晴れ時々雷雨。その拾玖

HR終了後、車の待機所まで連れて行ってもらおうと尚樹は忍足を呼び止めた。部活に向かうつもりだったのだろう、その声に跡部も一緒に振り返る。
なんせそういう場所があるのは知っていたが、迎えなどきたことのない尚樹は、一度も足を運んだことがないのである。
七海を待たせても悪いので、初めから道案内を頼むことにした。
「忍足、車のお迎えが来るところに行きたいから、連れてってくんない?」
「かまわんけど……お迎え珍しいな?」
「お迎えっていうか、呼び出し? なんかそれも違うかな? たぶんなんか確認したいことがあるっぽい?」
「なんや、ふわふわしとんなぁ。相手は?」
「七海さん」
「あー、祭ん時の?」
「そう、その人」
忍足は七海と顔を合わせたことがあるので、割とあっさり納得してくれたのだが、経緯を聞いた跡部からは随分と心配された。安心して欲しい。危ない人では無いので。高校の先生だと言ったらようやく納得してもらえた。すごいな、公務員の肩書。
初めて足を踏み入れた待機所は、高そうな黒塗りの車ばかりがとまっていてなかなか壮観だった。車に詳しくない尚樹も、ベンツとBMWのエンブレムは流石に知っている。とてもすごく高いやつだ。
忍足に別れを告げたところで流れるように一台の車が尚樹の前に滑り込んできた。助手席から顔をだした七海に、ここにもお抱え運転手が、とその奥に見える黒いスーツの男性を視界に捕らえた後、促されるままに後部座席に乗り込む。
後部座席には見覚えのある赤いフードの少年が座っていた。相変わらず二つの魂をお持ちらしい。
以前は五条と行動を共にしていた少年の名前を、尚樹はかろうじて記憶の隅の隅に残していた。
「なんだっけ、虎杖先輩でしたっけ」
「おう! よく名前覚えてたなぁ」
「あー、植物の名前だったんで。うちのじいちゃんの地域ではこっぽとか呼んでた気がしますけどね。子供のころの話なのでだいぶ記憶が曖昧ですけど。食べられるんですよね、あれ」
「え!? そうなん?」
「はい。たまに食べてました。えぐくて酸っぱくておいしいですよ」
「いやごめん、全然美味しさが伝わらん」
七海の後ろで繰り広げられるなんとも実りのない会話は平和そのもので、こう言う状況でなければ微笑ましいところだが。指示するまでもなく車は滑るように動き出した。
後部座席を振り返って視線を合わせる。
「こんにちは、水沢君、今日は呼び出してすみません」
「こんにちは、七海さん。俺は別に暇なんで大丈夫ですよ」
「そう言っていただけると助かります。さっそくで申し訳ありませんが、スマホを確認させてもらっても?」
他人にスマホを預けるのは抵抗があるかと思ったが、実にあっさりと尚樹はスマホを取り出してロックを解除した。うすうす察してはいたが、流石に警戒心がなさすぎではないだろうか。
スマホを借りて画面を確認する。見たところ普通のスマホと変わりない。
あらかじめ開いてもらったトーク画面を遡っていけば、ここ直近のやりとりを除いて実に内容がない。中学生相手にあの人は何をやっているのか、と七海は眉間の皺を深くした。
そしてそのしょうもない会話のなかに突如投下されていた画像にさらに皺を深くして、ため息を一つ。流石にメガネを外して瞼を抑えた。見間違いであってほしい、切実に。
長髪の僧侶、というなかなか無いビジュアルはとても見覚えがある。
「……知り合いですか?」
「いや、駅で見かけただけ。ちょっと話したけど。この人、そういえば五条先生も気にしてたけど、もしかして宗教違いで対立でもしてるの?」
宗教違いかと言われると違うと思うが、完全に否定することもできないし、なんならなかなか的を射た発言だと思う。まあ、信じているのは神ではないが。
「一言で言うとそんなところかもしれません。ここからの話は、信じ難い内容だと思いますが聞いてくれますか? あなたの助けが必要です……主に、五条さんが」
