晴れ時々雷雨。その拾捌

それに気づいたのは、忍足のアドバイスに従って、ドラッグストアで貼るカイロを手に入れるべくレジに並んだ時だ。
先日苦労して口座の暗証番号を手に入れた尚樹だったわけだが、その後ゆきが尚樹のスマホに電子マネーを導入してくれたので結局不要になった。なんでも尚樹用のクレジットカードを預かっていたらしく、今までの色々もそこから出ていたらしい。なるほど。
使いすぎないようにね、というゆきの言葉に素直に頷いて、おっかなびっくり使ってみたら画面をピッとするだけで終了して、便利さに震えた尚樹である。
ハンター世界では大きい金額こそ口座間の数字上だけの取引だったが、その他は普通に現金だった。
これスマホの充電切れたら自分は詰むのでは、と思い至ってそっと電池を無限大に改造した尚樹である。充電から解放されたのでもっと早くこうしておけば良かったような、ソノウソホントの能力が強すぎて怖いような複雑な気持ちである。一度使ってしまうと謎にハードルが下がってしまって、うっかりまた使ってしまったが、自重していこう。ドラえもんの道具は大なり小なり欠陥というか、因果応報的なところがある。
話がそれたが、とりあえず支払いを済ませた尚樹は、店からでて赤い通知マークのついたラインのアイコンを親指でタップした。
五条からだ。
「……七海さんに?」
もしこのメッセジーが見えてるなら、七海ってやつに連絡とってくれない? という疑問しかない文章に尚樹は首を傾げた。
冷たい風に首をすくめる。
良い子の尚樹は歩きスマホはしないので、とりあえず画面を落として目と鼻の先にある自分のマンションまで歩き始める。まだそう遅い時間でもないが、冬は日が落ちるのが早い。空には金星が明るく輝いていた。
鍵を解除してエントランスを抜ける。何事もなければ13階にある部屋まで尚樹は階段であがるが、今日はエレベータのボタンを押した。わずかばかりの駆動音。
すぐに口を開けたそれに乗り込んで、ポケットからスマホを取り出した。
エレベータの壁正面に設置された鏡は、いつだったか車椅子用だと聞いたことがある。乗り込む瞬間そこに映り込んだ何かは、ここ最近時折見かけるやつだ。どうも邪神と関わりあってから、この手のものが見えるようになった気がしてならない。少なくとも尚樹に霊感はないはずなのだが。
五条とのトーク画面を開きなが軽く発をしてそれを吹き飛ばす。実体のないものなので尚樹にとってみれば霞のようなものだ。かける注意もなければ情けもない。この狭い空間に乗り込んできたのが運の尽きだった。
「七海さんって……あの七海さん? 五条さんは七海さんと知り合い?」
なのか? と首を傾げる。実際にメッセージにもそう送った。そもそもなんで自分で連絡を取らないのか。そして尚樹は七海と顔見知りではあるが連絡先は知らない。
運が良ければ日曜の朝にパン屋で会うかもしれないが、それも絶対ではないし時間が合わなければ無理な話だ。実際、渋谷の街で会って以降遭遇していない。そういえば、元気にしているだろうか。
ポーン、と音をたててエレベータが止まる。目的の階であることを確認して中に入ってくる何かとすれ違いで降りた。
それにしても、このメッセージが見えていたら、という文言も気になる。見えない可能性があるようなものなのだろうか?
スマホが短く震えたが無視して部屋まで進む。電子キーを解除してドアを開けると、玄関に夜一が鎮座していた。めずらしい。
夜一は意外に猫らしい性格をしているので、あまりお出迎えとかはしてくれないタイプなのだが。さてはだいぶ空腹ですね?
