08..Provision of God-the first part

「暑い、な」
「熱い、の間違いだろう」
いいことだよ、と珍しく人らしい体温の葵に返す。
いつも、驚くほど体温の低い葵が自分の熱が移ったように体温を上げる瞬間がある。その事実を知ったのはつい最近のことだ。
慰めると言った本人を慰めるハメになった、非常に不本意な一件以来、クロロは開き直った。正確には諦めたともいう。
なんだか男として大事なものを失った気がしなくもないが、まぁ、その、予想外に…ヨかったので。
これで自殺回数が減るならそれでも良いかな、と思ったり。
実際に、あれ以来ベッドから追い出されなくなったクロロは、朝から葵の機嫌をとることでここ数日は比較的穏やかだ。
機嫌のとり方はご想像にお任せする…というか悲しくなるので言いたくない。
「クロロ…耳、はやめろ…って」
耳を執拗に食むクロロの腕に葵が爪を立てる。クロロはわずかに皮膚を裂くそれを気にもとめず、ふさがりつつあるピアスホールに更に舌を這わせた。

なんか俺朝ので精根尽き果てた気がする、と葵がテーブルの上にぐったりと体を預ける。
時刻は…葵が寝たり起きたり寝たり寝たりを繰り返していたためにすでに夜。
「とりあえず、飯を食え」
トーストに目玉焼きを乗っけただけ、というなんとも質素な朝食兼昼食兼夕食兼夜食だが、それでも葵が残すのだから仕方ない。
葵は面倒そうに目の前のそれを口に運んだ。
しかし2、3口食べたところであごが痛い、とそれを放棄。
「葵…頼むからそれくらいは食べてくれ…」
「俺もう流動食でいいよ」
どこのおじいちゃんですかと言いたくなるところだが、そこはぐっと我慢。どうせ言い返したら何倍にもなって帰ってくることをクロロは経験的に知っている。
「っていうかそもそもあごが痛いのはクロロのせ」
「言うなぁ!」
思わず手近にあったクッションを投げつけるクロロ。もちろん余裕で避けられる。
「なんだよ今さら照れるなよ」
「お前は少しは照れろ!恥じらいを持て!」
うわークロロの口から恥じらいなんて言葉が出てきたよ。世モ末ダネ。
わざとらしく棒読みで言う葵にクロロは今朝の比じゃないくらい疲れた。
「まぁまぁ…落ち着きなよ。仮にも蜘蛛の団長が…みっともないよ?」
ついでに、気付いてる? と葵がトーストを一口かじり、意味ありげに口の端をあげた。
クロロも念が使えないとはいえ、もちろん状況には気付いている。
「囲まれてるな…」
「心当たり…って聞くだけ無駄か。うらみ買ってそうだもんねクロロ。ほらそんなに眉が薄いから幸も薄いんだぞ?」
「…関係ない」
クロロの眉間に寄ったしわを葵が人差し指でぐりぐりと伸ばす。ついでにクロロはトーストの残りを口に突っ込まれた。
「まったく…せめてもう少し食べれるようになってくれ」
「あごが痛くなきゃもう一口くらいは食えたかもね」
ブーツの紐を締めなおしながら葵がわざとらしく言う。これはまったく食う気が無いな、とクロロは諦めてトーストの残りを租借した。
「さて、準備万端。あと10秒くらい?」
「ああ。窓から出るか?」
「うん。隣のビルに飛び移ろう」
10、9、8、7、とカウントしだした葵にあわせてクロロも窓際による。
「5、4、3、」
2、1、0。
ダンッと勢いよく玄関が破られる。それと同時に葵が窓ガラスを割り、隣のビルへと跳躍。クロロもそれに続いた。
下にも控えていたらしい敵が何発か発砲するが、当たらない。
「ブラックリストハンターかな?」
「かもな」
のん気に会話をしながらも足はしっかり動かす。
「人数多いな…俺の念だと不利かも。クロロは念使えないし」
役に立たないね、とにっこり微笑む幼馴染にクロロは苦笑をもらす。
「念が使えなくてもその辺の奴には負けないさ」
