徒野-21-

尚樹が帰ってこない。
カカシは帰ってくるなり冷蔵庫の中を確認した。もし尚樹が帰ってきていたら、変化があるのはこの中が一番確率が高いからだ。
現に、尚樹が任務に出た最後の日、一度帰ってきた形跡があった。それ以降は一度も帰ってきていないようだが。
夜一のエサが外に出してあった所を見ると、帰って来れなくなる事を本人も予期していたのかもしれない。
最後に会ったとき、尚樹は明日で任務が終わる、と言っていた。抜け忍の始末だと言っていたが、何かあったのだろうか。
こんなに気になるのは、今自分が死に対して敏感になっているからだと、冷静な部分でカカシは理解していた。
夜一にエサをやって、水を取り替えてやる。カカシもこれから任務に出なくてはならないので、夜一をこのままにしていていいのか迷った。
おそらくそう時間はかからないだろうが、日をまたぐ可能性はある。
夜に戻れなかった時のことも考えて、一回分余計に用意してから部屋を出た。

カカシがそんな心配をしているとはつゆ知らず、尚樹は白昼堂々大蛇丸のアジトに潜り込んでいた。
大蛇丸っていくつアジト持ってるんだろ、金持ち、などどずれた事を考えながら、尚樹は慎重に気配を探った。大蛇丸とサスケ、カブトの位置を確認する。3人とも地下。サスケの気配だけ、少し離れている。
出来れば大蛇丸が一人の時を狙いたい所だ。
前回アジトに忍び込んだ時と同じ様に、通り抜けフープを具現化して地下に潜っていく。
カブトの気配が離れていく。逆に、サスケの気配が大蛇丸に近づいていくのを円で感知し、尚樹は眉根を寄せた。
何となくだが、嫌な予感がする。
急激に高まったサスケのチャクラに、尚樹はもうしばらく様子を見ることにした。円にかかる気配だけで探るには限界があるので、同じ階まで移動して透明マントをかぶる。
足音を殺してサスケ達の居る部屋まで近づくと、入り口から廊下まで血が飛び散っていた。
いいタイミングなのか悪いタイミングなのか、判断に困る。
そっと中を覗き込むと、サスケだけが血に濡れた部屋の中に立っていた。
足下には蛇のような姿をした大蛇丸の姿。
鱗一枚一枚が蛇になってるのか、あれ、とげんなりしながら尚樹は心も身体も思わず引いた。
大蛇丸の身体は、いくつかに切断されている。おそらくもう生きてはいないだろう。
騒ぎを聞きつけたのか、たまたまか、姿を見せたカブトに、尚樹は音もなく道をあけた。

入り口に立ったカブトに、サスケは視線を向けた。大蛇丸は今しがたサスケが殺した。正確にはサスケの身体を乗っ取ろうとした大蛇丸を、逆に乗っ取ったという方が正しい。
サスケは端から、この身体を大蛇丸にくれてやる気など毛頭なかった。サスケが欲しかったのは、強さだけ。
だからこそ、大蛇丸についてきた。彼のすべてを奪うために。
そして、ようやく今日それをなしたのだ。
カブトの顔は、警戒していた。自分がサスケなのか大蛇丸なのか、分からないのだろう。
無意識に口角が上がる。かつては手も足も出なかった大蛇丸を下してやったのだ。気分が悪いはずもない。
それは、前触れもなく起こった。
サスケの目がとらえたのは、鈍い光。音もなくカブトの首が落ちて、身体がゆっくりと倒れる。すぐに血が噴き出して、床を更に赤く染めた。
この瞬間に、首とともに厄災の芽が刈り取られたのだが、その事に気づくものは残念ながらこの場にはいなかった。
その後ろに現れたのは、サスケより頭一つ分は低い、まだ少年と言って差し支えない姿。
その顔には、素顔を隠す烏の面。
首元で鈍く存在を主張するのは、木の葉の額宛。
今の今までその存在に気づかなかったサスケは、全身から殺気を放った。もし、あそこに立っていたのがカブトではなく自分だったなら、きっと同じ様に首を落とされていただろう。
サスケがひどく殺気を放っているというのに、目の前の烏は特に反応がない。むしろ隙だらけで、緩い空気をにじませている。
何者だ、と誰何の声をかけようとした時、彼はサスケに向かって小さく手を振った。
