晴れ時々雷雨。その参

意外と、中学生レベルなら何とかなるもんだな、と言うのが編入試験を受けた尚樹の感想だった。
絶対受からない、と確信していただけにちょっと拍子抜けだ。
「っていうか、中学校のくせに豪華過ぎじゃない?」
自分の中学は、こんなに広くなかったし、綺麗じゃなかった。
尚樹はぐるりと校舎内を見渡した。
まだ春休みで校内に人の姿は無い。グラウンドの方からは部活にでも来ているのか、子供の声が聞こえる。
試験も終わって、ほどなく採点も終わり、無事編入が決まった尚樹は無駄に広い校内を見て回った。
すっかり迷子になっていることには気づかないふりをする。
「と、とりあえず1階に行こうそうしよう」
校内だと言うのにスニーカーで歩き回るのはなんだか罪悪感がある。先生におこられそう、なんて思ってしまうのは学生時代の刷り込みだろう。
上履きに履き替えなくていいなんて、変わった学校だ。それとも、金持ちってそういうもん?
なんとか校舎から出て、校門を目指す……校門ってどっち?
入学式前に散ってしまいそうな桜の花びらを眼で追って思考を放棄した。夜一さんが恋しい。
「おい」
背後からかけられた声に、花びらをひとしきり追ってからゆっくりと振り返った。
これが、跡部景吾との出会い。


「おい!」
「跡部?」
振り返ると、予想通り跡部のきれいな顔があった。びっくりドッキリ同じ学年だったよ!
ちなみに、すんごいぼけてたけど、じん君はあの亜久津仁でした。気づかなかった自分がどうかしている。
「おまえ、さっきの授業さぼっただろ」
「ああ、うん。迷子、迷子」
「嘘付け! たまには違う言い訳して見みやがれ」
「親が危篤で」
「お前……」
あからさまな嘘をつかれて跡部は眉間にしわを寄せる。その反応を受けて、水沢は小さく肩をすくめた。
「わざわざ迎えに来てくれたの?」
「転校して来て早々にお前がさぼりまくるから、無駄な仕事が増えるんだよ」
「無駄な仕事?」
「テメーみたいな問題児のお守りだよ」
「問題児なんて生まれて初めて言われたよ。不真面目なら腐るほど言われたけど」
無表情のまま驚いた声を上げるなんて、器用な奴だ。今まで問題児扱いされていないなんてあきらかに嘘だ。
確かに暴力沙汰を起こしたりはしないけど、これだけ好きに振る舞っていて問題児でないわけが無い。
「ああ、ホント不真面目だな。つーことでとりあえず次の授業でるぞ」
「なんだ、やっぱり迎えに来てくれたんじゃん」
初めて会った時よりも顔色がよく、すっかり隈のあとも無い。心無しか、顔つきも変わった気がする水沢尚樹を、跡部は見上げた。
非常に不本意なことに水沢の方が跡部より背が高い。
本人が地毛だと言い張っている見事な茶髪が日に透けている。
手に持っているのは化学の教科書で、授業が始まる前に水沢がそれを持って理科棟とは別の方向へ行ったのは気づいていた。
もとから授業を受ける気がなかったのは明白だ。こうして時折ふらりと授業をさぼる水沢はいつも決まって「迷子」だと言った。
氷帝は広いので、はじめのうちはそれも仕方ないかと思っていたが今なら言える。わざとだ、と。
よくさぼるのは移動教室のある化学や物理の理科系のものと、音楽や美術などの芸術系。
しかし理科系が苦手かと言えばそうではなくて、どちらかと言えば外語などの文系のほうがよくない。
よくない、と言っても成績はいつも上位だが。
気だるげに後ろをついてくる水沢は何を考えているのか、普段からにこりともしない。
そっけない電子音が響いた。
跡部のものではもちろんない。すべてマナーモードだ。
振り返ってにらんでやると、そんなことなど気づいていないのかどうでも良いのか、ポケットから携帯を引き出した水沢が電話に出た。
腕時計を見ると、もうあまり時間が無い。
「じん君?」
女の名前でないことがミスマッチだ。というか、男の名前が出て来たことが不似合いと言うべきか。
カツカツと爪の先で時計の文字盤をたたいて水沢の注意を引いた。
「おい、あんまり時間ないんだから、さっさとしろよ」
「跡部、先行ってて。すぐ行くよ」
もちろん、水沢はこのあと授業には来なかった。

