晴れ時々雷雨。その玖

早朝に着信したメールは、差出人こそ横文字だったものの、タイトルは日本語だった。
お父さんです。
ポツリとそれをマンションの一室で読み上げた尚樹はためつすがめつ。
あやしい。
身内を装ったウイルスメールか、とタップする親指を引っ込める。
Flash全盛期を生きた尚樹は、スマホ世代より俄然警戒心が強い。主に、電子世界に限って。他はもちろんガバガバである。
なので動く広告は絶対に踏まないし、不審なメールはまず開かない。リモートコンテンツは絶対に読み込まないし、リンクも踏まない。
息子の中身がまさかそんなことになっているなど知る由もない父親からのメールは、残念ながらそのまま尚樹の記憶から消去された。幸いだったのは、データ自体が消されなかったことか。
実のところ、メールは榊から尚樹が英語のメールは須く迷惑メールだと思っている事実を知らされた父親からのものだったのだが、残念ながら今度はタイトルでウイルスメール認定されてしまった。フォロー出来る人間はここにはいない。

ここのところ頻繁に父と主張するタイトルのメールがスマホに届く。
ポケットの中でガラケーよりも控えめに着信を主張したそれに、尚樹は足をとめた。方向音痴のため、幼馴染みに歩きスマホは硬く禁じられている。すでに見知らぬ街並みだが、尚樹はちゃんと亜久津の言いつけを守った。
スマホの通知画面にはメール1件の文字。実のところ尚樹にメールを送る人間はほぼいないので、これは迷惑メール確定である。
「なにしちょん、こんなとこで。じん君どうしたき」
両手でスマホを持って、音がするならポチポチがふさわしいくらいに真剣に操作していると、しばらく前に知り合った仁王が目の前に立っていた。
「じん君は今日一緒じゃないよ、ちょっとぶらぶらして帰ろうと思って」
「さよか」
話しながら、仁王は取り出したスマホに高速で文字を打ち込んだ。
先ほどの尚樹の拙い操作とは大違いだ。鮮やかな指捌きに感心する尚樹は放置して、仁王は出会ったら迷子と思ってくれ、と言う亜久津の言葉に従って目の前の男を捕獲する。もちろん、亜久津には連絡済みだ。
「はる君はどうして東京いるの?」
「あー、試合の帰りぜよ。ゲーセンでも寄ろうと思ってな」
「ゲーセン!」
「行きたいん?」
「UFOキャッチャー!」
「あー、連れてっちゃるきに、手離したらいかんぜよ」
絵的にだいぶおかしいが、放し飼い厳禁だ。亜久津にも言われているし、前回実感した。
妙にUFOキャッチャーに興奮している尚樹がどこか行かないように、しっかり手を繋ぐ。
「おっきいぬいぐるみあるかな?」
「あるかもしれんけど、とれんやろ。最近はどこも弱アームじゃき」
なんなら、三本爪に至っては確率機だ。この様子では知らないのかもしれないが。
「あんまり金つぎ込んだらダメぜよ」
つい心配になって口を出す。亜久津の態度もよくわかる気がした。
駅前のゲーセン、とすかさず現在地をラインに流して、喧騒に包まれた建物の中に入る。外は少し汗ばむ気候だが、中は程よく空調が効いていた。
手前側のスペースにはそれこそ尚樹ご希望のUFOキャッチャーが所狭しと並んでいる。仁王の本当の目的は奥側の格ゲーなのだが、とりあえず亜久津が来るまではお預けだろう。
入り口最初の、明らかに客引き用と思われる大きめのUFOキャッチャーに早速尚樹が興味を示す。白い猫の頭型のクッションが敷き詰められ、その上にひとつだけ取りやすいようにポツンと置いてある。気の抜けた表情の猫の頭は、まあ仁王でもそこそこ可愛いと思う。
ただ最悪なことに三本爪だ。十中八九確率機だろう。
確率機、というのは。設定した金額まで絶対に取れないようになっている筐体のことだ。掴んで持ち上げる事はできるのに、上まで持ち上がると落ちてしまう。あれは衝撃で落ちたように見えるが、意図的にそのタイミングでアームが外れるようになっている。入れられた金額が規定値に達したら、落ちる事なく出口まで運んでくれるのだ。テクニックもクソもない。
だが、楽しみにしている人間にそれを説明するのもどうかと逡巡する。2、3回で辞めさせよう……と500円玉を突っ込んだ尚樹の隣で決意した。
ふらふらと落ちてきたアームは一つあぶれていたクッションと、その下のクッションに爪を引っ掛けて、最終的に上の一つだけをかかえて上昇した。うえまで引き上げた時点で仁王の予想通り、爪が外れる。残り2回。
「ふむ……ふたつ一緒に取れそう」
「……せやな」
いや、せやな、じゃないやろ自分。てかなんで今のでいけると思った? じん君はよう来て。
全くめげる様子なく、尚樹がボタンを押す。バッチリ目当てのクッションの上に落ちたアームは、柔らかな猫の頭を潰しながら、下のクッション部分まで埋まった。そのままグイッと上のクッションを潰したまま下のクッションまで抱き抱える。
……は? いやいや、でも上にいった時点で落ちるし……。
仁王の予想に反して、アームは上までいってもしっかりクッションを抱えたままだ。そのまま出口まで運んできて、ボトボトとクッションを落とす。取り出し口がいっぱいだ。
金額が規定値に達したのか? と首を傾げる。残り1回。さすがにこれは何も取れないだろう。
これあと1個しかとれないかなー、なんて尚樹は呑気なことを言っている。残念ながらUFOキャッチャーはそんなに優しくない。
ガシッと掴まれたクッションは、しかし仁王の予想にまたまた反して、何事もなく出口まで運ばれた。