状況をごまかして伝えることは可能だが、七海は腹を括って正直に話すことにした。ここまでの虎杖や五条との関わり、そして自分の目で見た祭りでの状況、薄いながらも存在する夏油との縁。これから先も、彼との関わりは切れないだろうと思わせるものがある。
なにより、尚樹自身の身の安全のためにある程度状況の把握をさせて自衛させたい。まあ、見えない呪霊に対して自衛も何もないが、せめて自分から危ない場所には行かないでほしいのだ。もちろん、怪しい人物のそばにも。
まあ、荒唐無稽な話なので信じてもらえるかは別の話だが。ちなみに、七海の予想では7割方信じてくれると思っている。まだ中学生だからかもしれないが、大変にピュアな印象なので。
「それはいいけど、俺が役に立つかは分かんないよ?」
ゆるく首を傾げる尚樹に苦笑が漏れる。本人にはわからないだろうが、現状一番五条に近いのは彼だ。
「今、十分に助かっていますよ」

他人には聞かれたくない内容なので、伊地知の運転でそのまま七海の部屋まで移動した。少し悩んだが、高専へ連れていくのは避けたい。時間の問題もあるので、さほど遠くない七海の部屋に落ち着いたのだ。
何の力もない一般人を、出来るだけ巻き込まないようにしたい。
セットしたコーヒーメーカーが時折不機嫌そうな音を立てる。
尚樹は勧められるまま向かいのソファに深く腰掛けて、ほんの少し部屋のなかを見渡しただけだった。
「話をするためには、まず我々のことから話さないといけませんね。五条さんのことはどのくらい知っていますか?」
「高校の先生ってくらいかなぁ」
「間違いではないですが、本業は呪術師と言って、悪い霊を払う仕事です」
「エクソシストみたいなもの?」
「まぁ、そうですね」
陰陽師、悪魔祓い、エクソシスト。関わりのない人間からすると、その辺の表現が分かりやすいところなのだろう。呪術師という存在は一般には認知されていないので致し方ない。
「それで、この写真の彼は呪詛師と言って、呪術師と敵対する人物です」
「なるほど?」
つまりやっぱり宗教違い、と頷く尚樹の表情からはこれと言って感情らしい感情は読み取れない。困惑も不審も、懐疑すらも浮かんでいなかった。
話を進める。
「その人物に今現在五条さんが囚われています。獄門彊、という小さな箱のようなものに閉じ込められている状態でして」
「ファンシーだね」
「ファンタジーの間違いでなく?」
思わず秒で突っ込んでしまった。なぜここでその反応なのか。
仕切り直すように、コーヒーが目の前に置かれる。給仕してくれた伊地知もどう声をかけたものか迷っていたに違いない。その何とも言えない表情。たぶん、お互いに似たような顔をしている。
そんな大人たちの無言のやりとりには頓着せず、若者二人は仲よく砂糖とミルクを入れていた。
「……どちらにせよ、あまり可愛らしい見た目ではありませんが」
「つまりその箱をげどうさんが持ってるてこと?」
「そうです。あと、間違ってはいませんが間違ってます。夏油さんです」
1文字違いだが、だいぶ意味合いが違ってくる。外道、という点に関して現状否定はできないが。
「げとうさんね。それで俺は何すればいいかんじ? げとうさん探し?」
「いえ、それは難しいかと……ああ、そういえば五条さんが、知り合いが人探しの道具を持っていると」
たしかそんな話を一度していた気がする。
伊地知があまりにもざっくりした情報で神社を探せと言われて目の下にクマを作っていた、そのときの話が不意に記憶に蘇る。そして、それは尚樹のことではないかと、どこか確信にも似た思いと共に口をつく。
「人探しの道具……ああ」
何かに思い当たった様子の尚樹に、七海の予感は正しかったことが知れた。ここまでくると運命かとすら思う。偶然では済まされないほどに、水沢尚樹という要素が、今回の件に絡み合っている。
「やだあれ五条さん信じたの? ちょっとしたおもちゃ的なあれですけど、意外とピュアですね?」
視界の隅で伊地知が屑折れる。無理もない。自分も彼も、五条に振り回されすぎである。そろそろ殴っても許される頃だろう。もちろん、無下限は解除させてだ。