「とか何とか言っちゃって。新米ハンターにいっぱい食わされたのどこの誰?」
うっとクロロは言葉に詰まる。それを言われてしまうと反論の余地がない。
「お前は俺をいじめて楽しいか」
「ものっそ楽しい」
ためらいなく光の速さで返されてクロロは聞かなきゃよかった、とうなだれた。
「あらあら、クロロ待ち伏せされてる」
「みたいだな」
いくつかビルを渡って地上に降り立った2人は、そこで初めて足を止めた。わずかに砂埃が舞う。
「できれば、もう少し敵さんにばらけて欲しいよねぇ」
「ふたてに分かれるか?」
「いや…クロロ念使えないし、地道に逃げつつ撃退しよう。…はぁ、疲れるなぁ」
「始まってもないのに疲れるなよ」
クロロの言葉を合図に再び走り出す。細いビルの間を縫うように右に左に走りぬけた。
時折、後方の敵を葵が撃ち殺す。
「なんか思ったより多い」
「だな…」
地味に数を減らしているはずなのに後から後からわいて出る敵に葵は眉をしかめた。
「クロロ、やばい。弾の残数が少なくなってきた」
3発立て続けに撃った葵が装填のためにいったん銃を消す。腕にかかる数珠の珠は、数えられるほどに減っている。
「最近日課こなしてなかったからなぁ…クロロのアホ」
「俺のせいじゃないだろ…というかその腐った日課はいっそのことどっかに捨てろ」
「クロロのせいだろ。止めるのお前しかいないんだか、ら!」
角からのぞいた人影を葵が正確に射抜く。
わざわざ円を広げて敵の気配を確認した葵はそこで完全に足を止めた。
「Congratulations! 完全に囲まれたっぽいよ、クロロ」
もてもてだね、と茶化す葵をクロロはじと目で見る。
「まぁ細い路地でよかったじゃん。攻撃は前後からしか来ないんだし…多分」
「まあな。その分俺らは逃げ場ないけどな」
互いに背中合わせで暗い路地の先を見遣る。何人かがその影から姿を現した。
「本人確認はしないの? ちなみに俺の後ろにいるのはどこにでもいるヘタレな青年だよ」
相手の1人に葵が軽い調子で声をかける。しかしそれには沈黙しか帰ってこなかった。
「おいおいクロロ。結構マジだぞ相手」
「みたいだな。まぁ、何とかなるさ」
どっからくるんですかその自信ーと軽口を叩きながら、向かってくる敵に具現化しなおした銃を葵は向けた。
まず一発。一番手前の男に当てる。つづく二発めは引き金を抜く代わりにナイフを抜いた。
横に一閃して相手の喉を切り裂く。浴びた返り血にわずかに顔をしかめた。
「きたない」
「ならわざわざ首を狙うなよ…」
「俺のナイフはクロロのと違って毒は塗ってないんだよ」
だから致命傷を負わせるには首が楽なんですー。
お互いにナイフで戦っているために、かなり地道。しかも切り捨てたうちの何人かは感触がおかしかった。どうやらやたら相手が多いのは人ならざるものが混じっていたかららしい。たいした念ではないが、面倒なことに変わりはない。
2人はあまり進展しない戦況に溜息をついた。
「不毛だ…」
「逃げるか?」
「どうやって…上? ちょっと無理があると思うけど」
「いや、普通に強行突破」
「それならクロロの方が人数少ない。よろしく特攻隊長」
「はいはい。じゃあ俺のほうから強行突破で」
「了解」
パンッと葵が発砲したのを合図にクロロが動いた。
続いて銃の発砲音がしてクロロのちょうど足元に弾痕ができる。
「チッ。どけクロロ!」
反射的に左手でクロロを庇うように葵が前に出た。相手が手にしているのは葵のそれよりもいささか大きいもの。オートマチックか、と葵は舌打ちした。
お互い前に出たために必然的にかなりの至近距離で銃口をつき合わせる。引き金をを引いたのは葵の方がほんの一瞬だけはやかった。
撃鉄が雷管を叩く音。

弾は、出なかった。