晴れ時々雷雨。その弐拾壱
休日の街中を尚樹はあっちへふらふらこっちへふらふら、当て所もなく彷徨っていた。現在地は不明だが、今日は帰り道の心配はしていない。
冷たい空気が頬を撫でる。
白いフードの中には襟巻きの要領で夜一が収まっているので視線は少し俯きがちだ。
荷物はスマホひとつ。今日の目的を果たすにはこれひとつで十分事足りる。
クローゼットの中に暗部時代を彷彿とさせるシルエットのポンチョがかかっていたのでありがたく拝借した。おそらくこの体の持ち主のものなので、拝借したという表現は適切ではないかもしれないが気分の問題である。色が白という一点においてのみ暗部らしくないが、今は一般人なので構わない。
自由気ままに歩き回る尚樹の後ろをついてまわる足音は、ここ最近変わりがない。革靴の音は案外響くというのをそろそろ自覚すべきだと尚樹は思うわけだが、相手は警察なので仕事柄スニーカーなどは履かないのかもしれない。
監視カメラと盗聴器は意外とすぐに外れたのだが、代わりに外出のたびに尾行がつくようになった。
いよいよ何かしたかな? 俺、と自問。もちろん心当たりなどないのでこれは意味のない問い。
「夜一さん、写真撮影したいので、良き位置にスタンバイしてくれませんかね?」
するりとフードの中から躍り出た夜一は何も言わずベンチの上に陣取った。
夜一さんを写真に撮るフリをしながらストーカーの写真をとる。めちゃくちゃズームして撮った割には鮮明だ。スマホすごい。
さて、どこのどちら様でしょう
夜一をフードの中に回収して、わざとすれ違う進路をとって内ポケットから手帳を抜き取る。ここ数日のストーカー観察で、彼がここに手帳を入れているのは確認済みだ。
ストーカーされている間暇なのでストーカーしてみた。動画1本撮れそう。
普通の人間には内ポケットから手帳を抜き取るなんて芸当は不可能だろうが、こっちは腐ってもハンター。相手が念能力者ならともかく、普通の人間なら楽勝である。
コナン関係とは別口かと思っていたが、思えば銀行強盗のあとから監視がついている。
尚樹は知らなかったことだが、あそこは米花町らしいので、つまりコナン関係の可能性。
正直、学校と家を往復しているだけの尚樹に、これほど執拗に監視がつくとは考えづらい。あとテニプリはそういう漫画じゃないので。
できれば殺人事件とは無関係でいたいのだが、向こうから関わってくるのなら仕方ない。
ポアロでコーヒーでも飲みながら中身を確認するとしよう。ついでに現役警察官に相談しようそうしよう。
からん。
一度しか鳴らなかったカウベルに顔をあげる。入り口には最近マーク中の少年の姿。今日は一人のようだ。
「いらっしゃいませ、空いているお席へどうぞ」
一人だからだろう、彼は迷うこともなくするりとカウンターに腰を下ろした。被っていたフードを脱いで、乱れた髪を無造作に指で後ろに流す。さらりと戻ってきた前髪で表情が見えにくい。伏し目がちの視線はそう多くないメニューの上を滑っていった。
「カフェラテと……チーズケーキを」
「はい、かしこまりました」
カフェラテの準備をしながら横目で様子をみる。見た目だけならどこにでもいる中学生だが、油断は出来ない。彼と、彼の幼馴染であるじん君こと亜久津仁には何故か初対面であるにも関わらず、こちらが警察とバレているのだ。
ここ数日で風見が調べたところによると、幼馴染のほうはシングルマザーの家庭で、多少素行に問題があるものの、それも非行といえるほどのものでもなく。まわりからの総評では、見た目は怖いものの、面倒見の良い苦労性。
