晴れ時々雷雨。その拾漆
キャッシュカードの暗証番号は残念ながら幼なじみの誕生日ではなかった。
「と、いうわけでロックがかかってしまったのですよ」
何が「と、いうわけで」なのか亜久津には理解しかねる。試すならそこは唯一の肉親である父親の誕生日だろう。というかそもそもキャッシュカードの暗証番号などという大切なものを忘れるなと。
「おまえ……バカなのか?……いや、バカだったわ」
知ってた。亜久津は深く深くため息をついて箸を置いた。時計をみれば、あと少しで家を出る時間だというのに。
「理解が早くて助かります。というわけで、じん君助けて」
「窓口行くしかないか……どうすんだよ、平日しかないだろ……」
「それね……窓口業務が平日午後3時までって無理ゲーだよね」
流石にその辺は尚樹も知っているのか、乾いた笑みを浮かべていた。それが分かっていたならせめて3回目の暗証番号を試す前に相談して欲しかった。
「いつ行っても同じか……仕方ねーな、今から行くか。銀行は?」
いずれにしても学校は休まざるをえない。それならばいつ行っても同じなので、早く済ませるに限る。
「えーっとね、ていと銀行って書いてあった」
「それなら駅向こうだな。通帳と印鑑はあるか?」
「通帳はあったけど、印鑑はどれかわかんない。一応家には一つしかなかったから、それにかけるしかないかな」
「あー、まあ大丈夫だろ……学生証と保険証忘れんなよ」
「はあい」
亜久津家で朝食をとり終えた尚樹は、いったん部屋に戻って通帳と印鑑を取り出した。念のため財布を確認してキャッシュカードと身分証の類が入っているかを確認する。
学校にはゆきが連絡していてくれると言うことなので、サボりにはならないだろう。
だいぶ所持金が心許なくなってきていたので、これで一安心だ。持つべきものは頼りになる幼なじみである。
カーテンをひいて外を確認するとちらちらと雪が降っていて、尚樹はげんなりとした。寒いのはあまり得意ではない。
中学生の制服という貧弱な装備では戦えるはずもなく。
ヒートテックの上から、潔くシャツは諦めてフード付きのパーカー、その上にブレザーを羽織った。もこもこの耳当てをつけて、ブレザーの下から引っ張り出したフードをかぶる。
玄関の開く音がして、もはや声もかけずに幼なじみが部屋に入ってきた。
「おまえ……校則違反もいいところだな。パーカーは目立つだろ……」
まさか誰も亜久津の口から校則違反、などという単語が出てくるとは思わないだろう。見かけによらず真面目な常識人なのだ。
「制服の防寒性なんてあってないようなもんだよ」
「耳当てつけてんのにフードかぶんなって。あぶないだろうが」
こっちにしとけ、と渡されたのはネックウォーマー。
「これつけるとなんか忍者の気持ちになるんだよね」
「何いってんだ。そっちの方が顔と首が寒くないだろ」
「それもそうか……」
引きあげてマスクがわりにするととても忍び時代を思い出すのだが、同意してくれる人間はこの世界にはいない。残念だ。
手袋はなにかと面倒なので基本的にはしない。すぐになくすのだ。
「じゃあじん君、よろしくお願いします」
一人ではもちろんていと銀行までたどり着けないので、潔く右手を差し出した。
平日といえども、銀行はそれなりに混んでいた。窓口は呼ばれるまでに少し時間がかかりそうで、ATMにはどこも列ができている。子供の姿も見えるのは、冬休みだろうか? 小学生時代は遠い昔なので思い出せない。はたから見れば自分たち二人も似たようなものなのだろう。
中に入って、隣で亜久津が整理券を取るのを横目に尚樹は行内を見渡した。ようやく暖かいところに来れて知らずため息が漏れる。夏に大活躍したあべこべクリームは、授業が始まってしまえば、ほんやくコンニャクと併用出来ないことが判明し、泣く泣く諦めた。別に制約があるわけではないので、純粋に尚樹の技量の問題なのだろう。思い返してみれば、同時に二つの道具を具現化することがなかったので気づかなかった。大抵の道具は使う時しか具現化しないので、この二つが特別なのかもしれない。
道具を具現化している時に念によるガードが緩くなったりするのは認識していたが、これは想定していなかった。
ひとつ、可能にする方法に心当たりがあるにはあるのだが、流石に理由が情けなさすぎて躊躇する。寒さに負けて念の発動条件を厳しくするのは、後々後悔しそうだ。
