徒野-20-

軽く背後で手を組んで立つ。いつも通りパーカーに両手を突っ込んでいると綱手は怒る。綱手の怒りポイントはなかなか複雑だ。
これが乙女心ってやつかもしれない、と尚樹は的外れな答えをはじき出した。
両手を後ろのにまわしているので、いつもより少しだけ背筋が伸びる。
少し離れた位置に机を挟んで座る綱手は幾分ご機嫌斜めのようだ。
「つまり、先日獲り逃した大蛇丸をしとめてこいと?」
「そうだ」
いやいや、おかしいよね? そもそも獲り逃してないし、と尚樹は心の中で反駁した。
先の任務では、大蛇丸としとめてこいだなんて一言も言われていない。やっぱり自分は悪くない、と再確認して尚樹は異議あり、と手を挙げた。
即座に却下、と綱手がそれを制す。とんだ暴君である。
「大蛇丸の首を持ち帰るまで木の葉の土を踏むな」
「そんな横暴な。俺ははたけ家の主婦なのでパートタイマー制を希望します」
「アホかぁ!」
すぱん、と飛んできた新聞を避ける。相変わらず手が早い。
「生捕りは無理だよ?」
「誰が生捕りにしろと言った。これはれっきとした暗殺任務だ。言っただろう、大蛇丸の首を取るまでは戻ってくるなと」
「ええー。それは悪趣味だよ、綱手」
「何が悪趣味だ。こうでもしないとお前は信用出来ない」
「ひどいなぁ、幼馴染みじゃない」
「幼馴染みだからだ」
きっぱりと言い切った綱手に溜息を漏らす。これは、何を言っても無駄そうだ。
まいったなー、この時点で大蛇丸殺してもいいんだっけ? などととメタな事を考えているとは誰も思わないだろう。
そんな風にして、今回の任務は始まった。どうも最近このパターンが多いな、と尚樹は密かにため息をついた。

日中はカカシがナルトの修行に付き合っていていないので、尚樹も昼に行動する事にする。理由は至極簡単で、食事の時間を合わせるためだ。
大蛇丸の首を持ち帰るまで木の葉の土を踏むな、などと言われた尚樹だが、馬鹿正直にそれを実行するほど真面目ではない。
まずは大蛇丸を探さねばならないのだが、そう簡単に見つかれば苦労はしない。
ちょいちょい移動しているみたいで、場所を特定するまでにそこそこ日数がかかったこともあり、日中は大蛇丸を探して夜は家に帰ってきていた。綱手もまさか尚樹が毎日家に帰ってきているなどとは夢にも思わないだろう。
移動に時間がかからないから出来る荒技である。
余談だが、今までもこの方法で任務をこなした事があるので、カカシは尚樹があまり長期の任務に就くことはないと思い込んでいる。
本日ようやく大蛇丸の居所をつかんだ尚樹は、夕食の準備をする時間だったので、そのまま何もせず家に戻った。すでに今回の事の起こりを忘れている。
明日で任務完了~、などと呑気に構えて鍋の準備をする。心は既に開放感で一杯だ。
ふんふん、と下手な鼻歌を歌いながら棚の上からカセットコンロを引っ張りだす。椅子の上に踏み台を重ねた足場は不安定さにかたかたと抗議の声を上げていた。
昔これで落ちた事があるのだが、尚樹はそんな事はすっかり忘れているらしい。誰も見ていないために突っ込まれる事もなく、無事カセットコンロをゲットした尚樹は、それをテーブルの真ん中に設置して、その上に中身の詰まった土鍋をどん、と置いた。今日はキムチ鍋だ。既に中身は台所で調理済みなので、火にかけていなくてもぐつぐつと煮立っている。立ち上るキムチの匂いが食欲を刺激した。
取り皿やお茶の準備をしていると、ドアの空く音がカカシの帰宅を告げる。もう一つの気配はテンゾウのものだ。
「おかえりなさい」
「ただいま」
居間から顔を出すと、やはりカカシの後ろにテンゾウがいた。二人でずっとナルトの修行を見ているようだから、その帰りなのだろう。
「こんばんは、テンゾウさん。上がっていきます?」
「うん」
「カカシ先生、もう夕飯出来てますけど、どうします?」
「テンゾウ食ってく?」
「人数増えて平気なんですか?」
「今日はキムチ鍋です」
なので別に一人くらい増えても平気だ。取り皿を二人分しか用意していないので、テンゾウの分をとりに台所に戻る。
お茶を一人分そそいで、冷蔵庫からビールを二本。きっとテンゾウも飲むだろうという勝手な判断だ。
居間に戻ると、椅子が一脚増えていた。カカシが持ってきてくれたのだろう。
持っていたおぼんをいつも通りカカシが奪われ、尚樹は大人しく席に着いた。。カセットコンロの火はすでについていて、鍋は再びぐつぐつと音を立てている。
「いただきます」
三人で両手を合わせた。
「カカシ先生、なに食べたいです?」
「んー、とりあえず肉かな。あと昆布」
「了解です」
お玉で肉を多めに、野菜も適当によそってカカシに渡す。テンゾウの方に手を差し出すとなんともいえない表情で取り皿を渡してきた。
「テンゾウさんは、なに食べたいですか?」
「……白滝かなぁ、あと肉」
白菜と豆腐、白滝、とまんべんなく拾って肉を最後に入れる。自分の分には白菜を多めによそった。
「鍋ってなんか珍しいね」
カカシの知る限り、任務等で出ていなければ尚樹は食事を用意する。出ている時でも極力用意するが、あまり鍋などのようなおおざっぱな料理は作らない。
「鍋って何かお祝いって感じがするので、いい事があったときにするんです」
「……なんかいい事あったの?」
思わずテンゾウとカカシは顔を見合わせたあと、尚樹に視線を向けた。
ふうふうと火傷しない様に白菜を冷ましていた尚樹は、そんな視線には気づかずに返事をした。
「明日でやっと長くて辛い任務から解放されるんです。開放感で一杯です」
長くて辛い、という尚樹の言葉にカカシは僅かに顔を眇めた。
尚樹がそういう事を言うのは珍しい、というのもあったし、長い、という部分に疑問を感じたからでもある。
尚樹はここ数日はどちらかと言えば、朝はカカシより遅くに家を出、カカシが帰ってくる頃には夕飯の支度を済ませて待っていた。あまり長期の任務についている様には見えない。
しかも、明日で、という事はまだ任務は終わっていないという事だ。
「任務内容は?」
「んー……暗部のやつなので言っていいのかどうか……まあ、いつもの抜け忍の始末なんですけど、今回は五代目がご立腹でして、終わるまで木の葉の土を踏むなって言われてるんですよね」
「……ボクには、君が木の葉にいる様に見えるけど?」
「土は踏んでないんですよ? 夕飯のお買い物も毎日別の国でしてますし」
「屁理屈にもほどがある!」
尚樹の子供のような言い分にテンゾウは思わず頭を抱えた。というか、毎日別の国で買い物ってなんだ、と突っ込みを入れたい。
「……明日で終わるってことは、標的を見つけたの?」
カカシの疑問に、尚樹が一つ頷きを返す。
「ようやく今日見つけたんです。夕飯の時間だったので、今日はそこで帰ってきました」
「帰ってくる? ねえ普通そこで何もしないで帰ってくる!?」
明日には移動しているかもしれないじゃない! というテンゾウの言葉に、尚樹は一瞬動きを止め、視線をそらした。
「いやきっと、明日もあそこにいますって」
「考えてなかっただろう、君」
「イエそんなまさか」
考えてなかったな、と何事もなかったかの様に食事に戻った尚樹を、テンゾウはジト目で睨んだ。
「……まあ、気をつけていってきなさい」
テンゾウと尚樹のやり取りをみて、最終的にカカシが発した言葉はそれだけだった。口を開こうとしたテンゾウは、カカシに視線だけで制される。
本当に、尚樹に対して甘いんだから! とテンゾウは机をばんばんたたきたい気持ちをおさえて、鍋に手を伸ばしたのだった。


