闇にたむける

side-b

マルフォイの偉大さと言うものを3年目にしてようやく知った、と呑気にも口にした唯の髪は、以前の長さなど見る影も無く肩口で切りそろえられていた。
美容師なんてもちろんいないホグワーツで、その髪をそろえたのは友人であるキングで、彼女は髪を切っている間中怒りをあらわにしていた。
だからなのか、唯は怒るタイミングを逃し、まあ、子供のやることだからと軽く流した。
右手に巻かれた包帯が痛々しく、頬のあたりにも僅かにやけどの跡が見える。
幸いにもそれは軽く、あとも残らず綺麗に治ると、マダム・ポンフリーには言われていた。
保健室って、なんだか懐かしい香りがするな、と初めて入るホグワーツの一室を唯はしげしげと眺めた。
「短くしたの、何年ぶりだろ」
「あいつら全員毛根を絶滅させてやる」
「キングさーん? 何か不穏な言葉が聞こえましたよー?」
女の子にそれは拷問だから、と唯は思わず笑ってしまった。毛根を絶滅って、他に言い方はなかったのだろうかと。
「それにほら、授業中の不慮の事故なわけだし」
ぱたぱたと手を上下に振って気にしていない、とアピールしてみたがキングの顔は険しくなるだけだった。
「本気で言ってるの? わざとに決まってるじゃない。あんなの、顔にかかってたらどうするのよ」
あんなの、と言うのは薬品の事で、まあわかりやすくマグル界のものに例えるなら硫酸とか塩酸とか、そんな類いのものだ……たぶん。
見事に髪がとけたし、少しかかっただけなのに指はこの有様でじくじくと痛む。
実際は、かかった時は痛くて熱くて悲鳴も出なかった。
終わったあとだからこんなに呑気にしていられるのだ。
「いや、ほんとマルフォイの存在は偉大よね」
これが何に対する嫌がらせなのか、はっきりとは分からない。
でもこのタイミングでやられたと言う事は、マルフォイと自分が一足早い決別をしたことに由来するのだろうと言う事は、何となく分かる。
「悔しいけど、家柄はいいし、裏から手を回すもの得意だからね」
忌々しそうに言い捨てて、キングは短くなった唯の髪を未練がましく引っ張った。
「引っ張っても伸びません、キングさん」
「こう、指先に魔力を集めて毛先を引っ張れば……」
「いやホント、伸びませんから」
かなり据わった目でぼそぼそとつぶやくキングにさすがの唯も心配になってくる。
また伸びるのだから、そんなに気にしなくても良いのにと個人的には思うわけだが。
「ああ、それもこれもあの馬鹿どもが唯にちょっかいかけるからよ。そうか、あいつらの毛根を……」
「ちょ、ストップ、落ち着いて。誰のことを言っているのかは聞かないけど、かなり多くの人間を敵に回すから、それは」
どうどう、といさめるもキングは納得がいかないようだ。
悪戯仕掛人達が全員つるっぱげになった姿を想像して、笑えない、と唯は顔を引きつらせた。
かしかしとドアを引っ掻くような音に、唯はその光景を頭の隅に追いやる。
第三者の介入はありがたい。この場を収めるにはもううやむやにするしかない、と唯は立ち上がってドアをひいた。
ちょこんと座っていたアルファを招き入れる。
ゆっくりと部屋に入ってきたアルファを唯は左手で撫でた。
じっとみあげてくる狼の視線に首を傾げ、ああ、もしかして自分の事が分からないのか、としゃがみ込んで目線を会わせた。
「髪切っちゃったから、分かんなかったかな。唯だよ」
笑いかけると、いつも通り手に顔をなすり付けてくる。賢い賢い、と唯はその頭を撫でた。
「ああ、可愛い。私も狼飼いたい……犬でもいい」
「ちょっと、そこの狼。その牙偽物じゃないなら、さっさと唯をこんな目に遭わした奴らを食い殺してらっしゃい」
「ちょっとー!? キングさん本当にどうしたのー?」
こんなキャラだったっけ、と今にもアルファを引き連れて保健室を出て行きそうなキングに盛大にあせった。こんなに焦ったのは何年ぶりだ。
彼女のローブをつかんで引き止めるも、その足は止まらない。アルファはといえば、ためらう様子も無くキングについていってしまっている。

「……おまえら、何やってんだ」
不意に介入した第三者の声に、唯とキングはぴたりと動きを止めた。
視線をあげると、先ほどあけた戸から知った顔がのぞいている。
唯にしてみれば、何ともタイミングの悪い、と言うしか無い顔で、キングの顔が般若になったのは言うまでもない。
もともといい印象は抱いていなかった上に、何故か彼女の中で今回の事件は彼らのせいと言う事になっているのだから、無理もない。
そのキングの形相に一歩退いたのはブラックで、いつも通りのへらへらした様子で中に入って来たのはポッターだ。
「ずいぶん短くなったね、唯」
「ああ、うん。軽くて良いよ」
「誰のせいで短くなったと思ってるのよ」
「あれあれ? その言い方はまるでボクのせいみたいに聞こえるけど?」
「みたい、じゃなくてそうだと言っているのよ。正確には、あなた達のせいよ」
「僕たちは何もしてないよ」
のらりくらりとかわすポッターに、キングの視線は揺るがない。
前々から思っていたが、この二人は犬猿の仲だ、と考えてそう言えば英語で何といえば良いんだろう、ドッグアンドモンキー、とくだらない現実逃避をした。
ふっと唯の上に影が落ちる。
ブラックの指先が、唯の頬にはられたガーゼにおそるおそる触れた。
「……痛みは」
「平気。本当に、ちょっとやけどしただけよ。こんなの、あとも残らないわ」
長いため息をついたあとに、そうか、と小さな声でブラックがつぶやいた。伏せたまつげが僅かに震えて、ああ、こうやってみるとやっぱりきれいな顔してる、と呑気にも思った。
どうも、思考回路が止まってるな、と頬をたどって髪に触れる手をしたいままにさせた。
「べつに、すぐ伸びるし、ブラックがそんな顔する事ないのに」
「……悪い」
女の子の髪にここまで罪悪感覚えるなんて、意外とロマンチストだ。
惰性で伸びていただけの髪に、そこまで責任を感じてくれなくても良いのに、と。
唯にとって唯一気がかりなのは、この髪を見たアルファードがどういう顔をするか、その一点につきる。
「はい、この件はもう終わり。ブラックも、気にしないで? キング、そろそろ寮に戻らないと」
放っておいたらいつまでもにらみ合いを続けていそうな二人に声をかけて、唯はキングのローブを引っ張った。
意外にも二人の言い合いはぴたりと止まってキングがきびすを返す。
「気をつけろよ」
すれ違い様にブラックが短くなった髪をなでて小さくつぶやいた言葉は、しっかりと唯の耳に届いた。