晴れ時々雷雨。その拾伍

夏休みの後半は文化祭の準備やテストの関係もあり、部活動は少し長めの休止期間をはさんで、ようやく9月の半ばに活動を再開した。まだまだ照りつける太陽は夏のそれ。
自主練していたとはいえ、やはり体が鈍っているのか、いつもより息が上がるのがはやい。
跡部は他に感づかれないようぐ、と息を飲んだ。
珍しく髪をまとめた忍足は、自分と同じくらい動いていたはずなのにそれほどキツそうではない。跡部に比べて、忍足はスタミナ不足が否めないところがあったはずなのに。
「……忍足、メニュー変えたのか?」
「ん? 変えとらんけど、なんで?」
「いや、あんまバテてないなと思って」
跡部の言葉に一瞬キョトンとしたあと、忍足は乾いた笑みを浮かべた。心なしか視線が遠い。
訝しげに眉根を寄せる跡部に、忍足は苦笑で返す。同時に、忍足の脳内では、夏休み中のあれそれが思い出されていた。
「夏休み後半部活なかったやん? それで水沢たちとテニスしよったから多分そのせいやな。言われてみればいつもより全然バテんわ」
「あーん? そういえばジロー巻き込んでないだろうな?」
「お前はジローの母ちゃんか。一度だけ連れて行ったんやけど、はしゃぎすぎて帰り電池切れよってな。おぶって帰るんきつかったからその後は連れてっとらん。今度から樺地もセットで連れてってもええ?」
「ダメに決まってんだろうが」
「ケチやんなぁ」
忍足が尚樹とテニスをするようになってまだひと月もたたないが、正直スタミナに関してはだいぶ鍛えられた自覚がある。もちろん、尚樹の足元にも及ばないが。
テクニック的にはあまり必要のないラリーばかりなので、本当に鍛えられるのはスタミナと握力だけだ。たいした球速のないテニスボールにラケットが吹っ飛ばされると言う経験をはじめてした忍足である。
思い出されるのは夏の茹だるような暑さと鉛のように重い右腕。

「うれしい! うれしいよ、忍足くん!」
尋常じゃない千石の喜びように若干引いた。ついでにすごく不安になった忍足である。
ちなみにテニスをする、と言ったらジローは簡単に釣れた。
「出来るだけ参加してくれるとうれしい!」
軽く血走った瞳。はやくも参加したことを後悔し始めた忍足。
テニスコートではすでに亜久津と尚樹がテニスをはじめていた。どちらかと言えばのんびりとした空気。千石の様子とどうにも噛み合わないそれに首を傾げる。
人数の割にコートを一面しか押さえていないのも少し気になる。
「あ、忍足ー。おはよ」
「おはよーさん」
亜久津が意図的にラリーを止めたところで全員で顔合わせ。尚樹と慈郎は今回が初対面だ。
ふたりともマイペースなので、相性はいいだろうと忍足は踏んでいる。
「ジローって呼んでいい?」
「いいよー、俺も尚樹って呼ぶ」
「よろしくねー」
ゆるいのが2人でわちゃわちゃしとる、と自己紹介の後さっそく遊び始めてしまったのを横目で眺めながら、忍足は亜久津と千石の話に耳を傾けた。
亜久津曰く、交代で尚樹の相手をする、スマッシュ等あまり強い球を返すとホームランするので控えめに、大体どこに返してもラリーは継続するのでその辺はあまり気にしなくていい、むしろ出来るだけ左右前後に振り回せ、などなど。不可解な内容に首を傾げる。
「順番どないする?」
「俺最後がいい!」
「じゃんけんな」
「聞いてよ!?」
必死に抗議の声をあげる千石などどこ吹く風。右手を握って振り上げられればそれに合わせてしまうのは、もう条件反射のようなものだ。
「おら、最初はグー、ジャンケンポイ」
「勝った!」
千石がグー、忍足と亜久津がチョキ。千石の一人勝ちだ。ガッツポーズで大袈裟に喜ぶ千石に亜久津がじゃあ千石からな、と当然のように告げる。
「なんでよ!?」
「その間にあとの順番決めとくから、さっさと行ってこい」
「今芥川が相手してるからまだいいでしょ! ひどい!」
早々にバテたジローに変わって、もっと頑張れよ! と喚きつつ千石はコートに入っていった。準備をしながら眺めていれば、千石はめいいっぱいコートの左右にふって返球しているようだが、尚樹は長い手足を活用してそれほど苦もなく返す。
