晴れ時々雷雨。その陸

気がつけば神奈川でしたとさ。
「……俺はほんとにバカだよねぇ?」
駅のホームで尚樹はぽつりとつぶやいた。
だらだらと歩いてみんなが過ぎ去ったあとのホームを歩く。
地上へ出る階段を上って、見慣れない風景に目を細めた。
どうもぼんやりしている間に、というか寝てる間にこんなところまで来てしまったらしい。
さすがの尚樹も、ここまで亜久津を呼ぶ気にはなれない。
目についた屋台で肉まんを一つ買って、とりあえず腹を満たそうと公園を探しながらそれに口を付けた。
適当に緑の多そうなところを目指して突き進む。
坂の上に背の高いフェンスが見えて、夕日が反射していた。学校かな、と意外に熱かった肉まんにふーふーと息を吹きかけながら歩く。
「夜一さんにも買って帰ろうかな」
もうこれは、どこでもドアで帰るしかなくね? と久々に念能力の使用を考えた。
坂を上りきったところにあったのは、テニスコートだった。バスケット用のゴールも端の方にあるから、別にコートの使用目的はテニスに限らないのだろう。
「バスケかぁ」
ずいぶんとやっていない気がする。これでも、中高とバスケ部だったのだ。
隅の方にベンチを見つけたので、これ幸いと中に入って腰掛ける。もうすぐ夏だというのに少し冷える。
そろそろ長袖も終わりの時期だろうか。
夏服ださないとなぁ、と4月に買って以降クローゼットにしまいっぱなしのそれを思い出した。
夏服はさすがにちゃんと制服着ないとばれるよなぁ。校章とか刺繍で入ってそう……。
学校指定のカーディガンは、値段を見て目ん玉がぶっ飛びそうになったので丁重にお断りした。
そもそも、制服がなんであんなにバカ高いんだ。思わずYシャツも買わずに持っていたものを代用してしまった尚樹である。カーディガンも元から部屋においてあったものを拝借してる。
なんせ、持っているお金は限られている。おそらく、この体の持ち主はお金持ちだったのだろう、と言う額が現金で部屋にはあったが、それで全部だ。
キャッシュカードが使えればまた事態は違っていたかもしれないが、バスワードがそれを阻む。
肉まんを食べきって、ため息を一つついた。
ベンチから立ち上がって、フェンスの近くに落ちていたバスケットボールを拾いに行く。誰のか分からないが、少し使わせてもらうことにした。
軽く地面にバウンドさせると手の平に懐かしいボールと、砂の感触。外でやると砂がなぁ、と顔をしかめる。意外と目に入ったりするのだ、これが。バスケットはやはり室内に限る。
ゴールに向かって投げたが、あえなく跳ね返って足下に戻って来る。テニスもノーコンと言われたが、バスケでもたいがいノーコンと言われたものだ。
「あ、この身長ならもしかしてダンクシュートが出来るんじゃ……」
ついでに、ちょっと念を使ってジャンプ力を強化してしまえば楽勝だろう。一度やってみたかったんだよな、と軽く助走して地面を蹴った。ちょうど眼の高さにリングが来る。
だん、とゴールに体重のかかる音と、ボールが地面に当たる音が重なった。
手を離して着地し、上を見上げる。
意外とあっさりできちゃったなあ、と昔はジャンプしても手の届かなかったそれを感慨深く見遣った。
ぱちぱち、と手を叩く乾いた音が響く。背後から聞こえたそれに、尚樹はゆっくりと振り返った。
もしかして、ボールの持ち主だろうか、と内心で少しあせる。
「うまいもんじゃ」
「……どういたしまして」
うろ覚えだけど、この顔には見覚えがある、と整った顔を観察した。
「他にも出来るんか?」
「まあ、多少は……あ、スリーポイントはさっき豪快にはずした」
「見ちょったよ」
「そう」
一体いつから見られてたんだろう。誰だっけ、とボールを拾ってゴールに入れる。
「あんた、名前は?」
「尚樹・水沢……じゃないな、水沢尚樹」
ついついハンターにいた時の癖で逆に名乗ってしまう。体に染み付いてるなぁ、とこんな些細なことで過ごした年月の長さを思った。
「俺は仁王雅治じゃ、よろしゅうな」
「仁王、雅治……」
ああ、コート上の詐欺師か。
ようやく思い出して尚樹は足下に戻ってきたボールを拾った。
と言うことは、もしかしてここって立海の近くなのか。
それにしても、自分はどうにも銀髪と縁深い気がする。
ボールをつきながらスリーポイントのラインまでバックして、放る。がん、と音を立ててまた跳ね返って来た。
「だいぶ鈍ってるなー」
「昔からやってるんか」
「ちょっとね、でもここ数年はボールにも触れてなかったし、存在も軽く忘れてた」
「なんじゃそら」
「まあ、色々あってね」
そもそも、ハンターやナルトの世界にバスケットボールと言うゲームが存在するのかさえ怪しい。
それにしても、このボール、念能力でうまくコントロール出来ないんだろうか。
傀儡の術もどきなら出来るかもしれないが、あれはそんなに精度が良くない。いやいや、こんなことに真面目に念能力を使ってどうする。でも日頃の行いって大事だよね。
まぁ、練習にはちょうどいいか、とひとり問答の末、もう一度ボールを構えて適当に放った。ガン、ガン、と少し激しい音を立ててボールがバックボードとリングの間をはねた。
なんとかゴールに収まって地面に落ちる。