そして、水沢尚樹。こちらも片親だが、父親が親権をもっており、現在はアメリカ。中学生ながら日本で一人暮らしだが、夕飯などは隣に住む亜久津家でとっている様子。日本での保護者と言ったところ。
アメリカで巻き込まれた事故で利き腕である左腕を負傷し、一命は取り留めたものの、激しい鬱症状に悩まされる。それを心配した父親が、仲の良い幼馴染親子のもとに預けたのがここ最近のこと。
頭の中でつらつらと水沢尚樹の情報を反芻しつつも、手は慣れた動作でエスプレッソにミルクを注いでいく。簡単に葉っぱのマークを描いて終わりだ。チーズケーキを皿に取り分け、ストロベリーソースをかけてミントを飾った。
「どうぞ、チーズケーキとカフェラテです」
「ありがとうございます」
カチャ、とコーヒーカップを置くときに音が立った。わずかに揺れる水面。
落ち着け自分。彼が手にしているのが、風見の警察手帳だなんて、そんなばかな。あやうく二度見するところだった。
浮かべた笑みが完全に固まるのがわかる。
いったいどうやってそれを入手したのか。え、流石に無事だよな? と部下の安否がいささか不安になった。
そんな安室の心配を他所に、少年は呑気にチーズケーキとカフェラテの写真を撮って満足そうにしている。ぱしゃりとシャッター音に偽装した電子音がまぬけに響いた。
どこか緩慢な動きでカフェラテに口をつけて、風見の警察手帳をめくる指先。つるりとした爪。荒事とは無縁の綺麗な指にみえる。
からんからん、とベルを鳴らして入ってきた客になんでこのタイミングで、と降谷は正直頭を抱えたくなった。
嗅覚がするどすぎるだろう。
ポアロの上に住む小学生は、正直水沢尚樹よりよっぽどやっかいだ。頼むから風見の手帳をしまって欲しい。
しかしそんな降谷の願いもむなしくめざとくそれを見つけた江戸川コナンはするりと水沢尚樹の隣に腰を下ろした。
「こんにちは、お兄さん見かけない人だね。何見てるの?」
すっと視線を隣に移した彼の表情。その僅かな変化の意味を測ることは降谷には難しかったが、笑ったようにも見えた。
「こんにちは。少年はこの辺に住んでるの? ちなみに俺は多分この辺に住んでるよ」
「た、多分? え、えーと、ボクはこの上の階に住んでるんだよ〜」
2階を指差すコナンをじっと見返す黒い瞳。そのまっすぐな視線にたじろぐ姿が少し面白い。
なんとなく、コナンも彼に振り回されてくれないと不公平な気がした。他意はない。
「ああ……名探偵毛利小五郎?」
「そう!」
「じゃあ少年は毛利君だ」
まあ単純に考えればそれはそうなる。今のはコナンが悪い。笑いを堪えつつコナンの前におひやとおしぼりをサーブする。
「コナン君、あんまりお客さんに絡まないんだよ。今日は何にする?」
小学生らしくない子供だとは思うが、こういう好奇心を抑えられないところはちょっと子供っぽいと思える。
「あ、えーと。コ、オレンジジュースとサンドイッチで!」
「かしこまりました」
今コーヒーっていいかけただろう。度々飛び出る小学生らしからぬ言動に苦笑がもれる。
「ボクは江戸川コナン。毛利のオジサンに今はお世話になってるの」
「へぇ、若いのに苦労してるんだねぇ」
「い、いや、えーと、親が海外にいるから、居候させてもらってるだけだよ! 別に苦労はしてない……かな〜」
「ふぅん? 大変だねぇ」
びっくりするくらい人の話を聞いてない。まったく噛み合わないやりとりを背後にして、サンドイッチの準備を始める。朝のうちに準備はしてあるので、あとは切り分けて皿に盛り付けるだけだ。オレンジジュースはもちろん注ぐだけ。一から絞るほど本格的な喫茶店ではないので。