いっそアウトさせればいいのでは!? と謎のセリフを喚きながら思いっきり左に振るも、まったく気にしない! とばかりに華麗に打ち返される。
頭上を通り越して明らかにアウトになるように打つも、これまた拾われていた。さらに思いっきり頭上を飛び越すように打てば無駄なジャンプ力を発揮して拾われる始末。
「なんで!? アウトじゃん!? 普通拾わないでしょ!?」
悲鳴に近い嘆きの声をあげるも、高い球が気に入ったのか、尚樹本人はきゃっきゃと喜んでいる。違う、あれは決して喜ばせるためにやったわけではない。初めてその光景を目撃した忍足にも流石にわかる。
「地獄だ……」
相手の体力を削るどころか、無駄に高く打ち上げたりしたものだから、千石の方が大幅に削られている。精神は言わずもがな。ぎゃあぎゃあ騒ぎなからやるから余計に疲れるのでは、と項垂れる千石を眺めた。
「なぁ、隣空いとるし、こっちも使ったらええんちゃう?」
「だめ! 忍足君それはダメ! お願いだから体力温存しといて!」
忍足の素朴な疑問に、千石が食い気味にまったをかける。
「よし、忍足君代わろう! せっかくの初参加だし! たくさん遊ぶといいよ!」
「お、おお……」
千石のあまりの剣幕に押されて交代する。目が血走っている上に、息切れが酷くてかなり怖い。
「やっぱ人数増えると時間短くて済む……最高かよ」
「大袈裟やなぁ」
分かってない! とかなりハイテンションな声をBGMにボールを拾った。
その日はジローも居たので千石の訴えはあまり響かなかったのだが、後日2時間で根を上げた。尚樹の返してくる球が重いのだ、地味に。ただでさえスタミナ不足を指摘されていた忍足は早々にリタイヤしてずいぶん千石に文句を言われた。
かろうじて影になっているベンチにへばって、なんだかんだ相手をしている千石をみやる。本人はいろいろ言っているが、なかなかの体力だ。やっている事はどうにも泥臭いが。
テニスって、結局体力のごり押しが一番強いんやな……と少し方向性を見失った忍足である。

「まあ、体力と握力だけは間違いなく鍛えられるで……跡部もどうや?」
九割九分断られると分かってはいるが、一応誘ってみる。なかなかキツい遊びだが、忍足的には確かに効果があると感じているのも事実だった。あと、体力と握力だけ、と言ったが確実に精神も鍛えられる気がする。主に折れない心とか、そのへんが。
夏休みといえば、もうひとつ。

*
忍足は、決して個人的に亜久津と連絡先を交換したりはしていないのだが、はないちもんめ、という千石曰く恐怖を感じる名前のグループに入っているため連絡はできる。
しゃあないよなぁ、と最近の付き合いで前ほど忌避感のない相手に動画のURLを送った。密かに再生数を伸ばすそれを、いつまでも無視は出来ないと思ったからだ。いい加減、盗撮案件で勝てると思う。
ことの始まりは、おそらくUFOキャッチャー無双。それを撮られた上に某動画サイトに投稿された。もちろん無許可だが、顔はかろうじて映っていなかったので放置していたのだ。
しかしその後に上がったテニス中の動画はいただけない。顔がバッチリ、なんなら会話もバッチリ。気付く人間は気づくもので、コメント欄で尚樹ではないかと言及されてから、UFOキャッチャーの動画にも飛び火した。後ろ姿とはいえ、氷帝の制服に180を超える身長だ。該当する人間はそう多くない。本人の預かり知らぬ所でこういう風に話題になるのはよろしくない。まかり間違って付き纏われでもしたら事だ。
なにより。忍足としては勝手に他人を撮影して金儲けをするなと。
かくして、第一回緊急保護者会が開かれる流れとなったのである。

「じゃあむしろこっちから投稿すればいいのでは?」
保護者会のメンバーは、亜久津と忍足。そこに本人の尚樹を交えての話し合いとなった。
本当は最初の動画に映ってしまっていた仁王も召喚しようかと思ったのだが、少し距離があるので今回は見送った。場所は一人暮らしの尚樹の部屋。