背後でドアのロックがかかる音を聞きながら靴を脱ぐ。ついでに夜一の首回りをなでる。猫のこのあたりは毛が溜まっていて一際もふもふなので尚樹の一押しすぽっとだ。
「おい」
「んー? どうしたの夜一さん。お腹すいた?」
さわさわと怪しい手つきで首元をさわる尚樹に冷たい視線を向けながら夜一は口を開いた。
「そのまま適当に返事してろよ。昼間変な奴らが部屋に入ってきて、カメラと、コンセントに何か仕掛けて行ったぞ」
夜一はできる猫なので、最近尚樹たちが使っている動画撮影用のカメラのスイッチを押しておいた。画角の問題はあるが、多少は写っているだろう。
「にゃんと。ご飯すぐだから、ちょっとまってね。手ー洗ってくるから」
正直者な割に息を吸うように嘘をつける飼い主は、動揺のかけらも見せずに立ち上がった。
洗面所に向かう尚樹の足元をついてまわり、手を洗ってうがいまで済ませた尚樹の体を駆け上がる。
背中から肩に登った夜一を気にするでもなく尚樹は台所に向かった。台所の下の開戸には夜一のご飯が入っている。動画の収益のおかげで最近は種類が豊富だ。
「カメラは玄関に一つ、居間に一つ、寝室に一つ、台所に一つ。トイレと風呂に一つずつ」
ふぅん? 風呂とトイレもとは、徹底してる。指先で少し荒れた唇を撫でる。
「あ、夜一さんごめん、お気に入りのカリカリ切らしてたや。買いに行かなきゃ。一緒いく?」
思ったよりカメラが多い。部屋のなかでこれ以上の会話は無理と判断して開戸を閉じた。
コンセントまわりは単純に考えたら盗聴器かな。はて、心当たりがないけど、犯人は何者だろうか。
撮られて困ることは特にないけど、お風呂とトイレは遠慮願いたい。
しばらくじん君とこでお風呂入ろうかな……下手にカメラとか取り除くと相手を刺激しちゃいそうだし。
「……何となく警察っぽかったが……お前、何した?」
「失礼な。何もしてません、ここでは」
別に盗みもしてなければ人も殺していない。いたって普通に中学生活を送っているだけの善良な一市民である。尚樹にはこれといって心当たりはない。
脱いだばかりのローファーに足を入れようとして思い直す。スニーカーに履き替えてキーとスマホだけ持って部屋を出た。
先ほど乗ったエレベータをスルーして階段に向かう。流石にこの階で階段を使う人間は皆無だが、一応人の気配を確認してから手すりに手をかけた。
折り返している階段をショートカットするべくそれを乗り越えて、下の階の踊り場に着地する。亜久津がいたら一言注意しただろうが、残念ながら不在だ。急な浮遊感に襲われた夜一だけが抗議の声をあげようとしたが、そのまま1階まで華麗に降りられて肩に爪を食い込ませることしかできなかった。
帰りよりも星の増えた空を見上げながら夜道を歩く。適当に歩いているが、帰りは夜一がなんとかしてくれるだろう。
尚樹の住んでいるのは典型的な住宅地なので、人影はそう多くない。
……だから目立っちゃうんだよなー、警察さん。だめだって、こんな人気のないところで尾行したら。
夜道とはいえ、しっかり街灯もある。人影は地面によく伸びる。
青いLEDライトの街灯に照らされた夜道は先までよく見える。青い光の方が犯罪率が低いのだと聞いたことがあるがどこまで本当だろうか。少なくとも尚樹はライトの色で殺しをためらったりはしない。
「やっぱりこれと言って心当たりないなぁ。何か勘違いされてるとか? 相手の出方を見るしかないかなぁ」
下手に尾行してる警察官に話しかけたりしてややこしくなるのも面倒なので、ぐるっと遠回りしてドラッグストアに舞い戻るべく夜一に案内を頼む。尚樹が不在の時間に時々散歩をしているらしい夜一はこの辺の地理にとても詳しい。縄張りというやつらしい。
だからなのか、それが目の前を横切った時夜一は珍しくシャーっと威嚇の声を上げた。
「ふお……もさもさ」
白い毛玉。
夜一はどちらかと言えば短毛種だが、目の前にいるのは毛が長くてふわふわした猫だ。まさしく毛玉。なんかの血統書がついてそうである。
おおい、カルピン。姿は見えないもののどこからか声が聞こえる。
「む、さては君はカルピン君ですね。飼い主が呼んでるよー」
軽く円を広げるだけですぐに居場所は分かった。こちらに移動してきているのですぐに辿り着きそうだ。
足元にすりよってきた猫の頭をうりうりとなでてさりげなく感触を楽しむ。なんとなく夜一さんの視線が冷たい気がしないでもない。意外と他所の犬猫に対して夜一さんは心がせまくないかな?
「こら、カルピン……て、おお」
久しぶり、と言わんばかりに挙げられた片手に首をひねる。知り合いだろうか?