「そ、それよりそれどうしたの? 警察手帳だよね?」
「ん?少年はすごいねぇ。これが警察手帳って分かるんだ?」
「え?」
「俺は警察手帳って初めて見たんだよね。ドラマで見るのとはやっぱり違うなって」
「あ、あの、僕はほら、小五郎のおじさんが元警官だし、刑事さんの知り合いもいるから!」
「そうなんだぁ」
すごいね、とよくわからない感想を述べながらカフェラテにちびちびと口をつける。もしや猫舌か。
「と、ところで、どうして警察手帳を持ってるの?」
2度スルーされた質問を果敢に繰り返すメンタル。ちょいちょい苦しめられる無邪気を装ったコナンの質問に今回はそっと感謝して聞き耳をたてる。
「これはねぇ、俺のストーカーの身分証だよ」
あやうくグラスを落とす所だった。あれは仕事であって趣味ではないのでストーカー呼ばわりはやめてあげて欲しい。
中学生男子に付きまとう成人男性。字面が酷すぎる。
「す、ストーカー?」
「うん。ここ最近ストーカーされてて、どこの誰だかわからないからちょっと手帳を失敬したんだ」
「え……? どうやって?」
「企業秘密〜。いや〜、警察なのは分かってたんだけど、なんでストーカーされてるかわからなくてさぁ。別に犯罪は犯してないはずなんだけどなぁ、まだ」
「まだ?」
「まだ」
まだってなんだまだって。それは犯罪を起こす前提の言い方だ。銀行強盗の時といい、ときどき日本語が妙なのは、海外暮らしが長いからなのか。
「この前まで家にもカメラと盗聴器付いててさぁ。そっちは外れたんだけどその後から警察にはられてるんだよね」
動揺を押し殺してコナンの前にサンドイッチとオレンジジュースを並べる。なんでカメラと盗聴器がばれているんだ。映像を見た感じでは気づいた様子はなかったのに。
じゃあ何か、分かってて平然と風呂に入ったりしてたのか、と頭が痛くなる。
カメラと盗聴器に関しては、先日上からの圧力があり外したばかりだ。この上からの謎の圧力も、不信感を助長させる一因だ。普通の一般人なら、まず起こらない。
「ストーカーさんが警察だから、警察に言っても多分対処してくれないと思うんだよね。それに被害出てないし」
「と、盗撮と盗聴は被害では……?」
おい、やめろ、余計なことを言うな。ふたりとも別のベクトルで厄介だ。
この短時間でごりごり削られていく精神を宥めようとコーヒー豆に手を伸ばす。一杯分をミルに入れてゆっくりとハンドルを回した。立ち上るコーヒーの香りに幾分気持ちが穏やかになる。
「盗撮と盗聴は別に被害ってほどでも。女の子じゃないし、致命傷でもないし」
「致命傷もらったら手遅れじゃないかな……」
「でもほら、ストーカー事件は大抵被害者が死ぬか重傷負ってからじゃないと警察動かないでしょ?」
大変不名誉かつとんだ風評被害。そう言うのが優先してニュースになるだけで、ちゃんと接近禁止命令だしたり見回り増やしたり、なんならちゃんと対象の所在確認してます! と声を大にして言いたい。
ドリッパーにフィルターをセットして引いたばかりの粉をいれ、軽くならす。自分用のマグカップの上にそれをセットした。
他に客はいないので、見逃して欲しい。そもそもこの二人のせいで精神を乱されているので当然の権利では?
「だからね、ここは一発致命傷を負うべきではないかと……」
「致命傷おったら死んじゃうからね!?」
「大丈夫だよ〜、ちょっと刺されるだけだって〜」
全然大丈夫の要素がない。致命傷の意味この子分かってるかな?
