徒野-26-
敵が分散している。本来自来也にまわるはずだった相手が、尚樹達に気づいてばらけたのだろう。
その方が尚樹としては好都合だ。
時折水路の天井から水滴が落ちてきてフードをたたく。今日の尚樹はしっかり防水仕様だ。
紙の女はその場ですぐ撒いて、地下にいる自来也の所へ転移した。時間にして1秒も無かった様に思う。もとより、尚樹は誰も相手にするつもりは無い。
うずくまる自来也の身体を長い杭が貫いていた。足下には事切れた体がひとつ。
敵の顔を見る。何かが尚樹の記憶に引っかかった。
「自来也」
「……尚樹、か」
背中に刺さった黒い杭を引き抜く。それを手の中でもてあそんだ。
「……もう少し、優しくぬいてくれると助かるんだがのぅ」
「それは、失礼」
緩慢な動作で振り向いた自来也の顔はいつもとは少し異なる。目の回りに黒い縁取り、両肩にはカエル。左腕が無い。
「綱手か?」
「そ。ていうか、すごい状況だね?」
短く肯定を返して、たった今自来也に殺されたらしい敵の顔と、手の中の杭を見比べる。
申し訳ないが、この辺の記憶は既に尚樹にはない。ようやく自来也と合流してみれば身体を杭で貫かれているし、正直この状況で良く生きているものだと感心した尚樹である。
しかも、この死体。確かに死んでいるのに尚樹には生きている様に見える。
いや、正確にはそこにチャクラの存在を感じるのだ。それに、知らない顔なのに妙に既視感を覚える。
「……どこかで」
「思い出した!」
急に声を上げた自来也に思考を中断する。
「この目の前の男……前に一度手合わせした事がある」
「ふうん?」
しゃがみ込んでじろじろとあらためてみて見るが、尚樹の知っている顔ではない。
「知ってる顔じゃあ、ないんだけどな」
「そりゃあ、会ったのはお前じゃなくてわしだからの」
そう言う意味じゃなくて、と尚樹はかぶりをふった。
くるり、と手の中の杭をまわす。ただの杭ではない。チャクラを帯びたそれは、つやのない黒。
「わしはもう一度奴らの前に出て、確かめたい事があります……お二人はお帰りくだされ」
その二人って、もちろん両肩についてるカエルさんだよね? 俺も帰っていい? っていうか自来也ももう帰ろうよ、とはさすがに空気を読んで尚樹も口にはしなかった。
もちろん、自来也の言葉に二人は激しく反対しているが、自来也はペインの正体を突き止めるなら今しかないと思っているようだ。
死を覚悟している事は、本人の言葉からも分かる。
口を挟める事でもないので、尚樹は死んだ男の髪をつかんで僅かに持ち上げた。
何か、思い出せそうで思い出せない。もやもやとしたものに尚樹は首を傾げた。
自分は、何かを知っている気がする。
尚樹が知っているのはこのあたりまでのはずなのだが。自来也は、この感じだと多分死ぬよね、と小さく振り返る。
晩飯までに帰りんさい、などというカエル夫婦のやりとりに、「俺、これが終わったら結婚するんだ」と同じものを感じずにはいられない。いわゆる、死亡フラグ、というやつである。
「……メタ過ぎるか」
おそらく自来也はここで死ぬだろうから、考え過ぎと言うほどもないとは思うが、誰に理解される思考でもない。
死体から手を離して立ち上がる。
「決まった?」
ぱんぱんと手を払って立ち上がった尚樹に自来也が顔を上げた。
「ああ、これから奴らの前にもう一度出て、確かめたいことがある」
「……ま、それはいいけど、先に治療しとこうか」
言うが早いか、尚樹の指が動く。印をくんでいるのとは、別の動きだった。
僅かに何かつぶやいた後、自来也の傷が治り始める。なくしたはずの左腕も元通りだ。
相変わらず、よく分からん術を使うやつだ、と自来也はそれを受け入れた。
そんじゃ、いってらっしゃい、と軽い調子で言った尚樹に、頭は驚いていたが、自来也は思わず笑ってしまった。
「薄情な奴だのう……一緒に来てはくれんのか」
「別に薄情なのは否定しないけどね……何、自来也寂しいの?」
わざと見下ろす様に言った尚樹に、苦笑が漏れた。めずらしく、機嫌が悪いらしい。その理由に心当たりが無いわけではないけれど、自来也はわざと気づかないふりをした。
「薄情な所は否定せんのか。まあ、お前は自分で思ってるほど薄情でもないから、そう拗ねるな」
「別に、事実を指摘されたくらいで拗ねたりしないよ。それに、自来也が思う以上に俺は薄情だよ?」
こてりと首を傾げて尚樹が目を細める。口布をあてているので、いつも以上に表情が読みにくい、が先ほど一瞬見せた冷ややかなまなざしはもう無い。
「さて、あんまり時間も無い。行くとするかのう」
「ねえ自来也」
きびすを返した自来也の背に、ひたりと声がかかる。妙な拘束力を感じる声だった。
「なんじゃ」