理想は、放物線を描いてリングの中にまっしぐら、だったのだがなかなかそうはいかないようだ。
落ちたボールを仁王が拾って尚樹の横に並んだ。数度地面にボールをついて、尚樹と同じように放った。フォームが綺麗だなぁ、と全身のバネを使った投げ方に感心する。
わずかに飛び上がって、地面に着地した仁王は自分の放ったボールがリングに吸い込まれて行くのを見送って、ぱちぱちと乾いた拍手を送る尚樹に視線を移した。
「うまいね、仁王」
「雅治でよか。水沢は細いくせに力が強いの」
「そう?」
「軽く投げてるように見えるのに、腕の力だけでゴールに届いちょるからな」
膝のバネを全く使わず腕だけでスリーポイントを決めてしまうのだから、たいしたものだ。
さり気なく尚樹の身体を観察する。制服の上からなのでよく分からないが。あまりがっしりしている様には見えない。
身長は高いが、どこかひょろっとした印象を受ける。
それでも、少し見ていただけで体幹と足腰にしっかり筋肉がついている事は疑いようも無かった。
「言われてみれば確かに、昔はなかなか届かなかったなぁ」
再び足下に戻ってきたボールを拾って、懐かしそうにゴールを眺めた尚樹の横顔を夕日が赤く照らす。
地面に長く伸びた影。
ずいぶんと昔の事の様に話すんだな、とその横顔を眺める。
自分と同じフォームで投げられたボールは。綺麗に放物線を描いてゴールに吸い込まれていった。

ピピピ、と簡素な音が控えめに主張する。
ゆったりとベンチまで戻った尚樹がバッグの中からスマホを取り出して耳に当てた。興味の無いふりをして耳を澄ます。
相手方の声は聞こえないが、尚樹の返答はどうも要領を得ない。会話の大半が「分からない」と「大丈夫」で占められている。
目だけで振り返った尚樹に盗み聞きがばれたかと思いきや、そのままスマホを差し出された。
「じん君が代わってだって」
じん君って誰、とか突っ込む前にスマホを受け取ってしまう。躊躇しつつもそれを耳に押当てた。
「……もしもし?」
「ああ、わりーけど、今どの辺か教えてくれ」
どの辺? 場所の事か? と首を傾げる。尋ねるとそうだ、と返された。
ざっと場所を説明すると長い長い沈黙のあとに、電話越しでも分かるほどのため息。
いったいなんなんだ、と思わずスマホを見つめた。
『あー……こんな事、赤の他人に頼むのもどうかと思うが、あんたの目の前にいる茶髪の男、東京都在住の迷子だ。ほっとくと遭難するから駅まで連れて行って、かつどっかに繋いどってくれないか』
「……繋ぐ」
ってまるで犬の様に……いや、無理だろう、自分が変態過ぎる、と仁王はそのお願いに内心でツッコミを入れた。
「じん君、ここ遠いからお迎えいいよ。俺一人で帰れるよ、ちょっと歩けば東京だよ」
「あー……とりあえず、駅に連れて行ってやるきに」
『助かる』
電話から漏れる声を聞いていたのか、仁王に向かって話しかける尚樹に、なんとなく察して思わず了承してしまった。具体的には、ちょっと歩けば東京のあたりで察した。
簡潔に返事をして通話を切ってしまった相手に同情して、スマホを返す。
まあ、繋ぐ云々はおいておくとして、駅まで連れて行くぐらいは問題ない。どうせ自分も電車で帰るのだ。
「じん君なんて?」
「迎えにくる言うちょった。一緒に駅まで行こうかの」
「ええー……時間かかるからいいって言ったのに」
「大人しく保護者の言う事聞いちょき」
「保護者じゃなくて、幼馴染みだよ」
やっぱり保護者じゃないか、と苦労してそうな尚樹の幼馴染の声を反芻する。
少し語尾が強めの、若い声。自分の周りには、あまりいないタイプだと思う。
尚樹を手招きしてテニスコートを後にする。坂をおりながら後ろを振り返ると、思ったよりも尚樹との距離が開いていた。
足を止めて追いつくのを待つ。
再び歩き出すと、後ろから聞こえるはずの足音が聞こえない。気になって振り返ると、今度はすぐ後ろをついてきていた。
気のせいかと思って、しばらく無音のままに歩く。不安になってもう一度振り返ると、そこに尚樹の姿はなかった。
思わずぎょっとして思考停止。慌てて来た道を戻る。脇道をのぞきながら歩くと、すぐにその姿を見つけた。
「何しちょる」
「あ、見て見て、猫だよ」
かわいいでしょ、と抱き上げてみせたのは、尚樹の言葉通り猫で、しかしお世辞にも可愛いとは言いがたい不細工な猫。
だがしかし問題はそこではない。
迷子、遭難、繋ぐ……先ほどの電話の声が断片的によみがえる。本格的に同情した。
「水沢」
「あ、尚樹でいいよ。んで、俺ははる君って呼ぶ」
「……決定事項なんか、それ」
まさ君ではなくはる君。いやどっちでも小学生的な響きに違いは無いが。
とりあえず尚樹の右手を握る。お手手つないでなんてそれこそ小学生以下だが、致し方ない。リードは持ち合わせていないのである。
「ほら、じん君迎えにくるから帰るきに」
「はーい」
天才少年も存外子供っぽい。普通こういう子ってもっと擦れてそうなものだが。
その後肉まん買いたいという尚樹の要望に応え、駅に着いたあとも尚樹の代わりにスマホでじん君とやり取りをして、気がつけば迷子捜索支部・神奈川というグループラインに招待され、じん君という可愛らしい呼ばれ方をしているのが亜久津仁だと知って衝撃を受けた仁王雅治だった。