水沢尚樹、と言えばテニスをやっているものなら知るものも多いだろう。かつて、圧倒的な強さでアメリカジュニア大会での優勝を飾った。メディアへの露出は少ないが、一度試合を見たことのある人間なら忘れないだろう。
跡部も、かつてアメリカでそのプレーを見て魅了された人間の一人だ。
「跡部? 何ぼっとしてんの?」
「あ? ああ、別に……それよりお前、これ一人で運ぶつもりか?」
「そうねぇ……」
生徒会の副会長を務める三木渚は植物用肥料の入った大きな袋を前に考えるようなポーズをとった。
彼女のことを跡部は比較的気に入っていた。副会長としての働きはもちろんだが、さばさばとして少し男らしい性格は、可愛くはないが気が楽だ。
「無理だろ、いくらお前でも」
「最後のは余計。それに」
不自然なところで三木が言葉を切った。
三木の視線の先を追うと、シャツの上にカーディガンを羽織ってボタンを留めながら歩く水沢の姿。
そういえば、ブレザー姿をほとんど見たことがない。
あと、学校指定のカーディガンを着ているのを見たことは一度も無い。
ようやくボタンを留め終わったのか、顔を上げた水沢と目が合う。その視線はすぐにそらされて、跡部の隣に立つ三木にそそがれた。
「三木先輩」
「水沢君、ちょうどいいところに……何やってるの?」
「あー、ボタンが取れて困ってたら、クラスの子がつけてくれるって、さっき」
親切な人がいて良かったです、とぼんやりした無表情のままどこまで本気かわからない言葉を口にした。それに、三木は苦笑を漏らした。
「ああ、もしかしてそれ運びたいんですか」
「察しが良くて助かる。まさにその通り」
足下の肥料は、別に生徒会のものではなく三木の部活で使うものだ。跡部もそうだが三木もやはり部長を務めていた。
「持ちましょう。部室持っていけば良いですか」
「うん。ありがとう」
よいしょ、とダルそうに身を屈めた水沢は、片手をのばして、なんとそのまま持ち上げた。
「……水沢君は、意外と力持ちだよね」
「そうですか? どちらかと言えば非力なほうかと」
跡部だって、このくらいは平気だろ? と同意を求められて思わず頷いたが、正直片手では無理だ。
三木もおそらくそれは分かっているだろう。
「三木先輩、跡部と知り合いなんですか」
「そりゃ、生徒会長と副会長だからね」
「ああ、そういえば跡部って……」
「あーん? 忘れてやがたのか?」
「そりゃもうぽっかりと」
ぽっかりではなくうっかりだ。日本語も苦手なんじゃないか、と時々疑いたくなる。
「なんで三木は先輩なんだ? 同じ学年だろーが」
「ああ、部長って言うから最初てっきり3年だと思ってて、そのまま」
じゃあ、俺部室行ってきます、といつもの少し気だるげな歩き方で、肥料を小脇に抱えたまま行ってしまった。
「つーか、三木、どういう関係だよ」
「そりゃ、部長と部員じゃない?」
「部員?」
「そ、園芸部の」
去っていく水沢の後ろ姿に胡乱な視線を向ける。あの袋を片手で持てるほど力があるようには見えなかったが、着やせするタイプなのか。
ポケットに突っ込まれた左腕をみて、すぐに視線をそらした。
なんで、園芸部なんだ、とわき上がる感情を押しとどめる。
分かっている、あいつはテニス部には入らない。
「天才も怪我すりゃ凡人以下、か」
「跡部?」
「何でも無い」