「ここで死にたいの? それとも、綱手の所に戻る気があるの」
死にたいわけではない。しかし、戻る気があるのかと言われれば、簡単に肯定を返す事も出来ない。相変わらず、妙な所で鋭い奴だ。
「戻れるものなら戻りたいよ」
その言葉に万感の思いを込める。ただ単純に、木の葉に戻りたいわけではない。
「……俺に、して欲しい事はある?」
幼い頃と同じ響きを持った声。思わず振り返った視線の先に、昔と変わらぬ子供の姿。いつも自分が手を引いて歩いた頃を否が応でも思い出す。
「……綱手を頼む」
「いや、それは遠慮しとく」
「遠慮するなよ!? というか普通そこは断る所じゃなかろう」
「あんなの、俺の手に負えるわけ無いじゃん。ていうか、自来也といいシカマルといい……どうしてそう一回ひねったみたいな答えかな」
「いや、シカマルとどういうやり取りがあったかは知らんが……そんなに変な頼み事でもなかろうに」
自来也の言葉に尚樹が、ふう、とこれみよがしにため息をついてかぶりをふる。やれやれ、とオーバーに心境を現してくれたらしい。それならせめて表情を変えて欲しいものだが、そこはいつも通りである。
足音を立てずに歩き出した尚樹の気配が急速に薄くなっていく。目の前まで迫って、そのまま自来也の横を追い抜くときに尚樹の手が軽く自来也の肩を叩いた。
からかうような声が静かに耳朶を打つ。
「素直に助けてって言えないの」
振り返ったときには、既にその姿はなく、地下の冷たい空気に声だけが残されていた。
ぱらつく雨が水面に円を描いていく。
敵の数は3。紙の女の気配はない。空気は湿っていると言うのに、口から漏れる息は乾いている。こんな時でも咳が出るのだから、人間の身体と言うのは呑気なものだ。
口の中に広がる鉄の味。
まず最初に喉をやられた。先に攻撃を受けてダウンした自来也と敵の間に割って入った尚樹は、腰から引き抜いたチャクラ刀を相手の胸に突き立てるのと同時に電流を流した。全員が水の中だ。自分まで感電する危険性を考えなかったわけではないが三人同時に無効化出来ると思ったのだ。
とっさの判断だったが、電流を流された相手はそのまま後ろに倒れ込んで動かなくなった。
体中を覆っていたオーラが消えて僅かに温度がさがった様に感じたのもつかの間、鈍い光の軌道だけが視界に入る。いつの間にか眼前まで迫ったもうひとりがクナイを振り抜いていた。足の力だけで後ろに飛んで避けたが間に合わない。
距離を稼ぐために上体を反らしたのが裏目に出たらしい。僅かに浮いた額宛の下をクナイの先が正確にとらえた。
狙うなら首を狙いな。
そう言ったのは誰だったか。
初めて額宛を身につけるときに不意に耳によみがえった言葉。
音の無いそれは、しかし確かに尚樹の耳をついた。だからこそずっと額宛を首につけていたというのに、肝心な時は役に立たないものだ。
まだ念の感覚は戻らない。
血は思ったほどは出なかった。空気だけが傷口から間抜けな音を立てて抜けていく。
既にほとんど動けなくなっている自来也のことは気にも止めていないのか、残った2人とも尚樹の方に注意を向けていた。
急に現れた尚樹に警戒しているのか、すぐには動かない。
その隙に自来也をひっつかんで距離を置いた尚樹は、すぐに面をはずし、口の中を満たす鉄くさいものをたまらず吐き出した。
傷口から流れる血がパーカーを黒く染めていく。
水がほとんど電流を流さなかったのか、と残った二人を見遣った。特にダメージを受けている様子はない。
シザーバッグからクナイを引き抜く。こういう時のために、尚樹が何も手を打たなかったわけではない。
出来るだけ息を整えながら頭の中でカウントを始める。念が使えなくなるのは180秒。その間自来也を背に時間を稼ぐのは生身の尚樹には無理だ。
残りの二人が動きを止める。その手足を木の根が搦め捕っていた。
自来也と別れた後、すぐにシビ達と合流した尚樹はとりあえずテンゾウにこっぴどくしかられた。
分身だから良かったものの、人のことを盾にするなと。分身じゃなかったら盾にしませんよ、と一応言い訳をしてみたのだが、ひどく胡乱な視線を向けられてしまった。
もちろん、いざとなればテンゾウ本人でも構わず盾にする所存である。
円が使えないのでどの辺りにいるのかは分からないが、予定通りテンゾウ達がうまくやってくれたようだ。必要なのは時間だけだ。尚樹の念が戻ればここから離脱出来る。
もし最後に合流出来なくても。テンゾウ達も逃げるだけならうまくやってくれるだろう。
テンゾウに動きを止められた敵に蟲が群がっていく。絵面は非常にあれだが、尚樹的には一番これが強いのではないかと思う。まず群がられた時点で冷静ではいられない、少なくとも尚樹は。
