徒野-25-

雨隠れに直接転移する事はしない。あそこに足を踏み入れるのは、危険だ。
手前の森に座標を合わせて、どこでもドアで空間をつなげる。
演習場と言う開けた景色の中に唐突に存在する別の景色に、不信感をあらわにする他のメンバーを黙殺して、ドアをくぐらせる。もちろん、あの蛍光ピンクのドアが眼に見えて存在するとよりいっそう不審なので、隠を使って隠してある。
だからこそ、彼らには四角く切り取られた風景だけが眼に入っているのだろう。
正直、この任務は一人でやりたかったのだが、仕方ない。
綱手が尚樹を一人で行かせてくれるとは思えなかった。
彼女の中で、尚樹はいつまでも小さな頃のイメージが強いようだ。
「今回は、色々不満はあるかと思いますが、俺が隊長を務めます。まあ、死なない様に頑張りましょう」
面を着けたまま三人が無言で頷く。
その場で尚樹は変化を解いて子供の姿になった。潜入するには、出来るだけ目立たない姿が良い。発見されても、子供の姿の方が敵も油断するだろう……希望的観測だが。
「まず、自来也様を見つけるのが先ですね」
4人で茂みの中にかがみ込みながら、地面に雨隠れの里の地図を広げる。大まかな地形が分かるくらいで細かい事は載っていないが、何も無いよりはマシだろうと持ってきたのだ。
「そういえは、皆さん任務内容はなんて聞いてるんですか?」
「自来也様の援護を、と」
テンゾウの返事に他の二人が同意する様に頷く。それを聞いて尚樹は少し考えるそぶりを見せた。
それにテンゾウが首を傾げる。この中で尚樹ともっとも任務をこなした事があるのは、もちろんテンゾウだ。危機察知能力は一番高い。
「何か良からぬ事を考えてない?」
「人聞きの悪い。ちょっと五代目の言葉の意味を考えていただけです」
「言葉の意味?」
自来也様の援護、この上なく明瞭な言葉だとテンゾウは思うのだが、尚樹には違うと言うのだろうか。
「…まあ君、言葉不自由そうだもんね」
「失礼な。俺が言葉不自由なんじゃなくて、遠回しな五代目がいけないと思います」
決して遠回しではないと思うのだが、そこの所どうだろう。シビとチョウザを見遣ってもテンゾウと似たような反応である。
「女心と秋の空って言うじゃないですか。テンゾウさんはそうでもないかもしれないですけど、俺の場合忠実に任務をこなすと何故か怒られるわけでして」
「……で、君は今回の任務内容をどう解釈したわけ?」
「……自来也の首根っこ捕まえて帰ってこい?」
自信なさげに首をこてりと倒して、尚樹がテンゾウを見上げる。自分に判断を仰がれても困るわけだが、とテンゾウは頭を抱えた。そもそも、今回の隊長は尚樹ではなかったのか。
「思うに、自来也、様が死ぬかもって聞いてパニクってるだけではないかと」
「……パニクるって」
そんな身もふたもない。とても、五代目が取り乱している様にはテンゾウには見えなかったが。
「パニクると無表情になるんですよ、五代目」
いつも通りの平坦な声。既に結論が出たのか、尚樹の瞳は地図を辿っている。
この辺りに一度転移しましょう、と小さな手が地図の一点をさした。
「先ほどと同じ様に転移する気か?」
「そうですね、出来ればそうしたいです」
「役割分担は?」
「うーん……ここ、ちょっと厄介なんですよね。先に俺が中に入って、様子を見てきましょうか。簡単に地理を把握してから、三人を中に呼び込もうかと思うんですけど」
そこで、一人が素早く手を挙げる。テンゾウさんか。
「はい、どうぞ」
「失礼だとは思うが、君に地理を把握出来るの?」
「……ああ」
「ちょっ、忘れてたな」
「もう帰りたいなぁー」
「早っ! 早いよ! もっとやる気出して!」
