徒野-22-

そこからは木の葉の里が一望出来る。吹きすさぶ風が血のにおいを押しやった。
火影岩の上に立つ尚樹の手には、シーツにくるまれた大蛇丸の首。
綱手の部屋を出て、直接ここへ来た尚樹は、手の中のそれをどうしようか悩んでいた。
部屋に持って帰るわけにはいかない。この世界はもしかしたら土葬なのかもしれないが、日本人の尚樹には少し抵抗がある。出来れば、火葬したいが火種がなく、途方に暮れている所である。
ドラえもんの道具に火をつける道具なんてあったっけ。チャッカマン欲しい。
普段使わない道具というのは、どうにも浮かんでこない。ドラえもんじゃなくてもいいから、高火力なやつ、とぼんやり考えていると、背後でざり、と足音がした。
顔だけで振り返ると、綱手が立っている。意外とこの体勢はきつい。視線を前に戻して、思考も戻す。
さて、何を考えていたんだったか。
「……中身を確認してもいいか」
「心配しなくても、ちゃんと大蛇丸だよ」
「別に、お前を疑ってるわけじゃない」
「あんまりお勧めしないかなぁ、本当に、首だけだし、もう元の姿じゃないしね」
尚樹の左側に並んだ綱手が、白いシーツをそっと撫でた。
その顔は、先ほどとは打って変わってどこか悲しそうだ。そんな顔するくらいなら、大蛇丸の始末なんて、俺に頼まなきゃいいのに。
それとも、俺なら大蛇丸を殺さないとでも思ったんだろうか。綱手に何を求められているのか、尚樹には分からない。
腕に抱えていたそれを地面において、綱手に場所を譲る。
遠くで鳥が一カ所を旋回しているのが見えた。
随分と血で汚れてしまった身体を見下ろす。洗濯してちゃんと元通り綺麗になるか不安なラインだ。
右手にオーラを集める。ゆるゆると巡るそれはなかなか形をとろうとしない。
「尚樹、これどうするつもりだ?」
「んー、個人的には火葬かなと思ってるんだけど」
出来れば全部灰にしてしまって、跡形も無くなればいい。後に何も残らない方が、きっといい。
別に大蛇丸のためじゃない。死んだ人間のために出来る事なんて、何も無い。ただ、形が残れば、綱手も自来也も、三代目もきっと、カカシがそうである様に心をとらわれる。
それくらいならここで綺麗さっぱり、お別れを済ませてしまった方がいいというのが、尚樹の持論だ。
「……綱手、もしかして自来也を呼んだ?」
「ああ」
なら、下手に道具を具現化しなくても火遁でやっちゃってくれないかな……無理か。多分、荼毘に付すのは自分の役目なのだろう。二人とも、そういうのは苦手そうだ。
すぐに自来也もここに来るだろう。なかなか具現化出来ない道具に意識を集中させる。使うのは、随分久しぶりだ。
何気に、着火する以外使い道の無い道具だ。もしかしたら、具現化できるのはこれで最後になるかもしれないな、と古い記憶を辿る様にまぶたを伏せた。
手の平に確かな感触を感じで目を開く。右手を覆うのは、白い手袋。甲に赤い特徴的な印。綱手に見られないようすぐにそれを陰で隠した。
大蛇丸の前にしゃがみ込む綱手の後ろ姿を横目で眺める。空は晴れていて、なかなかのお別れ日和だ。
姿を現した自来也に軽く手を挙げる。神妙な顔をしていた綱手とは対照的に、意外にも平常通りだ。手に封の切られていない酒瓶を携えている。
「よう。帰ってくるのが遅いから、心配しとったんだぞ」
「ちょっと途中で道に迷ってね」
「どうせそんなこったろうと思ったわい」
随分小さくなったのぉ、と綱手の隣にしゃがみ込む自来也。二人してご開帳するとは、自分は随分と信用が無いらしい。
自来也が差し出したお猪口を綱手が受け取る。そそがれた酒を一口で飲み干して、一人後ろで立っていた尚樹に差し出した。
