その花の名を知らない

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唯と暮らし始めて4年。正確には5年目を迎えた。
それだけの時間を過ごしても、アルファードが唯について知っていることと言ったらほとんど無いに等しい。名前や言動からおそらく日本人なのだろう、ということくらいしか分からない。初めのころは英語も不自由だったから、おそらくイギリス育ちでないことも想像できる。
ではなぜ、こんな子供が一人でいるのか。親はどうしているのか。
なんとなく、親はないのだろうと思う。唯が自らどこかへ帰ろうとしたことは今まで一度もない。話題に上ったこともない。年の割によく先のことを考えていて、先日のように時折不安をのぞかせる。アルファードから見て唯と自分の関係はひどく不安定だ。
先にも言ったように唯のことを知らなすぎる。ただ知れば安定するのかというとむしろ逆だと思っている。この不安定な足場にかろうじて成り立っている関係は、お互いに「知らない」ことで成り立っている。
ただ唯からすれば今の状況は、自らの足場がひどく不安定な状況に見えるのだろう。
ある日自分を拾った人間が、気まぐれに面倒を見てくれている。そう見えているのかもしれない。あるいは、たまたま拾ってくれた人間に最後まで甘えるわけにはいけない、と遠慮している。
おそらく両方だろう。アルファードからすれば途中で唯を放り出すことなど考えられないし、遠慮もいらない。むしろもっと甘えてくれてもいいくらいだ。
どうすればそれがうまく伝わってくれるのか、荷物を整理しながら思案した。
とりあえず、先日のやり取りで安心してくれればいいのだが。
「アルファード様、そろそろお時間ですよ」
こんこん、とドアをノックして顔をのぞかせたシリルに顔を上げる。時計を見ると出発まであと30分もない。
「シリル、本当に残るのか?」
「はい、家を守ることが屋敷しもべ妖精の仕事です」
はっきりとそう言ったシリルに、アルファードは苦笑を浮かべた。今日唯をホグワーツに送り出して、アルファードもしばらく身を隠すことにしている。アルファードとしてはシリルを一人残していくのは危険ではないかと危惧しているのだが。
そんなアルファードの心境を汲んだのだろう、シリルは「その辺の魔法使いに負ける気はありません」と言い切った。その言い方が少しおかしくて、小さく笑みが漏れる。
確かに、屋敷しもべ妖精はめったに攻撃に転じることはないから勘違いされがちだが、実は人間の魔法使いよりも力が強い。小柄で細い体躯からついか弱そうに見えてしまう。
「まあ、確かにそうだな。だが、危険だと感じたらすぐに逃げるんだぞ」
「はい、分かっています。アルファード様こそ、お気をつけて」
「ああ」
考えうる限りで一番安全な場所に避難するから大丈夫だ、と意味ありげに笑った主人に、シリルは首をかしげるばかりだった。


まだ人もまばらなホームで唯とアルファードは向かい合った。いつものように身をかがめて視線を合わせる。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ、気をつけて。何かあったらユリに相談するといい」
「はい」
何度やっても慣れないのか、唯がおずおずと両手のばしてアルファードの首に回す。毎回出発のときにはやっているのに、いまだに照れるらしい唯に思わず顔がゆるんだ。そっと両腕を腰にまわして抱きしめかえす。そう言えば、育ち盛りだというのに初めてあった頃と大して変わらないんじゃないだろうかと、唯の背中に回った自分の両手を見つめた。
すぐに腕を緩めた唯に合わせてアルファードも両腕を解く。もう一度行ってきます、と言った唯の後ろ姿を最期まで見送った。

その二人のやり取りを途中から目撃してしまったユリシーズは、ひとり顔を歪める。何だろう、この気持ち、と自問せずにはいられない。
普通なら犯罪臭漂う光景だが、美形がやると絵になるから困ったものだ。とりあえず、どんだけ過保護なんだと、数年前では考えられない友人の姿に微妙な心境になった。
「アルファード」
とりあえず、気を取り直して友人に声をかける。アルファードはこのまま身を隠す、と言っていたのでいろいろと話をしておかなければならない。
どこに身を隠すのか、まだ聞いてはいないが、先日の会話から何となく嫌な予感がしないでもない。いや、まさかな、とさすがにその考えは振り切った。いくらアルファードでもそんな非常識なまねはしないだろう。むしろ、アルファードだからしないと思いたい。
だいたいそんなに簡単にホグワーツの教師を出来る訳もないのだ。今のところ欠員も無い。
自分の中であれこれとアルファードが教師になれない理由を考えて自分を落ち着かせる。
そんなユリシーズの心境など知りもしないアルファードはいつものように返事をした。
「ああ、来たか。場所を移動しよう」
人に見られるとまずい、というアルファードの言葉にうなずいてホームの端まで移動し、人目につかぬよう魔法をかける。早い時間だけあって大して人目にもつかないだろうが、うっかりアルファードの知り合いにでも目撃されたら目も当てられない。
「行き先はもう決まってるんだろう?」
「ああ、ちょっと前にダンブルドアと連絡を取ったから大丈夫だ」
「待て、俺はその先を聞きたくないぞちくしょう」
ユリシーズの間髪入れぬ反応に、何言ってる、とアルファードが眉をしかめた。そんなアルファードに、お前に俺の気持ちがわかってたまるか、とユリシーズは毒づいた。
「アホなこと言ってないで、話を先に進めるぞ」
苦悩するユリシーズなど歯牙にもかけず、アルファードは淡々と話を続けた。
「で、ダンブルドアはなんて?」
「ああ、かくまってくれるそうだ。……と言うわけでユリ」
連れて行け、と続いた言葉は何故か下の方から聞こえた。目の前から居なくなった友人の声に、ユリシーズは冷や汗をたらしながらゆるゆると視線を下げる。そして、それが視界に入った瞬間、絶句した。声もない。
そこには、灰色の毛並みをした、犬にしてはいささか大きい動物。手足としっぽの先だけが白くて、思わず、ああソックスはいてる、などと思考をそらすことで現実逃避をはかった。しかしやはりというか、そう簡単に逃避しきれずすぐに正気に戻る。
「……ってええぇぇぇぇ!? ちょっと、アルファードさんどこに行ったんですか神隠しですかそうですか」
「アホか。目の前に居るだろう」
「聞きたくない聞きたくない……というか、アニメーガスなんてなれたっけ?」
「少し苦労したがな。変身術は得意な方だ」
「うわー……才能の無駄遣い……」
これだから無駄に有能な人間は嫌なんだ! とユリシーズは頭を抱えた。
「あー、でも本当に教師になるとか言い出すよりは万倍マシ……だよな?」
「アホか。ホグワーツの教師なんてなったら隠れるどころじゃないだろう。自ら居場所を公言しているようなものだぞ」
「まあ……それもそうですね……」
ハハ、と乾いた笑いを漏らしながらユリシーズは明後日の方向を見つめた。アルファードとの付き合いは長いが、こんな奴だったろうか、と思わずにはいられなかった。