忍足がノートパソコンを持ち込んで、くだんの動画を再生する。
スマホで事足りてしまうので、尚樹はパソコンを持っていなかったのだ。
尚樹のあっけらかんとした物言いに、2人で視線を交わす。ありなのか? それは。
別に隠しているつもりはかけらもないし、こういうのは供給があればたいして騒がれないものだ、というのが尚樹の持論である。
「えー、楽しそう。夜一さんの動画とろ」
「いや、違うやん。水沢が映っとらんと意味ないやん」
主目的が秒で変わっている。他人に勝手に動画を上げられるくらいなら、こちらから上げてしまえと言う話だったはずた。ついでに小遣い稼ぎもできると言う算段だが、星の数ほどある猫動画を上げるという話では決してない。
「ええ……、夜一さんの方が絵的にいいと思うんだけど……なんの動画とるの? テニス? 俺あんまり上手くないけど」
「UFOキャッチャーとかでもいいんやない? あれも勝手に上げられとったやろ」
「なぬ。そんなことが」
「知らんかったんかい……」
「あ、ダーツとか得意だよ、多分。やったことないけど」
「無いんかい。どっからくるねんその自信……」
「深く追及するとドツボにハマるからやめとけ」
流石の付き合いの長さである。亜久津の言葉に忍足は深く頷いた。
善は急げとばかりにスマホを掲げて録画ボタンを押す尚樹は、どこまでもマイペースだ。夜一の前に手を差し出して、尚樹は一言「お手」とのたまった。心なしかじとっとした視線を夜一が返す。
ニャー、という鳴き声に、尚樹は当然のように口を開いた。
「いえ、それは重々承知なんですが。夜一さんの可愛い動画を撮りたいので、可愛くお手してもらえると」
一拍置いてニャー、とまるで会話をしているかのように鳴き声があがる。
「なんと。スーパー説得タイムよろしいですか」
ニャー。
「夜一さんの可愛い動画を撮って、それがバズると、広告費が入るらしいです。で、広告費が入ると夜一さんのご飯がちょっと豪華になったり、ベッドがフカフカになったり、たくさん儲かるとキャットタワーが導入できます。なので、あざといくらい可愛くお手してもらえると」
しばしの沈黙。よほど不本意だったのかシャーッと威嚇しながら手のひらに置かれた黒い前足に可愛すぎかよ、と尚樹は打ち震えていた。もちろん動画もぶれぶれである。
亜久津は慣れたもので、面倒かけて悪いな、などと夜一に謝り、忍足は呆然とするばかり。口から「マジか」しか出てこない。語彙力は死んだ。
ちなみに、完全に人語を理解する猫として一躍時の猫になった。

「てなわけで、場所貸してくれん?」
ついでに思い出したあれそれも跡部に相談することにする。困ったときの跡部様。
「何が、てなわけで、だ。俺を巻き込むな」
「しゃあないやん。ダーツバーなんて中学生は入れんねん。あとまた隠し撮りされたらたまらん」
尚樹曰く、ダーツとパルクールはいける気がする、というなんともアバウトな話が出てきたので、下手でもそれはそれでいいかとなった。とりあえず場所の確保しやすそうなダーツから。
跡部ならその辺の施設は持っていそうというイメージで協力を仰ぐ。ちょっと桁外れなお金持ちなのだ。
パルクールに関しては怪我の心配と、あと場所的にも物理的にも撮影が難しいのでそこも跡部になんとかしてもらいたい。
「まぁ、ダーツぐらいならわざわざ店を押さえなくてもうちにある」
「さすが」
じゃあ週末、と言うことでラインに流しておく。千石などは地獄のテニスから解放されると喜んでいた。
「パルクールなら撮影はプロかドローンだろうな……」
口ではなんだかんだいいつつも、真面目に思案してくれる跡部はお人好しのいいやつである。
「あー、やっぱドローンか。さすがにスマホじゃ撮影出来なそうやんなぁ」
「そもそも水沢はパルクールなんかできんのか? 聞いたことないぞ……」
正直、テニス以外でなにか出来るイメージがない。語学に関してはもともと海外生活が長いので、英語がぺらぺらでも驚きはしない。一度ピアノを弾いていたらしい場面には遭遇したが、残念ながら上手いとは言い難かった。