飲まない、って選択肢は無いんだよなぁ、多分。
あまり酒は好きではないが、尚樹はそれを大人しく受け取る。容赦なくなみなみとついだ自来也にため息をついて、綱手と同じく一度に飲み干す。
僅かに喉を焼くような感覚。毒が効かないのと同じで、尚樹は酒に酔わない。ただその薄い味と、粘膜の水分を巻き込んで蒸発するような感覚が残るだけだ。
最後に自来也も酒を口にして、残りはシーツに包み直された大蛇丸の横に備える。
「ほら、二人とも下がって」
放っておけばいつまでもそうしていそうな二人を下がらせる。風が綱手の長い髪を揺らす。
都合のいい事に、尚樹達の立っている方が風上だ。
右手の指を一つ鳴らせば、大蛇丸の首は一気に炎に包まれた。煙が、里の方に流れていく。
火は焼尽すまで消える事は無く、風は灰も残さず運んでいった。

家に戻った尚樹は、風呂場に直行した。手洗い用の洗濯桶を引っ張りだして、上着をそこに脱ぎ捨てる。
お湯につけると血が取れなくなるので、そこに水をあふれるまでそそいだ。
ざぶざぶと押し洗いするだけで水が汚れていく。あらかた取れた所で洗濯機に放り込み、下も洗いながら湯船に湯をはる。
ズボンもあらかたの所で洗濯機にいれ、洗剤を入れてスイッチを押した。
乾いて身体にこびりついていた血を洗い流し、ようやく半分ほどまでたまった湯船に浸かる。
「ふぅ」
ようやく一息つけた、と身体をのばす。今日の夕飯は何にしようかと湯船の縁に顎をのせる。
冷蔵庫の中を確認して、一度買い物に行かなくてはならないだろう。ここ一週間夜一はドライフードだったようなので、魚魚と尚樹が帰宅するなり訴えていた。
いっその事人間のご飯も魚にするか。焼き魚定食的なやつ。
お味噌汁の具は何にしようかなどと考えているうちにお湯が首の位置までたまっていた。
「いかん、今ちょっと眠りかけてたかも」
はっとして蛇口をひねる。再び顎を湯船の縁にのせてダラダラとする。とろとろと下がってくるまぶたに抵抗する様に右に左に寝返りを打つ。手足の先まで、うずく様に血が巡っているのが分かる。
「……うう~」
このまま眠ったら絶対幸せ、と尚樹はぱちぱちと瞬きを繰り返し、それでも落ちてくるまぶたに白旗を揚げた。
「……おやすみなさい」
「こら、風呂で寝るんじゃない」
ためらいなく風呂場のドアを開いたカカシが、わざわざおやすみなさいと挨拶をして眠り込もうとしていた尚樹につっこみを入れる。
僅かに目を開けた尚樹は、頭を縁にあずけたままカカシを見上げ、おかえりなさい、と声をかけた。もっとも寝ぼけすぎていて、言葉にはなっていなかったが。
その言葉を正確に理解したカカシは、苦笑をもらしながらただいま、と返した。どちらかと言えば、お帰りというのはカカシの言葉だったのだが、何を言っても理解出来そうな状態ではないので、黙っておく。
「さっさと起きて上がりなさい」
「あ、あと7分」
「だーめ。しかもなんで7分?」
中途半端な時間を指定した尚樹に思わずどうでもいい突っ込みを入れるカカシ。それに対して尚樹はもごもごと何か言っていたけれど、残念ながら聞き取る事は出来なかった。
寝起きは悪い方じゃないから、まあ大丈夫だろうと、風呂場を後にする。帰ってきたら尚樹の靴があったので、反射的に姿を探したのだが、正解だった。あれは確実にあそこで寝込む気満々だった。
ほんの僅かに血のにおいがする。随分と血に濡れていたから、きっとそのせいだろう。
窓を開けて空気を入れ替える。カカシの足下をするりと黒猫が通り抜けて外に出た。視線でその後を追うと、ベランダに置いてある植木鉢の一つに顔を近づけ、無心に草をかじっていた。
……いいのか?