その仕草にどこか見覚えがある。
「……お前、もしかして尚樹か?」
こくりと一つ頷いて、その顔を覆っていた面をはずしたのは、サスケの予想通り、水沢尚樹だった。あまり変わっていないその姿に、ひどく懐かしい気持ちになる。
「久しぶり」
「……ここでなにしてる」
「ちょっと、大蛇丸の首を刈りに」
まるでちょっと散歩にでも出るかのような口調で告げられる内容では決してない。
それが本当なのか嘘なのか、見極める術はなかったが、サスケはあまり疑わずに信じた。
尚樹は、嘘をつかない。適当なことを言う事は多々あるが、こういう事で嘘をつくほど、頭を使うタイプではないはずだ。
もらっていい? と首を傾げた尚樹に頷く。これはただの抜け殻で、価値などない。
床に落ちた大蛇丸の頭を右手で押さえ、腰の短剣を引き抜く。さきほど、カブトの首を刈り取ったはずのそれには一滴の血も付いていなかった。
その刃が迷いなく大蛇丸の首に振り下ろされ、まったく抵抗も見せずにそこを一刀両断した。
尚樹の頬に飛んだ血が一つ筋を作る。
「……持って帰るのか?」
「うん。つな……五代目に、大蛇丸の首を取ってこいって言われてるから」
「それは、」
大蛇丸を殺してこい、という意味であって、実際に首を持って帰ってこいという意味ではないのでは、と思うのだが。
サスケがそれを告げるべきか悩んでいる間に、尚樹はベッドからシーツをはがして未だ血の滴るそれにぐるぐる巻き付けている。
まあ、いいかとサスケはそれを黙殺した。
「……お前、俺の事は放っておいていいのか?」
木の葉は、サスケを追っている。これは、サスケの思い込みではない。
サスケを生かして木の葉に戻そうとするナルト達と、サスケを殺そうとする者達、その二つの勢力がある事も理解している。
ナルトの言動から察するに、五代目はサスケを木の葉に戻そうとしている。
そして、先日会ったサイという奴の言動から察するに、根のものはサスケを殺そうとしている。
この場合、尚樹はいったいどちらに属しているのか。
大蛇丸の暗殺を命じられるくらいだ、どちらにも属してないという事はないだろう。
シーツに包んだ首を抱えた尚樹がサスケを振り返る。敵意はない。だが、敵意も殺気もなしに尚樹が人を殺せるのは、先ほどカブトで証明済みだ。
地下独特の淀んだ空気に、濃い血のにおいが混じる。
僅かな沈黙が落ちた。
「別に、サスケの事は何も言われてない」
今回の任務はこれだからね、と抱えた首を揺らす。
白いシーツに早くも血がにじみ、抱える尚樹の手を汚していた。ぽたり、ぽたり、と赤黒いものが地面に落ち、吸い込まれていく。
「……そうかよ」
裏を返せば、命令されればサスケを殺しにくるという事だ。でも、命令されなければ干渉はしない。
尚樹らしい答えだった。
じゃあな、と尚樹に背を向ける。サスケにはまだこれから、する事がある。
尚樹は自分を殺さない。今は。
ふと、思いついて顔だけで尚樹を振り返る。
「お前、一人で帰れるか?」
「あ、今日は大丈夫」
「ふぅん……まあ、迷うなよ」
「うん、ありがと」
いくら任務外だからといって自分をこんなに簡単に見逃す木の葉の忍びはあいつくらいだろうな、とサスケは僅かに口角を上げた。
背後から人の気配が消える。
今日は、と言っていたから何か仕込んでいたのだろう。単純に考えれば口寄せか。
責める事も、問いかける事も、諭す事もしない。
「……お前のそういう所が」
気に入ってたよ、と続く言葉は空気に融けた。昔の事だ。

シカマル、チョウジ、イノ、サイ、ナルトにサクラ、テンゾウとカカシの八人は任務の報告のために綱手の前に立っていた。
その両者の間に、ぱたぱたと血が落ちる。
続いて、音も無くその場に人が一人降り立った。濃い血のにおいが広がる。
ここは火影室。天井には仕掛けなど無い。急に現れた相手に、綱手以外が警戒して反射的に距離をとった。
軽く膝を曲げるだけでうまく着地の衝撃を消した人物は、気だるげに背を丸めて五代目の前に立っている。
