それは、灯にもにて

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「あら、あら」
空から降ってきた声に、セブルスは体を堅くした。
上を見上げると、わずかに視界が歪んだ。冷たい水が髪を伝って頬を流れ落ちる。
それをぬぐうことも忘れて、セブルスはぎょっと目を見開いた。
まず視界に入ってきたのは、白い足。その向こうに見知った顔。
木上から飛び降りた唯は軽く地面に膝をついた。
とりあえず、スカートで木に登るのと、飛び降りるのは色々危険だからやめた方が良いと思う、と気まずげに視線をそらした。
ちなみに、かなりきわどいところまで見えた。
「これはまた、手ひどくやられちゃったね」
伸びてきた指先が、セブルスの前髪を払う。
全身びしょ濡れのセブルスは、恥ずかしさで消えてしまいたかった。
唯が杖を一振りして、セブルスの服が元通りになる。
ぽたりと落ちたしずくに、セブルスは戸惑いながらも口を開いた。
「……なんで髪は濡れたままなんですか」
「水も滴る良い男って言うでしょ?」
「……何ですかそれは」
「日本のことわざ」
くすくすと笑う二つ上の先輩に、仕方の無い人だ、とセブルスは嘆息した。
「ところで先輩、木に登るのはやめた方が良いですよ」
「ここ、結構人に見つからないから、オススメよ」
「いえ、だから……ああ、もういいです」
好きにして下さい、とあきらめたように地面に座り込んだ。
向かい合って地面に膝をついた唯がくすくすと笑いながらセブルスの濡れた髪を一房引っ張る。
短めのスカートからのぞく太ももに先ほどの光景がよみがえって、ふいっと顔をそらした。
「拗ねないで、髪もちゃんと乾かしてあげるから」
拗ねてないし、自分で乾かせる。それを口にする前に唯が杖を一振りした。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
髪が乾いたというのにいじるのをやめない唯にセブルスは首を傾げた。
前髪をあげられているとどうにも頼りない。
視界の明るさに、眼をすがめた。
「……なんですか」
「前髪、長いなって。あげた方が似合うよ」
かっこいい、と聞き慣れない言葉をにこにこしながら言い放った唯に、セブルスの視線が泳ぐ。
本当に、仕方の無い人だ、と思う。
「そんなことを言うのは、あなたくらいだ」
「そう? みんな口にしないだけだよ」
「……俺が言うのもなんですけど、先輩趣味が悪いですよ」
「あら、悪くて結構よ?」
よし、と髪を整えおえたのか、ようやく唯の手が離れる。それをすこし名残惜しく見送って、いつもより開けた視界に青い空を収めた。
綺麗だ、ととても久しぶりにその感情を思い出した。
それにしても、よくよく考えれば大胆な格好だな、とようやく冷静になってきた頭で今の状況を再確認した。
というか、足の間にさも当然のように入ってこないで下さい、と言って良いものか。
そうしないと手が届かないと言うのは分かるのだが。
でもきっと、言ってもこの人は聞かないだろう。そのときのことを想像して自然と苦笑が漏れた。
「なに? 思い出し笑い?」
「いえ、仕方の無い人だな、と思って」
そう正直に言うと、きょとんとした後何故か彼女は満面の笑みを浮かべた。
その様子に思わずセブルスの方が首をかしげてしまう。
文面通りに受け取れば、あまり喜ばれる言葉ではないはずだ。それとも、今の英語は彼女にはうまく伝わらなかったのだろうか。
「……笑うところですか?」
「あー、うん、なんか、ね。今の言い方に愛を感じちゃった」
「なっ!」
否定したいところだが、図星なだけに耳が熱くなる。
普段青白いくせに、こんなときには簡単に血の気が多くなるなんて不公平だ、と意味不明な雑言が頭をよぎる。
「からかわないで下さい」
「あはは、ごめんね。でもセブ君に嫌われてないって気がしたから嬉しくって」
嫌われてないよね? と首を傾げる様子に思わず絶句する。
「あ、あんたもしかして今まで嫌われてるって思ってたんですか」
「いや、嫌われてるっていうか、眼中に無いっていうか、好かれても無いと言うか」
聡い聡いと思っていたが、もしかしてとんでもなく鈍いのかこの女は、と思わず頭を抱えたくなった。
何度目か分からないため息をつく。
嫌っていたらわざわざ図書館で一緒に勉強したりしないとこの人は気づかないのだろうか。
気づかないんだろう、現に気づいていない、とセブルスは自問自答した。
「見てれば分かるでしょう、俺の嫌いな人に対する態度」
「あー、うん、嫌われては無いと思ってたのよ?」
「……好きでもない人間に髪を触らせたりするほど、無防備じゃないつもりですよ」
「……そっか」
そうです、と今更いってしまった言葉に恥ずかしくなって、やっぱり前髪が無いのはいただけない、と明るすぎる視界にめまいがしそうだった。