「やった事ないけど多分得意言うてたで」
「間に受けたのかよそれ……」
「まさか。全然ダメならそれはそれでおもろいか思って」
「……お前も地味に性格悪い」
「なんで!? 撮れ高の話やん!」
心外やわ! とぷりぷりする忍足に若干引きつつ、カメラマンを手配する。跡部としては、普通にテニスでもすればいいと思うのだが現役時代との差異を悪く言うものもいるので、忍足なりに気を遣っているのだろう。面白さを追及しているだけの気もするが。

「跡部、これ真ん中に当てればいい感じ?」
「ゲームによる」
「ひょえ……点数たくさん取るだけじゃないの」
「お前……本当にやったことない感じかよ……。それはカウントアップ。他にも色々あるんだよ。あと一応言っとくと一番得点高いのは20のトリプルだぞ」
「トリプルとは?」
「そっからかよ……」
ど初心者の尚樹のためにまずはカウントアップから、ということで尚樹と亜久津、跡部と忍足のペアで遊ぶことになった。亜久津はもちろん、尚樹の操縦役である。ちなみに、忍足はスマホで適当に撮影するつもりだったのだが、そこは流石の跡部様。家に着いたらプロのカメラマンが待機していた。中学生のお遊びYouTubeに使う人材では決してない。
そういうわけで心置き無くただ遊ぶだけの集まりだ。
「やったことないけど得意らしい水沢からいく?」
これ羽いるの、などとダーツ全否定な話をしている尚樹を位置に立たせる。
「ふむ、結構重量ある感じ。重心ここかぁ」
「なんの分析やねん。点数高いところ狙うんやで」
「はい! 20の真ん中ね!」
右手にダーツ3本、針先をまとめて握った尚樹に嫌な予感を覚えるあたり、忍足もだいぶ訓練されている。止める間もなく放たれたそれは、3本とも20のトリプルにささった。
「ど、いっ、」
ツッコミが追いつかずに強かに舌をかんだ。どういうことやねん、せめて一本ずつ投げぇ! というツッコミはそこにすべて集約された。
「……めちゃくちゃやんな」
「おい、責任者、呑気にお茶飲んでないであれなんとかしろよ!」
跡部の言葉に亜久津はちらりと視線だけよこして、ストローから口を離した。
「……当たりゃいいんじゃねーか」
ダーツを回収した尚樹が亜久津の隣に腰を下ろす。無駄に高そうなグラスに入ったコーラというアンバランスなそれに口をつける。金持ちでもコーラとか出てくるんだなぁと感心したところだ。
「次忍足?」
「お前のあとに投げるんめっちゃ嫌やわ」
「何故に」
亜久津にならってストローに口をつけた尚樹はキョトンとしていたが、きっとこれを見た人間は忍足に同意してくれたことだろう。
「まず投げ方も違うんよなぁ」
「なぬ。投げ方とかあるの?」
隣から視線を投げられた亜久津は少しだけ思案して、説明を放棄した。
「……まぁ刺さればいいんじゃねぇか」
「そうやって亜久津が甘やかすのがいけないんじゃないか……?」
「まあまあ、水沢やし。細かいこと言うたらキリないで」
「む? 風評被害を感じます」
「気のせいや」
どれも惜しい感じに中心からずれたダーツを回収。視線で促すだけで亜久津が立ち上がった。最近不本意ながら意思の疎通が取れるようになってしまった忍足である。
結局、尚樹以外は跡部が高スコアを叩き出しただけで無難な結果に終わった。なお、クリケットは尚樹がトリプルを外さないのでゲームにならないというしょうもなさ。
もちろん動画はバズった。いろんな意味で。

*
未読が一件。アプリの右上についた数字に、親指を動かす。開いた画面にはしばらく前に気まぐれに送った画像。その下に今暇? と短いメッセージ。
はい! と右手を上げた猫のスタンプで返す。
会って話したいんだけど、どこにいる? という問いに尚樹は秒で現在位置を送信した。割と早い段階でマスターした技だ。
もちろんその後も尚樹は移動するので、合流までには数回このやりとりを挟むのもお約束だ。
