晴れ時々雷雨。その拾
夏の暑い日のことだ。
太陽が真上を過ぎてじりじりとうなじを焦がすような暑さの中、尚樹はアイスを食べながら帰路についていた。
何故こんな時間に外を歩いているかというと、テスト期間中だからであって、決してサボりではない。これが終われば夏休みだ。
街中の喧騒はいつの間にか遠く、視界はコンクリートの街並みから緑が増えて、アスファルトには木々の影が揺らめいている。
視界に入った石の階段にふと顔を上げると、古ぼけた鳥居が立っていた。石階段はその奥に続いている。木の影がひしめくそこは、アスファルトの上よりも随分涼しそうに見えた。
ながらく神社とは無縁の生活だったので、たまにはお参りでもするかと石段をのぼる。登り切った先にふたつめの鳥居が見えた。
途中で食べ切ったアイスの棒を何気なくみると、当たりと書いてあった。今時めずらしい。
手水舎で手を清めるついでにアイスの棒も洗わせてもらう。ハンカチにくるんでポケットにつっこんだ。
人気はなかったが、よく手入れされている。財布の中から五円玉を取り出して賽銭箱に投げた。鈴緒を引くと、からからと鈴が控えめな音を立てる。鈴は、現世と神界をつなぐもの。子供の頃は、祖父にそう言われて、ひとりでは引かせてもらえなかった。今思えばあれば、神隠しを警戒していたのだろうか。そういうのを信じるたちではないのだが、今の状況を鑑みればあながち杞憂ともいい切れない。
手を合わせて瞼を閉じると、声が聞こえる。片目だけをちろりとあけると、賽銭箱の向こう、階段を登った先、本殿の中に人影が見えた。
人の気配はしなかったので、仏像の類かと思ったがここは神社だ。本来、あそこには鏡などがあるのではないだろうか。
人影はゆるゆると手招きをしている。足を踏み入れていいものか少し悩んだが、靴を脱いで階段を登った。
中に入ってみれば先程の人影はなく、そこにはいかにも封印していますと言わんばかりの棒状のもの。三方の上に乗ったそれは、凝をしなくても分かるくらいオーラを纏っていた。
アニメや漫画なら、ここで手に取るんだろうな、と思いつつも、賢明な尚樹はくるりと背を向ける。背後で不満げにガタガタと音がしたが、尚樹は振り返りもしなかった。
帰ろうと境内を戻れば、鳥居の下にちょこんと先程の怪しい物体が三方ごとそこにある。
なるほど、ストーカー系か、と一人納得して、尚樹は鳥居の端をくぐった。真ん中は神様の通り道らしい。ふんわりした知識だが、だからきっと、あれも真ん中にあるのだろうと自己完結した。
境内のひんやりした空気で汗はすっかり引いており、時折吹く風がここちよい。階段の途中でも何度か視界の隅にそれは写ったが、尚樹は興味がないものにはとことん興味がないので、気にもならなかった。
もうひとつ鳥居をくぐると、奥には先程の本殿。後ろを振り返る。
「凄い、流石に一本道で迷ったのは初めて」
相変わらず目の前に鎮座するそれを処理しないと出られない系だろうか。改めて凝をすると、予想以上に禍々しいオーラ。ベンズナイフも大概だが、それの上を行く禍々しさとオーラの量だ。
オーラは徐々に人の形を取り始める。おそらく、先程の尚樹が見たのはこれだろう。
「無視してんじゃねぇ」
これは大変ご立腹な様子。あきらか邪神の類なんだよなぁ。やはりお賽銭が五円は少なかったか。
「しょうがないにゃあ」
邪神を無視して再び賽銭箱の前に立つ。財布から十円玉を出してぺいっと放った。
「ケチりすぎだろぉが」
「なんとがめつい……神主さんは神様は金額なんて気にしませんって言ってたのに……」
「そもそも賽銭入れろって言ってんじゃねぇわ。人の話を聞けぇ」
聞いたらろくなことにならないと思うわけだが。
「かと言ってこうしてても話が進まない、かぁ」
