晴れ時々雷雨。その拾参
「ってわけで、俺は楽しくUFOキャッチャーしてただけなのに、出禁になったんだよ。どう思う? 千石」
「むしろ1時間君の相手させられてる俺についてどう思う!? イケニエ! 他にイケニエいないの!?」
「もうバテちゃったの? 千石」
「心外! その言い方心外だよ!?」
先ほどからぜぇぜぇと息を切らしている千石がとうとう地面に両手をついた。ギブアップらしい。
砂でじゃりっとしちゃうよ? という尚樹の忠言は的外れもいいところだ。心配して欲しいのはそこじゃない。
ベンチに座ってペットボトルに口をつけていた亜久津が、尚樹の視線にようやく立ち上がった。
「代われ、千石」
「い、われ、な、くとも……てか、もう少しはやく代わって……」
這々の体でコートからでた千石は、ベンチに座り込んでペットボトルに手を伸ばす。1本では到底足りそうもない。
体力温存なのか、コートに入った亜久津にいつものアグレッシブな動きは見られない。
千石も出来るだけ動かなくて済むようにはしていたが、やはり腕が死ぬ。最後の方は握力がなくなって、打ち返すたびにラケットが飛びそうだった。
体力オバケとかいう問題じゃなくない……? 握力どーなってんの。
普通の試合なら、1〜2時間かかったところでここまでの疲労感はない。理由は簡単で、ラリーの途切れる時間があるからだ。だが、尚樹とのやり取りは試合ではない。あくまでも練習で、こちらからスマッシュなどは打てない。それでも多少の悪あがきで左右に振ったりもするのだが、無駄に尚樹の反応がいいのだ。正反対のライン上に打っても追いついてくる。しかも左右に振られると楽しくなってくるのか、だんだん向こうから戻ってくる球速が早くなってくる。マゾか。
そういうわけだから、千石の何倍も動いている事は確かなのだ。それなのに一分の疲れも見えない表情……、いや、表情だけではない。息切れすらしている様子がないのだ。
花いちもんめのメンバーは現在3人。尚樹一人に対して相手が2人ではどう考えても足りない。これは早急にメンバーを増やすべきだ。
普通3人いたらローテーションで入れ替わるはずなのに、1人はずっとコートに立ったままなんて何かがおかしい……。
夏休みで時間に制限がないのもいけない。ただ、亜久津のいるグループに好き好んで入ってくれて、かつある程度耐久力のある人物となると、千石のツテでは難しい。できれば氷帝のほうから引っ張ってきたいものだ。となれば、尚樹に直接誘ってもらうのが最善。
休憩入ったらお願いしとこ……とベンチに寝そべる。夏の暑い日差しを遮るものもなく、息は多少落ち着いてきたものの、疲労感は拭えない。背中にあたるベンチもなかなか高温だ。よっ、と腹筋だけで起きあがってタオルをかぶる。首筋を伝う汗が不快だ。どこか日陰、と視線を巡らすも、ひらけたテニスコートには無慈悲にも日陰などない。
「あづい」
よくもまあ、この暑さであれだけ動き回って涼しい顔をしていられるものだ。
千石の視線の先では、長袖のジャージを着たままにもかかわらず、特に暑そうにもしていない尚樹の姿。
「いや暑いでしょ、普通に……」
長袖て。こっちは滴るほど汗かいてるのに、なんであんな涼しげなわけ……と項垂れる。正直熱中症一歩手前である。
「おい、そろそろ水分補給しとけ」
本日何度目かのホームランを尚樹がかましたところで、亜久津が声をかけた。ちゃっかり休憩を入れるあたりズルい。俺そんなんなかった……と千石は脱力した。
「はーい」
素直に返事をした尚樹がバッグのなかからペットボトルを取り出す。近くで見ても、その表情は涼しげだ。珍しくかぶっていたキャップをとってフルフルと頭を振るとクセのない髪が広がる。
こっちは毛先まで濡れてるのになんでそんなにサラサラなの……何か理不尽。
