07...Borderline
「………生きてるか?」
4日ぶりに家に帰ったクロロはソファの上で力なく横たわるそれに声をかけた。
明かりのついていない部屋はほの暗い。
横たわっているのはもちろん、クロロの幼馴染だ。白い肌は血の気を失いいっそ青白い。伏せられたまぶたにまつげの影。それは物言わぬ人形のようにどこか無機質だった。
クロロの声に反応して瞼がゆっくりと引き上げられる。
瞼の下から覗くのは寒気がするほどの黒。
葵は血の気が引いて冷たくなった唇を動かした。
「死んでる」
どう見ても生きてるだろうが、と冷たくなった体を毛布で包んでやる。葵はいつもどおりクロロにされるがままだ。
「まったく…人がちょっと帰ってこなかったらこれだ。飯は食ったか?」
「………おととい…くらいに喫茶店でコーヒー飲んだ」
「要するに食ってないんだな? …はぁ」
自分で動く気配のない葵をクロロは抱え上げた。そのまま寝室へと足を向ける。
不安定だったのか、葵が首に腕を回してきた。ひやりとする感覚にクロロは顔をしかめる。
ベッドの上に下ろしてやっても葵は回した腕を離さなかった。
「葵…? 食べ物持ってきてやるから腕を離せ」
「…念が使えないんだって?」
至近距離で視線を合わせてくる葵にクロロは反応が遅れた。
「マチに会ったんだ。心配してたよ?」
「ちょっと色々あってな…まぁ何とかするさ」
とりあえず腕を離せ、というクロロに葵が眉根を寄せる。
「何だ…4日も帰ってこないから凹んでると思えば…つまらないやつだな。せっかく人が慰めてやろうと思ったのに」
「………慰めるって…傷をえぐるの間違いじゃないか?」
日ごろから葵におちょくられているクロロは顔を引きつらせた。
だいたい、葵に人を慰めることができるのか怪しいところだ。
「今クロロが俺のことどう思ってるのかよく分かった。いっぺん死んで来い」
チャキ、とこめかみに当てられた冷たい感触に冷や汗をかく。運がよければ当たらないだろうが、いかんせん確率は五分五分だ。
しかもクロロの見た限りでは、葵の念は外れたことがない。葵を覗いては。
「いま猛烈に慰めて欲しくなった」
ころりと態度を翻したクロロに葵は勝ち誇ったように笑んだ。
ふっとこめかみから金属の感触がなくなる。ほっとクロロが安堵の息をついたのも束の間。ぐっと引き寄せる腕に力が込められ葵の顔が更に近くなった。
「じゃあ慰めてあげる」
「…ってこらこらこらこら!何だこの体勢は!」
瞬く間に体が反転し、クロロの上に葵が馬乗りになる。クロロはちょっと本気で貞操の危機を感じた。
「だから、慰めてあげようと思って」
「…念のために聞くが…どうやって?」
「もちろん…体で」
にやりと口の端をあげて根性悪く微笑む葵にクロロは果てしない疲労を感じた。
こういう奴だって分かってたじゃないか、と必死に自分を慰める。
そうこうしているうちにごそごそとズボンのベルトをはずしにかかる葵。クロロはあわてその手をつかんだ。
「し…下は嫌だ!」
混乱のあまり突っ込みどころを間違えているクロロ。しかしそこにはその致命的な間違いに突っ込んでくれる者がない。
「俺のほうが背が高いんだから俺が上だろ?」
「少ししか変わらないだろう。俺の方が体はでかい」
「えー…でもクロロ男としたことないでしょ? それに今回は俺がなぐさめてあげるって話だし」
「慰めるつもりなら俺にヤらせろ」
自らより危ないところに足つっこんだクロロははっとした。
いやむしろヤらなくて良いじゃん? 何もしなくていい本当に。
ようやっとそこに至って改めて口を開いたクロロは、「仕方がないなぁ…ま、今回は我慢してあげるよ」と言って自分の上から退いた葵にタイミングを逸した。
隣に横になった葵にだらだらといやな汗を掻く。もはや引くに引けない。
碌にまわらない頭で、それでも体は動かせた。
ひたり、と服の裾から手を入れて葵の腹に触れたクロロは固まった。動作自体は考えなくてもできる。過去の自分を踏襲すればよいだけだ。しかし触れた肌が、女の柔らかさとは異なることに気付いたところでオーバーヒート。
そのまま固まってしまったクロロに葵が呆れたように溜息をついた。
「クロロのアホ」
身をよじってクロロの下から抜け出す。背を向けてしまった幼馴染に、いやいや無理だってとクロロは1人激しく首を振った。
とりあえず、ここで葵のご機嫌を取るためには何か色々捨てなくてはいけない気がしたので断念。クロロは葵と背中合わせになるように寝転がった。
そういえば、ベッドに入るのは久しぶりだ。その事実になんだか物悲しくなりながらも、クロロはできれば疲れた体をこのままベッドで休めたいと思った。幸いにも今日は葵がクロロを追い出す気配もない。
自然と狭まる視界にクロロが身をゆだねようとした瞬間、背筋を寒気が走った。
バッと振り返ると、葵が最近では頻度の低くなった日課をこなそうと銃口をこめかみに当てているところ。
クロロはとっさにその腕をつかんで銃口を逸らさせる。
いつもなら聞こえる引き金の音は、その後に続く音によってかき消された。
壁にあいた穴にクロロは血の気が引く思いがした。
実際に葵に弾が当たると思っての行動ではない。葵のそれを止める事はもはやクロロの習慣になってしまっていることで。
葵自身も始めて自分に向かって吐き出された銃弾に驚いているようで、壁の穴に指を這わせている。
クロロは執拗に壁を見つめる葵を引き寄せた。腹に回した腕は葵の細い胴回りと、しかし女性とは明らかに異なる筋肉の感触を感じ取る。
「葵」
後ろから見ても分かるほど生気の失せた幼馴染の名を呼ぶ。
反応は返らないだろうというクロロの予想を裏切って葵は首をひねる。葵の肩越しに視線の合ったクロロはぎょっとした。
音もなく葵の頬を伝うそれは無色透明。久しぶりに見たそれにクロロは大いに焦った。
しかしそんなクロロなど目に入らないかのように葵は視線を壁に戻す。
なんとなく焦燥感を覚えてクロロは抱き寄せていた腕に力を込めた。
それにわずかに意識を引き戻されたらしい葵は手の甲で自分の頬を乱暴にぬぐった。
「葵、大丈夫か」
「………生きてる」
生きてるよ、とひどく消沈した声で言うものだからクロロは少しどころかかなりいたたまれない。もちろん自分の行動に後悔などはしていないが。
うなだれてあらわになった細いうなじ。
クロロは仕方ないとばかりに、目の前のそれに吐息交じりのキスを落とした。
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10)「死んでる」→「生きてる」