淡く色づく
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いつもなら出迎える顔が、その日に限っては現れなかった。
一人暮らしが長いせいで、「ただいま」を言う習慣はなかった。
実家にいるときも、一般家庭とはかけ離れていたから、思えばあまりなじみのない言葉だ。
それが変わったのはつい最近…といってもそれなりに時間はたっているが。
ノクターンで迷い子を拾ってからだ。
偶然というか、魔が差したというかそういうより他にない事件だったが、まぁ、特に支障は出ていないのでよしとする。
それでも、子供が家にいるために変わったことは色々あるが。
「ただいま」というようになったのも、その変化のうちのひとつ。
何も言わずに帰ってきても「おかえりなさい」と出迎えられては、「ただいま」というより他にない。
いつのまにか当たり前になってしまったやり取りは、今日に限っては起こらず、首をかしげる。
寝ているのだろうか?
階段を上ってリビングのドアを開ける。別段広いというわけではない室内で、その姿を見つけるのは難しいことではない。
華奢な後姿が、暖炉の前に腰を下ろしていた。
習慣なのか癖なのか、唯はソファではなく床に直接座ることが多い。
おかげで、靴を脱ぐという習慣まで身についてしまった。
もうすぐ、本格的な冬を迎える。その前にはもう少し体が冷えないように配慮しなくては。
床に座ると冷えるから、と言っても本人が大して気にしていないのだから、こちらが手を打つしかない。
すっかり子持ちの親のようになってしまった思考回路につゆほども気づかず、アルファードはその幼い背中に声をかけた。
暖炉の前に座り込んでぼんやりと考え込んでいた少女の瞳が、下から自分を捕らえる。
たいして寒くもないのに、暖炉に火を入れ、ひざ掛けまでしている少女の姿をみて、思わず眉根を寄せた。
「どうした、具合でも悪いのか?」
熱があるようには見えない…どちらかと言えば血の気のない白い頬に触れる。
瞬間、その冷たさにさらに渋面をつくった。
「身体が冷えているな…今日はもう横になった方がいい」
自分の羽織っていたカーディガンをその細い肩にかけて、抱き上げようと手を伸ばす。
ゆっくりと、形の良い唇から、初めて会ったころとは比べ物にならないほど滑らかな英語がつむがれた。
「…アルファードさんは…死喰い人なんですか?」
思いがけない言葉に少々面食らった。
てっきり唯はマグルだと思い込んでいたのだから。
おそらく私が「ブラック」だからそんなことを考えたのだろう。
「…そうだといったら?」
唯の瞳が不安げに揺れた。
確かに、ブラック家はそのほとんどが死喰い人であるし、どうしようもないほど純血主義だ。
それでも自分と同じ血を引く者たちであり、今はなき父と母のことをうっとうしいと思ったことはあれど、嫌いだったわけではない。
ただ、理解しあえなかった。それだけだ。
だから、嫌悪の対象として見られるのはすこし胸が痛む。
自分は自分だし、彼らは彼らだと割り切っている。それでも胸が痛むのは、それが血というものだからなのか。
「…怖い、です。アルファードさんが死喰い人だったら、怖い」
ぽつり、とつぶやくように唯は言った。
まぁ、当然の答えだろう。少し、意地が悪かったかな。
視線を合わせるために唯の前にひざを着く。
「唯、悪かったな、」
「…殺されてしまう」
私は死喰い人ではない、と告げようとした言葉をさえぎって小さな声で、しかしはっきりと唯は言った。
「…殺されて、しまうかもしれない。捕まったら、アズカバンに入れられてしまう」
それは、たしかな不安。
すがるように伸ばされた手が、自分の袖をしっかりとつかむ。
見上げる瞳が、わずかに潤んで、それでも涙を流すことはない。
思わず、その小さな体を抱きしめた。手のひらに、冷たい髪の感触が心地よい。
自分を失うかも知れない恐怖。唯のそれは確かに自分を必要としている証拠だった。もし仮に、自分が死喰い人だとしても、かまわないと、そう言われたも同然だ。
「ブラック」でありながら「ブラック」にはなりきれなかった自分を、はじめて理解されたような、そんな感じがした。
「大丈夫だ。私は死喰い人ではない。怖がらせて悪かった」
いとおしい。
こわばった体をやさしく抱きしめながら、その小さな耳にそっと告げる。
落ち着かせるように背中をなでてやれば、すこしずつこわばりが溶けていった。
いとおしい。
この小さな体で、自分のどうしようもない空虚さを簡単に埋めてしまう。
子供とは、こういうものだったろうか。
そっと腕を解いて再び視線を合わせる。潤んだままの瞳は、もう不安げに揺れてはいなかった。
少し乱れてしまった少女の髪をすいてやる。さらさらと指の間から零れ落ちてゆくそれは、同じ黒でも自分のそれとは確かに違って。
その髪の一本一本までも、いとおしいと感じた。
一房手にとって、そっと口付ける。そうすることに特別な意味なんてない。ただ、抱きしめたのと同じで衝動のようなものだ。
「ミルクを入れてきてやろう、落ち着く」
名残惜しげに髪をはなして、自らミルクを温めるためにキッチンへと向かう。
だから、背を向けたとたんに、少女が首まで真っ赤に染めたことにアルファードは気づかなかった。
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