雪にたくすことば

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アルファードが一仕事終えてリビングに戻ると、唯が毛布に包まってすやすやと寝息を立てていた。
毛足の長い絨毯が気持ちいのだろう。
もともと床に座ることの多い唯だが、最近はよく寝転がって本を読んだりしている。
本人はそれを行儀が悪いと思っているようで、アルファードの前ではやらないように気をつけているようだが。
たまにこうやってそのまま寝付いてしまうので、完全には隠しきれていない。
アルファードとしては、ようやく唯がこの家に慣れてきたようで、それも微笑ましい。
唯を起こさぬよう、毛布ごと慎重に抱き上げる。
その拍子に、コトリと何かが床に転がった。
目を向けると、透明なガラス玉。
その中を細かな雪がちらちらと舞っている。
おそらく、握ったまま眠ってしまったのだろう。
唯は物を欲しがらないので、めずらしく目を留めていたそれを買っておいたのだが、どうやら気に入ってくれたらしい。
こんな些細なことで、なんだか胸が温かくなるのだから、不思議なものだ。
そのまま唯をベッドへと寝かせ、顔にかかる長い黒髪をそっと整えてやる。
ほとんど日に当たることにない肌は、初めて会ったころよりもいくぶん白く見えた。
この状態が決してよくないことは、アルファードにも分かっていた。
ほとんど外に出さず、触れる人間もごくわずか。
アルファードもそれなりに忙しく、ずっと相手をしてやれるわけではない。
ユリシーズやアイリーンには幾度となく言われたが、不健康極まりない。
分かっている。
ただ、それと同時に、自分だけが唯の存在を知っていればいいと思ってしまう。
なにものも介入させなければ、いい。
今日まで、唯の世界はアルファードがすべてだった。
だが、明日からは違う。
それはなんだか、喪失感に似ていた。
12月までの4ヶ月、唯はこの家を離れる。
そう思うと、さして広くもない空間がなんだか広く感じた。
1年半前はそれが普通だったというのに、おかしなことだ。
知らず苦笑が漏れる。
ホグワーツに行けば、今とは比べ物にならないほど多くのものに触れる機会もあるだろう。
同じ年頃の子供たちと触れ合うことは、とても大事なことだ。
少しさびしい気もするが、それが必要なことだとアルファードは身をもって知っている。
初めてブラックの家を離れて、ホグワーツへと向かった日を覚えている。
スリザリンの人間はどれも家の人間のようでうんざりしたが、他寮の友人達……とくにユリシーズたちと過ごした時間は何物にも変えがたい。
あのころにしか過ごせなかった特別な時間たち。
唯にとってもホグワーツがそうあればいい。
……どうか、彼女にもホグワーツの祝福を。
祈るように、その米神に小さく口付けた。
ふるり、と唯のまぶたが震える。
「………アルファー…ド…さん?」
「……今日はもう、このままゆっくりお休み…明日は早い」
優しく髪を撫でてやると、ゆるゆるとそのまぶたが下りて、また規則正しい寝息が聞こえてくる。
しばらくは見れなくなるその穏やかな寝顔を、アルファードは静かに眺めた。


そっと戸を閉めて部屋を出ると、あきれたように壁に寄りかかってユリシーズが待ち構えていた。
「……お前、不法侵入もいいところだぞ」
「仕方ないだろ、煙突飛行はもともとそういう仕様だ」
むしろ、できるだけ静かに来てやったんだから感謝しろ、となぜかユリシーズは完全に開き直っている。
「それにしても、こんな時間に来るのは珍しいな」
「まあな、明日のことでちょっと。ここだとうるさいから、リビングに行こう」
「ああ」
唯を起こすとまずい、ということで二人そろってリビングへ移動する。
ついでに、アルファードの家だというのになぜかユリシーズがシリルにお茶の準備を頼んだ。
勝手知ったるなんとやら、だ。
「明日はおまえ、見送りにいけないんだろ?」
「ああ……できれば行きたかったんだが」
「まあ、ちょうど忙しい時期だしな。俺が一緒に連れて行けばいいんだろ?」
「ああ…頼む。今年は想定外だったからな…来年からは空けとくさ」
「……そいつはいい心がけだな」
この過保護め!と言ってやりたいところだが、ユリシーズはそれをぐっと我慢した。
正直、アルファードが成り行きで拾っただけの子供に、ここまででれでれになるのは予想外だったから、驚きを通して呆れる。
まあ、いい傾向だとは思うが。
「ユリ……何かあったら、いや何もなくてもちゃんと定期的に連絡を入れてくれよ?」
「…この過保護め!ついでにユリ言うな!」
さすがに今度は我慢できずに思わず言ってしまった。
過保護にもほどがある、と。
「今更だろう? だいたい、お前の名前は呼びづらい」
前半のせりふは華麗にスルーされたらしい。
ユリ、というのは学生時代からのユリシーズの呼び名だが、なんとなく女性っぽいので本人は嫌っているのだ。
しかしだからといって「ベル」と呼ばれるのもなんとなくかわいらしいので嫌なのだが。
何度言ってもアルファードはすぐに略したがるのだ。
人前では一応気を使っているのかユリシーズと呼んでくれるのだが。
余談だが、彼の愛妻はちゃっかり惚れた弱みに付け込んで「ユリ」と呼んでいる。
「だいたい、ベルと呼んでもユリと呼んでも怒るだろう、お前は」
「唯はちゃんとユリシーズさん、ってかわいらしく呼んでくれるのに…アルファードも少しは見習え」
「お前は俺にかわいらしく名前を呼んで欲しいのか。それより、ちゃんと連絡よこせよ?」
「鳥肌たった!お前が気持ち悪いこと言うから俺チキン肌!」
アルファードがかわいらしく自分の名前を呼ぶ姿を思わず想像してしまい、一瞬走った怖気にユリシーズは自分の腕をさすったのだった。