心当たりがないので登場人物ではないかもしれないが、いかんせんテニプリは登場人物が多いので尚樹が知らないだけの可能性も多分にある。
それに、このご時世に着流し姿というのがいかにも登場人物っぽい。
「……どちらさまで」
推測がつけられない相手はどんなに頑張っても分からない、ということで尚樹は秒で諦めた。めちゃくちゃ親しい人でないことを祈るのみだ。
「お前なぁ……まあ確かに久しぶりだけどよ。おじさんは悲しい。ほんとテニス以外に無関心なやつだな……」
「そんなぁ……むしろテニスもそんなに……」
「いやそこは否定するなって……それよりお前これから暇か?」
「はぁ、別に予定はないですけど」
夜一のご飯は実際買わずともまだある。あまり遅くなると幼馴染に心配をかけてしまうかもしれないが、ラインで連絡を入れておけば平気だろう。
「家に夕飯食いにこねーか? 今リョーマのやつも連れて日本に来てるんだよ」
リョーマが誰かは定かではないが、夕飯は困る。
「ご飯はゆきちゃんが用意してくれてるから、よい子は帰ります」
そうなのだ。特に断りを入れない限り、ゆきが毎日夕飯を用意してくれている。息子と幼馴染だからといってわざわざ毎日の夕飯の世話をしてくれるなんて、いい人すぎる。なので尚樹はゆきの前ではいい子に徹しているのだ。
「ゆきちゃん? なんだ、彼女か?」
無精髭を撫でながらからかうように目を細めた男性に、残念ながら期待通りの反応は返せない。
「中学生に何言ってんのかわかりませんね……じん君のお母さんですよ」
ついつい自分の周りにいるのがでかい人間ばかりなので失念しがちだが、尚樹は一応中学生なのである。仮に彼女がいたとしても夕飯を用意してくれることはないだろう。
予定外に夜道で立ち話を始めてしまったので手足が冷えてきた。先ほど買ったカイロを持ってくれば良かったと後悔しても後の祭りである。
この人寒くないんだろうか、と着崩れた着物をみやる。
「じん君……ああ、幼馴染とかいう?」
「そうそれ」
じん君のことも知っているなんて、もしかして結構親しい人だったか。もしかしたらリョーマ、というのが尚樹の友人なのかもしれない。
「そうか、じゃあ仕方ないな。4月からリョーマもこっちの学校だから、そんときゃ遊びに来いよ」
「えぇ……そもそも家知らないし」
「スマホは? 持ってんだろ」
「はい」
スマホのロックを外して渡す。一瞬目に入った通知にそういえば五条とのやり取りの途中だったなと思い出す。警察の件で失念していた。まあ、家に帰ってからでいいだろう。
「おま、無防備に渡すなよ」
「いいですよ、大した個人情報入ってないし……あ、出来ればラインの方に登録しといて下さい」
「おー……お前、今もテニスやってんのか?」
「まぁ、ボチボチ。部活は入って無いけど、放課後に相手してくれる人がいるときはやってます」
「そっか。じゃあ俺も近いうち誘うわ。元気そうで安心した。気をつけて帰れよ」
ぽんぽん、と頭をなでて、男性は猫を抱えて行ってしまった。
ラインの登録を確認すると、名前は南次郎。なかなか古風な名前である。
スマホを手に取ったついでに、未読のメッセージを確認する。職場の後輩、という短い返事。
「……ああ〜、言われてみれば先生みあるぅ」
おもに、面倒見のいいところとか、年下である尚樹にも敬語であるところとか。
一人納得した尚樹は知らないことだが、七海は教師ではないので的外れである。
「ななみさんのれんらくさきしらないよ、と」
ぺぺっと返信して画面を落とす。さて、当初の目的はなんだったか。
「夜一さん、なんか買って欲しいものある?」
にゃーん、と一声鳴いて、地面に降りた夜一がゆらりと尻尾を揺らす。迷子の飼い主を道案内してくれる、よくできた夜一さんである。

「ああ〜、主人公!」
ぽん、と手を叩いて発した声は思いの外響いた。
夜一のリクエストでおやつを買って帰った尚樹は早速カメラの位置を確認して、まあ許容範囲、と広い心で受け止めあっさり風呂に入った。
そして湯船に浸かってぼーっとしていた時に思い出したのだ。
リョーマって、もしかして越前リョーマか、と。そういえば父親の名前は南次郎だった気がする。
「4月からこっちの学校ってことは今少6か……うわー、ボケてた。そうだよね……俺が跡部たちと一緒の学年ってことは年下か。どうりで会わないはずだわ」
学年違うじゃん……と今更ながらに気づいた尚樹である。どうしても読者視点なので、自分の位置が抜けてしまうのだ。
「あー、すっきりした」
いい加減、時間が経ちすぎて原作も思い出せないというものだ。それにしても主人公を忘れるとは。流石の尚樹もびっくりである。
「なんだっけ……天衣無縫?」
