落ちる影
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この部屋の窓を、ふくろうが叩くのを待ち遠しく思うのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。
こつこつと窓ガラスをつつくふくろうを、アルファードは招き入れた。
湿った空気がほの暗い室内に流れ込んでくる。
ふくろうの足に結び付けられた手紙を受け取ったアルファードは、餌を催促するふくろうのためにシリルを呼んだ。
窓を下ろすと、部屋の中にはわずかな羽音とシリルの足音。
屋敷しもべ妖精は、本来ならその存在を感じさせないものだが、唯の希望もあってシリルは邪魔にならない程度に存在を主張する。
足音を立てたり、姿を見せたり。
人の気配がするほうが安心する、という唯の言い分を、アルファードは最近になってようやく理解できるようになった。
手紙を開くと、その見慣れない字にかすかに笑みが浮かぶ。
本人は不安そうにしていたが、なかなかどうして、綺麗な字だ。
シリルの入れてくれた紅茶に口をつけながら、アルファードは唯からの手紙にゆっくりと目を通し始めた。
ホグワーツは広い。
生徒達が特別なとき以外敷地内からでることもなく生活することを考慮されているのかもしれないが、唯からすれば無駄に広いといわざるを得ない。
入学して1ヶ月。
右も左も分からなかった日々から、最近やっと脱出した。
思っていた以上に授業が難しく(英語が不自由なせいもあるが)課題も容赦なく出される。
正直、ちょっとなめていたから慣れるのに少し時間がかかってしまった。
今日は学校も休みだし、課題も昨日のうちに終わらせてあるから一日暇。
そこで、ひそかな野望であった校内探検に出ることにしたのだ。
いつもは教室の移動にいっぱいいっぱいで、他に目が回らないが、広いとは言っても限られた敷地。
出来れば隅から隅まで把握したいものだ。
とりあえず建物の外側から徐々に攻めることに決めて、唯は歩き出した。
外に面した廊下は、どこかほの暗く石の冷たさを感じさせる室内とは違い、日の光にさらされて暖かい。
前日の雨で濡れた草の臭いがむせ返るようだった。
迷路を歩くような感覚で、右手を壁に当てながらゆっくりと進む。
横道に心惹かれながらも、建物の構造を理解するために外側をぐるりと一周した。
ときおり、外で遊んでいるらしい子供たちの声が耳に届き、その遠さに夏の終わりを予感させる。
建物の形を頭に叩き込みながら、出来るだけ大きな廊下を進んで教室の位置を確認し、自分の中でずれていた地図を修正してまわった。
大まかに1階をまわり終えた所で、さて、2回へ進むか地下へもぐるか。
細い横道はいくつもあって、その先がどこへ通じるのか気になるところではあるのだが、今日はまだ一回目。
それは次の機会に取っておこう。
今日は、大まかな配置が分かればいい。
地下へ進む階段は下へ進むにつれてほの暗く、静かに目の前に佇んでいた。
上を見上げると、ちょうど大きな音を立てて気まぐれな階段たちが子供たちを翻弄する。
吹き抜けになった階段は、上の階までその階段の重なりがよく見えた。
唯も日ごろからこの動く階段には辟易させられている。
「なにか、規則性とかないのかしら…」
もし仮に規則性があれば、そのパターンを把握することで楽が出来る。
観察の余地アリね、とようやく動きを止めた階段を見つめて、その配置を記憶した。
とりあえず今日のところは、この目の前にある階段を下りることにして、唯は足を踏み出した。
カツンカツンと階段を下りるたびに靴のかかとが音を立てる。
地下らしい、少し湿って冷たく沈むような空気。
ときおりカビの臭いが鼻を突いた。
明かりなどどこにもないのに、視界に不自由を感じないのは、さすがホグワーツといったところか。
地下には魔法薬学の教室がある。自分の方向感覚が正しければ、目の前の廊下を真っ直ぐ…のはずなのだが。
「…行き止まり」
ぺたり、と目の前にそびえたつ壁に手をついた。
壁には一枚の風景画。
なんとなく物足りないその構図に、きっと本当は人物画で、中の人はお出かけしているのだろうと自己完結した。
ホグワーツの絵画の住民は、よく他の絵の中に移動している。
「…そういえば、スリザリン寮は地下か…」
もしかしたら、このあたりに入口があるのかもしれない。
まあ、場所が分かったとしても合言葉が分からなければ意味がないわけだが。
「単純に考えたら…純血、とか?」
手をついていた壁の感触がふっと消える。
それ気付くよりも先に、いきなりのことに体勢をくずして2、3歩前に踏み出した。
こけなくて良かった、と視線を上げると、先ほどまで行き止まりだった廊下は、確実に空間を増してソファやテーブルといった家具が並ぶ。
そして、そのソファにゆったりと腰かけてくつろいでいる人物と音がしそうなほどばっちり目が合った。
後ろを振り返ると、まるで後戻りは出来ないというかのように冷たい石の壁が視界をさえぎった。
「…レイブンクロー生がスリザリンに何の用かな? ミス・ブラック」
にっこりと上品に、しかしいかにも裏のありそうな笑顔を浮かべたルシウス・マルフォイに唯はぎこちなく振り返った。
―――――ああ、アルファードさんにスリザリン寮の場所をちゃんと聞いておけばよかった。
「………こんにちは、ミスター・マルフォイ。ちなみに、私の性はブラックではありませんよ」
「それは失礼。ミスター・ブラックと親しそうだったから、てっきり」
「………いえ…それより、ここから出るにはどうしたら?」
うっかりスリザリンの談話室に入り込んでしまったが、やはり長居するのはまずいだろう。
運良く今はマルフォイしかいないが、他の人に見られたら面倒だ。
………いや、マルフォイに見られるのが一番厄介なのかもしれないが。
「名前は?」
わざわざ腰を上げて近づいてくるマルフォイに、唯は思わず一歩ずさった。
「…唯・霧野、です」
「何故ここの合言葉を?」
「…いえ、適当に言ったら当たってしまったようで…」
だいたい、スリザリンで合言葉が「純血」なんて安直過ぎないのか。
冗談半分で言った唯自身が一番驚いているのだ。
まさか当たってしまうなんて、と。
目の前に立つマルフォイが間を詰めるにしたがって、彼の影が唯におちる。
壁に追いつめられる格好になった唯は、自分よりずいぶん高い位置にあるマルフォイの顔を見上げた。
「ふ…たしかにな。まぁ、そう難しい合言葉でもないか…」
するりと唯の髪をひとふさ、マルフォイの手がさらっていく。
「もうここへは来ないことだ。スリザリンは身内には甘いが他へは厳しい。グリフィンドールほどではないとはいえ、レイブンクローも例外ではないぞ」
とん、と軽く肩を押されてたたらを踏む。
本来なら壁に当たるはずの背中には、予想していた冷たさはなく、目の前に先ほどと同じ壁が佇むのみ。
少しだけその壁を見つめて唯は踵を返した。
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さらりと書かれた物騒な内容に、アルファードは飲んでいた紅茶で軽くむせた。