を出すと、シリルが小さな体でせわしなく動き回っている。
その様子をイスに座って眺め、気になる事を口にした。
「シリル、おやつ作ってるの?」
「はい、今日はチーズスフレですよ」
小麦粉を量りながら、シリルが丁寧に答える。……スフレか。
「どうやって作るの?」
「作り方でございますか?」
こくり、と頷く。そう言えば、スフレは作った事がなかった。
ショートケーキやシフォンなど、買うばかりで唯は元の世界でも作った事がない。それというのも、膨らまない、という話をよく聞くからだ。
クッキーを焼いた事はあるが、あまりに時間がかかるので、すぐに嫌になった。
考えてみれば、お菓子作りにあまり良い思い出がない。
シリルのつくるお菓子は、いつも美味しい。言ってしまえば、その辺のケーキ屋さんで買うものと、そう引けを取らない。
「一緒に作っても良い?」
「唯様にそんな事、させられません!」
むぅ。さすがに屋敷しもべ妖精。しかし、べつにシリルの仕事を助けようとか、そういう魂胆ではないのだ。いうなれば、これは単純な好奇心と、暇つぶし。
「シリル、私お菓子作りがあんまり得意じゃないの。だから上手になりたいの。しかもする事なくて暇を持て余してるの。ね、駄目?」
床にしゃがみ込んでシリルに視線を合わせる。ぎょろりとした眼が戸惑う様にゆれて、何を考えているのか手に取る様にわかる。
かわいい。
思わずその頭をぐりぐりとなでる。
困った様に笑いながら、じゃあ一緒に作りましょう、とシリルが折れてくれた。
「ありがとう」
午前中はアルファードは基本的に部屋にこもって仕事をしている。
喉が渇いてリビングに顔を出すと、いつもはソファにある姿がなかった。
だいたいこの時間は本を読んだり、うたた寝したりしているのだが、と視線を動かす。
窓は開いているようで、風が緩やかにカーテンを揺らしていた。
リビングを横切ってキッチンの方に足を向ける。
微かな話し声。
顔だけ出して中をのぞくと、シリルと唯が並んで立っていた。
二人とも流しが高いのか、それぞれ違う高さの踏み台に乗っている。人間の大人に会わせて作られたものだから、シリルにはずいぶんと高く、子供の唯には僅かに高い。
おそらく、アルファードにすれば少し低いそれは、不親切と言えば、不親切か。
まあ、この光景も可愛いけど、としばらくその後ろ姿を眺めた。
しばらくそうしていると、ようやくアルファードの存在に気づいたらしい唯が、眼をきょとんとさせた。
「アルファードさん、お仕事終わったんですか」
「ああ、唯は何をしてるんだ」
「シリルにお菓子作りを習ってるんです」
にこにこと笑みを浮かべる唯は、至極楽しそうだ。最近唯が暇を持て余しているのはアルファードも薄々感じていたので、動物でも飼うか、と考えていた所だった。
どうやら、いらぬ世話だったようだが。
「焼き上がったら、おやつにしましょう」
「それは楽しみだな」
魔法を使う人間は基本的に料理をする事はない。とくに、純血は。
必要がないから、というのが一つ。彼らの多くは、屋敷しもべ妖精を何匹か従えているのが普通であるし、お茶を入れるのも杖の一振り。
魔法を使わず、自分の手でというのは、もとから選択肢に存在しない。
唯はもともとマグルのようだから、自然と自分で作る、という発想が出来るのだろう。
その唯の思考に会わせてか、シリルも今は特別魔法を使っていないようだった。
「唯様、後はもう焼き上がりを待つだけです。30分くらいはかかるので、どうぞリビングの方へ」
「あ、先に片付けするわ」
「それは私の仕事です」
「自分の始末は自分で、と言いたい所なんだけど……」
「はい、ここから先は私の仕事です。手出しは無用ですよ」
むぅ、と一瞬だけ口を尖らせて、シリルからお茶の道具一式を受け取り、唯は苦笑を浮かべてリビングへと足を向けた。
その唯の手から、アルファードがトレイごと道具を奪い取る。
「アルファードさん」
「私が運ぶから、唯が入れてくれないか?」
「……はい」
少し不満顔で、でもすぐに笑顔になって唯が頷いた。先を歩く唯のワンピースのすそがふわりと広がる。
そういえば、ホグワーツにいる時は、制服以外でほとんどスカートははいていないようだった。
今回はあまり時間がなかったので、ワンピースを中心に夏らしいものをそろえている。そのうち、本人を連れて買い物に行った方が良いか。
女手の一つもあれば、もっと唯に不自由させずに済むのだろうが、今の所アルファードに結婚の予定はない。
机の上にトレイを置いてソファに腰を下ろす。
唯はなれた手つきでお茶を入れた後、そのままアルファードの足下に腰を下ろした。それに苦笑してクッションを渡す。
床に直接座ると痛かろうと思ったのだが、唯はそれをそのまま膝の上に抱えると、その感触を楽しむ様に手を動かした。ことりとアルファードの膝に頭をあずける。
昔に比べて、ずいぶんと態度が軟化したものだと思う。無意識なのか、昔に比べてアルファードにこうして甘える様になったし、触れても緊張する事が少なくなった。
その頭をなでて、白い頬に視線を落とす。やけどの跡はもうきれいに無くなっていた。
「……そういえば、唯に手紙が来ていたぞ」
今朝方部屋にとりに戻ったそれを手渡す。軽く調べてみたが特に変な気配はない。
差出人もアルファードの知ったメンバーだった。