芋づる式にリョーマの父親のこともうっすら思い出す。すごくすごいテニスプレーヤーだったという情報程度だが。
お湯の中でスモールライト、ビッグライト、タンマウォッチ、タケコプター、最後にデスノートを具現化して今日の練習は終了。記憶が薄れた道具は具現化できなくなってしまうので、汎用性の高いものはこうして維持しておく必要がある。もちろんカメラに映らない位置であることは確認済みだ。
風呂から上がってスマホをチェックすると五条からの返信。メッセージを見返してみるとどれも即レスなので、暇しているのかもしれない。
メッセージには七海の電話番号が載っていたが、電話をするには些か不適切な時間だ。ラインならあまり時間を気にしない尚樹も、電話は流石に遠慮する。
「今日はもう遅いから、明日電話してみます、と」
ぺい、と送ったメッセージは送信と同時に既読マークがついた。尚樹がメッセージを受信してからそれなりに時間が経っているのに、タイムラグがないということは画面を開きっぱなしの可能性が高い。返事も、大丈夫だから今電話して、というどこか余裕のないもの。これはもしかして急ぎの案件だったか、とわりと呑気にご飯を食べたりお風呂に入っていた尚樹は遅ればせながら気づいた。
状況はよく読めないが、五条がいいというのだからいいのだろう。免罪符は手に入れたので、送られてきた番号をタップして電話をかける。少し長いコールの後に聞き覚えのある声。
「こんばんは、水沢です」
「……水沢君?」
「七海さんで間違い無いですか?」
戸惑いの滲む声に、まあ本人だろうなと思いつつも一応確認をとる。向こうは状況が分かっていないだろうが、大丈夫。尚樹も分かっていない。
「間違いありませんが……どこでこの番号を?」
「五条先生から。なんか、よく分からないですけど、七海さんに連絡をとって欲しいっていわれて……あ、すみません。肝心の内容聞いてないので確認してもっかい電話してもいいですか」
急かされて電話してしまったが、そういえば肝心の内容を聞いていなかった。馬鹿すぎる。
「ちょ、ちょっと待ってください。切らないで。五条さんから頼まれたんですか?」
「はい。自分の代わりに七海さんに連絡とってくれないかって」
「ちなみに、いつですか? 五条さんに直接言われたんですか」
「言われたのは今日ですけど。直接……まあ直接? ラインで頼まれました」
「……水沢君、急なお願いで申し訳ないんですが、明日か……できるだけ早く一度会えませんか」
む、こちらも少し急いでいる雰囲気だぞ、と珍しく空気を読んだ尚樹は、壁にかけたカレンダーに視線を走らせた。今日は、水曜日。週の真ん中だが、学校が終わった後なら特にバイトもしていない尚樹は比較的時間がある。部活も植え替えなどがある場合を除いて当番制なので、明日は顔を出す必要性はない。
「放課後でよければ、明日でも大丈夫ですよ。週末は1日空いてます」
「放課後で構いません。そちらの都合の良い時間に、都合の良い場所に伺います」
何というVIP対応。これは本当に急ぎの案件だ。
「学校終わったら後ならいつでもいいですけど……場所は俺の部屋とかでも、あ、部屋は今ダメか」
七海の家も近そうだったので、自分の部屋を指定しようとして、カメラと盗聴器の存在を思い出した。話の内容が分からないので、聞かれてもいいものか判断出来ない。
「えーっと、場所は正直どこでも……氷帝の近くか、いつものパン屋の近くだと道に迷う確率が減ります」
「……学校に直接迎えに行っても問題ありませんか?」
「それは全然。一応6限目が15時10分に終わるんで、終礼長引いても20分くらいには出られると思います」
「分かりました。ではその時間に……正門の前に車をつけても大丈夫ですか?」
「あ、えーと、車だったら待機所があるんでそっちの方がいいかもです。正門前は確か駐車禁止なので」
そう、何を隠そう送り迎えが当然の御子息たちがちらほらいるので、ちゃんとお迎えスペースがある。その筆頭は言わずもがな、跡部である。迎えに来るのが親ではなく、お抱え運転手というあたりが、もう尚樹の常識の及ばない範囲である。
「分かりました。ではそちらで。親御さんに私から連絡はしなくて大丈夫ですか」
「親は別に……帰る時間遅くなりそうです? ご飯の連絡だけしないとなんですけど」
「そうですね……それほど時間は取らないと思います。心配でしたら、こちらで用意しますが」
「いやいや、そこまでは。じゃあ続きは明日ということで」
「はい。すみませんがよろしくお願いします」
最後まで丁寧なところがとても七海らしい。尚樹はラインの画面に戻して、明日七海と会うことになったと五条に伝えた。七海は用件を分かっているようだったが尚樹にはさっぱりである。
