甘く淡く光を雪ぎ

side-a

図書室までの道のりを、3度振り返った。
一度目と二度目は気のせいだと思った、何もない廊下をじっと見つめる。
人気のない道を選んで歩いていたせいで、それは嫌でも耳についた。
衣擦れの音、というのは意外にも大きなものなのだ。
「……なにか、用ですか?」
しんとした廊下に唯の細い声だけが響く。何も起こらない廊下をしばらく見つめ、相手がそこにいることを確信していた唯は、体ごと回転させて、相手がしらばっくれることを許さなかった。
どのくらいそうしていただろうか、相手の方が根負けしてその場に姿を現す。
その姿は、半分は予想していた通りのもの。半分は予想外だった。
「いやー、ばれちゃったか。君、うしろに目でもついてるの? あ、目がついてても見えないけどさ」
「……ミスターポッター……」
ペラペラとしゃべりだすジェームズに、唯は胡乱なまなざしを向けた。
全く困っている様子もなく、ジェームズはニコニコと笑いながら髪をくしゃりといじる。
その隣には、唯の知らない顔。
ジェームズと同じ黒い髪。いかにも育ちの良さそうな身なりにきれいな顔。
その辺の女の子より肌とかきれいかもしれない、と唯は思わずその白さに目を奪われた。
おそらく年頃の女の子なら、その嫌みなくらい整った顔に顔の一つも赤らめるところだが、うっかり肌のきめ細かさに目がいってしまう20代である。
くわえて言うと、この世界に来てもっともはじめに目にし、長く過ごした相手が最上級に美形だったせいで、どうにも美形センサーが弱っているのだ。
いけないいけない、とうっかり子供らしからぬ行動をとってしまった唯は、視線をその顔全体へと移した。
なんとなーく、なんとなーく、見覚えのある顔だ、と口元に手を当てて考える。
無意識に視線が右へと動いていた。
「‥‥‥ああ、もしかして、ブラック?」
アルファードさんを幼くしたらこんな感じかもしれない、とようやく気づいた唯は、彷徨っていた視線をその顔へと戻した。
その行動にジェームズが肩を揺らして笑う。ブラックだと思われる少年は憮然としてそんなジェームズを見遣った。
「ざーんねんだったねぇ、シリウス。これは本当に君のこと知らないよ」
「演技かもしれないだろ」
「いやいやいやいや……これが演技だったら、僕は彼女に主演女優賞をあげちゃうな」
二人のやり取りに内心首を傾げながら、唯は頼むから二人だけで完結しないでほしいと今のよくわからないやり取りを眺めた。
シリウス・ブラックになかなか気づけなかったのは無理もない。唯の記憶にある彼は大半が黒い犬であるし、実はリーマス・ルーピンより背が低くて華奢で、なおかつ長い牢獄生活によりみすぼらしい。
髪もぼさぼさだったし、肌もこんなに奇麗ではなかった。
人間変わるものだな、と失礼なことを考えながら、視線をジェームズへと戻す。
おそらくそう簡単には解放してくれないだろう。
レポート、今日中に終わらせたかったんだけどな、と小さくため息をついた。
日中でもほの暗い廊下は、あまり利用する者もなく静かなものだ。
ホグワーツに通い始めて3年。当初の野望通り着々と校内を探索し続けた唯は、今では迷うことなどあり得ないくらいこの冗談のような学校の構造を理解している。
気まぐれな階段達に悩まされることもなく快適なものだ。抜け道ももちろんいくつか知っている。
だからこの廊下が、普段ほとんど利用するもののない、抜け道すら存在しない場所だということも嫌というほど分かっている。
自分のあとをつけてくる不快感に思わず彼らと対峙してしまったが、ちょっと早まったかもしれないと、助けの全く望めないこの状況に後悔した。
逃げ足でかなう相手ではないし、きっと彼らも女である自分に無体なことはしないだろう、と高をくくる。
「……なにか?」
「いやー、ちょっとした好奇心?」
ニコニコと笑みを浮かべてひょうひょうと言い放ったジェームズに、唯は思わず白い視線で返した。
というか、その好奇心が一番たちが悪いのだ。これで彼らのいたずらのターゲットになってしまったら悔やんでも悔やみきれない。
いったい何故彼らに興味を抱かれてしまったのか……やはり先日の接触がまずかったのかと思考を巡らせる。
そんな唯には気づかず、ジェームズはひとり上機嫌に話し続けていた。
興味なさそうにその傍らにたたずむシリウスに視線を向け、どうにかならないのか、と視線で問いかける。
その意味を相手も理解したようで、こうなってしまってはどうしようもない、とその灰色の瞳が語っていた。
先ほどから早口でペラペラとしゃべり続けているジェームズの言葉など、もちろん唯は聞いていない。
いや、言い訳をするなら、早口すぎて聞き取れないのだ。
英語生活ももう4年になるが、まだ完璧に使いこなせるわけではない、
ホグワーツに通い始めてだいぶマシになったが、吸収の早い子供と違って既に成人している唯にはなかなかきつい。いまだに、早口で話させると聞き取れなくなってしまうのだ。
これ、Paedon? とか言ったら怒られるかな、と止みそうにないマシンガントークに唯は頬を引きつらせた。


シリウス・ブラックに会いました。どことなくアルファードさんに似ているような気がします。アルファードさんも学生のときはこんな感じだったのかと思って、ユリシーズさんに今度写真を見せてもらう約束をしました。
「今から楽しみです、と」
長いものではないが、こまめに送るようにしている日記のような手紙を、唯は折り畳んだ。
封筒につめて封蝋をする。
明日の朝にフクロウさんに運んでもらおう、とその上に重しの代わりにバラの入ったガラス玉をのせた。