すっと横を早足で通り抜けた後ろ姿を目で追う。脱色ではない金髪、白い肌。
「……警察?」
日本人でないところを見ると、もしかして警察とは別の組織だろうか。FBIとか。ちなみに尚樹はFBIとCIAの区別もつかない程度には詳しくない。
「あ?」
尚樹の独り言とも取れる声に亜久津が顔をあげる。尚樹が小さく指差した金髪に嫌そうに顔をしかめた。
身のこなしや目線、服装などから尚樹は警察関係だろうと判断したのだが、どうやら幼なじみにも通じたらしい。
まあ、私服のようだし日本の警察とも限らないので不自然ではない、のだが。
自動ドアの外に視線を向ける。先ほどよりもさらに混雑して、ドアは開きっぱなしの状態だ。冷たい風が足元に流れ込む。
明らかに怪しいのが1、2、3、4、5人。行内に再び目をやる。私服の警官が二人。偶然にしては役者が揃いすぎている、と思うのは考えすぎか。
「じん君、」
幼馴染に、一度外に出よう、と声をかける前に向こうが動いた。
怪しい動きをしていた5人が目出し帽、などと言うお決まりのスタイルで銀行に押し入ってきたのだ。手には拳銃。
天井に向かって引き金を引かれたそれはなかなか派手な音をたてた。にわかにざわつき出す周囲を他所に、尚樹は目で弾道を追う。さいわいにして、照明やガラスには当たらなかったようだ。単純な威嚇射撃なのだろう。
まさかとは思ったが、銀行強盗とか、またレアな……。
尚樹としては絶対割に合わないと思うわけだが。銀行強盗なんて立てこもってしまった時点で、逃げ道などないのだ。人的被害を無視すれば、明らかに負け戦。まだ現金輸送車を狙った方が勝率が高いというものだ。勝ち筋があるとすれば、籠城なんてせず、警察が来る前に撤退することだが、まぁ無理。
監視カメラの位置を確認。
降りていくシャッターをながめる。外からの狙撃を防ぐには役立つだろうが、そもそも日本の警察が狙撃という手段を使うのかは甚だ疑問だ。海外なら容赦なく撃たれるだろうが。まあ、誤射したときのことを考えると、あった方がまし程度だろうか。
出来ればこうなる前に外に出たかった……。今日中に手続き出来るか、一抹の不安。
心配する内容が激しくずれているが、現代社会の警察の力をそれなりに信頼している尚樹は、強盗自体にはそれほど心配していない。
拳銃が3、サブマシンガンが2。拳銃はリボルバーとオートマチック。どうにも銃に統一性がない。仕入れた場所か仕入れた時期か。一つずつ地道に仕入れたのだとしたらそうとう計画的だが。
銃の調達はできても、訓練ができているかはまた話が別だ。見たところ日本人のようだし、あまり扱いに慣れているようには見えない。暴発しないことを祈るのみだ。
「おい、ぼーっとしてないで移動しろ!」
ぐい、と銃口でこめかみを押される。降参ですよ、と手を上げるふりをしてリボルバーをスイングアウト、薬莢をひとつ失敬する。諸事情により、銃の分解と組み立てにはちょっと自信がある。
追い立てられるように移動しながら近くを通りかかった相手の銃のチャンバーから弾を抜く。初弾が出なければ、素人だ、ろくに対応もできないだろう。おそらく手に不自然な感覚があっただろうが、こういう状況だ。犯人も気に留めるほど平常心ではないだろう。動きがどうにもとろくさいので、なんなら初犯の可能性。緊張していて視線は左右に激しく動いている。自分の手元のことなど、意識の外。
亜久津と並んで床に腰を下ろす。こういう時まで律儀に列を作ってしまう悲しい日本人のさが……。暖房が効いているとはいえ、床に直に座ると冷えがダイレクトに上がってきてツライ。
拳銃はあと一人。サブマシンガンの二人は残念ながら距離がある。こういうとき切実に千本が欲しい。
「……おい、お前手ぇ出すなよ」
「ええ……」
縛りプレイキタコレ。
取り敢えず笑うしかない状況なので、銀行強盗なう、と五条相手に送っておく。既読は秒で着いた。ウケる、と一言だけ返ってきたので尚樹もウケる、と返してスマホをポケットにしまった。なんとなく、五条なら疑いもせずこの状況を笑ってくれる気がしたゆえの人選だ。
知り合いのいない奴は前に出ろ、という犯人の声に首を傾げながらも大人しくしておく。いささか変わった条件だ。
指示された人たちが犯人たちに代わってガムテープで目と口を塞ぎ、手も固定してまわる。
うえ、とそれを尚樹は苦々しい気持ちで眺めた。百歩譲って口はともかく、目隠しをガムテープでするのはなかなか鬼畜では?