「尚樹さ、氷帝にテニスしてくれそうな友達いない?」
「んー? なに、急に。まあいなくはないけど、時間あるかなぁ」
「とりあえず誘ってみなよ」
「よく分かんないけど、まあ明日学校行った時に聞いてみる。あっちも部活で学校きてるし」
「そうして! 是非に!」
食い気味に返してきた千石に首を傾げながらも、尚樹は頷いてくれた。
この際一人でもいい。とにかく人数を増やしたい千石だった。
日曜日の朝は、近所のパン屋にお使いに行くことが多い。好きなパンを買っていくとゆきがいろんな具を挟んでくれるのだ。
「あ、七海さんだ。おはようございまーす」
日曜のこの時間に高頻度で出くわす男性に尚樹は声をかけた。この辺では珍しい外国人な見た目の人だ。ちなみに日本語はペラペラな上に名前がどこをどう聞いても日本人っぽいので、結局どこの国の血が混じっているのかはまったくの不明である。なんとなく北欧系だと思っている。ちなみに彼は気に入ったものを一途に食べ続けるタチらしく、尚樹が目にする時はいつも同じパンを手にしている。お気に入りのパンが商品から消えた時の落ち込みようはすごかった。
「おはようございます、水沢くん。今日もお使いですか」
「はい。ベーグルをサンドイッチにしてもらうんです」
ここのベーグルはみっちりしていて食べ応えがある。流行りの白いパンやもっちりした食パンよりも、尚樹はベーグルやドイツパンなどのずっしりした系統が好きだ。しっとりふわふわよりもそもそしてみっちり詰まっている感じのやつ。だいたい他人には理解されない。
「七海さんは、これからお仕事ですか?」
「そうですね、これを食べたら今日も労働です」
「日曜なのにお疲れ様です」
「そういう水沢君も制服ですね。部活ですか?」
「まあ……部活って言っても植物の水やりなので、たぶん想像してる感じとは違いますよ」
基本的に休み関係なくある部活は運動部だ。尚樹のところは当番制なので、流石にテニス部のように夏休み中部活があったりはしない。
「そういえば、今日夏祭りらしいですよ」
「そうなんですか?」
「ちっちゃいやつらしいですけど。七海さんはお祭りとか行かないですか?」
「そうですね……もう何年も行ってないです」
「6時からそこの稲荷神社のところであるみいなんで、良かったら」
「……そうですね、気が向いたら覗いてみます」
特徴的なサングラスの奥でゆらめいた視線に首を傾げつつも、会計を終えて戻ってきた幼馴染に呼ばれて尚樹は店を出た。
店の中は適度に空調が効いていたが、外は抜けるような快晴。アスファルトから上がる熱気が目に見えるほどだったが、尚樹の体には少し寒いくらいだ。
先日あまりの暑さに辟易して全身にあべこべクリームを塗ったところ、凍えるかと思ったので今回は少し控えめにしたのだが、まだ少し塗りすぎのようだ。首と背中くらいで足りるかもしれない。
「地球温暖化ハンパないね……」
「暑いんならそれらしい格好をしろ……」
「や、直射日光がきついんだって、火傷する」
ちなみに、暑くて、ではなく冷たくて。もともと寒さに弱い尚樹なので、暑さには自信があったのだが、東京の夏は守備範囲外だった。
一通りの作業を終えて、ついでなので教室でお昼を食べながら課題をこなす。ちなみに朝に作ってもらったサンドイッチのあまりだ。大変ボリューミーなので、どちらかと言えば少食な尚樹は半分でギブアップした。弁当がわりに持ってきたのだが、ちょっとアメリカンな感じがしてこれはこれで楽しい。気分が乗ってひさびさに買ったサイダーは夏らしく爽やかだ。
教室から見下ろすテニスコートに、先程まであった人影はない。休憩中かな、と思っていると、開けっ放しのドアから忍足と跡部が姿を見せた。口に食べ物が入っていたので片手をあげるだけで済ます。