でかめのクッションが3つたまって取り出し口がひっかかる。
側にかかっていた景品用の大袋を1枚取って尚樹に渡した。さすがに2つまでしか入らなくてもう1枚渡す。
入り口での出来事だったので、軽く客引きパンダみたいになってしまった。尚樹の離れた筐体は、既に別の人間が手を出している。尚樹のを見て取りやすいと思ったのだろうが、とんだ誤解だ。
微妙な気持ちになりながら案の定落ちていくクッションを認めて視線を逸らす。なぜ自分が罪悪感を感じなくてはいけないのか。
「もふもふのモチモチだよ、はる君」
「せやな」
とりあえず手を繋ぎ直して、ふたたびキョロキョロし始めた尚樹に注意を払う。所狭しと並べられた筐体の間をうろちょろされたら、見つけるのに骨が折れる。
「結構いろんな商品があるんだねぇ」
「あー、最近はぬいぐるみ以外にも色々あるぜよ」
「あ、コーヒーメーカー。あれ欲しい」
「……おー」
この手の箱タイプはちゃんと爪が引っかかっても取れないのだが。
「しかも1プレイ100円とは……太っ腹」
1回や2回でとれないから100円なんですよ、とは流石に言えない。
500円6プレイだが、尚樹は100円にしたようだ。
分かっているのかいないのか、箱の位置にアームを合わせたものの、その位置では箱の横にある窪みに爪が入らない。
これはダメだな、と早々に悟った仁王の目の前で、アームは箱の窪みなど気にしないとばかりにグイッと商品をもちあげた。
いやいや……アームが強すぎやろう……箱がちょっと凹んでるやん……。
混乱する仁王の横で、尚樹は100円でゲットしたコーヒーメーカーにご満悦だ。
クッションをひとつしか入れていなかった袋に無造作に箱を突っ込む。
「あ、カービィの扇風機! かわいい!」
涼しいかどうかは怪しい、見た目だけはかわいい扇風機に尚樹が飛びつく。今のは危なかった。迷子的な意味で。つまりこうやって迷子になるんやな、と手を離していた隙に目の前からいなくなった尚樹に仁王は深く頷いた。亜久津はまだか。
1回で華麗に商品をゲットする尚樹に無言で袋を手渡す。ついでに取りに行くのが面倒なので、2、3枚失敬する。
その後も膝掛けや土鍋など、ほしいままに商品をゲットする尚樹。遠巻きに見物人が増えている気がするが、本人は全く気にする様子はない。気づいているかも怪しいものだ。
大箱のポッキーと大箱の板チョコをゲットしたあたりでお待ちかねの救世主。
この時ほど亜久津の顔を見て安堵したことはない。むしろ人生初だ。
「おら、ゲーセン荒らしやめろ」
「あ、じん君だ。外暑いし、アイス食べよ。高級アイスそこにあるよ。100円て安くね?」
安くね? とか言っているが、それは一発でとれたらの話だ。普通は安くない。
あと、普通にコンビニで買うみたいに言わない。
ゴロゴロと落ちてきたアイスに思わず遠い目。安かったデスネ。
6個も落ちてきてしまったので、尚樹はなんの気なしに近くにいた女子高生に3つあげていた。
だいぶ前からついてきていた3人組だ。尚樹は気づいてなかったかも知れないが、仁王はさすがに気づいていた。尚樹のUFOキャッチャー無双が気になったのか、はたまたでかい男子中学生が仲良くおてて繋いで歩き回ってるのが気になったのかまでは定かではない。ちなみに後者なら、仁王の名誉のために声を大にして言いたい、誤解だ、と。
外に出るとむわりとした熱がアスファルトから上がってきた。
近くのベンチに腰掛けてありがたくアイスを頂戴する。
「またずいぶん取ったな……」
「じん君、ゲーセンすごいね。いろいろあるから楽しくなっちゃった。コーヒーメーカー取れたから、豆買って帰ろうね」
「おー」
「あ、はる君付き合ってくれてありがとー。ポッキーあげる」
「ええんか?」
「うん。いっぱい取れたし」
「せやな、いっぱいとれたな……」
何をどうしたらそうなるのか、ディスプレイされていた分も雪崩をおこして落ちてきたのだ。ついでにたくさんとれたクッションと板チョコもあげるね、と大袋につめて渡される。
「迷惑料として貰っとけ」
「迷惑ではないけど……困惑はしたな……」
「あー……」
亜久津の態度から、だいたいいつもこうなんだな、と察する。
すでに1人では持ちきれない量の景品を横目に、何人か動画撮っとったなとため息をつく。知り合いに見つからなければいいのだが。一応顔は写ってないはず。ただ制服だったので、見る人が見れば分かるだろう。
最近は写ってる人間に無断でネットにあげる連中が多いので油断できない。
早速大箱の板チョコを開けようとして亜久津に止められている尚樹を横目にアイスを食べ切る。どうもチョコの中身が気になって仕方ないようだ。でかい板チョコが入っているだけだと思うのだが。
「はよ帰らんと溶けるんちゃう?」
チョコ的には、ぎりぎりの季節だろう。もうすぐ本格的な夏が来る。
「そうかも。たくさん取って満足したし、今日は帰ろっかー」
「せやな、じん君も、迎えに来たし」
「おい、じん君やめろ」
「ええやん。俺なんてはる君ぜよ?」
「良くねーよ……」
抗議しつつも荷物を半分持った亜久津が立ち上がる。ほら、この面倒見の良さ。あきらかじん君の方がしっくりくる。
振り向き様に手を振る尚樹と、それを引っ張っていく亜久津に仁王も手を振って改札をくぐった。
なお、柳には翌日すでにゲーセンのことは知られていた。真田には内緒で頼む、と大判の板チョコを賄賂として渡しておいた。