「剥がすとき痛そう……睫毛全部なくなちゃわない? あと前髪とか絶対巻き込みたくない……」
「今心配するところは本当にそこか?」
「人間の所業じゃない……、じん君、俺の前髪とめて」
クラスの女子が以前くれた何かのキャラクターのついたピン留めが確かあったはずだとバッグを漁る。知らない人はいないんじゃないかという猫のキャラクターのパッチン留めとシンプルなアメピンがいくつか。
せっかくなのでキャラクターのついたパッチン留めを手渡して、アメピンは左手に握りこんで隠す。
盛大にため息をついた幼なじみはそれでも前髪を留めてくれた。
「あのー……すみません、目隠し、しますよ」
若い女性が申し訳なさそうに後ろから声をかける。
「あ、ご苦労様です」
かける声は本当にそれで合ってんのか? と亜久津はため息をこらえて「悪ぃな」とただでさえ混乱している人間をさらに混乱させる尚樹の言動を謝った。
「い、いえ……」
「おねーさん、目隠しできるだけソフトタッチで。まつ毛なくなっちゃう」
図々しくも注文をつける尚樹の頭を叩く。この危機感の無さ、いったい誰に似たのか。
「お前は……いいから大人しくしてろ」
「む? とんだ風評被害。俺は大人しくしています」
甘んじてガムテープで目隠しをされようとしているのに、大人しくしていない、とは。
「おい、そこ! 喋ってんじゃねーぞ!」
再びこめかみに突きつけられた銃を半ば無意識に奪い取る。くるりと大した抵抗もなく掌におさまったそれに、やっちゃった、と気づいて座ったままの状態から若干無理やり脚を払った。
転んだ犯人の鳩尾に肘鉄を落として意識を刈り取る。
いっせいに銃口が向いたが、尚樹の予想通り、初心者だ。構えただけでろくに照準が合っていないし、向こうが引き金を引くよりも尚樹が行動を起こす方がずっとはやい。
掌に隠し持っていたアメピンを千本がわりにサブマシンガンの二人に投げた。本能的に目を潰そうかとも思ったが、世界観に従って手元に変更した。下手するとこちらが捕まる案件だ。
何やら怒鳴られたが、全員の言葉が重なって判別不能。
もちろん、大人しく聞く義理もないので、近い方の犯人まで跳躍。周りにいた人間の頭上を飛んだので短い悲鳴が上がった。
突然のことに棒立ちの犯人のサブマシンガンを抑えて顎を軽く蹴り上げる。軽く抑えただけだったが、銃はくるりと回って尚樹の手に収まった。
思ったより体重が軽くて体のほうはそのまま宙を舞い、天井に打ち付けられる。漫画世界の人間はめちゃくちゃ頑丈なのでこのくらいは平気。たぶん、きっと。お願いだから生きていて欲しい。過剰防衛極まりない。
引き金を引いた犯人の銃は撃鉄を叩いただけで弾はでない。動揺している隙に頭を横から蹴り払うとうっかりカウンターの奥まで飛ばしてしまった。
書類めっちゃ舞ってる、従業員さんごめんなさい。
左手に偶然にもおさまったサブマシンガンをもう一人、同じ銃を持っていた犯人に向ける。肝心の銃は、手を貫通したアメピンの痛みに耐えられなかったのか床に転がっていた。
引き金に手をかけると、そのモーションだけでびびったのか、相手は銃を拾うこともせずにホールドアップ。
銃を落とすってなかなか危険だと尚樹は思うわけだが。特にマシンガン。安全装置様その辺よろしくお願いします。このタイプに関しては使ったことがないので尚樹も自信がない。
「ガキが! なめた真似しやがって!」
至近距離で構えられた銃は先ほどと同じく不発。サブマシンガンの切先で拳銃を跳ね飛ばす。足を払って倒れたところを、喉仏に向かってかかとを落とした。