血がその左足にひとつ筋を作っていた。
シカマルには、それが誰だかすぐに分かった。
「ああ……すみません、人がいましたね」
小さく振り返った顔は、シカマルの予想通り。頬を伝う血の跡がまだ新しい。
普段の尚樹とはあまりにもかけ離れた様子に、空気が張りつめるような緊張感が漂った。
「とりあえず、これ。獲ってこいって言われてたやつ。報告書は後でいいですか。一度帰りたい」
抱えていた、白い布に包まれたものを尚樹が五代目へと差し出す。その中身が何なのか、嫌が応にもシカマルには分かってしまった。
これは、もしかして暗部の任務なのか、と面をかぶっていない尚樹の後ろ姿を見つめる。
ここ最近姿を見かけなかったのは、任務に出ていたせいだったのかと納得した。
そして、”あんなもの”を平然と持ち帰る尚樹に、身体が無意識に震えた。
「……お前……」
五代目が呆然とした様子で尚樹に話しかける。次の瞬間には、その表情は鬼そのものになっていた。
「本当に持ってくるやつがあるかぁ!」
手元にあった筆をつかんで、尚樹に投げつける。ほんの一瞬の事だったが尚樹は僅かに身体を揺らすだけでそれを避けた。
尚樹が避けた事で自分に飛んできたそれをシカマルもとっさに避ける。
結構な距離にも関わらず、それは壁に直撃して黒いシミを作った。
からん、と床に筆か落ちる音が間抜けに響く。
僅かな沈黙の後に、尚樹が口を開いた。
「ひどくない? 獲ってこいって言ったのそっちなのに、ひどくない? 冗談なら冗談って、それらしい表情で言ってよ。すっごい真面目に無駄に時間かけて探したのに」
ぶうぶうと文句を垂れだした尚樹に、五代目が頭痛をこらえる様に片手で顔を覆う。
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたがここまでとは……」
「労いの言葉くらいかけてくれても罰は当たらないと思います。っていうかこれいらないならもう帰ってもいいですか」
丸めていた背中を更に丸めて、尚樹がため息をついた。
シカマルの隣に立っていたカカシが動いて、尚樹の肩に手をかける。振り返った尚樹の表情は、カカシの背に遮られてシカマルからは見えなかった。
「怪我は?」
「俺の血じゃないから、大丈夫ですよ」
短いカカシの問いかけに、尚樹も同じ様に短く返す。話している間にも、血が尚樹の足を伝って床にシミを作る。
むせ返るような血のにおいが、シカマルの記憶を刺激した。
「お話の邪魔してすみません。どうぞ続けて下さい」
そう言って場を退こうとした尚樹を、ちょうど終わったところだと五代目が引き止めた。
「報告は後日でいいですか、五代目。見ての通りの格好なので、一度帰りたいんですよね」
「それは構わんが……お前、それ持って帰る気か?」
「まあ……埋めてやるくらいはしてやっても罰は当たらないでしょ」
険しい表情を浮かべる五代目とは対照的に、いつもの無表情のまま、気だるげに答えて尚樹がきびすを返す。
視線だけでシカマル達を一瞥して、小さく首を傾げる。
「……珍しい組み合わせだね。アスマさんは?」
シカマルは任務に出ていた尚樹が、ここ数日で起こった事を知らないのだと、すぐに気づいた。ただ、口を開くと何かかがあふれてしまいそうで、尚樹の疑問に答えることが出来ないでいた。
尚樹のそばに立っていたカカシが、その頭を軽く撫でる。カカシの顔を小さくあおいだ尚樹は、それだけで事態を把握したようで、その視線をシカマルへ戻した。
ゆっくりと踏み出された足は、音も無く床を踏む。ぱたり、と血が床を打つ。
すれちがう際に、汚れていない方の右手で二度シカマルの肩を叩いた。慰められているような、労われているような、そういう触れ方だ。
尚樹の歩く後を、ぽたぽたと血が追う様に跡を残す。任務中でもないのに、こんなに、完璧に足音を殺して歩く尚樹は初めてだった。
表情も声もいつもと変わらないのに、空気が張りつめている。そう感じているのは、シカマルだけではなかったのか、誰もその後ろ姿に声をかける事は出来なかった。