面倒ごとの予感しかしない……と尚樹はげんなりした。
「力が欲しくないか?」
「欲しくないですねぇ」
「食い気味に返すんじゃねぇよ」
「いやいや、そんな典型的な闇堕ちのお誘いに乗るわけないでしょう。というか、現代日本で力て……せめてお金とか言った方がまだ現実味がありますからね?」
「お、おお」
「で、何して欲しいんですか?」
回りくどいやりとりは不要だ。どうせそういうのはどれもたいして違いがない。途中で眠くなってしまいそうなので、尚樹は丁重に辞退した。
「あー、なんだ、その札、外してくれないか」
指さしたのは、もちろん先程から尚樹の後をついて回った棒状のものだ。何やら文字が書いてあり、剥がしてはいけない気配が凄い。
「これ、剥がして俺は平気なんですかね……」
「そうだなぁ、まぁ、お前は平気じゃないか」
「なんて不確定な……とりあえず、俺に影響が出ないようにするって指切りでもしようか」
まあ気休めだが。神仏の類は、約束や契約に忠実らしいので。まぁ彼が神仏の類でなかったときはただの指切りに過ぎないが。
「……お前、ちゃっかりしてんなぁ」
「どういたしまして。はい、嘘ついたらはりせんぼんのーます、指切った」
ぺいっと絡めた小指を払う。ちょっとくらい効果があれば御の字だ。どうせ要求をのむまで張り付くつもりだろうし。
凝をしてためつすがめつ。オーラの薄くなっているところから札を引っ張ると思いの外ピッタリと張り付いている。
「剥げませんけど?」
「いや、諦めんの早過ぎだろうが」
「人使いの荒い……あ、ていうかこれ俺にメリット無いのでは!? ご褒美ないんですかね、えーと、ナナシさん」
「宿儺だ」
「すくなさんね」
「今頃気づいたのか、おまえ……欲のない奴だと思ってたんだが」
「いや、ただ単に面倒過ぎて。まぁあなたお金持ってなさそうですもんね」
「本当に失礼なガキだな。まぁ金は持ってねーけど」
「はぁ……タダ働き……でもご褒美強請ってもどうせ屁理屈こねてなんか酷いことされそう」
「お前どんだけ人間不信なんだよ……」
「取り敢えず俺に不利益なことしない、ヤバそうな時は助けるって事でどうでしょう」
はい、と再度小指を差し出す。それになんとも嫌そうな顔をして宿儺が指を絡めた。やっぱり何かするつもりだったな。しぶる、という事は指切りには多少効果があるということか。
「はーい、開けますよー」
今度はすこし指先にオーラを集め札に手をかける。最初を剥がしてしまえば思ったよりもあっさりと解けていった。札がたくさん張り付いているかと思っていたそれは、長い帯状の1枚だったらしい。中から出てきたのは赤黒い木の枝のようなもの。よくよく見れば、人の指だと分かるそれ。
「うえ……えんがちょー」
「相変わらず失礼なガキだな」
「で? これどうすんの?」
「どうするかなあ」
「ええ……何か考えがあってのことじゃないの?」
「いやあ、本当はお前に飲ませようと思ったんだがな? 不利益な事はしないって約束だろう」
「いやいや、約束とか以前に飲みませんよ、こんなもの。衛生観念やばいでしょ」
何をどうすれば飲み込んでもらえると思ったのか。尚樹にカニバリズムの趣味はない。
「もう少し人間の情緒を学んだ方がいいのでは?」
いつまでも持っていたくないので、三方の上に札と一緒に戻す。
「もう帰ってもいいですかね……」
「いやいや、置いて行くなって」
「いやいや、どうして持っていってもらえると思ったんですかね」
ずうずうしい。少なくとも、自分の家にミイラの指を置いておきたい人間は少ないだろう。三方を元の場所に戻して念のため両手を合わせておく。神仏は軽率に祟る。
「じゃあね、すくなさん」