途中でそれに気づいた五条にすぐ近くの公園を待ち合わせ場所に指定されなければ、延々と鬼ごっこが続いていただろう。
「ちょっと尚樹に聞きたいことがあってさ」
「はあ」
「……この前送ってくれた長髪のお坊さんの写真、どこで手に入れたの?」
「手に入れたというか……駅で電車待ってたら隣にいたんで思わずパシャリと……」
尚樹の言葉に、五条はほんの僅か黙り込んだ。嘘はついていない、と思う。ちょいちょい疑わしい発言はあるが、本人はしごく正直な人物、というのが尚樹に対する五条の評価だ。ただ、こうもピンポイントで自分に夏油の写真を送りつけてくるところが、出来すぎている。疑うなと言う方が無理な話だが、目的はまったく分からない。敵なのか味方なのかさえ判断できない。
そんな五条の考えなど全く意にも解さず、呑気にも体格に合わないブランコに腰を下ろしている。尚樹よりさらに長身な五条もそれに倣って隣のブランコに腰を下ろした。いろいろと小さい。
「最近のお坊さんはなんというか……こう、ロックですね?」
「うん、君は少し日本語を勉強しようか」
「流石教師、分かってるぅ」
いやいや、そこは否定するところだろう。こういうのを、暖簾に腕押し、糠に釘という。
「……なにか、彼について気づいたこととか、ある?」
夏油は、たしかに五条が殺した。あれからもうすぐ1年が経とうとしている。夏をこえてときおり肌寒さを感じるようになってきた空気が、あの冬の気配を連れてきていた。
親友を手にかけたこと、忘れていない。あの時確かに彼は死んだのだ。きっと、見れば本人かわかるのに、写真越しでは、さすがの六眼も役に立たない。
きぃ、と錆びたブランコが尚樹の動きに合わせて耳障りな音を立てた。ゆらゆらとブランコを漕ぎながら、俯きがちな視線はひどく静かだ。
「……気づいたこと……」
「なんでもいいよ。どんな話をしたかとか、ちょっと不自然に感じたこととか」
あれはきっと親友ではない。そう、信じたいのかもしれない。長髪のお坊さんが珍しかったから、という理由は、もちろん理解できる。呪霊の見えていない尚樹が認識できているということは、実態があるということ。思い返してみれば、彼からはいろいろと変わった情報をもらう。もしこれが意図的ではないとしたら。
もしかしたら今回も、と五条が期待してしまうのも無理ないことだった。
「……あ、そういえば連絡先、もらいましたよ」
「は?」
どれだっけ、と緩慢にスマホをいじる親指の動き。それとは反対にざわざわと騒ぐ自分の胸の内。瞬きさえも緩慢で、それが妙に目についた。
はい、と渡された画面には、ひらがなで「げどう」、おしい、いや惜しくない。なんかいろいろ間違っている。とりあえずざわざわしていたものはどこかに飛んでいった。
その電話番号を自分のスマホに登録する。
「すくなさんの指、見つけたら教えてって言われたんですよね」
「宿儺の指」
五条と同じ目的。少なくとも相手が呪詛師側であることはおそらく間違いない。というか、そんな人間とほいほい連絡先を交換したのか、この子は、と苦い気持ちになった。おそらく自分と連絡先を交換したほどの気軽さで行われただろうそれ。自分もそれに助けられているのでとやかくは言えないが、危機感がなさすぎではないだろうか。
ちなみに、尚樹は千石の連絡先を夏油に教えたのでただの五条の勘違いだが、もちろん未来永劫正されることはない。
「あとは……お葬式帰りとかなのかな? ちょっと死臭がした」
どくり、と心臓が脈打つ。言った本人はペットボトルのお茶を飲みながら公園で遊ぶ子供を目で追っている。
葬式に出ただけで、死臭がつくことはまずない。というか、人間の死臭なんて知らない人間がほとんどだ。発言の異常さに、五条はわずかに息を詰めた。それと同時にすこし救われもする。やはり、彼は死んだのだ。
しかしそうなると、考えなければいけないのは夏油の中身だ。おそらく何者かが彼を操っている。そういう場合、術式はどうなるのか。夏油のものか、操者のものか。だがおそらく夏油の呪霊操術だろう。そうでなければわざわざ死体を使う意味がない。
