雪にたくすことば

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丸いガラス玉の中で、延々と白い雪が降っている。
真ん中にぽっかりと浮いたピンクのバラが、なんだか寒そうだった。
唯はそのガラス玉を指先でつんつんとつつき、じっと眺める。
一体どういう仕組みになっているんだろう……これも魔法なのだろうか。
よくある、一度全部下に積もってしまったらひくっり返さなければいけないものではないし、尽きることなく雪は降るのに、下に積もる雪がいっぱいになることもない。
……不思議。
カーペットの上、大きなクッションにうつぶせて唯は飽きることなくそのガラス玉を見つめた。
日本で言うところの風鈴、みたいなものだろうか…? 
8月も終わりだというのに、ガラス玉の中は雪で涼しいというよりはむしろ寒そうだ。
触ると、その表面もひんやりと心地よい。
ガラス玉は先日のダイアゴン横丁で、アルファードさんが買ってくれたもの。
別にねだったわけではなく、綺麗だなと思って眺めていたら、いつの間にかアルファードさんが買っていてくれたようなのだ。
「……そんなに、物欲しそうな顔してたかなあ」
うすうす気付いてはいたけれど、アルファードさんはものすごいフェミニストなのかもしれない、と唯は少しだけ残念な答えをはじき出した。


ホグワーツは9月から新学期。
確か海外の学校はほとんどそうだと聞いたことがある。
知ってはいたけど、日本は4月からだったから、なんだか変な感じだ。
9月からだと新学期というよりは夏休み明け、というイメージが強い。
日本の夏が蒸し暑いのにたいし、ロンドンは空気が乾いていて涼しい感じがする。
日本の猛暑に20年以上たえてきた身からすれば非常に過ごしやすいといえるが、あのうだるような暑さも、唯は好きだった。
「唯、お茶にしよう」
上からかけられた言葉に、がばりと上半身をおこした。
少しばつが悪そうに振り返った唯に、アルファードが微笑む。
一方唯のほうは、行儀の悪いところを見られてなんだか恥ずかしかった。
それを察したのか、アルファードは片手に持っていたお盆をテーブルへと置き、自身も床に腰を下ろす。
ポットからお茶を注ぎ、ミルクと角砂糖を入れて、適温になったそれを唯に渡した。
「気に入ったか?」
「……はい」
なにが、とは言わないが先ほどまでいじっていたガラス玉のことだろう。
一体どの程度見られていたのか分からないけれど、少し気恥ずかしい。
落ち着け落ち着け、とほんのり暖かい紅茶に口をつけた。
今日のおやつはどうやらチーズケーキらしい。
もちろんシリルの手作りだ。
ああ、これもしばらくお預けなんだなあ、とその上品な甘さをゆっくりと味わう。
明日から、この家を離れてホグワーツで過ごす。
アルファードさんの綺麗な顔も、しばらく見れないかと思うとさびしい。
いや、正直に言うと、ここに来てからアルファードさんとシリル、時々ベル夫妻という感じだったので、不安なのかもしれない。
ホグワーツに行けば、世界は一気に広くなる。
「……もう明日の準備は済んだのか?」
「…はい、一通りは」
1年目だからかもしれないが、なんだか結構な大荷物になってしまった。
それでも、おそらくハリーや他の子達みたいに苦労することはないだろう。
アルファードさんの用意してくれたトランクは小さいのによく入る。
明らかに入っている容量がおかしいのは、もう気にしないことにした。
「…アルファードさんは…いえ、その…ホグワーツはどういう感じですか?」
映画で見て、大体の雰囲気は知っている。
だが、今はおそらく時代的に原作より前だ。
先日の様子だと、おそらくルシウス・マルフォイはまだ学生だろう。
原作では彼の息子が学生だったわけだから、20年くらいだろうか? 
「……私は悪名高いスリザリンだったからな…少し他とは違うかもしれない。
寮によってだいぶ雰囲気が変わるからな。
ユリが…ユリシーズがハッフルパフだったから、あいつに聞いておいたほうが良かったな。
全寮制だから、今考えれば少し異様な社会だった。
閉じた世界…という感じか。
まあ、スリザリン以外だったら楽しめると思うぞ」
「…アルファードさん、は、楽しくなかったですか?」
話し方から、なんとなくだけれど、アルファードさんはスリザリンだったことを嫌悪しているような気がした。
スリザリンは……狡猾。
確かに、他の寮とは一線を画す。
それでも、アルファードさんが学生時代を苦痛のうちにすごしたのだとしたら、それはとても悲しいことに思えた。
「…いや、それなりに楽しかったぞ? 
ブラックだからわずらわしいことも多かったが…ユリシーズもいたからな。
あいつが色々やらかすもんだから、退屈する暇はなかったよ」
どこか懐かしそうに、静かに語るアルファードさんの顔は小さくだけれど、確かに微笑んでいてホッとした。
「…ユリシーズさんとは…ホグワーツで知り合ったんですか?」
「ああ、2年位の時か。大変だったぞ? 
あいつはそのころからアイリーンに惚れてて、さんざんキューピット役をやらされたな。
ユリはかなり奥手だったから、話しかけるだけで大騒ぎだった」
「…すごい…そのころから奥さん一筋だったんですね」
ポツリポツリと話してくれるアルファードさんの言葉は、映画よりずっと現実味があって、ようやくホグワーツというものが自分の中で形をとり始める。
不安は確かにあるけれども…きっと、楽しめる。
そんな気がした。
まあ、まわりは自分の年の半分くらいの子供たちだけれども。
「…わたし、あまりまだ英語が得意ではないんですけど、大丈夫でしょうか?」
それが現実問題としては一番つらいだろう。
はたして授業にちゃんとついていけるのか。
普通の小学校や高校なら、大して問題もなかっただろう。
なんせ、一度通ってきた道だ。
しかし、ホグワーツは違う。これまでの常識を覆す内容の授業ばかりだ。
アルファードさんがそっと頬を撫でて、その手で優しく髪をすく。
頬に触れた手があたたかくて少し気持ちが落ち着いた。
「大丈夫だ。ホグワーツにはユリもいるし、言葉なんてすぐに分かるようになる。
これからは、まわりにたくさん人がいるんだからな。
今よりずっと話す機会も増えるだろう。
何も心配することはない」
真っ直ぐに見つめてくるアルファードさんの灰色の瞳。
優しく語られる言葉は、唯の胸にすっとおちてきた。
うん、きっと大丈夫。きっと、うまくやっていける。
アルファードさんの言葉にひとつうなずいて、自然にこみ上げる笑みを表情にのせた。
ホグワーツでくじけそうになっても、きっと掌に包んだ冷たい感触が、自分を支えてくれるだろう。