06...Blanca
「遅刻!」
3時間も喫茶店で待たされたマチは待ち人の姿を見て開口一番そう言った。
「珍しいね、マチが俺を呼びだすなんて」
しかし叱責を受けた本人はマチの言葉など聞こえなかったかのように自然な動作で腰をおろし、注文をとりにきたウエイターに「コーヒー」と返した。
その幼馴染の態度にマチはむっとする。
「……っていうかさぁ、俺をこんなところに呼び出すなんて」
マチもどうかしてるよね、と葵はわずかに顔をゆがめた。
「あ…悪い」
葵の言葉の意味に気付いてマチは反射的に謝った。葵が人気の多いところを嫌うのは知っている。それはもう病的なくらいに。
それなのに人気の多い街中の喫茶店に葵を呼び出してしまったのは、6年間のブランクとマチの焦りによるものだ。
そこに気が回らないほど自分も冷静ではなかったということに気付かされてマチは皮肉気に口元をゆがめた。
「ちょっと…混乱してたみたいだ」
「うん」
知ってると葵には珍しいほど穏やかに目を伏せるものだからマチは目を瞬かせた。
「場所…変える?」
「いいよ。それより、珍しくもマチの方から俺に電話をくれた心理を聞きたいな」
「…あんた、ホントに葵?」
ひどいなぁ…まぁ言いたいことは分かるケドと葵は運ばれてきたコーヒーに口をつけた。
よくよく考えてみれば、たかが3時間遅れで葵が今こうしてここにいることも奇跡的だ。本来なら近くによることもできなかっただろう。それが自分の思い違いでないことをマチは経験的に知っている。
「もしかしてうつ病治った?」
「まさか…それは俺の根底にあるものだよ。治るとか、治らないとかそういうものじゃない」
でも、とマチは先日のことを思い出そうとした。6年ぶりに会った葵はやはり6年前のままで、相変わらず鬱のオーラを垂れ流していた。それなのに今日の葵はまるでどこにでもいる青年のようだ。それは自然すぎて逆に不自然。
「…この前はもっとひどかったと思うけど」
「ああ…あれはクロロがいたから」
その言葉にマチは首をかしげる。マチから見ればクロロは葵の精神安定剤のようなものだ。実際にその機能を果たしているかは別として、クロロ以上に葵が懐いている人間をマチは知らない。…懐いている、というよりおちょくっているという気がしないでもないが。どちらにしても気を許していることには違いない。
マチはあの晩葵から送られてきた画像を思い出してひとつの可能性に眉をひそめる。
「わざとかい?」
「いや…クロロはさ、ブーストっていうか…鈍感だからさ、よくない感じに俺を鬱に貶めてくれるんだよねぇ。ま、その逆もしかりだけど」
「意外…」
あんた団長といるのが一番落ち着くんだと思ってたと呟くマチに葵は苦笑だけを返した。
「ま、俺のことはいいからさ。マチの話はなんなの?」
「ああ…それも団長のことなんだけどね。昨日帰ってきた?」
「いや…昨日は珍しく帰ってないな」
クロロが家にいると例の日課をなかなかこなせない葵は、今朝久しぶりに起きぬけに引き金を引くことができた。実に清々しい朝だったと記憶している。それはクロロが不在であったからに他ならない。
鬼のいぬまになんとやら。
「団長は今念が使えない。ついでに私達蜘蛛とも連絡が取れない状況なんだ」
最初から話すと長くなるんだけど…と続けるマチの声を葵の声がさえぎった。
「へぇ…いいきみ」
口元を隠しているが葵の目は確かに笑いを含んでいる。マチは葵の言葉に理解ができず目を見張った。
「どうせ…誰かの恨みを買ったんだろう? 自業自得だよ。それはクロロもマチも分かってるんじゃない?」
にっこりと薄ら寒い笑顔で言い切った葵にマチは返す言葉がなかった。この男はこんなやつだったろうか、と。
どこまでも鬱でどこまでも理不尽であったことしかマチの記憶には残っていない。感情的で理性の欠片もない動物か、天候に左右されて自分の意思を持たない植物のような生き物だった。
少なくとも、6年前までは。
葵のいうことはマチも理解しているし、クロロも分かっていたことだろう。でもそれを葵の口から指摘されるとは思わなかった。
マチは初めて葵との空白の6年間に気付かされた。確実に葵の中で何かが変わっている。目の前に座る青年は、もう何一つできない少年ではない。
そのことに不覚にもマチは喪失感を覚えた。
コーヒーを8割方飲み干した葵はもう話は終わったかのようにするりと席を立つ。
「まだ話は終わってないよ」
マチの引き止める言葉にも再び腰を下ろす気配など見せずさりげなく伝票を手にした葵はそのままマチに背を向けた。
「いい、続きはクロロに聞くよ。じゃあねマチ。俺は早退ってことでよろしく」
軽く手を振って立ち去る葵をそれ以上とどめるすべもなくマチは呆然とその後姿を見送った。
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最初と最後の台詞を指定して10題
9)「遅刻!」→「早退!」