朝カカシを見送った尚樹は、食器を片付けてから家を出た。どこでもドアで移動して、すぐに気づく。
「……あちゃー」
気配がない。テンゾウの言った通りどうやら移動してしまったようだ。もうしばらくここに居るかと思ったのだが、当てが外れたようだ。
「まいったね」
予定では弱っているはずの大蛇丸がぴんぴんしている事が敗因だろう。それでも、他人の身体に乗り換える事で怒る拒絶反応には苦しめられているようだったが。
「まあ、昨日の今日だし、遠くには行ってない、かな」
1、2、3と指を折る。既に綱手から任務を言い渡されて4日が経過している。
「気が短いからなあ……綱手」
しかも、まずい事に昨日テンゾウに木の葉に居る事がばれてしまった。もしかしたら綱手に伝わっているかもしれない。地味に困る。
これはしばらく、木の葉に戻らない方がいいかな、ととんずらを決め込むことにして、尚樹はもう一度どこでもドアをくぐってカカシの家に戻った。
冷蔵庫の野菜室を確認して、作れそうなものを考える。おそらくカカシは朝と夕しかここでは食事をとらない。しばらくはナルトの修行に付きっきりなので、夜は一楽で済ましてくる事もある。
「五日分くらい、かな」
尚樹が1週間くらい姿をくらますとして、必要なのはそのくらいだろうとあたりをつける。
朝炊いた残りの米を1回分ずつタッパにつめて、新しく炊き直す。
上着を脱いで腕をまくった。
そのまま、午前中は作り置きの食事を用意し、ゆったりと昼食をとってからようやく尚樹は任務に向かった。
もちろん、計画的にとんずらを決め込むので、しっかり着替えまで用意して。
結局、家にある材料だけでは二日分が限界で、まあ、あんまり作り置きがあっても怪しいか、とその辺はあきらめた。
夜一のエサは、もしカカシが帰ってこなかったら困るので、ドライフードを棚から出して口を開けておいた。しけるから嫌だ、と抗議されたが仕方ない。
連れて行こうかとも思ったが、今回はちょっと血なまぐさいことになるかもしれないので、やめておいた。
大蛇丸のアジトにはやはり人の気配はない。
尋ね人ステッキを手の中でくるりとまわす。少し大きくて持ちづらかったが、それはくるりと手から落ちる事なく一周した。尚樹も例に漏れず小学生のときにペン回しを練習した口である。もちろんすぐに飽きたので、まわす事しか出来ない。
「さて、どっちかな」
地面に立てて手を離すと、それはすぐにバランスを失って倒れた。
それほど急ぎでもないので、尚樹はその方向へ足を向けて地面を蹴る。まあ、そんなに遠くには行っていないだろう、という考えと、あんまり早く見つけると帰らなくてはならなくなるから嫌、という非常に個人的な理由でとった行動だったが、それが見事に裏目に出た。
尚樹がそれに気づくのは実に4日後の事である。結局、尚樹が大蛇丸を発見出来たのは6日後の、太陽も中天をすぎた頃。はからずも当初予定していた1週間が目前に迫っていた。
尋ね人ステッキは、常に正解の方向を示すとは限らないのだ。