さしだされる優しさ

side-a

目が、くらむようだった。

あまり外出したことのない唯にとって、ダイアゴン横丁は眩しいばかりだった。
見たこともないようなものが店頭に並び、道は人でごった返している。
アルファードさんに手を引かれながら、繋いでいてよかったと思う。
さすがに抱き上げられるのはごめんだが、こんなに人の多いところで手を繋いでいなかったら背の低い私は即、迷子だ。
日本人の中でもあまり大きいほうではないのに、イギリス人に囲まれたら完全に埋もれてしまう。
きゅ、っと握る手に少し力を込めた。
「疲れたか?」
それに気付いたのかアルファードさんの歩調がゆるむ。
「…いいえ、平気、です。ここは…いつもこんなに人が多いんですか?」
「いや…さすがにここまではないな。もうすぐ学校が始まるから、そのせいだろう」
ああ、なるほど。つまり皆、目的は同じというわけだ。
それならきっと、本屋なんかは教科書を買い求める生徒達で溢れかえっていることだろう。

不意に、人の波にのまれた。
周りより歩くのが遅かったせいか、皆足元には注意をそう払わないせいか。
唯の体格ではその波に抵抗することなど到底出来ずあれよあれよと流されてしまう。
なんとかその流れから抜け出たときには、アルファードさんとすっかりはぐれていた。
「…やられた」
自分には土地勘がないから下手に動かないほうがよいだろう。
アルファードさんを探したいのは山々だが、見つけてくれるのを待つより他ない。
彼は背が高いから、遠目でも分かるかもしれないが、いかんせん自分の身長が周りを見渡せるほど高くない。
どこか高いところにでものぼろうか、と思ったが見える範囲でそうそう都合のよいところもなかった。
今自分にできることと言えば、できるだけ人ごみからはなれてじっとしておくことくらいだ。
そう結論付け、道の端によって背を軽く壁にあずけた。
ふと、視界の端にうつる布に気付きフードを取る。まぁ、取らないよりマシというくらいか。

こうして人ごみを眺めていると、自分の周りだけ世界が違うようだった。
自分の考えに、少しおかしくなる。
世界が違うのは紛れもない事実なのに。

「…忘れてしまいそうだわ」
まだ、1年しかたっていないのに。
いつもアルファードさんが自分に心地良い様にはからってくれるから、優しく名前を呼んでくれるから。
まるでここにいてもいいと言ってくれているようで、それに甘えてしまう。

この世界で、私に繋がるものなど何もない。



どれぐらいそうしていただろうか。
日の当たるところでずっと立っていたせいか、くらりと眩暈がした。
せめて日陰に入るべきか、と思いつつもその場を動く気になれない。
まずい。これは、完全に貧血だ。
だんだんと強くなる吐き気に、その場にしゃがみこむ。
とにかく、こんなところで戻すのはごめんだし、意識を無くすのもまずい。
ぐっと奥歯をかみ締めて意識をつなぎとめようとした。

すっと自分のいるところに影が差し、誰かが目の前に立ったことに気付いたが顔を上げられそうにない。
「大丈夫か?」
「…大丈夫、です。軽い貧血なので…じっとしてれば収まりますから」
相手がかがんで声をかけてきたときに、ちらりと金色の髪が見えた。

ああ、アルファードさんじゃない。

恐らく、わざとだろう。私が影になるように相手が立ってくれていることが分かる。
声からして男性だろうけど、どうしてイギリスの男性ってこうも紳士なんだろうか。
少しずつ回復してきた意識の隅で、そんなどうでもいいことを考えた。
ようやく顔を上げると、逆光で見づらいけれど眩しいほどの金髪は分かる。
結構大人びて見えるけれど、多分まだ未成年。
自分より年下の人間かそうでないかぐらいはさすがに見分けられるつもりだ。
「立てるか?」
そっと手を差し伸べられたけれど、正直今立つと悪化しそうだったので首を横に振っておく。
自分の隣に膝を着いた青年の顔が、今度ははっきりと見えた。
なにか、記憶に引っかかるものがある。
この顔を知っている。
記憶の中のものに比べるとずいぶんと若いけれど、これは、
「………ルシウス・マルフォイ…?」
「…どこかで、会った事が?」
一瞬だけ彼の表情が崩れたけれど、すぐに冷たい笑みを口元に貼り付ける。
その表情がいかにも彼らしかった。


ばさり、と突然頭から布をかぶせられたかと思うと、あっという間にかかえあげられていた。
私もルシウス・マルフォイも突然のことに会話を中断させる。
「私の連れが世話になったようだな」
耳元で聞こえた声に顔を上げようとするが、大きな手が後頭部に添えられていてあまり身動きが取れなかった。
それでも、この声を聞き間違うはずもない。
思ったよりも不安になっていたのか、半ば無意識にその首にすがりついた。
髪の毛のさらさらと冷たい感触が手に伝わる。
自分をすっぽりと包んでいる布は、どうやらアルファードさんのローブらしい。
「唯、大丈夫か?」
口を開くと声が震えてしまいそうな気がしたので、こくこくとうなずいた。
肩口に顔をうずめたままだったけれど、アルファードさんにはちゃんと伝わったようで、優しく頭をなでられる。
そのあとも、二人は2、3言会話を交わしていたようだけど、聞き取るのが億劫でそのまま頭をなでられる感触に浸っていた。