落ち込む伊地知におろおろする虎杖を全く気にもとめず、マイペースに尚樹がコーヒーに口をつけた。なんだがどっと疲れた七海である。まだ話の途中だと言うのに。
しかしそこで、当然のように尚樹が放った言葉に一瞬思考が止まった。
「というか、普通に呼び出せばいいのでは?」
というか、ふつうによびだせばいいのでは。
「は? 呼び出すといっても連絡手段もありませんし、素直に呼び出されるとも思えませんが」
「電話すればいいのでは?」
「……水沢君、もしかして夏油さんの連絡先を知っているんですか?」
いやいや、まさかそんな。そんな都合のいい話、あるわけが。
動揺のあまり表情が無になる七海をよそに、尚樹はこくりと頷いた。
「うん、電話番号知ってるよ」
「水沢君、助かりますが、次からは連絡先を交換する相手はよくよく考えてください。危ないです」
というか、夏油もこんな普通の中学生と連絡先を交換しないでほしい。どんな状況になれば呪詛師と中学生男子が電話番号を交換するのか。
あとほんとうに危機感がない。見るからに怪しいだろうに。それとも、袈裟を着ていれば大丈夫とでも言うのか。長髪な時点で偽物を疑ってほしい。短髪ならともかく、長髪はそうそういない。
脳内で流れる怒涛のツッコミは、話が逸れてしまうのでぐっと唇を引き結んで耐えた。
そんな七海の心情など気づくはずもない尚樹は心なしドヤ顔で、
「ちゃんと考えてるよ? 怪しい人とは交換してないから、大丈夫」
などと言い切っている。
「ちなみに五条さんとは連絡先を交換しているんですよね?」
「うん」
「そういうところですよ」
本当に、そういうところだ。
とりあえず、今から電話するのは碌な結果にならなそうなのでありがたく電話番号だけ頂戴した。
少し話が逸れたが、七海たちから尚樹への要求は一つだけだ。
「五条さんと話をしたいのですが、電話をかけさせてもらっても?」
「どうぞー。電話番号は知らないから、ラインの通話使ってください」
予想はしていたが、あっさりと了承してくれた。あとは、これが本当に獄門疆のなかにいる五条に通じるか否かだが。
今日尚樹に会うまでは、繋がる確率は低いと七海は思っていた。今はおそらく通じるだろうという気がしている。
呼吸を一つ。
画面右上にある通話ボタンを人差し指でタップした。
ワンコールしないうちに通話が繋がる。確かに感じる生きた人間の息遣い。
「大丈夫ですか」
『ま、なんとか』
声はいつも通り、どこか飄々とした五条のそれで、七海は伊地知に頷いたあとソファから立ち上がった。
尚樹はそれを視界の隅のとどめながら、目の前に出されたお菓子に意識を移した。大変高級そうなお菓子だ。せっかくなので遠慮なくいただくことにする。
上品な味の焼き菓子を口にしながらベランダに出ていく七海を視線で追う。
その窓に、いつかの風鈴。
洗練された部屋に似つかわしくないそれを、律儀に飾ってくれていることがなんだか微笑ましかった。
ゆらりと揺らぐオーラ。売られていた風鈴の中から、尚樹はオーラの多いものを選んで購入した。
一つは尚樹の部屋に。そしてもう一つは七海に渡したそれ。
ベンズナイフと違って武器ではないそれがどういう働きをするのかはわからなかったが、目利きをするときはそれを目安にする癖がついている。
七海に渡した時よりもオーラの量が随分少ないのは、きっと正しい使われ方をしたのだろう。
近寄って黒く煤けた短冊に手を伸ばす。短冊につながる舌が揺れ、外身のガラスと微かにぶつかる音が空気を揺らした。指先に触れたオーラは夜の気配。
視界一面の髑髏にこちらを見上げる青い瞳、肌が泡立つような冷たく沈む空気。
五条の名前を呼ぶより早く引かれた右腕に体勢を崩した。地面に手をついたと思った時にはすでに、尚樹の視界はもとの洗練された七海の部屋。
ガラス越しに七海の驚いた表情。倒れ込んだ尚樹の下には先ほどまでここにいなかったはずの五条の姿。