がっくりと肩を落とした尚樹に、テンゾウがあわてて活を入れるも、その眼はどこか空ろだ。
「あー、どうしようかな……」
そういえば、極度の方向音痴だった、と尚樹は頭をかいた。正直、気配だけを頼りに自来也を探そうと思っていたので、細かい事は考えていなかった。シビとチョウザは知らないだろうが、テンゾウには方向音痴という事がばれている。うまいこと一人で行動出来ないかなと思っての発言だったので、突っ込まれても致し方ない。
だだ下がりしたテンションをどうにか引き戻し、声に力を込める。
「そうだな、事前にいろいろ決めておいた方が後々楽ですね」
三人の顔を順番に見て注意を引く。彼らは完全なとばっちりなので、出来れば生きて帰したい。懸念事項はあらかじめ伝えておいた方が良いだろう。
「まず、木の葉への帰還方法なんですが、これは先ほどの時空間忍術を使いたいと思っています。ただ、状況によっては全員で戻れない事もあると思います……優先されるのは自来也様の安否なので、危険であれば彼を見つけ次第木の葉に戻ると思います」
その場合、その場に居合わせなかった人間は、ここに置き去りにされてしまう。連れに戻るのはリスクが高いので、出来れば避けたい。
「次に、全員が戦闘不能になった場合の問題です。出来れば無駄死にはしたくないので、一人は伝令役として、待機していて欲しいというのが俺の希望です」
その場合、いかにしてその伝令役に情報を送るかが問題となる。それにテンゾウが小さく手を挙げた。
テンゾウさんどうぞ、と尚樹が発言を促す。
「それなら、分身を使うというのはどうだろう? 分身ならいざという時術を解いてしまえば中の状況も分かるし、本体はここにとどまっておける」
「ああ……なるほど。つい自分が使えないので失念してました」
「ついでに、これを皆に飲んでもらえれば、居場所を確認出来る」
テンゾウが分身から取り出した種のようなものを差し出す。発信器みたいなものか。尚樹はそれを躊躇なく飲み込んだ。尚樹にならってシビとチョウザもそれを飲み込む。
「……この中で一番若いのはテンゾウさんですよね」
「君をのぞけばね」
いや、俺の方が多分年上、と思いつつ、面倒なので突っ込みは入れない。
一番生還率の高い伝令役は、やはり一番若い人間にまわしてやりたいと思うのが当然だ。
敵の能力は分からないが、覚えている事がいくつかある。紙を扱う女がひとりと、輪廻眼を持つ忍びが何人か。輪廻眼というくらいだし、おそらく同時に動くのは6人。
他にもいたかもしれないが、この際それは考えない事にする。
「……それじゃあ、テンゾウさん自身はここに残って下さい。何かあれば、すぐに木の葉に伝令をお願いします」
無言で頷くテンゾウを確認して、尚樹はシビとチョウザに視線を向けた。
「もういっそのこと二手に分かれましょう。固まってると危ないですし、出来れば相手さんにも分散して欲しいですからね。シビさんとチョウザさん、テンゾウさんの分身でスリーマンセルを組んで下さい」
「……尚樹は一人で行く気かい?」
「まあそうなりますね」
「もう一人分身を出そう。分身同士でも連絡は取り合える様に通信機を仕込んでおけば、互いの動きが分かるからね」
「分身さんの多機能ぶりに全俺が嫉妬。羨ましくなんてないんだからね」
「その会話前にもしたから。今ホントそういうのどうでもいいから」
「じゃあそんな感じで、何かあればテンゾウさん分身が連絡取り合うってことで」
手の中でくるりと巻物をまわす。木の葉を出る前に三代目に用意してもらったものだ。もしも、自分が死んだ時のために。
「シビさん、これを。明日の正午になったら逆口寄せしてもらうよう三代目にお願いしています」
