09...Marking-the latter part
わずかな衣擦れの音に目が覚めた。
もともと眠りは深いほうではない。いつだって動ける。
体に染み付いた戦闘本能とでも言うのだろうか。
本来なら目が覚めるより先に銃に手が伸びる。肌身離さず持ち歩く。
でもそれは、念をおぼえる前の話。
今は、銃を具現化する。本物ではないのにぐっと手に感じる重みが奇妙だといつも思う。
手にその重さを感じなかった。
ぼんやりした頭で、ああ、そういえばあれはもう使えないんだった、と手の力を抜く。
近くに感じる気配は、ひどく馴染みのあるものだ。
暗い室内で目を凝らせば、服を着る幼馴染の後姿。向こうは葵が目を覚ましたことにまだ気付いていない。
「…行くの?」
短く言葉を発した葵に、クロロが驚いて振り向いた。
そのどこまでも暗い瞳と目が合う。
どこに、とは葵は言わなかった。行き先など知らない。
ただ、クロロが自分をおいてどこかへ行くのだろうということだけは分かる。
そして、それだけ分かれば十分だとも思う。
なぜ分かるのかと言えば、それはもう生まれつきの勘の良さと、付き合いの長さ。
「…ああ」
苦笑を浮かべるクロロに、どうせ黙って自分を置いていくつもりだったんだろう、と小さくため息をついた。
まぁ、置いていくも何も、家族でも恋人でもない自分にはそれについて文句を言う資格はない。
「そう」
自分から聞いたくせにまるでそんなことはどうでもいいとばかりに寝返りを打った葵に、クロロが苦笑を浮かべているのが気配でわかる。
実際、ただの確認に過ぎないのだから、答えを聞いてしまえばもうそれでいい。
引き止めて留まるような男ではないし、頼んだところで連れて行ってくれるような男でもない。
ぎしり、とベッドがきしんだ。
背中にクロロの体温を感じる。
「帰りはいつになるか分からないから、ちゃんと一人でも食べろよ」
クロロの指が髪をすいては、そっとその頭をなでた。
あけたばかりのピアスに軽く口付けを落として、低い声でささやいたクロロに、たちの悪いやつだと自分の体を抱き込むように葵は体を丸めた。
本当に帰ってくるかなんて分からないのに、帰ってくる気なんてないくせに、この男は平気でそういうことを言うのだ。
髪をなでる指の感触も、耳に、瞳に口付ける冷たさも、すべて鮮明に思い出せる。体に残るわずかな熱は、全部この男のものなのに、それでも何ひとつ手に入れることはでず、葵の感情のかけらさえ、クロロに届くことはない。
昔からなにひとつ変わらない。
無理やりに葵の肩を押して深く口付けてきたクロロの舌に歯を立てた。わずかに錆の味。
顔をしかめたクロロに、少しだけ満足した。
「全く…凶暴な奴だ。」
「この状況でそういう事言う? ……相変わらず、とんだKYだね」
「何だそのKYって…」
「空気読めない、の略」
「どっから覚えてきたんだそんなけったいな用語…」
クロロはこう見えて意外と古風と言うか、ジジくさいところがあるので、こういう乱れた感じの言葉遣いは嫌いなのだ。
葵自体は、別にこういう言葉は嫌いではない。
むしろ好きな部類だ。
使われる限り言葉は常に変化し、歴史を背負う。
それはまるで生き物とおなじで、使われなくなった言葉はいわば「死」んでいるようなものなのだ。
今自分たちが使っている言葉だって、形を変えて受け継がれてきたもののひとつ。
だから、気に入ったものは使う。まあ、半分はこういうのが嫌いなクロロに対するささやかな嫌がらせだが。
「ホント、空気読めない奴…鈍いんだよね、クロロは。あ、違うか、鈍いから空気読めないのか。うわーイタイイタイ」
いつものように憎まれ口を叩きながらも、それはどこか精彩を欠いていて、意外と落ち込んでるのかなぁと今さらながらに自覚。
何が腹立たしいって、そんな落ち込んでいる自分にクロロが気付いていることがだ。
肩を抑えていたクロロの手をはらって、寝返りを打つ。
ぐっと枕に顔を押し付けた。
他の事はともかく、クロロのことで落ち込んでいる自分を見られたくなかった。
名残惜しげにクロロの指が葵の髪をひとふささらって、ベッドから一人分の重みが消えた。
「行ってくる」
それは静かに、でも確実に浸透していくような声だった。
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7)「ただいま」→「いってきます」