おー、と忍足も手をあげて前の席に腰を下ろした。その隣に跡部も座る。2人とも髪が濡れているので水でもかぶったのだろう。教室の中は尚樹にとって快適な温度だが、外は一歩間違えれば凍えるほどだった。さぞかし暑かった事だろう。
「良いもん食っとるやん」
「ゆきちゃんに作ってもらったー。二人は今からお昼?」
「まあな。コンビニ弁当やけど」
弁当、と言いつつもビニール袋の中からは弁当の他にサンドイッチと唐揚げまで出てきた。流石の食欲である。跡部も似たようなラインナップだったので、今時の男子中学生はこのくらい食べるのかもしれない。
「跡部ってコンビニで買い物とかするんだ?」
「お前は俺を何だと思ってんだよ……」
「うーん、お金持ち? てっきりお抱えシェフの作った豪華弁当とか持ってくるのかと」
しかも重箱とかで。
「試合んときは重箱持ってきよったで」
「マジか」
半分冗談だったのだが、合っていたらしい。今まで尚樹の周りに典型的なお金持ち、というのが居なかったのでいささか驚いた。普通ではないお金持ちならたくさんいたが。あと、自覚はないが尚樹自体もハンターの世界ではお金持ちの部類だった。
「あ、そう言えば。忍足ライン登録して」
昨日千石に言われてから気づいたのだが、忍足とはまだ連絡先を交換していなかった。学校に来れば会えるので、必要性を感じていなかったのだ。
「ん? ええよ」
サンドイッチを食べながら、片手で忍足が器用にスマホを操作する。
「あとでじん君にグループに誘ってもらうからね」
尚樹の言葉に忍足の指がぴたりと止まった。何か聞き捨てならないことを言わなかっただろうか。
「ちょいまち、じん君て亜久津のことか」
「うん」
「嫌な予感しかないわ」
一体何のグループなのか、想像もつかない。そもそもラインで連絡を取り合うような仲では決してないはずなのだが。亜久津とはあくまで間に尚樹を挟んでの付き合いなのだ。
「そんなことないよー。一緒に遊ぼうっていうグループだよー」
「ジローも誘ってええ?」
すかさず知り合いを巻き込む。ジローを巻き込んでおけば跡部もついてくるのではないかという打算もあった。
「テニスする人ならOK」
「ああ、なんや遊ぶってテニスかいな」
跡部も遊ぶ? と尚樹が誘ったが秒で断られていた。相変わらずつれない。
「あとジローを変なことに巻き込むんじゃねぇ」
「とんだ風評被害。みんなで楽しくテニスするだけですぅ」
「お前と亜久津がいる時点で信用出来ないんだよ、分かれ」
「えぇ〜」
テニスするだけなのに信用も何もないと思うのだが。尚樹としては跡部の中で自分と幼馴染のテニスがどうなっているのか甚だ疑問である。跡部のほうがよっぽど世間一般から外れていると思うのだが。
「あ、ちなみに俺下手だから。絶賛じん君に習い中だから」
「またあんまり教師には向いてなさそうなところに……大丈夫かいな」
「千石がよく相手してくれる」
「千石もおるんかいな」
「ちょっとずつ仲間を増やしていくんだよ」
「ほーん、亜久津にしてはなかなか楽しそうなことしとるやん」
「じん君はあれで意外と面倒見がいいんだよ」
「それは何となく気づいとったわ」
大変疑いの眼差しを向けてくる跡部。忍足のことはそれなりに信用しているのだろう。その表情からわずかな葛藤が見て取れた。
人を見かけで判断してはダメだ、というのはよく聞くが、ここでそれを自分が言っていいものか。
ダメだな、うん。
この信用のカケラもない状況で言っても、というところだろう。
「午後はまだ部活あるの?」
「2時間くらいやな。3時過ぎには終わるで」
「一番暑い時間帯じゃん……熱中症気をつけてね」
「せやなぁ。ほんとたまらんわ」
熱中症気をつけて、などと言った本人は黒いカーディガンを羽織って涼しげな顔をしている。その胸元には黒糸で刺繍されたブランドのマーク。跡部からすれば、そういうものを自然に着こなしている尚樹の方がよっぽど上流階級の人間に見える。