もしものときは、これで戻って下さい、とそれを放った。
あとひとつ同じものを作ってもらうべきだった、とテンゾウに視線を戻す。うまく逃げてくれるといいが。
「お二人は、あまり無理はしないで下さい。危険を感じたら戦線を離脱する事、遅くとも明日の正午にはテンゾウさんと合流する事を念頭において動いて下さい」
「わかった」
「雨隠れには先に俺が。出来るだけ中心部に転移して自来也様を探します。シビさんとチョウザさんは可能な限り敵の注意を引いてもらえると助かります。テンゾウさん、二人に中心部の様子を伝えてもらえますか」
全く情報がないよりも、少しは助けになるだろう。本来なら念能力でなんとかしたい所なのだが、探索系の能力は凝視虫以外にあまりいいものが思いつかない。
今回は出来るだけ戦闘に向いた道具を使いたいので、それは避けたかった。
移動にはドラえもんの道具を使った。だからこそ、もう具現化出来るものは限られている。
「ああ、あとひとつ忘れていました。間違っても、他人を助けようだなんて思わないで下さいね。三十六計逃げるにしかず、ですよ」
開いたどこでもドアの向こうには、雨が降りしきっていた。

水の上を歩く事の出来ない尚樹には、この地形は思った以上に不利だった。
予想はしていたが、里に入ってすぐに存在が知れたようで、円に複数の気配が引っかかる。
ざぶ、と当たり前に沈む自分の足を眺めて、悩んだあげく、尚樹はテンゾウの分身を見上げて、おんぶ、と短く催促した。
いったいどこの世界におんぶで敵地に潜入する人間がいるというのか。テンゾウのため息は残念ながら誰にも聞かれる事はなかった。
透明マントをかぶって敵を躱す事は可能だろうが、水の上では足音を殺せない。動けば水音でばれてしまう。尚樹は普段より高くなった視界であたりを見回した。
「……下手に隠れてないで、さっさと自来也を探した方が正解ですかね」
円をしても見つからない所を見ると、まだ距離が離れているのだろう。あまり信頼性はないが、ステッキを倒してだいたいの方向を割り出す。テンゾウにものすごく白い目で見られたが、尚樹は何も気づかなかったふりをした。
途中でシビとチョウザも里に入った事をテンゾウが伝える。
雨は、いつの間にかやんでいた。

「雨止んだし、もう水の上じゃないから自分で歩かない?」
というテンゾウの言葉には、この方が親子連れみたいで敵に見つかりにくそうじゃ無いですか? と適当に丸め込んで、自来也の気配を探るために慎重に円を広げた。
先ほどまでは地下に自来也の気配があったが、地上へ移動したようだ。テンゾウが何も言わない所を見ると、おそらくまだ自来也の気配に気づいていない。
さてどうしたものかと、尚樹はテンゾウの背中で思考を巡らせた。
自来也の付近に敵の数は三人。多いのか少ないのか、判断に迷う所だ。
ざわりと空気が動いた。円の中に現れた気配に、テンゾウの背中から飛び降りる。
急な尚樹の行動に驚いて、テンゾウが振り返った。
次の瞬間目の前に立ちふさがった顔には、見覚えがある。
紙を操る女。名前は忘れた。
襲いかかってくる無数の紙切れ。
視界を埋めるほどのそれに、回避は不可能。判断するよりもはやく、テンゾウを引き寄せて盾にする。ポフンと音を立てて消えた分身は、最後の力で非難の声を上げたが、尚樹の意識には止まらなかった。
自分の横を通り過ぎた紙切れを一枚とらえる。
手に取った瞬間、それは勢いを無くして、ただの弱々しい紙切れに戻った。
「……いったいどういう原理なんだか」
放った紙切れはひらりひらりと地面に落ち、雨水を吸って黒く染まる。攻撃の手を緩めた相手は、宙に浮いたまま静かに尚樹を見下ろしていた。