ひらひらと手を振って境内を後にする。またもや鳥居の下に三方が見えたが、もちろん尚樹は華麗にスルーした。再び鳥居をくぐって境内に戻ったときには、流石に深いため息をついたが。
「なあ、頼むから連れて歩いてくれよ。ここは退屈なんだ」
「いやいや、ヤバいでしょ、ミイラの指持ち歩いてる中学生とか」
なんてしつこい神様なんだ。一応約束したせいか、攻撃は出来ないみたいだが。
ポケットに手を突っ込んで指先にあるたる感覚に、その存在を思い出す。
「はい、これあげるから、大人しくしてて」
「あたり? なんだこりゃ」
指の横に並べてやって、鳥居をくぐると同時に部屋に直接転移した。
窓際に設置してやったキャットタワーのハンモックから夜一が顔を覗かせる。
「なんだ、また迷子か?」
「失礼な、なんか迷惑な人に絡まれたから逃げただけ。決して俺の落ち度ではアリマセン」
実は神社にたどり着いた時点で帰宅ルートからはズレており、迷子になっていたのだが、本人はそれに気づいていなかったのでノーカウントである。
それはともかく、先程人間の指などというものを素手で触ってしまったので、手を洗いたかったのだ。念入りに指を洗いながら、お祓いに行くべきか悩む。ああいうのに遭遇したのは初めてだが、碌なものではない。
「ん? あれは御神体っぽかったからお祓いきかないのか」
邪神でも神は神。どこかでそんな言葉を聞いた気がする。
「まぁ、あの神様あそこから出れなそうだったし、大丈夫かな」
もし出れるなら、わざわざ尚樹を境内に戻したりしないだろう。
それきり、その件は尚樹の中で無かったことになった。
日本人には珍しい銀髪に、尚樹は振り返った。
「カカシ先生?」
ひょろりと長い体躯に、見事なまでの銀髪。目元を隠す額当て。冷静に考えれば東京にいるわけもない。気配が違うにも関わらず、思わす声をかけてしまった。
よくよく見れば、目隠しは額当てではなく、普通に目隠しだったし、カカシと違って両目を隠していたわけだが。
「……、あれ、もしかして今の僕のこと?」
「あ、すみません。知り合いに似てたもので」
「へえ? 自分で言うのもなんだけど、日本人にしては珍しい見た目だと思うんだけどね、僕」
「まあ、そうですね。地毛ですか、それ」
「うん。そのカカシ先生? って人もこんなにでかいの?」
「あー、大きいけど……たぶん180くらいですかね」
目の前に立つ男性は、今現在180越えの尚樹よりもさらに高い。だから、見た目だけなら尚樹もカカシだとは思わなかっただろう。身のこなしやオーラの流れから、彼が一般人でないことはすぐに分かった。たぶん、このどこか死に近い空気が、あの世界を錯覚させたのだ。
「君、お名前は?」
「水沢尚樹」
あっさり名乗った少年に、五条悟は内心で苦笑した。自分が、明らかに怪しい格好をしている自覚はある。何せ目隠しをしているのだ。そんな相手に躊躇いもなく名前を名乗るとは。
「高校生?」
「中学生」
「マジ?」
「マジ」
「はぁ〜、最近の中学生は発育がいいねぇ。今一人? 暇?」
ナンパみたいなセリフだが、別に本当にナンパしているわけではない。目の前の少年から、宿儺の気配が僅かにするのだ。どこか悠仁に似たそれは、確かに宿儺のものだった。
「あ、知らない人について行っちゃダメって言われてます」
「そこはちゃんと教育されてるんだぁ。お兄さんは五条悟って言うんだよ。もう知り合いだね? で、暇?」
「これからテニス。今お迎えを待ってるところです」
「そっかぁ、じゃあお迎えが来るまでちょっとお話いいかな?」
「どうぞー」
都合はいいけど、警戒心がなさすぎて心配になるレベルだ。ちょっと悠仁を彷彿とさせる。残念ながら表情はないに等しかったが。
「尚樹はさ、幽霊とか見えたりする?」
「どっちかというとゼロ感ですね。そう言う場面に遭遇してないだけかもしれないけど」