「やめろ、尚樹!」
亜久津の静止の声に振り下ろしていた足をとめる。まだぎりぎり潰してない。
「バカ! それは過剰防衛だ!」
「えぇ……半分くらいだって」
「な訳あるか! 急所だ!」
「ソフトタッチだよぅ」
「めちゃくちゃ本気だろうが!」
そうか、これはだめなのか。手加減はとても難しい。幼なじみと言葉を交わしながらもサブマシンガンの弾倉とチャンバーに残った弾を抜く。これで一安心。
「別に本気では……軽くかかと落とし決めただけだよ。まあ次からはやめとくね。でもちゃんと足だけにしたよ」
「てぇ出すなっていうのは、そういう意味じゃねーよ」
「ポケットにしまっとけってこと?」
「そういう意味でもねーわ」
じん君に説教されている間に、チャンスだと思ったのか足元の犯人が起き上がって走り出す。
視界の隅で起こったそれに、右手に残っていた拳銃の引き金を反射で引いた。
サイレンサーなしの銃声はなかなか響く。ついでに、撃たれなれてない人間の声も。悲鳴もいくつか聞こえたが、尚樹としては撃たれたわけでもない人間の悲鳴はちょっと理解出来ない。
「ばっ、お前なに撃ってんだ!」
「え、ちゃんと足の小指狙ったよ? 二割くらいじゃない?」
「ぞわってきたわ、足の小指て」
ひとり苦しんでいる犯人をそのままに、意識の残っている一人を犯人持参のガムテープで拘束する。
「えーっと、お姉さん、シャッターとか入り口の鍵とか開けてもらえますか? 多分もう外に警察来てるんで」
制服を着た行員のお姉さんたちに声をかける。男の人の方がいいかと思ったのだが、スーツだとどの人が行員か分からなかったためだ。
警官二人は特に動く様子はない。多分非番なのだろう。わかる、休みの日は休みたいよね。
起きて暴れられても困るので、意識のない3人もガムテープで拘束。痛い痛いと騒いでいる最後の一人はどうすべきか。少なくとも普通の人間ならあの足では逃げられまい。
ゆっくりと上がっていくシャッターの隙間から、パトカーと武装した警官の姿が見えた。ですよね。
銃を持っているとあらぬ容疑をかけられそうなので、弾倉とチャンバーの弾を抜いてカウンターに放置。警察が回収してくれるだろう。
ここまでして、尚樹はようやく本来の目的を思い出した。
「あ、そうだ、お姉さん」
「は、はい!」
「キャッシュカードの暗証番号忘れちゃったので、教えて欲しいんですけど。手続きおねがいし」
ます、と言い切る前にすぱんと幼なじみに頭を叩かれた。
「うちのバカが悪いな。別の支店にいくわ。今日はもう無理だろ」
「は、はい、すみません……」
「あ、じゃあ銀行閉まる前に移動しなきゃじゃん。じん君、いそご」
できれば警察が入ってくるどさくさに紛れてここから出たい。ネックウォーマーを引き揚げて口元を隠した。
「おい、ポケットの中のもん置いてけよ」
「はーい」
さすが幼馴染。ポケットに銃の弾入ってんのバレてら。
半分忘れていた弾を銃のそばに置く。そのまま持って帰ったら処理に困るところだった。
もちろん、数日後には警察に身元を特定されてしっかり事情聴取を受けたあげく、銃を打ってはいけないとこってりしぼられた。解せぬ。
「と言うようなことがありまして」
「嘘をつくならもっとマシな嘘にしろ。あとそのふざけたパーカーを脱げ」
「いやいや、事実は小説よりも奇なりって言うじゃない」
跡部の俺に対する信用のなさがやばい。疑いの眼差しをむけてくる跡部は、相変わらず尚樹へのあたりが強い。どこかの邪神の方が当たりが柔らかかったのでは?