「ありがとうございます」
差出人は同室のキング、ポッター、シリウス。帰ってくる汽車の中で一緒だったメンバーだ。
手紙に眼を通しながら、困った様に眉尻を下げる唯。内容が気になるが、さすがにそこまで聞いていいものか判断がつかなかった。
するりと髪に指を絡めると、気持ち良さそうに唯がまぶたを伏せる。
「……難しい顔をしてどうした?」
「大した事じゃないんですけど……」
わずかにためらって、頭痛を抑える様に眼をきつくつむった唯は、しかしすぐにアルファードに視線を戻した。
「……アルファードさんの事、皆になんて説明しようかと思って」
「……ああ」
そうか、とアルファードはすぐに納得した。唯を迎えにいったコンパートメントの中。あの場には手紙を寄越した三人がそろっていた。
あまつさえ一人は自分の甥だ。唯を引き取った事は、ごく一部の人間しか知らない。
「……私が亡くなった友人の子供を引き取った事にすれば良い。あまり深くは聞かれたくないだろう」
アルファードの言葉を反芻する様に唯が2、3度頷く。そう言えば、もう6年も一緒に暮らしていて、唯の事は何も知らない。
唯とアルファードの関係を聞かれても、たまたま危ない所をアルファードが拾って帰ったというのが正しい所だ。ほとんどの人間は、それでは納得してくれないだろう。
「アルファードさんはブラックと……シリウスと親しいんですか?」
「それほどでも。私はあまり本家の集まりには出ないからな」
「そう、なんですか」
一方的に懐かれている気がしないでもないが、それはそれ。アルファードとしては、あまり関わりたくない領域だ。
唯としても、あまりブラック家と関わりが深いとは思いたくないだろう。かつて唯が見せた恐怖と安堵。
いまでも、あのとき感じたあたたかな感情は胸の内にともっている。
「唯、おいで」
床に座る唯に手を伸ばす。おずおずと立ち上がった唯の両脇に手を入れて、膝の上に抱え上げた。わずかに頬を上気させながらも、視線はしっかりとアルファードに向いている。これも、以前とは違う所だろう。
頬に手の平を滑らせ、短い髪を耳にかけてやる。
「……さて、ここからが本題だが」
「ア、アルファードさん?」
にこりと微笑んだアルファードに唯が顔を引きつらせる。不穏な空気を感じたようだ。
唯の髪を一房手に取る。以前は顔を寄せなくても出来たそれへの口づけを、今は顔が触れるほどの位置で。
真っ赤になる唯は可愛らしいし、彼女の髪が何故こうなったのかは知っているが、それとこれとは別なのである。
「この髪はどうした?」
あと、このやけども。するりと頬を撫でれば、唯が笑顔のまま固まった。唯がアルファードに送った手紙には、心配させまいとしたのか、気分転換に髪を切ったと書いてあった。もちろんそれが嘘なのは唯のそばにいたアルファードにはまる分かりである。
ホグワーツにいた時には、何でもないように振る舞っていたが、怖くないはずがない。下手をすれば大けがをしていただろうし、顔にやけどの跡が残っていたかもしれないのだ。
帰ってきた初日の反応を見れば、唯が我慢していた事など一目瞭然である。
そんな大事な事を、アルファードに黙っておけるなどと、思ってもらっては困る。
「髪は、その……気分転換で……あの、もしかしてユリシーズさんから何か聞きました?」
「さあ? でも、隠し事は感心しないな」
「う……ごめんなさい。その、大した怪我じゃなかったし、心配かけると思って」
「唯、お願いだから心配くらいはさせてくれ」
「……ご、ごめんなさい」
小さくなって上目遣いにアルファードをうかがう視線に、苦笑を浮かべる。
「分かったら、今度からこういう事はちゃんと報告しなさい」
「はい、ごめんなさい……」
さて、一件納得した様に見えるが、唯の事だ。またこういうことがあったときにアルファードに黙っている可能性は十二分にあった。
もう一押ししておくか、と口を開く。
「じゃあ、約束を破ったら、唯に何かしてもらおうかな」
「……何でしょう?」
言っては見たものの、さて何にするか。本人が嫌がるものでないと意味がないが、本気で嫌がるような事をさせるつもりは毛頭ない。
そう考えると、自ずと答えはしぼられてくるのだが、ほんの一瞬アルファードは口にする事をためらった。
「そうだな……じゃあ、唯からキスしてもらおうか」
「……え”」
「ペナルティでもないと、唯はまた遠慮しそうだからな」
「し、しません! 鋭意努力します!」
顔を赤くしながら必死に言い募る唯に、笑いそうになるのをこらえる。
「それじゃあ、その決意を今回のペナルティ分で見せてもらおうかな」
「こ、今回の分はノーカウントです!」
「唯」
宥める様に名前を呼べば、う、と言葉を詰まらせる。はやくしないと、シリルが来てしまうよ、と意地悪く言えば、赤い顔をさらに赤くして、唯がアルファードを見つめた。
その困ったような視線にほだされそうになりつつも、ここで折れてしまっては何も改善されないだろう。
幾ばくかの逡巡の後に、唯が意を決した様に眼を閉じた。
その唇が小さく音を立てて離れる。
まさか口にするとは思わなかった、というのがアルファードの正直な所だった。
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