五条はもちろん知るよしもないことだが、早寝早起きの尚樹は夜中に出歩いたりは基本しないし、それゆえに肝試しなどもしたことがない。
「そっかぁ。お兄さん、探してるものがあるんだけど、もしかして最近お札の貼られてるヤバそうなものとか見てない?」
「ヤバそうなもの……お札かぁ。写真とかないです? 貧相な想像力だと家内安全的なのしか思い浮かばないんですけど」
思わず吹き出した自分は悪くない。言うに事欠いて家内安全とは。お札はお札でもいい方のお札である。
とりあえずスマホを操作して封印されている状態の宿儺の指を表示する。
「はい、これ。中身は人の指なんだけどね?」
「ええ……ホラーじゃん……」
声だけはなんとも嫌そうだが、表情は特に変わらない。やりやすいんだけどやりづらいなぁ、と五条はその変化に乏しい表情をつぶさに観察した。
「おい、そいつから離れろ、尚樹」
背後からかかった声に振り返る。ジャージを着てテニスラケットバッグをからった少年が二人。どちらも尚樹と同じか少し低いくらいの背丈だ。彼らが、先ほど尚樹が言ってたお迎えというやつだろう。
おそらく脱色だろう髪色は自分に近いアッシュ。こちらの二人は人並みの警戒心は持ち合わせているようで、いかにも警戒していますという視線を寄越してくる。
尚樹を庇うように二人が間に割って入った。
「こいつになんの用だ?」
「あー、ちょっと探し物してて、見たことないか聞いてただけだよ」
無害だよ、と両手をあげてアピールしてみるがあまり効果はなさそうだ。
「お前も、よそ見してはぐれてんじゃねぇ!」
「じん君の手ェ離したらだめじゃろ」
「ひょえ……飛び火した」
もう勝手に手を離したらだめぜよ、と手を握っている光景に君たち中学生だよね? と突っ込んでいいのか否か。
問答無用で手を引かれていく尚樹の腕を掴んで引き留める。彼の生活圏に宿儺の指がある可能性が高い。このまま別れるのは惜しいのだ。
「ね、連絡先交換しない?」
「はぁ? 誰が変質者と。ふざけんなよおっさん」
「あんまりしつこくすると警察呼ぶぜよ」
尚樹が返事をする前に他の二人が食い気味に返す。君たち中学生だよね? と今度は危うく口から飛び出そうだった。
「まあまあそう言わず。さっきのあれ、見かけたら教えてほしいんだよね。ラインでいいからさ。ほら、ふるふるしよ?」
ラインを開いてスマホを振って見せる。流石に無理か、と思ったところで意外にも尚樹がスマホを左右に振った。
画面には水沢尚樹の文字。
「ばっ……お前何してんだ!?」
「ふふふ……俺は日々進化しているのです。ひとりでもふるふる出来るようになったんだよ〜」
なぜか自慢げに言う尚樹に、全員絶句。
「尚樹……こんな怪しいおじさんを友達に登録したらだめじゃき、ブロックしときなさい」
「え、大丈夫だよ、はる君。ちゃんと知り合いだよ」
自分で言っておいてなんだが、あれで知り合い認定していいのか。この数分のやり取りでまわりの反応の意味がよく理解できた。
「尚樹、僕が言うのもなんだけど、変な人についていっちゃだめだからね? あと変なもの触らないようにね。怪しいもの見つけたら触らないで僕に連絡して? いいね? 分かった?」
「はーい」
その返事は絶対分かってない。ばいばい、と手を振って去っていった尚樹の右手は、しっかり繋がれている。まあ、あの二人がいる時は大丈夫なのだろう。
ブロックされる前に、と登録したばかりの連絡先に先程の呪物の写真を転送しておく。
「見つけたらよろしく、と」
ほどなくぐっと親指を立てる猫のスタンプが返ってきたのは、いいのか悪いのか判断に迷うところだった。
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