結局登校するのが昼休みになってしまった尚樹は、購買に残っていた数少ない菓子パンとコーヒー牛乳を胃に流し込みながらことの次第を説明した。
甘い+甘い=甘い。塩いものが欲しい。おにぎり欲しい。
「まあまあ。それで、ちゃんとお金はおろせるようになったん?」
「忍足〜……ほんと信じてくれるの身内以外で忍足だけ。暗証番号は後日郵送なんだって。でも苦労の甲斐あって無事判明しそう。これで夜一さんのご飯の心配がなくなる」
「自分のご飯の心配が先ちゃう?」
「俺はほら、じん君ところで食べてるから」
「あ〜、ゆきちゃんやっけ」
「うん」
いつもご飯を出してくれるので、甘えてばかりではいけないと、食費を払おうとしたのだが、尚樹の父親がいれてくれてるから遠慮なくいつでも食べにおいで、と言われてしまった。
顔も名前も知らない父親と、お金をもらっているとはいえ、日々食事の面倒を見てくれるゆきに感謝した所である。
はーっ、とこれみよがしに跡部がため息をつく。とても幸せが逃げそうなため息だ。
「水沢、いつも言うけどな? サボりの言い訳をするならもう少しマシな嘘にしろ」
ふむ。確かに、朝から銀行強盗に遭遇するのはなかなか稀な話だ。別に嘘ではないのだが、嘘に聞こえることは否めない。
「……寝坊しちゃって?」
「そりゃただの事実だ! 正直かっ!」
「ええ〜、嘘をついて正直とは? 跡部難しすぎない? 思春期なの?」
理不尽にも程がある。
ゴミを手早くまとめて、捨てに行くついでにそっと具現化したほんやくこんにゃくを口に含む。いつも思うがうまくもまずくもない。パックのコーヒー牛乳で流し込んだものの、最悪の組み合わせだ。午後一の授業がドイツ語なので致し方ない。
跡部のこめかみに浮かんだ青筋をみて、忍足はさっと尚樹の手を引く。
「ほらほら、2人とも。そろそろ移動せんと、授業始まるで」
「前から思ってたけど、この学校移動多くない? なんか大学みたいなシステムだよね」
方向音痴の尚樹には大変ありがたくない。忍足と親しくなってからは連れて行ってもらえるのでだいぶ改善されたが、選択が違う科目は相変わらず迷子案件だ。
「あー、せやなぁ。ま、科目が多いからちゃう? 普通の学校はギリシャ語とかドイツ語はあらへんやろ」
「だよねー。ギリシャ語とかは大分使う場面限られてない?」
まだ中国語とか韓国語あたりの方が使う機会がありそうな気がする。正直尚樹はギリシャの位置もよくわからない。
「水沢ドイツ語の他になんか取ってるん?」
「俺ロシア語ー」
「ロシア語もレアやない?」
「まあねぇ。でも一番楽そうだったから」
「楽か?」
「楽だよ? 教室移動しなくていいじゃん」
正直、尚樹にとって難易度はどれも同じだ。ならば選ぶ基準は別のところになるのは当然のこと。
「理由がしょうもなさすぎる……! はぁ……お前は外国語の前に日本語を勉強するべきだな」
「跡部分かってるぅ」
「ったく。ふざけた野郎だぜ」
「まあまあ、跡部、水沢はお前が思っとるより単純明快やで。仲良くしてやり」
というわけで、お友達な、と忍足が跡部の分までラインを登録してグループまで作ってくれた。
「なんだよ、ドイツ村って」
「3人ともドイツ語選択しとるやん? 分からんことあったら気軽に聞けてええやん。水沢得意やし」
「ちっ」
これに関しては、跡部も同意せざるをえない。不本意だが、語学に関してはここ最近水沢が独走している。
「忍足、迷子になったらラインしていい?」
「おー、ええで。近くにおったら迎えに行ったるわ」
『わーい(´∀`=)』
ぴろん、とわざわざラインで返事をしてきた尚樹に、忍足もスタンプを返す。
これは俺も何か返すべきなのか? と思いつつ、先程華麗にスルーされたパーカーの件を注意しておく。フリーダムすぎるだろう、色々と。
「……というか、頭についてるそれはなんなんだ?」
あまりにも自然に、というか堂々とつけている上に誰もつっこまないので計りかねていたのだが、男子中学生の頭についているものではないと思う、普通。
跡部は我慢できずに猫のパッチン留めにつっこんだ。恥じらいというか、羞恥心というものがないのだろうか?
「あ、忘れてた。どうりで視界がいいはずだよ」
「えらい可愛いのつけてるやん」
「でしょー? ほら、銀行強盗のときにさ、ガムテープで目隠しされるところだったから、前髪巻き込みたくなくてじん君に留めてもらったんだ」
「まだそのネタひっぱるのか……」
そんなところに凝らなくていいと跡部は思うわけだが。あと、おそらく「じん君」というのはあの亜久津だろうが、そういうことをするキャラでは到底ないので、やはりこれは嘘である。
渡り廊下に出た途端に、水沢がパーカーのフードを被る。言ったそばからその行動か。
「ざぶい」
「寒がりやんなぁ。ほら、すぐ中に入るで」
「制服って防寒に優れて無さすぎるよね……」
「あー、まあしゃあないわ。ちゃんとカイロしこんどき」
「天才か。帰りに貼るカイロ買ってくわ」
会話の中身がなさすぎる、と呆れながら跡部は二人の後を追った。
跡部が基本的に尚樹が嘘をついていないことに気づくのはもう少し先の話。ちなみにドイツ村のトークルームはほとんど尚樹の迷子報告で埋まることになった。
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