ドリッパーにお湯を注いで蒸らしの工程に入る。立ち上る湯気がコーヒーの匂いをさらに強くした。そこに日常の空気を強く感じる。もちろん、公安である降谷にとってそれは日常ではなかったけれど、こうして喫茶店の店員として働いている間は少し普通の人間であるように感じるのだ。
「理想は公園とか目撃者のいるところで刺されることなんだけど、相手も警察だしその辺はもっとうまくやってくると思うんだよね……安室さん、こういう時どうすれば良いと思います?」
「え!? ぼ、ぼく?」
急に話しかけられて振り返る。お湯を注ごうとしていた手はドリップポットの柄を掴んだまま、中途半端に浮いたままだ。
「はい。現役警察官の意見を聞いてみたいなって」
「え……警察?」
コナンの視線が突き刺さる。それはそうだ。先日黒の組織のバーボンとしてミステリートレインで会ったばかりなのだから。頼むから二人とも黙って欲しい。
「いや、だから僕は警察官じゃ……」
「あ、でしたね、探偵さんでしたね……警察って薄給なんですねぇ……」
「ちが……違うよ!? 副業じゃないからね!?」
「はい、分かってます、誰にもいいません」
「はい分かってない〜」
「安室さん落ち着いて!」
まさかコナンに気を使われる日が来ようとは。ドリップポット片手に天井を仰いだ降谷をめずらしくコナンが宥める。
結局、蒸らしすぎたコーヒーはひどく苦くなって、精神を落ち着けるどころではなかった。
警察手帳は安室が届けてくれるというのでお言葉に甘えて、尚樹はポアロを後にした。
近所を散歩していた夜一を回収してさて帰ろうか、というところでスマホが短く振動する。
画面をひらけばラインのアイコンに通知マーク。五条からだ。
トーク画面を開くと今日ひま? と短くメッセージが届いていた。
「ひ、ま、だ、よ、ー」
同じく短く返す。立ち止まった足元に三毛猫が擦り寄ってきて小さく鳴き声をあげる。首輪がついているので近所の飼い猫かもしれない。
「こんにちは。お名前なんて言うの?」
顎の下をなでるとごろごろと喉をならす。ずいぶん人懐っこい猫だ。
五条からのラインはすぐに返ってきた。
------話がしたいので今から迎えに行っても? 七海が
「七海さんが?」
------どこにいる?
さてはお迎えに来てくれる感じですね、と理解してGPS情報を送信する。
じっとしてて、とやはり迎えに来てくれそうな返信にスタンプで返して三毛猫を抱き上げる。
後ろの方では相変わらず、先ほど名前の判明した風見さんがこちらを伺っている。あと、小さな探偵がポアロからついてきてしまっている。カオス。
そんなに不審だったかなぁ?
自分はあくまでストーカーされてる側であって、別に後ろめたいことは何もないのだが。解せぬ。
動くなと言われてしまったので、歩道脇に設置されている花壇の縁に腰を下ろす。三毛猫はおとなしく腕の中に収まってくれでいたので、存分に暖をとった。
ぺちぺちと尻尾の先を左右に振ってソフトなビンタをかましてくる夜一は少し不満そうだったが。
それほど時間もかからずに先日見た黒いセダンが止まる。今回は運転手と七海だけだった。
後部座席に座った七海がドアを開けて乗るように促してくる。
流石に連れて行ってはまずいので三毛猫を解放して車に乗り込んだ。車に乗ってしまえば流石の探偵も諦めてくれるだろう。自分が殺人事件の現行犯とかならあのスケボで車だろうがお構いなしに追いかけてくるだろうが。
「こんにちは。七海さんが迎えにくるとは言ってましたけど、ほんとに五条先生はいない感じなんですね」
「その節はすみません……私も先ほどここに迎えに行くように言われたところでした」
「わぁ」
七海さんに用事が入ってたらどうしたんだろう、それ。確かに考えてみれば、先日七海とはラインを交換している。直接連絡が来てもおかしくない。
「それで、五条先生のところに行くんですか?」
「いえ、今日はこのまま水沢君を家に送りながらでも済む用件です。どこか行き先があればそちらにお連れしますが」
「ふむ。帰ろうとしてたところなので行き先はお家で大丈夫ですけど。お話そんなに長くない感じです?」
「ええ。出来るだけ手短かに済ませます。私もまだ仕事が残ってまして。水沢君は、進路とかはもう決まっている感じですか?」