他のものとは違って花のひとつもついているのを見た事が無いやつではある。いつも必ずベランダの隅を占領しているそれは、尚樹がもっとも頻繁に種を植え替えているものだ。
細く柔らかな薄い葉が垂直に伸びるそれは、薬草か何かかとカカシは思っていたのだが。
大抵は蓋がしてあって、草が伸びてくると何時の間にが蓋が無くなっている。そして、10cmくらいまで成長するとしばらくして姿を消し、また蓋がされている謎の植物だ。
ちなみに、以前カカシが蓋を開けた時は何も生えていなかった。
思う存分それを食い散らかした黒猫は、再びカカシの足下を抜けて室内に戻り、のんびりと毛繕いをはじめる。その姿と、半分くらいまで食い散らかされた鉢を交互に見遣り、そっと窓を閉めた。
ちょうどそのタイミングで尚樹が風呂から上がってくる。髪は相変わらず拭き方が甘くて、少し伸びてきた毛先にしずくがついていた。
「ほら、ちゃんと拭きなさいって。風邪引くでしょ」
肩にかかっていたバスタオルを奪い取って毛先をぬぐう。大人しく突っ立っている尚樹の頭を良く拭いて、ぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で整えてやった。
「今日の夕飯は、焼き魚定食です。お味噌汁の具は何がいいですか?」
「……わかめ?」
いきなりの尚樹の質問に、一瞬大根かわかめか迷って、後者で返す。尚樹の言葉を聞いて夜一が尚樹の足にごろごろと身体をなすり付け、しっぽを絡めた。
どうやら、焼き魚のあたりは彼の要望らしい。尚樹がいない間のドライフード生活に不満があったのだろう。
犬ならともかく、カカシには猫の事は分からない。
「そういえば、さっき夜一さんが外の鉢に生えてるやつ、食べてたけど、まずかったか?」
「ん? ……ああ、あれは夜一さんのために植えてるやつなので、大丈夫ですよ」
「ふうん。なんなの、あれ」
「ねこすっきです」
……。カカシは自分の耳を疑った。確認のためにもう一度聞いてみる。
「……何だって?」
「ねこすっき、です」
聞き違いではなかったらしい。ねこすっき、という名の植物なのだろうか。いやいや、絶対違うだろう、と顔をしかめる。
なお、正確には燕麦、というイネ科の植物で、ねこすっきというのは日本での商品名なのだが、尚樹はそんな事は知らない。たまたま栽培されているのを見つけ、夜一に確認したらこれだと言われたので、農家の人に種を分けてもらい、繰り返し栽培しているだけである。
「夜一さんのお野菜なんです。お腹の調子が良くなるんですよ」
「……そう」
いろいろと間違っていそうな気はしたが、カカシはそれ以上は聞かないことにした。尚樹の顔を見れば分かる。彼は疑いなくあの植物の正式名称が「ねこすっき」だと思っているのだ。
「それより、カカシ先生。俺ちょっと今から夕飯の買い出しに行ってきますね」
尚樹の言葉に、夜一が素早くその身体を駆け上って右の肩に登り、頭の後ろを回り込む様に左肩に前足をつく。
「……夜一さん、まるで何日もエサをもらっていないような態度はどうかと思う」
ふんふんとヒゲを揺らす夜一に頭を押しやられ、頷く様に下を向いた尚樹が興奮した夜一を宥める様にポンポンとたたいた。
「買い物なら、一緒に行くよ」
「先、お風呂とか済ませてくれててもいいですよ?」
「いや、たまにはね」
アカデミーの頃こそ一緒に買い物をして帰ったものだが、最近はご無沙汰している。それに、尚樹一人で買い物に行かせると時間がかかりそうだ。主に、道の関係で。
いそいそと買い物かごを用意した尚樹がはずしていた額宛を首に巻き、パーカーを羽織る。夜一が落ちない様にフードをかぶった尚樹が少し首を傾げた。
「……夜一さん、前から思ってたんだけど、太ってきてない? ちょっときついんですけど」
