晴れ時々雷雨。その伍

コンビニのケーキの中からモンブランを1つ手に取る。そのとなりに並んだショートケーキもかごに入れて、ついでに紙パックの飲むヨーグルトを手にとってレジに並んだ。
財布の中からお札を取り出そうとして、ふと尚樹はその存在に目を留めた。
おつりと商品を手に取ってATMの前に立ち、キャッシュカードを差し込んで、はたと手を止める。
「パスワード……」
暗証番号を入力して下さい、の文字に手が止まる。とりあえず、自分の誕生日を入れてみたが案の定エラーだった。
カードを抜いて財布に戻す。
さて、どうしたのもか。
自動ドアを抜けて外に出ると、街中の喧噪が戻って来た。

「じん君はー、敵が多すぎじゃないかな」
地面に伏す学生服姿を認めて、尚樹は亜久津の背中に声をかけた。
まさかこんな世界で、というか日本で、こんな場面に遭遇する日が来ようとは思わなかった。
なかなか、争い事とは無縁でいられないらしい。
パックのヨーグルトをストローで吸う。最近のマイブームだ。
「いねぇと思ったら……お前コンビニ行ってたろ」
「うん。じん君の好きなモンブランも買ったよ、栗は無いけど」
街中を亜久津と歩いていたら、いきなり不良っぽい人たちに絡まれて喧嘩を始めてしまったので、こっそり抜け出して近くのコンビニに行って来たのだ。
だって、うっかりしたら生身の人間なんて殺しちゃいそうだし。こんなところで人殺しなんてしたらただじゃ済まないだろうし。
「……帰るか」
「うん」
少し前を歩く亜久津に尚樹が着いて行く。それだけで、何となく人が避けてくれるから人ごみが苦手な尚樹は大助かりだ。
放課後は時々亜久津に氷帝まで迎えに来てもらってテニスをするのが最近の習慣だ。相変わらず下手だけどなかなか楽しい。意外に面倒見の良い亜久津は、いっこうに上手くならない尚樹の相手を文句も言わずに務めてくれれる。幼馴染み様々である。
その帰りにこうやってチンピラに絡まれたりもするわけだが、それはそれと言うことで。
「あれー? その子あっくんの友達?」
「あっくん……」
「てめぇ千石、その呼び方すんじゃねぇ」
「なんか、じん君の友達にしてはさわやかうさんくさい系だね」
ぶっと尚樹の台詞に亜久津は不覚にも吹き出した。
さわやかうさんくさい系、などとわけの分からないことを言われた千石も笑顔のままフリーズする。
尚樹だけが変わらない無表情でヨーグルトをすすった。
「えーと、君名前は?」
「水沢尚樹。じん君の幼馴染み? です。よろしく」
「なんで疑問系なの?」
「俺が勝手にそう思ってるだけだから?」
「バカか、どう考えても幼馴染みだろ」
いや、だってほら、実際に知り合ったのはつい最近だから。
「そういうことでした。よろしくね、千石君」
「面白いね、君。あと、俺のことはキヨって呼んで」
「じゃあ俺のことは水沢君って呼んで」
「……もしかして、嫌われてたりする?」
「おい、あんま千石で遊ぶな」
「あはは、ごめんね。俺のことは尚樹でもなんでも、好きに呼んでよ」
ようやく浮かべた笑みに、流石の千石も内心でほっとした。にこりともしない相手にすこし緊張していたようだ。
「尚樹、テニスするんだ?」
尚樹のからっているテニスバッグに視線をやりながら問いかける。亜久津からは睨むような視線をいただいたが、当の尚樹は軽い口調で答えた。
「最近始めたんだ。千石も今度一緒にやろーよ」
「……あれ? 俺テニスするって言ったっけ」
テニスラケットは部室においてある。今の千石は手ぶらだ。
こてっと首を傾げた尚樹は少しだけ間を置いて、今思いついたという様に軽く言った。
「ああ、ほら、手の平に豆があるからさ」

って昔身体は子供頭脳は大人な名探偵も言ってた。手の平なんて見てないけど、見てないけど。
今のはちょっと、というかかなり不自然な発言だったかもしれない。
うかつなこと言っちゃ駄目だな、と尚樹は少しだけ反省した。
「おら、さっさと帰るぞ」
「あ、うん」
付き合っていられないとばかりにきびすを返す亜久津に慌てて着いて行く。なんだかんだ言って、亜久津と千石は仲が良さそうだ。
去り際に軽く手を振った。ぎこちない動きで千石が手をふりかえす。
「あ、じん君、俺ホットケーキ食べたい」
「ああ? ああ……じゃあ帰りにスーパー寄るか」
「優紀ちゃん作ってくれるかな」
「んなもん自分で焼きゃ良いだろーが」
「えー、俺が焼くとあんまりほくほくならない……じん君できる?」
「別に、大して難しくもねーだろ」
「頼もしい……バターと蜂蜜も買っとこう」
世の中は今ホットケーキブームらしく、連日テレビでどうやって焼いたのか不思議になるくらい背の高いホットケーキが紹介されていた。
生クリームとフルーツもいるかな、と昨日テレビ見たホットケーキに思いを馳せる。
「あ、そう言えばじん君の誕生日っていつだっけ」
「なんだいきなり」
「いいからいいから」
「……4月2日」
「マジか。誕生日でも名前でも出席番号1番だね」
キャッシュカードの暗証番号、じん君の誕生日だったりしないかな。
この世界でも自分の家族構成は分からないが、あまり普通の家庭とは言いがたい。中学生を一人暮らしさせる親なんて、そうそうないだろう。一緒に暮らせないなら、寮にでも入ってそうなものだが。
保護者がどこかにいると仮定して、生活費が振り込まれているのではないかと思ったのだが、肝心のパスワードがわからない。まだしばらくは大丈夫そうだが、手持ちのお金がなくなるのも時間の問題だ。
中学生やとってくれるバイト先なんて無いよねぇ……とまだ明るい空を見上げた。