「……手品?」
「いや、まぁ、うん……」
なんとも煮え切らない返事をして五条は視界を巡らせた。どれくらいかぶりのまともな風景。
窓の向こう、ベランダにはスマホ片手に振り返った七海の姿。サングラスを外しているので、その驚いた表情がよく見える。しばらく見ない間に、随分と懐かしい姿になってはいたが。
「……や、七海。元気?」
無言で額に青筋を浮かべる七海に、会話のチョイスをミスったことを悟って曖昧な笑みを浮かべておく。久々に人と会話をしたのだ。許してほしい。
尚樹が差し出した手を握って立ち上がる。不覚にも少しふらついた。全く動いてなかったせいだろう。
「あ、先生今度チョコあげるね。ドイツのお土産」
「……ああ、あー、そっか、修学旅行?」
「そそ。日持ちするやつだからまだ大丈夫だよー」
一瞬なんの話か分からなかった。獄門疆の中にいた五条には時間の感覚か分からない。ずいぶん昔のような気もするし、最近の話だった気もする。とりあえず、それどころではない事態だったので、ミリも覚えていなかった。よく思い出せたものだと自分でも思う。
それにしても、尚樹も尚樹で一番最初に振る話題はそれでいいのか。もうすこし何かあっただろう。主に、ここにいる自分に対して。本当に手品だと思っているのだろうか。
部屋の中に戻ってきた七海がスマホを尚樹に返す。咄嗟に六眼でみたが、呪物でも無ければ呪具でもなかった。当たり前だが。普通の中学生のスマホがそんなものだったら世も末だ。
何故あれだけ獄門疆の中にいた五条と連絡をとれたのかは謎だが、今は瑣末なこと。とりあえず、原理は分からないがこうして戻れたのでよしとするべきだろう。
ただ七海と連絡が取れればと思って一か八かで送ったメッセージだが、十分すぎる成果だった。
それにしても。
「……七海、なんか若返ってない?」
最初に見た時も思ったのだが、七海の風貌は高専時代のそれだった。さすがに触れないのは無理がある。
「五条さん、そういうのはあとで。とりあえず、遅くなると悪いので水沢君を送ってきます。あなたと虎杖君はここで待っていて下さい」
時計の針は5時を過ぎた頃。外はすでに暗くなり始めている。家庭によってはもうすぐ夕飯だろう。
夕飯までには帰りたいと言っていた尚樹の言葉を、七海はしっかり覚えていた。短時間とはいえ未成年を預かるのだからその辺はきっちりしておきたい。
「水沢君、ばたばたしていてすみません。とりあえず、あとは送りがてら話をしましょう」
「ここ、うちからそんなに遠くないし、一人でも帰れますよ?」
「いえ、そういうわけにはいきません。ちゃんと送らせてください。五条さん、くれぐれも大人しくしていてくださいね」
「僕の扱いが悪くない?」
五条の訴えはさくっと無視して伊地知から車のキーを受け取る。現状説明のためにも伊地知にはここに残っていて欲しかった。虎杖だけでは説明が難しいだろう。いろいろと。


帰りは七海の運転で、尚樹は助手席に座った。
自分の家までの道案内はそうそうに諦めてカーナビに住所を打ち込む。
「そういえば、七海さんは今日は黒い服なんですね。白いスーツのイメージでした。そっちのほうが若く見える気がします」
若く見える、どころではなく明らかに若いのだが、これに関しては七海自身よく分かっていないので苦笑だけ返しておく。若く見える、で片付けてしまえるあたり、ずいぶんおおらかというか。
服装が違うのは、若返ったせいで服のサイズが合わなかったためだ。まだ成長途中の体は身長こそ変わらないものの、全体的に厚みがない。
忙しかったせいもあり、すぐに準備できた高専の制服をそのまま着ているのだ。おかげで、七海まで生徒のように見えてしまって大変不本意である。
点滅する青信号。緩やかに減速して停止する。
「ところで五条先生が呪術師? とかいうやつなら七海さんもそうなんですか?」
「ええ、私も呪術師ですよ。不本意ながら、五条さんの方が階級は上ですが」