やはり仕事中だったらしい。いまいち見た目で判断出来ないのだが(しかも七海が若返っているので)五条とどちらが年上なのだろう、とふと疑問に思った。立場的には五条の方が上そうだが。口調やふるまいで七海の方が年上かと思っていたのだが、七海が「五条さん」と呼んで五条が「七海」と呼び捨てにしているあたり、五条のほうが年上なのかもしれない。
「いえ、特には? まあ何事もなければ氷帝はエスカレーター式なのでこのまま高校も通うんじゃないですかね?」
「もし、こだわりがないのなら高専にきませんか?」
差し出された名刺を受け取る。七海の名前の上には東京都立呪術高等専門学校の文字。字面が不穏すぎる。
「……なんというか……すごく」
「怪しいのは分かります」
「オブラートに包めなかったのでそっちから言ってもらえて助かります」
「とりあえず、一度説明させてもらっても?」
「それは、まあ、はい。これ聞いちゃったら断れないとかないですよね?」
「大丈夫です。あくまで提案ですから」
フードの中に収まっていた夜一がするりと膝の上に降りてくる。丸くなりつつもその三角の耳がピンと立っているところを見るに、話を聞く気はありそうだ。
「呪術高専は、日本に2校しかない呪術教育機関のうちの1校です。表向きには私立の宗教系学校とされていますが、実際は呪いを学ぶための学校で、多くの呪術師が卒業後もここを起点に活動しています。教育のみならず任務の斡旋・サポートも行っていて、一応呪術会の要、と言ったところですね。
呪いに対抗できるのは同じ呪いだけ。
呪いを払うために呪いを学ぶ。そのための場所です」
「呪い……」
とは? 一般的な呪いのイメージで合っているのか不明だが、なかなかオカルトな話だ。
「簡単に言うと、人の肉体から抜け出した負の感情、ですね。そして呪霊とは、そのエネルギーから誕生する存在です。お化けみたいなものですね」
お化け。最近時折見かけるようになったあの実態のないやつのことだろうか。これ本当になんの世界線だ。BLEACHとは違うよな?と首を傾げる。
「……俺あんまり霊感とかそいうのはない方なんですけど」
「そうですね。五条さんもあなたの呪力……呪いを払う力ですが、それは一般人レベルだと言っていました」
「そういう人間でも呪術師ってなれるものなんです?」
「いえ、基本的には無理ですね」
「ええ……」
ここに来て突然の否定。話の前提がもう崩壊していると思うのだが気のせいだろうか。
そんな尚樹の戸惑いに気づいたのか、フォローするように七海が口を開く。
「別に呪術師になって欲しいわけではなく、君は自分の身を守るために呪いを学んだほうがいいと思ったのでお誘いしています。それに、高専を卒業した人間が必ずしも呪術師になるわけではありません。私も卒業後しばらくは一般企業で働いていましたし」
「へぇ、意外。七海さんは、先生だけど呪術師なんですか?」
「どちらかといえば逆ですね。呪術師で教師です。というか高専の教師は全員呪術師ですよ」
「なるほど?」
「さてはよく分かっていませんね?」
「よくお分かりで。まあその辺の細かいところは横に置いておくとして、なんでそんな弱々の俺がスカウトされてる感じでしょう? 自分の身を守るにしても呪力? とかいうお祓いパワーないんですよね?」
お祓いパワー……と尚樹のセリフを静かに復唱して咳払いを一つ。なんでこう時々日本語のチョイスがおかしいのか。不覚にも七海は毎回それに緊張とかストレスとか、あるいは気力とか、いいものも悪いものもまとめて持っていかれる感覚を覚えてしまう。
一体なんの話だったか。ああ、スカウトの理由。
「君は、自覚していないようですが呪いに触れる機会が多いように見受けられます。放っておけばいずれは呪いに殺されてしまうでしょう。先ほども言いましたが君は、自衛の手段を持つべきだと思います」
「はぁ……まあ別に構いませんけど。いってもまだ1年以上先の話ですしね。最近判明したんですけど俺は中学2年生なので」
「なんですか最近判明したって……」
「いや、なんか途中から入学したんで学年のこと頭から抜けていたと言いますか」
「そんな大きなこと頭から抜けることありますか?」
「大きいですかね? ちゃんと中学生の意識はありました」
「流石にその括りは大きすぎでは? さては君細かいこと全く気にしないタイプですね」