「あ、そういえば、今日うちの近所でお祭りあるんだよ。忍足も行かない?」
「それ亜久津も行くんかいな」
「もちろん」
「男3人て絵面がひどいわ」
しかも3人ともタッパがある。なんとも暑苦しいが、言った本人は欠片も気にしていないらしい。情緒の問題だな、と跡部はため息とともに最後の唐揚げを口にした。あまり表情が変わらないところはなんとなく顧問の榊と似ている。
「ええ〜、そうかなぁ? 中学生なんてそんなもんじゃない? ゆきちゃんが浴衣着せてくれるんだよ」
「浴衣なあ、流石に実家やわ。何時からなん」
「6時、うちの近くのお稲荷さんとこ」
「あー、あそこな。鳥居んところで待ち合わせでええか」
いや行くのかよ。
話の流れ的に断るところだったと思うのだが、自分がおかしいのだろうかと跡部はこめかみを押さえた。
一度頭から水をかぶったにもかかわらず、すでにじんわりと汗をかいている。
全開にした窓から時折吹き込む温度の高い風が、ぱらりと尚樹の広げていた本の頁をめくった。見覚えのある本だ。
「……読書感想文か」
「ああ、これ? テキストはもう終わってるんだけど、この手の課題がねー。読書感想文もだけどあと絵も残ってるんだよね」
「なんや、テキストはもう終わったん? はやない?」
「んー、ああいうのはほら、埋めるだけだし」
埋めるだけ、とはいうがなかなかの量だ。跡部も計画的にこなしてはいるがまだ3分の1ほど残っている。意外と勉強はできるんだよな、と本を捲る指をなんとはなしに眺めた。
「一番感想文書きやすそうな罪のない課題図書を選んでみたんだけど、そもそも感想文が得意じゃないんだよね」
「まあ得意な人間の方が珍しいんちゃう?」
「そうなんだけどさー、400字詰め原稿用紙5枚て……無理では? 俺にそういう情緒を求めないで欲しい。これはもう書かなくていいのでは?」
「いや、諦めんの早過ぎだろうが」
何が書かなくていいのでは? だ。課題は例外なく提出しなければならないものだ。諦めたところで最終的に書かされるのが目に見えている。
呆れている跡部の心情など気にもとめず、尚樹は跡部のセリフを反芻していた。最近どこかで同じことを、いや、声だ。聞き覚えがある。同じことを同じ声で、どこかで。
「感想文も面倒やけど、絵の方が面倒やない?」
ほんのわずか思考に沈んでいた意識が戻ってくる。掴みかけたものはするりと逃げていった。
「いや、絵はまあ、どうとでも……ただ画材がねぇ、ないんだよね。ポスターってやっぱポスカかな? クレヨンとかはだめだよね?」
「流石にクレヨンは……多分水彩もダメやない?」
「まあポスカかアクリルあたりが無難だろうな」
小学生ではないのだから、クレヨンはないだろうに。別にそれで尚樹が怒られたところで関係はないのだが、根が真面目な跡部はしっかりと忠告しておいた。
「水沢、選択美術やないからなぁ。てか俺もその手のもんは実家やわ」
選択に関しては3人とも音楽だ。二人とも跡部と違って実家暮らしではないので色々と揃っていないものがあるのだろう。面倒なのはわかるが、どうせ毎年のことだ。揃えるより他ない。
「あきらめて買いに行け」
「跡部もお祭り行く?」
「行かねぇし、無視してんじゃねぇ」
お前マジで話の繋がりどうなってんだよ、と力無くつぶやいた言葉は残念ながら尚樹の意識には留まらなかった。
それよりも、無視するな、というその言葉と声が。
今更ながら遥か彼方に追いやった記憶のそれと一致することに気づいて、声優さん一緒かぁ、と大変メタなことを思った尚樹である。
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