階級は一つしか違わないが、1級と特級の間には明確な隔たりがある。領域展開が使えない七海には越えられない壁だった。もちろん、呪術師の存在を今日知ったばかりの尚樹には分からないことだろうが。
しかし、何かに納得したように尚樹は2、3度頷いた。
「分かります。確かに、おっきいですもんね、五条さん」
「すみません、身長は全く関係ないです」
「あはは、流石にそれは俺でもわかりますって」
「すみません、会話してもらっていいですか?」
何に納得しているのか。そして自分自身の発言を真っ向から否定するのはやめてほしい。
この感じ、夏祭りの時と同じでは。
ときどき会話の次元がずれる。最近の若い子はよく分からない、と年寄的な思考になってしまった。
尚樹がカーナビの画面へと手を伸ばす。その指先が表示されているルートから横にずれて、住宅街へ。その先、元のルートに戻る直前のスーバーを示した。
「七海さん、時間大丈夫ならここに寄ってもらっても? 時間なかったら俺だけ下ろしてくれたら」
「……かまいませんが、水沢君? どうかしましたか?」
少し遠回りなルートを提示されたこと、夕飯の時間には帰りたいと言っていたのに立ち寄りたいと言ったのが良くある食品メインの店であることに七海は違和感を覚えた。
信号が青になる。直進する予定のそれを七海は左にそれた。
「学校からずっと警察があとをつけてきてるんですよね。俺と七海さん、どっち目当てかなと思って」
ちらりとサイドミラーに視線をやって、尚樹か口を開く。
いつもと変わらぬ口調で告げられた内容の意外さに、一瞬理解が追いつかなかった。それでもすぐに記憶をたどって、後続の2台は直進したことを思い出す。
今後ろにつけている車は可愛らしい軽。
「……ちなみに心当たりは」
「なくもないかなぁ」
あるのか。
反射的に唇に力が入った。
「あ、ちなみにまだ何もしてないですからね? 警察にマークされてるだけですからね?」
ちなみに何もしてない人間を警察はマークしないのである。
「理由はよく分からないけど、ちょっと前から張り付かれてるんですよね。部屋にカメラと盗聴機あったから気づいたんですけど」
「カメラと盗聴機」
それは本当に相手は警察なのか。
そして本人も動揺しなさすぎである。
カメラと盗聴器に気づくところといい、尾行に気づくところといい、妙なところで警戒心を発揮するのがどうにもアンバランスだ。
後続の車は住宅街であることも手伝って別の車に代わり、一台だけ。随分と距離をあけてついてくる。いくどか角を曲がったがそれは目的のスーパーまでついてきた。
駐車場にそのまま停めてサイトブレーキをひく。少し迷ってエンジンも切った。
「……ちなみにいつから」
「昨日からですね」
頭を抱えそうになった。こちらの事情に付き合っている場合か。
「ああ、それで……」
最初に自分の部屋を却下したのはそれが原因か、と昨日の会話を思い出す。あのときは気にもとめなかったが、カメラと盗聴器が付いていればそれはダメだろう。
学校からついてきた、というのも昨日の会話を聞かれていたとすれば納得できる。
「そういうわけで、呪術師って人殺したりするのかなぁって」
「……水沢君、急に会話を省略するのはやめましょう。なにがそういうわけで、そういう疑問に繋がったんですか」
「いや、なんか物騒そうな仕事なんで、警察にマークされるようなこともするかなって」
それで殺人か。一番分かりやすい犯罪がそれか。
「……基本的にはありません。もちろん呪術師側に殉職者が出ることはありますし、同じく呪詛師側で死ぬ人間もいますが。あと、一応警察とは協力関係にあるので、こちらがマークされることはないかと」
「ええ……いかにも警察と相性悪そうな職業なのに、協力関係なんですか?」
「日本国内で起こる怪死、行方不明者は年間1万人を超えますが、そのほとんどが呪いによるものです。そういうものは警察の手には負えないので、こちらに回ってくるんですよ」