「分かります?」
「分からない人間はそういないと思いますよ」
これさては自分の年齢もろくに覚えていないタイプだな、と七海はサングラスを押さえた。というか、今大事なのはそこではなく。
「……誘った私がいうのもなんですが、水沢君、ちゃんと考えたほうがいいですよ」
「はぁ……でも考えてもよく分かりませんし、別にこれと言って将来の展望があるわけでもなく」
夢がないのか、まだ中学生だからそれほど将来について考えていないだけなのか。
それにしても怪しいと言いながら、あっさりとOKするそのフットワークの軽さはいささか心配にもなる。七海の周りにはあまりいなかったタイプだ。
「……親御さんの許可とかもありますからね」
「はあ……まあじゃあゆきちゃんに確認してもらっておきます」
「あとちなみに全寮制ですので、その辺も考慮してくださいね」
「ふぅん? 時々家に帰ったりはできる感じです?」
「それはまぁ……任務などが入ったりすることもありますので状況次第ですが」
「あれ、実地もある感じなんですね」
「そうですね。何事も実践あるのみですから」
「ちなみに、そういうのが見えない人間でもなんとかなるもんなんですか?」
「ええ、それは専用の呪具……道具があります。呪力のない人間が呪術師になった例もあるので、水沢君に全く見込みがないとも言えません」
「はぁ。まあそれなら構いませんけど。流石に見えないものはどうにもできないので」
「思ったより前向きですね?」
「そうですか? まあ正直高校はどこ行ってもそれほど変わらないだろうと思ってるんで」
「それも流石に大雑把すぎないですかね?」
「まあまあ。別に普通の授業もあるんでしょう?」
「それはまあ、そうですが……」
なんでこっちが宥められているんだ。いつの間にか立場が逆転していて意味がわからない。
バックミラー越しにちらちらと伊地知の視線を感じる。
「ちなみにこれはちょっとした好奇心ですけど、お祓いってやっぱり呪文唱えたりとかそんな感じです?」
「呪文……お札とかはまあありますが……どちらかと言えば物理が多めですかね」
「なるほど? レベルを上げて物理で殴る的な?」
「ちょっと言っている意味が分かりませんね……」
「いや、お祓いパワーがないと払えない感じなのに結局物理なんだなって」
「ああ、そういう。なんというか、術式、といって特殊な能力を使うことが多いです。私の術式はどんな相手にも強制的に弱点を作り出すものなんですが……まあそこを殴るだけなので言われてみれば物理……」
言ってて悲しくなってきた。上げた例が悪かったとしか言いようがない。
「武器とか使うことあるんですか?」
「もちろんありますよ。呪具、といって呪いを払うための武器もあります」
「なるほどなるほど」
「……ちなみに武器の希望ははありますか?」
使ったことなどないだろうが、一応聞いておく。普通に暮らしていたら一生縁のない言葉だ。
しかし尚樹は特に考えるでもなく「銃」と答えた。アメリカ生活が長いらしいので、もしかしたらそのせいだろうか。
「ゲームでは結構いいとこ食い込んでます!」
七海が思うよりももっとしょうもない理由だった。得意、のあたりに信憑性がまるでない。
「投擲武器もそこそこ得意……あ、嘘です、回るタイプは無理です」
「随分具体的ですが、経験でも?」
「はっきり言うと手裏剣は無理」
「……安心して下さい、そんなニッチな武器はそもそも用意してません」
どうせこれもゲーム関係だろうと七海は自己完結したが、実際は実践ありのガチなやつだ。
「刃物は短いのなら……長いのはほぼ触ったことないですね」
「短い物でも普通の人は触ったことはないんですよ」
思わず突っ込んでしまった。
「刃物はほら……包丁とか」
「包丁で何する気ですか……武器のカウントに入れるのはやめてください」
「はぁい」
のど飴あげるねー、となんの脈絡もなく差し出されたそれを反射的に受け取る。なんだろう、全然似ていないのに時々五条みを感じてしまうのは。
ちゃんと分かってるのかいまいち不安だが、車はすでに目的地付近。
もう一度ちゃんと考えて下さいね、と念押しして七海は次の任務に足を向けたのだった。
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