その暴言に対して夜一がにゃんにゃん抗議の声(多分)をあげて、何かを納得した様に「それもそうか」とつぶやいていた。
カカシからしてみれば、いったい今のどこに会話が成り立つ要素があったのか甚だ疑問である。
烏の面をじっと睨み、腰から下げているシザーバッグに引っさげて、パーカーの裾で隠す。
以前は夜一とともにフードの中にそれを入れていたから、夜一は尚樹の言葉通り少し大きくなっているのだろう。……太ったかどうかは別として。
先に玄関で待っていたカカシは、尚樹が靴を履いたのを確認して、手を握る。
ドアに鍵をかけて、ゆっくりとその手を引いた。
市場までの道のりを、互いに近況報告をしながら歩く。とくに、ここ最近珍しく尚樹が任務で家を離れていたので、カカシには少し話さなければならない事があったのだ。
「そういえば、任務先でサスケに会ったんですけど、元気そうでしたよ。あ、ナルトには内緒にして下さいね、怒られるから」
「話はしたの?」
「少しだけ」
それは、ナルトが知ったら怒るだろう、とカカシは苦笑をもらした。ナルトは、サスケが絡むと理性の糸が緩む。
それよりも、カカシが気になるのは任務先にサスケがいた、という事実の方だ。大蛇丸関係かな、とあたりをつける。
尚樹が持って帰ったのは、おそらく、ターゲットの首。五代目からの任務だった所を考慮すると、サスケである確率は限りなく低い。もしあれが、大蛇丸だというなら、珍しく尚樹が時間をかけたのも頷ける。
まあ、必要があれば五代目から直接話があるだろう、とそれ以上の事を考えるのはやめた。
今はそれよりも。
「……おまえが居ない間の事なんだけどね」
「……アスマさんのことですか」
「ああ。まあ、もう気づいてると思うけど、誰かから話は聞いた?」
「いえ、まだです」
詳しく知りたいかというカカシの言葉に、尚樹は否と答えた。ある程度予想していた答えだったので、カカシも別段驚かない。尚樹にとって重要なのは、結果であって過程ではない。
「カカシ先生、アスマさんが死んだのって、もしかして俺が鍋作った日ですか」
尚樹の、疑問というよりは確認するような声に、首を縦に振る。
猿飛アスマ。先日暁の二人組との一戦で殉職。そして本日、アスマ班の三人とカカシ達でその二人組を始末したばかりだ。
尚樹が偶然にもカカシとテンゾウとの三人で夕食をとった日、カカシとテンゾウは葬式の帰りだった。尚樹は帰ってきた時間の関係で、連絡が行き届いていなかったのだろうという事は、その言動からすぐに分かった。
「俺が任務中だから、黙っててくれたんですね、カカシ先生」
テンゾウさんは凄く言いたそうな顔してましたよ、と続いた尚樹の言葉に、苦笑を禁じえない。
「……もしかして、そのせいですぐに分かっちゃった?」
火影室で、アスマが不在の理由をすぐに悟った尚樹。その場にいない理由なんて、いくらでもあるだろうに、その行動は確信に満ちていた。
「まあ、それも一つ。あとは、まあ、匂い、というか」
「……匂い?」
「シカマルから、タバコの匂いがしたんで……シカマル、タバコ吸わないのに」
「……アスマの移り香だとは思わなかった?」
「紅さん、妊娠してるでしょう。アスマさんは吸わないんじゃないですか」
知ってたのか、と隣を歩く尚樹を見下ろす。その視線に気づいたのか、尚樹がカカシを見上げる。ずり落ちそうになるフードをおさえて、気配が二人分でしたから、と無表情のままに告げた。
その言葉の意味を一瞬はかりかねる。
「……おまえ、そんな気配まで分かるの」
「まあ、たまたまですけどね。ナルトも二つあるんですよ、気配」
「まいったね」
赤ん坊の気配まで分かるなんて、敏感どころの話じゃないな、と思わずため息をついた。