「へえ。意外と日本警察の物分かりが良くてびっくり……てっきりそういう非科学的なものは認めないのかと」
「さすがに、物理的にありえない死体を目の当たりにするとそうも言ってられないんでしょう」
「なぬ、その言い方だと呪われるとすごく凄い死に方する感じです?」
「いや語彙力」
わりと深刻な話なのにこの空気感。
こちらが車のなかで話しているせいか、相手も離れたところに駐車してから動きがない。
シートベルトを外して尚樹が降りようとするので、慌てて引き止めた。
「どうするつもりですか」
「いや、とりあえず普通に買い物しようかと」
「……ちなみに何を」
「お風呂の防カビ燻煙剤とトイレットペーパーですね」
「普通に買い物」
「はい、普通に買い物です」
なんだろう、どっと疲れる。とりあえず一人で行かせるわけにはいかないので七海も一緒に車を降りた。
ルート的には尾行の車を確認するためだったろうが、目的地には本当に用事があったとしか思えない。
微妙に目的のコーナーにたどり着けない尚樹を後ろから軌道修正しつつ、周りに気を配る。
時間的なものだろう。仕事帰りと思われる女性や、子供を連れた人間も多い。もちろん男性もいるが、スーツ姿の若い男性かつ一人で歩き回っている人間はすこし周りから浮いている。もちろん、そういう目線で見ていればの話だ。
普通に買い物に来ている人間は気にも留めないだろう。ただ、七海としてはカゴぐらい持っていないと不自然だろうと言わざるを得ない。特に、尚樹が絶妙に目的地に辿り着かないせいで、そこそこ歩き回っているのだ。
言われてみれば警察に見えなくもない感じだが、七海には確信までは持てない。
尾行がどうのと言った本人は特に周りを気にした様子はなく、目的のものを手にレジに並んでしまった。慣れた様子でセルフレジを通過する。
「……まあ、とりあえず送ります」
「わーい。トレペ地味に嵩張るんで助かります」
本当に普通に買い物だった、となんとも言えない気持ちで車に戻る。尾行のことは気になるが、もし本当に相手が尚樹の言う通り警察ならば、相談先はどこだと言う話だ。
「水沢君、私の電話番号はかけたので知っていますよね? 何かあった時のために登録しておいてください。あと、もしよければラインを交換してもらっても?」
「はいどうぞ」
だからそういうところですよ、という言葉はすんでで飲み込んで、やけに慣れた手つきで表示されたQRコードを読み取る。
「もしなにか困ったことがあれば連絡してください。今回とてもお世話になりましたし、尾行のこともあります」
「ありがとうございます。まあ、俺見張ってても特に何もないんで、警察さんもすぐ撤収すると思いますけど」
「随分確信的に言いますけど、彼らが警察というのはなぜ分かったんですか?」
「え? いや見るからに警察では」
「なるほど?」
分からん。
「さては水沢君、お巡りさんによくお世話になっていますね?」
「ええまあ、その節は……」
「冗談ですよね?」
「いいえ? それなりにお世話になっていますが?」
これは真にうけていい話なのか、突っ込んでいい話なのか。まだ付き合いの浅い七海には難しい判断だ。もちろん尚樹は真顔である。
「……ちなみにどのような用件で?」
「おもに迷子ですねぇ」
「ああ……」
またまた思い出される夏祭り。彼の幼馴染と友人の姿。大変慣れた様子だったので、日常茶飯事なのだろう。交番に迎えにいくあの強面の幼馴染が容易に想像できた。
もちろん当たりである。
一体なんの話をしていたのだったか。ああそうだ、尾行の件。
「とりあえずカメラと盗聴器もあるならよくよく気を付けてください」
「はあい」
まるで生徒と先生のようなやりとりの後、七海は車を出した。目的地はすぐそこだ。
しっかり尚樹がマンションに入るところまで見届けた後、念の為伊地知に問題は起きていないか確認して家に戻った。
尾行の車は相変わらずついてきたが、こちらについてくる分には特に問題ない。ナンバーを記憶して、警察側に確認しよう密かに決めた七海である。