好きにされてんじゃねぇ、と奥歯を噛み締める。そんなものに好きにされる彼ではないはずなのに。
「それくらいかなぁ」
のんびりとした尚樹の声に思考が戻ってくる。いつのまにか先ほどまでいた子供達の影もまばらで、自分の影も長くなっている。
「そういえば、明日から修学旅行なんですよ」
「え、そうなの?」
唐突な話題変換に、視線をあげる。
明日から、とは危なかった。あやうく尚樹とすれ違うところだったのに気づいて、五条は胸を撫で下ろした。何を隠そう、五条も明日から海外なのだ。
「いいね、青春だね」
「はあ……」
「え、テンション低いなぁ。楽しみじゃないの?」
「いや、まあドイツとかいったことないんでその辺は楽しみですね」
「ドイツ!?」
あ、まーそうか、とその制服を見下ろして納得。都内有数のお金持ち学校だ。まさか中学生の修学旅行がドイツとは思わなかったが。海外なのはともかく、なかなか渋いチョイスではないだろうか。普通ハワイとかアメリカとかイギリスあたりでは、と首をかしげる。ドイツのイメージはウィンナーとビールだ。子供には向かないだろうに。
「あ、やっぱり驚きます? 俺もびっくりでした。それでうちの学校ドイツ語の科目あるんだなって」
「ええ……中学でドイツ語とか習うの……」
「その反応ですよね、分かります。ちなみに選択だけどギリシャ語とロシア語もあります」
「またマイナーなところを……」
「ちなみに俺はロシア語選択してます」
「またマイナーなところを」
何に使うんだ、と正直思う。英語は、まだわかる。ただ日本人の大半は英語すら話せなくてもそれほど困ることはない。仕事次第なのだ。
「なんというか……将来グローバルな仕事でも目指してるの?」
「将来は可愛いお花屋さんをします」
「絶対ロシア語要らないよね?」
確信をもって言える。絶対必要ない。
「一応スマホは海外でも使えるやつらしいんで、多分連絡は取れます。時差がどうなってるか知らないけど。あと帰りは10月末なんで」
「りょーかい。すれ違わなくて良かったよ」
呪詛師側の動きも最近活発だ。宿儺の指が悠二に取り込まれてから、止まっていた時間が急激に動き出している。打てる手は、今のうちに打っておきたかった。
「まあ僕も明日から海外出張なんだけどね……」
「学校の先生も大変ですねぇ」
「本当にねぇ」
先生は先生だけど、尚樹の思っている先生とはだいぶ違う。まぁ、教える気も無いけれど。
呪霊や呪術なんで、言ったところで頭がおかしいと思われるのがオチだ。
結局、そういう家系の人間や見える人間で無ければ理解するのは難しい。
宿儺の指に触れてもぴんぴんしているあたり、尚樹は余程鈍いのか運がいいのか。もう少し呪力があれば高専にスカウトしたのになぁ、と一般人よりいくらか少ないそれを六眼で見下ろす。見えないことは実はそれほど問題ではない。呪具ひとつで解決することだ。でもこの呪力では。いっそ禪院甚爾や真希のように呪力がないか、0に近ければ、フィジカルギフテッドの可能性もあったが。術式も所持していないとなれば、見えない尚樹は補助監督はおろか、窓にもなりえない。
「先生甘いもの好きですか?」
「ん? 好きだよ」
思考を中断。甘いものは好きだ。正確には、好きになった。
24時間術式を回すために摂り始めた糖分は、いつのまにか五条の好物の一つになった。本当は好きだったのか嫌いだったのか、今となっては思い出せない。
「じゃあお土産、チョコレート買ってきますね。ドイツはチョコレート有名なんだって。あ、バウムクーヘンも美味しいらしいですよ。ビールは俺未成年だから買えない……ごめんね」
「はは、ありがとう。お菓子嬉しいよ。俺は下戸だから、ビールはむしろいらないかな」
「へえ、なんか意外。先生いかにも飲めそうですけどね」
「ええ、そうかなぁ?」
大人ってみんなお酒が好きなのかと思ってました、と随分な偏見を口にする尚樹に、思い浮かぶのは同期と後輩の女性の顔。酒もタバコもやらない自分は、何となくまだ子供のような気がした。