ぴろん、と相変わらずすぐにメッセージが返ってくる。
七海と連絡取れなくて困ってたから、助かるよ。
その一文をみて、それは着拒なのではと七海に申し訳なくなった尚樹である。


七海がその電話を受けたのは、高専内にある隠し部屋でのことだった。
高専関係者に虎杖の所在が掴まれないよう、集まる時はもっぱらここを使用していた。
通話の終わったスマホの画面を眺める。そこに表示された数字を、僅かな逡巡の後に七海は「水沢君」で登録した。本人に了承は取っていないが、明日の待ち合わせで連絡できないのも困ると内心で言い訳をする。それに、あまりそういうことには頓着しなそうだ。
「ナナミン、今の電話……五条先生がどうかしたん?」
「虎杖君」
五条が獄門疆に囚われたのが10月31日。すでに2ヶ月以上経過している。渋谷での出来事については、途中から七海は眠っていたので実際に目にしたわけでは無いので分からない。しかし、何者かによって街は元通りにされ、死者さえもいなかったことになった。”非術師” にかぎって。
真希の火傷は残っているし、直毘人も死んだ。補助監督たちも何名か犠牲になった。だがそれはニュースで報道されない裏側だ。
そして、もっとも不可解なのが呪詛師側も死んだ人間はそのままということだ。
つまり、この事象を起こしたのは呪術師側でも呪詛師側でも無い可能性がある。もしこれが術式によるものなら、とんでもないことだ。それほどの術式を持つ人間を高専が知らないというのもおかしな話だった。
天元もこの件については何も分からないらしく、めぼしい情報はなかった。
それ以降呪詛師側も動きは見られないが、五条は依然封印されたままで、緊張状態は続いている。
「……私の知り合いからの連絡です。非術師なので、こちらの事情はまったく知らない子ですが」
五条と知り合いとは思わなかった。ラインで連絡を取った、と言っていたので試しにメッセージを送る。言われてみればスマホで連絡が取れるかもしれないという可能性は考えもしなかった。
しかしそこは当然というか、送信することすらできなかった。
「ナナミン?」
「……五条さんと連絡が取れるかもしれません」
「えっ!?」
「本当ですか、七海さん」
「……あまり期待はしないように」
嘘をつくような子では無いが、五条本人からの連絡でない可能性もある。むしろそう考えた方が自然だが、ここで直接確認しないという選択肢はない。
身を乗り出してくる虎杖と伏黒を静止する。
「取れるかもしれない、というだけです。五条さん本人かも怪しいですから」
「電話の相手は非術師っていってたよな? なんで五条先生と連絡取れてるん?」
「そこは明日本人に会って直接確認することになりました。ラインで連絡を取っているようですが……私のスマホだと送信できないので、なりすましの可能性はあります」
「……ナナミン、それって俺も行ってもいい?」
「あ、それなら僕も」
はい、と手をあげる乙骨に目を向ける。虎杖が何かしたいという気持ちも、万が一のために乙骨がついてきたいのも七海は十分に理解できる。だがあまり大所帯になるのも気が進まない。
「言ったでしょう、相手は非術師です。しかも中学生ですから、あまりこちらの人数を増やすのは」
「中学生?」
七海の言葉を遮るように虎杖が口を開いた。そういえば、依然五条に尚樹の話をした時も中学生というワードに食いつかれたなと思い出す。確かに、自分の知り合いとしては珍しいかもしれないが、そこまでだろうか。
しかし、そんな七海の考えはすぐに否定された。
「……ナナミン、その中学生って、もしかして水沢って名前の背の高い男?」
驚きに一瞬声が出なかった。それと同時に、本当に水沢がただの非術師なのかという疑問が頭をよぎる。
「知っているんですか? たしかに、水沢君であっていますが」
「俺そいつ知ってる。やっぱり俺も連れて行ってよ」
「ちなみに、どういう経緯で知り合ったのか聞いても?」
「五条先生経由。俺も詳しくは知らないんだけどさ、宿儺の指のこと知ってたみたいで、五条先生がどこで見たか聞いてた。はっきりした場所は覚えてないみたいだったけど、神社で見たって」
思わず眉間に皺が寄った。言われてみれば、一時期彼に蝿頭がついて回っていた。その時に感じていた違和感はおそらくこれだったのだろう。きっとあの蝿頭は宿儺の残穢に寄ってきていたのだ。
「……分かりました。そういうことなら。虎杖君は一緒に行きましょう」
「僕は?」
「先ほども言いましたが、あまり大勢で押しかけても迷惑でしょう。今回は二人で行きます」
糸のように細い希望。これが本物であることを願うのみだ。