落ちる影

side-a

ルシウスの呼びかけに、目の前を歩いていた髪の長い少女がゆっくりと立ち止まり、左足を引いて体ごと振り返った。
黒髪がサラサラと動きにあわせて揺れる。
ネクタイの色は青と銅。
落ち着いた雰囲気に、いかにもそれらしい、とセブルス・スネイプは内心で呟いた。


ルシウス・マルフォイはセブルスの先輩に当たる。
今ではブラックの次に勢力があるであろう純血の家系だ。
セブルス自身は混血だったが、純血主義であることも手伝って、あまりそれに触れられることはない。
ホグワーツでの生活は、セブルスにとって退屈なものだった。
しかし、退屈ではあっても家にいるよりはいい。
目の前でルシウスと言葉を交わすレイブンクローの女生徒は、振り返ったときの仕草や、話し方からおそらく良家の出であろうとセブルスはあたりをつけた。
ルシウスがまともに相手をしていることからも、それはおそらく間違いないだろう。
彼女が時折、まぶしそうに眼を伏せる。
そこでようやく、セブルスは自分たちが日の当たる外回りの廊下で立ち話をしていることに思い当たった。
セブルス自身は、この中で一番背の高いルシウスの影に隠れていたからあまり気にならなかったが、よく晴れた夏の日差しは女性にはきついだろう。
そのことにルシウスが気づかないのは、意外だった。
それとも、気づいているのか。
二人を日陰に誘導するか迷っているうちに、彼女と目が合う。
なんとなく気まずく、セブルスはすぐに目を逸らした。
気配で、彼女が微笑んでいるのが分かる。
それがなんだか恥ずかしく、頬が熱を帯び始めた。
自分の顔色の悪さは、こういうときあまり相手に顔色を悟られないから便利だ。
「………セブルス・スネイプ?」
少し自信なさ気に口にした彼女の言葉に、セブルスは思わず顔を上げた。
なぜ、自分の名前を彼女は知っているのか。
「なんだ、知り合いだったのか」
「………いえ、初対面です」
彼女の言葉に同意するようにうなずくと、ルシウスが何かおかしそうに小さく笑みを浮かべた。
「セブルス、レイブンクローの3年生で、唯・霧野だ」
「…セブルス・スネイプ、スリザリンの1年です」
よろしく、と右手を差し出してくる唯の手をためらいつつも握り返した。
骨ばった自分とは違う、ちいさく柔らかい感触に頼りなさを覚える。
「それじゃあマルフォイ、これからルーン文字学の授業だから、私は行きますね」
「相変わらずつれないな、ルシウスと呼んでくれて構わないのに」
ルシウスの言葉に、少し困ったように唯が視線をセブルスへとよこした。
一瞬、自分に助けを求められても困る、と身構えたセブルスだったがそれは杞憂だったようで、すぐに逸らされた。
「………申し訳ないけれど、シリウス・ブラックと名前を間違えそうだからやめておきます」
何の脈絡もなく出された名前に体がこわばった。
唯はもしかして、自分と彼らの関係を知っているのだろうか。
先ほどよこした視線の意味がひどく気になった。
「間違えるほど似ているか?」
「…日本人には、そうかもしれませんね」
他人事のようにそう言って、その場を離れていく彼女の背中を、セブルスは無言で見送った。
日差しは暖かいのに、嫌な冷たさを感じる。
どこもかしこも光があたって眩しいほどなのに、自分だけが影に隠れていることが、皮肉なことだと思った。
「セブルス? …彼女を気に入ったか?」
じっと見つめていたせいか、ルシウスがからかうような笑みを浮かべた。
慌ててそれに首を振って否定する。
「いえ、そういうわけでは…彼女は、その、何故自分のことを知っていたのかと思って…」
いじめられっ子としての自分が知られているのだとしたら、とおもうと自然と気持ちが落ち込んでくる。
地面に色濃く落ちる自分の影をじっとみやった。
「ああ…詳しくは聞いていないが、唯はおそらくブラックと縁のあるものだ。私のことも初めから知っていたくらいだしな」
「え…そうなんですか?」
うなずいたルシウスに、先ほどまでの暗い感情の波が引いてゆく。
純血同士は、知り合いであることが多いし、何よりブラックの縁のものだというのならセブルスのことを知っていてもおかしくはない。
少し知っている程度、ということなのだろう。
よくよく考えれば、セブルスの名前を呼んだときの彼女は、どこか自信なさ気だった。
「そう、ですか」
よかった、と安堵の息が漏れる。
先ほどの冷たさはもう引いていた。現金なものだ。
「知り合いになっておいて損はないだろう。アルファード・ブラックが彼女にご執心のようだしな」
「…アルファード、ブラック…」
あまり覚えのない名前に記憶をたぐる。
たしか、シリウス・ブラックの叔父だったか。あまり人前に顔を出さないので印象は薄いがブラックはブラックだ。
唯・霧野、と名前を忘れないよう心の中でその名前を反芻した。


一通り書き終えて、 唯はようやく羽ペンを置いた。
インクが乾いたか確認して、丁寧に皮用紙を折りたたみ封筒へと入れる。
「…当たり前だけど、スネイプ先生にも若いときがあるんだよね」
唯の知るスネイプは魔法薬学の先生だ。
ちょっと厭味で、でも実は優しい生徒思いの先生。
………ハリーたちには誤解されてたけど。
明日の朝一に手紙を出そうと、目覚ましを少し速めにセットし、ベッドにもぐりこんだ。