統一される意識

side-a

むせかえるような甘い香りと、瓜のにおい。
ドアをくぐった瞬間に襲ったそれに、唯は思わず足を止めた。
近くのテーブルに目をやると黄色いカボチャに顔。
それを見てようやく、ああ、ハロウィンか、となじみのない日本人である唯は気づいたのだった。

3年目ともなれば広間付近に漂っているこの甘ったるい匂いでそれに気づくようになったが、いまだにこの匂いを嗅ぐまではそのことに気づかない。
それほど、日本にいたころの唯には縁遠い行事だった。
それにしても、ハロウィンだからと言って食卓がかぼちゃ一色になるのはいかがなものか。
そしてずっと疑問に思っているのだが、かぼちゃジュースなんてけったいな名称のもの、本当においしいのか。
食事中はお茶が常識であった唯にとってジュースというだけでも抵抗があるのに、オレンジジュースでもなく、りんごジュースでもなく、かぼちゃジュース。
まさに食わず嫌い、という奴だが、恐ろしくて3年間それを口にしたことはなかった。
今日ももちろん無いお茶の代わりに水を飲む。
「……かぼちゃの煮物が食べたい」
かぼちゃは好きなのだが、あまり味の濃いものや脂っこいものは得意ではない。日本人としては正常な嗜好だと思うが、ホグワーツは日本ではないのでこればっかりはどうしようもない。
食べる量が少なくなってしまうのは必然といえた。
食べる量が少ないのに、カロリーは以前と変わらないかむしろ多いくらいだろう、というのが何ともやるせない。
あまりドレッシングのかかっていないサラダをつつく唯に、隣に座っていたアンジェリア・キングがかぼちゃプリンを差し出してきたが丁重に断っておいた。
去年それを一口食べて一瞬意識が遠のいたのはハロウィンよりも鮮明な記憶だ。
「相変わらず小食ね、おいしいのに」
「……気持ちだけもらっとく」
だってそれ、信じられないくらい濃厚で甘いから、とおいしそうにパクパク食べるルームメイトを信じられない気持で見やりながら心の中でつぶやいた。
彼女が食べ終えるのを待って席を立つ。いつも早い時間に来るので、ちょうど混み始めたところだった。
少し前を歩くアンジェリアの長い金髪が揺れる。癖っ毛なのかゆるやかに波打つそれがうらやましくもあった。
ひとまわり以上年下なのに自分より高い背丈、日本人ではありえない体形、鮮やかな金髪にブルーアイ。
第一印象はお人形さん。
美人は3日で飽きるというけれど、そんなことはない。唯はこの美人なルームメイトを眺めるのが結構好きだった。
そんな彼女が急に立ち止ったので、唯も一歩遅れて立ち止まる。
どうしたのだろうとアンジェリアの顔を見上げると、先ほどとは打って変わって不愉快そうに顔をしかめていた。
アンジェリアの背に隠れていた唯は事態を把握しようと一歩進んでその隣に並ぶ。
そこには、満面の笑みを浮かべた男の子と以下3名。
「……ミスターポッター」
「嫌だな、ミスターだなんて。もっと気楽にジェームズでいいよ」
再度アンジェリアの顔を見上げると、先ほどと同じでどこか不機嫌そうだ。
もしかして、彼女の不機嫌の原因は彼らなのだろうか、といたずら仕掛け人たちを見やる。
どちらにしても出入り口付近で立ち止っているとほかの人の邪魔になるので、長居はしないほうがいいだろうと唯が口を開こうとしたとき、ジェームスが口を開いた。
「トリック・オア・トリート!」
にこにこと差し出されたジェームズの右手に、反射的に右手を重ねる。
いわゆるお手状態だ。
「……?」
この手は一体何だ、と小首をかしげた唯に、微妙な沈黙が落ちた。
いち早く状況を理解したのはアンジェリアで、唯の肩にその手を置く。
「唯、違うわ。そこはお菓子をあげるところよ。思い出して、今日はハロウィン」
「……ああ、なんだ、それ都市伝説だと思ってた……」
いわゆる、お菓子をくれなきゃいたずらするぞ! というやつか。
知っていたけれど今まで実際に言われたことがなかったのですっかり失念していた。
つくづく、自分には縁のないイベントだ。
「キング、お菓子なんて持ってる?」
「まさか。子供じゃあるまいし」
「……キング、少なくともホグワーツ生はみな子供だと思うんだけど」
私は残念ながらとっくに成人してるけど、と心の中で付け加えておく。
ちょっとむなしくなった。
そんなやり取りを見ていたジェームズの顔がさらに笑顔になる。
その顔にありありと「お菓子ないの? じゃあいたずらしちゃうよ?」と書いてある。もとよりこちらがお菓子などもっていないと踏んでいたのだろう。
さてどうしたものかと軽く周りを見渡す。
シリウス・ブラックはあいかわらずの仏頂面で、その後ろに第三者のごとく控えるリーマスはいつもの微笑を浮かべている。おそらく、彼の後ろに隠れているのはピーター・ペティグリューだろう。
唯を助けてくれそうな気配はもちろんない。

「ああ、いいところに……」
ちょうどジェームズ達の後ろ、唯達の向かいから現れた影に、唯は近づいた。
「おはようございます。先輩、もしかしてお菓子とかもってたりします?」
そう聞いた唯に、ルシウス・マルフォイは特に驚くでもなくそのポケットからいくつか飴をとりだした。
むしろ聞いた方が持っているとは思っていなかったのでびっくりしてしまう。
「……さすがですね。えーと、トリック・オア・トリート?」
「ふ、これはこれは、今年は意外な人物から聞けたものだ」
ばらばらとつかんでいた飴を唯の手のひらにおいたマルフォイの顔はどこか楽しげだ。
唯もまさか自分がこんな言葉を言う日がくるとは思わなかったと、そのオレンジと黒のセロファンで包まれたキャンディを見つめた。
あきらかにこれはいつも持ち歩いているわけではなく、今日のために用意したのだということが分かる。
「あ、セブ君も、おはよう」
「……おはようございます」
ルシウスの後ろに隠れるように控えていたセブルスにも声をかけるが、朝だからかいつもより元気がなかった。
低血圧そうだからなあ、と相変わらず白いその顔を見つめる。
そんな唯達のやり取りにおいていかれて気にくわないのか、ジェームズが唯の肩を叩いて意識を引いた。
その彼に、唯はいまルシウスから受け取ったばかりの飴を一つ渡す。
「……それはちょっとずるくないかな? だいたい、マルフォイの飴なんていらないし」
「ずるいと言われても……飴は飴だしね」
はい、とついでにシリウスとピーターにも半ば押し付けるように渡す。面識はないが、ピーターだけ仲間はずれにするわけにもいかないだろうという配慮だったわけだが、相手は目をまんまるにして驚いていた。
「あれ? 僕にはくれないんですか?」
「ああ、リーマスはチョコレートの方がいいでしょ? 後で用意しておくわ」
「ちょっ! それずるい! ひいきだ」
「そんなことを言われても……とりあえず、お菓子をあげたんだから悪戯はやめてね?」
抗議の声を上げるジェームズをさらりと流して、あまり意味はないだろうが釘を刺しておく。
早く行こう、とルームメイトに促されるまま、逃げるようにその場を後にした。