「水沢尚樹か……まさかあっくんの幼馴染みとはね」
まだテニスを続けているとは思わなかった。でもきっと昔ほどのキレはないのだろう。こんなところで普通の中学生なんてやってるのが良い証拠だ。
放課後、先日であった位置から推測してここだろうと立ち寄ったテニスコートに、二人の姿があった。
尚樹は気楽に誘ってくれたが、亜久津が自分を誘うわけなど無い。となれば、意地でも参加したくなるのが千石である。
声をかけようとしたら、それより早く尚樹が振り返った。手を振られたので、ひらひらと振り返しながら近寄る。その向こうに亜久津の嫌そうな顔が見えた。
あの亜久津の仲良くしている幼馴染みにしては、尚樹は人当たりがいい。なんか不思議な組み合わせだなぁと千石は二人を眺めた。
「遊びにきたよー」
「わーい」
前言撤回。人当たりがいいかは微妙。
表情も声も平旦。歓迎されているのかいないのか、分かりづらい。
「千石、変われ」
意外にもコートから出て場所を譲る亜久津に、慌ててテニスラケットを取り出す。学校からジャージでそのまま来たので、すぐに参加出来ると踏んだのだろう。
「まだ打ち返すのがやっとだから、あんまり厳しいボールやるなよ」
すれ違い様に小声で言って、亜久津はベンチに座り込んでしまった。
うわ、あっくんが優しさを発揮してる……こわ、逆らわないでおこ。
脳内でひとり馬鹿なやりとりをして、テニスボールを拾い上げる。
ラケットを右手にぶらんとさげて、構えをとる気配のない尚樹に軽くボールを打ち込んだ。
尚樹から見て少し右側に打ち込む。その場から離れず右手を軽く振るだけで打ち返される。もう少し右でも大丈夫かと位置をずらすと、少しだけ位置を移動して打ち返してきた。
さて、バックハンドは、と左に打ち込むとこれも軽く返してくる。
「なんだ、結構普通に返せるんだ」
少し早めのボールを打ち込むと、反応は出来るもののコントロールがうまくいかないのか、いい位置に浮き上がった。まあ、これはスマッシュするよね、とつい強めに打下ろした。今までのゆるい動きからして、おそらく尚樹は拾えないだろう。
そんな千石の予想をよそに、尚樹はしっかりそのボールを拾った。千石の頭上遥か彼方を飛んでいったが。
あ、つまりそういう。
亜久津を見遣ると、だから言ったろ、と顔に書いてある。つまりこの子ノーコンだから、早いボール打つなって意味だったのか。先に言ってよ、と目で訴えておいた。
アドバイスプリーズとベンチに座った亜久津に尚樹が助けを求める。
無言でラケットを振った亜久津に、納得した様に二つ頷いて、千石に向き直った尚樹に今のやり取りで本当に何か分かったのかと問いたい。
すでに待ての状態で待機している尚樹に、戸惑いながらもラケットを振る。
少しずつ速度を速くしていくと、先ほどのアドバイスを本当に理解していたのか5回に1回程度はちゃんとコート内に戻ってきた。
きゃっきゃと喜ぶ尚樹とは対照的に、千石はよろよろとベンチに近づいて亜久津の隣にどさりと腰を下ろす。
「……なに、あの子。こわ……引く」
「……千石、お前はウザいが、今回ばかりは歓迎する。次からちゃんと呼んでやるよ」
「やめて!?」
ぜぇぜぇと息をきらす千石とは違い、尚樹は大して汗もかいていない。
亜久津がああもあっさり場を譲った意味が今更理解出来た。
「なにあの体力……しかもどこ打っても打ち返してくるし……」
「もともと尚樹の得意技は長期戦に持ち込んでからの相手の体力切れ待ちだ」
「知りたくなかったそんな情報……! でもテレビではばしばし決めて短期決戦だったよね!?」
「あれはあいつのコーチが公式の試合はプレー時間1セット20分と嘘教えてたからだ」
「信じちゃったの!? ぴゅあ! ぴゅあすぎでしょ!?」
息も絶え絶えに突っ込んでくる千石を放置して代わりにコートに入る。
千石がぶっ続けで2時間相手にしたので、もうそろそろ満足した頃だろう。
千石には言ってないが、尚樹は5時間ぶっ通しでもニコニコしてるような奴だ。2時間程度、ちょっと遊んだ程度に過ぎない。
これが休日だったらありあまった時間を存分に使って尚樹の体力無双が始まっている所だ。
「だいぶ暗くなってきたからあと30分な」
するい! と叫んだ声には聞こえないふりをしてラケットを振りかぶった。


「じん君、俺のもやって」
差し出されたスマホを受け取って、亜久津が設定をはじめる。その横で千石は遠い目をしていた。
「……おれ、嫌だって言ったのに……言ったのに」
「おう、千石お前もグループに追加しといたぞ」
わぁっと返されたスマホの画面を見て千石は膝をついた。
ラインのグループには尚樹に亜久津、千石の三人。グループ名は亜久津が考えたとは思えないほど可愛らしい「花いちもんめ」。
こわい! この名前こわい! と千石は泣き崩れたのだった。