いつもと違って血の止まらない傷口を押さえながら、尚樹は痺れを感じ始めた指先に力を入れてクナイを握り直した。
念が使えたとしても、もともと強化系が不得手な尚樹では先ほどの攻撃を防ぐのは難しかっただろう。
だが、オーラのコントロールが出来ない事でいつもやっている痛覚の遮断や止血がままならない。
その痛みだけで意識が遠くなる。
「……」
ひゅっ、と息が漏れるだけで声が出ない。結構深く切れているようだ。
「……尚樹」
「……」
自来也、逃げろ、という言葉も音にならない。ここは、きっと自来也が死ぬ場面だ。
敵はまだ姿を見せていないのが2体。テンゾウ達も合流した今、姿を現すのも時間の問題だ。カウントはようやく100を超えた。
念さえ戻れば、逃げられると思う。それまで。意識を保たなければ。
突然、敵を拘束していた術が解けた。地面が揺れる。振り返ると視線の先に巨大化したチョウザの姿が見える。
テンゾウ達の位置が相手に知れたのか。背中から体を貫かれる衝撃に、不覚にも一瞬意識がとんだ。
正直、意識を保つのが精一杯でもし念が使えたとしても止血すらままならなかっただろう。こんな痛みは中忍試験のときに腕を切り落として以来だ。
自来也の上に自分の血が落ちる。
尚樹を貫いたそれは、自来也をも貫いていた。尚樹の薄い体では盾にすらならない。
眉間に力を入れて意識的に瞬きをする。
まずい、視界が白くなってきた。
支える事が出来ずに倒れた体を、自来也が受け止めた。お互いにもう限界だ。
視界の隅に地面をふみしめる足先。上から見下ろす敵の視線を如実に感じた。
ゆらりと身体を纏うオーラが戻ってくる。止血にまわす余裕は無い。
自来也の腕をつかんで体を回転させた。転がれば、すぐに水の上だ。この地形に、初めて感謝する。
冷たい水の感触。はぐれないよう握る手に力を込める。うまく、つかめない。駄目だ、はぐれてはいけない。
きっとこれが最後。指先から冷えていくのに、体の中心は焼ける様にあつく、満足に扱えなくなったオーラを無理矢理にひねりだすほどに増していく。
身体を覆うオーラのすべてを、尚樹は手の平に集中させた。
体の下に現れた蛍光ピンクのドアノブをまわす。水ごと勢い良く吸い込まれて、そこで意識が途切れた。
天井から不意に大量の水が流れ込んだ。それはほんの一瞬の事だったが、火影室を水浸しにするには十分な量だった。
水の流れが途絶えて現れた姿は、自来也と子供のもの。
水が赤く染まっていく。
「……っ尚樹! 自来也!」
濡れるのも構わず綱手は二人の傍らに膝をついた。
尚樹の体を貫く杭を引き抜くか迷った。おそらく、自来也をも貫いていただろうそれは、引き抜けば今以上の出血を避けられないだろう。
自来也よりも小さい尚樹の体を貫くそれは、綱手の眼に絶望を持って存在を主張した。
いずれにしても、尚樹はもう助からない
頭で理解しつつも、綱手の手は無意識に動いた。傷口を治療しながらいささか乱暴に杭を抜き、細胞の再生速度を早める。
「綱手様!」
「シズネ、サクラ、早く自来也を」
「はい」
伏せたまぶたはぴくりとも動かない。止まらない血に、手が震えた。
「……とまれ、止まれ!」
いつもは止血などしなくてもそう流れる事のない尚樹の血。何故こんなときにあふれて止まらないのか。
「……つ、なで」
「自来也様!」
意識を取り戻した自来也がたどたどしく言葉を紡ぐ。
「の、どを……喉をやられた」
その言葉にカカシが動く。額宛をクナイで切って、その下にある傷を確認した。
「……サクラ!」
「でも、自来也様が」
「ワシなら大丈夫じゃ。先に尚樹を」
サクラは一瞬躊躇した。このまま治療を続ければ、自来也は助けられるだろう。でも、尚樹は。
「……自来也様……ごめんなさい」
いま、里のためにも自来也を失うわけにはいかない。他の人間が医療班を呼びにいっているから、今はそれを待つしかなかった。
医療班とともに駆けつけた日向が綱手に習って尚樹の腹に手をかざす。
それを認めて綱手が尚樹の首の傷を塞ごうと手を伸ばした。
白いまぶたがゆっくりと動いた。発した言葉は音になずに首から空気だけが抜ける。
「尚樹、しゃべるな」
治療を施そうとした綱手の指を、血に濡れた小さな手が遮った。握る手は氷の様に冷たい。
濃厚な死の匂いに、綱手は体が震えるのをとめられなかった。
「尚樹……尚樹、死ぬな」
ゆるゆるとまぶたが落ちていく。黒い瞳に僅かな光がともり、ゆらりとゆれる。
撫でる様に頬に触れたカカシに、尚樹の表情が動いた。
僅かにまぶたを伏せる癖、少しだけ動いた口角。
そして静かに息を止めた。
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