徒野-18-

先に気づいたのは尚樹だった。
「……あそこがアジトみたいだね」
「みたいですね。すぐに入ります?」
「いや、先にナルト達を呼ぶよ」
テンゾウの言葉に、尚樹がかぶっていた面を押し上げて顔を出した。
「じゃあ、俺は先に中に。サイもいるみたいですけど、どうします?」
尚樹の言葉に、サイの居場所を探る。確かにアジトの方から反応があった。
「……よく、この距離で分かるね。他に誰かいる?」
「大蛇丸と、カブト、サイ、後サスケの4人ですね」
テンゾウはサイに飲ませた発信器を頼りに探っているだけなので、さすがにそこまでは分からないが、尚樹がそう言うのだから間違いないのだろう。
「サイはこっちで捕まえるよ。君は大蛇丸を頼む」
「頼まれた所でどうしようもないんですけどね……まあ、時間稼ぎくらいなら」
「頼んだよ」
面をかぶり直した尚樹は、大胆にもアジトまで一直線に走っていった。潜伏の定石で言ったら土遁で地下から行くものだが、尚樹はあいにくと土遁は使えない。
気配に聡いからこそ出来る大胆な方法だが、本人は何も考えていないだけだったりする。
走り去る尚樹の姿を見送ったテンゾウが、とても真似出来ないな。と感心していたりもしたのだが、もちろん勘違いである。
アジトの前までたどり着いた尚樹は岩で出来た壁に手を当てた。僅かに思案して、手の中にフラフープを具現化する。壁に押当てるとその円の中がアジトの中につながった。
4人の気配は同じ所に集まっている。動き回るなら今がちょうどいい。
念を解除すると先ほどまで空いていた穴はきれいさっぱり無くなった。
「さて……透明マント」
なくても平気だが、あればわざわざ姿を隠す必要が無くなる。具現化したマントを頭からかぶって姿を隠す。今日はドラえもんの道具が大活躍だ。
アジトの中がどうなっているのかは分からないが、行き止まりでも問題ない。気配をたどって移動していると先ほどまで一カ所に集まっていた気配が二つに分かれた。
大蛇丸とサスケ、サイとカブトのようだ。サイの方はテンゾウ達がなんとかするという事だったし、尚樹は大蛇丸の方に用があるので、さほど迷わずに行き先を決める。
わざとなのか、アジトの中は部屋の並びに規則性がなく、行き止まりが多い。本来なら尚樹のような侵入者をかく乱する役目があるのだろう。
「下のフロアか」
マントを消して再びフラフープを具現化する。いちいち具現化し直さないと行けない所がこの念の面倒な所だ。同時にいくつも具現化出来ない。
床において下の階に繋ぐ。それを繰り返して一番下まで潜った。
気配が近い。壁一枚向こうに、二人の気配を感じる。
待つほどもなくサスケの気配が離れていった。チャクラの気配が随分と濃かった所を見ると、なにか術でも試していたのかもしれない。
姿の見えないサスケの気配を視線で見送って、具現化したままだったフラフープを壁に押当てた。
丸くあいた穴の向こうに大蛇丸の後ろ姿。尚樹が絶をしているためにまだ気づいていない。
音を立てずにそれをくぐり具現化を解いた。透明マントを具現化し直そうとして、もう隠れる意味もないか、と壁に寄りかかる。
先ほどから地上にナルト達の気配を感じていた。予想より早い。
一人で何事かをつぶやいている大蛇丸に、ちょっと引きながらも視線ははずさない。
気持ち悪くない気持ち悪くない、心頭滅却すれば火もまた涼し。
ゆっくりと振り返った大蛇丸の瞳が驚きに見開かれる。空間を照らす炎の光が揺らめいて、ほんの一瞬だけその表情に昔の名残を見せた。
互いの影がゆらゆらと床に伸びる。
「……その面」
「ああ、これ、カラスらしいよ。俺ずっとトリだと思ってたんだけどね」
「まあ、別に間違ってはないわね。てっきり中身は代替わりしたんだと思ってたわ」
「別に、烏の面なんて珍しくもないんじゃない?」
「同じ烏でも、地味に暗部の面はかぶらない様に作られてるのよ」
「マジか。意外と芸が細かいんだね」
知らなかった、と肩をすくめた姿は、子供のものだった。声も、まだどこか幼さが残る。
「良くここまでこれたわね」
面をかぶった人物が、大蛇丸の知るものなら、ここへたどり着く事は難しい。なぜなら彼は一人でおつかいも難しいほどの方向音痴なのだから。
ああ、でも。
「また、棒でも倒してきたの?」
「ん? ……ああ、いや、今日はちゃんと気配よんできたよ。あれは時々外れるから、あんまり信用しちゃ駄目なんだ」
普通は棒倒しなんて、外れる事の方が多いのだ。昔尚樹がそれであっけなく猫を見つけていた事を思い出して、大蛇丸は口元に笑みを浮かべた。遠い昔の事だ。
「……私を殺しにきたの?」
尚樹から殺気は感じない。だが、大蛇丸の知る水沢尚樹という人物は、殺気なく人を殺せてしまうのだ。
「冗談でしょ。俺の方が弱いんだよ? それに。今日は殺せないんだ」
「……別に、尚樹の方が弱いってことはないと思うけど?」
今日は、という言葉に引っかかりを覚えつつも、大蛇丸は先の言葉に訂正を入れた。
別に、子供の頃過ごしたメンバーで尚樹が弱いと感じた事はない。むしろ、一番思い切りが良くて冷静な尚樹は、ある意味一番強いような気がしていた。
忍術は使えなくても、長く暗部に属し、任務をこなしてきた実績もある。
「そんな事言ってくれるの、大蛇丸くらいかなぁ。まあ、ありがとう?」
「別に、社交辞令じゃないんだけどね。まあ、どういたしまして?」
こてんと左に首を傾げた尚樹につられて大蛇丸も首を傾げる。
今気づいたとばかりに面をはずした尚樹の顔は、記憶の中と寸分違いない。
緩くまぶたを伏せた姿。それが尚樹が笑みを浮かべている時の表情だと知っているものはそう多くない。
引きずられる様に記憶が浮かんでは消える。まるで幻術にでもかかっているかのような心地だった。
「……今日は、私の事殺さないの?」
「うん、道具、なくてね」
仄暗い室内で、尚樹の頬に睫毛の影が濃く落ちる。本人は道具がないなどと言っているが、足のホルスターには千本とクナイが、シザーバッグには千本と巻物が入っており、見た所数は減っていない。相変わらず千本の数が異常だ。
背中には記憶とは異なるもののナイフが固定されている。見え見えの嘘だ。
だが、こういう駆け引きが苦手な尚樹の事だ。やらないと言ったら、やらないのだろう。
里を抜けてから初めて、なじられる事も理由を問われる事もなく、昔と変わる事のない様子で話をした。緊張感の欠片も裏もない会話に、自分が疲れている事を大蛇丸は自覚した。
里を抜けてから、信のおける仲間など一人もいなかった。今思えば、自来也の事も綱手の事も、信頼はしていたのだろう。ずっと止まる事なく進み続けてきた。それは自分の意思だと思っていたけれど、本当は止まることを許されていなかっただけなのかもしれない。
止まる時は、死ぬ時だ。
「ねえ、大蛇丸。昔の事を思い出せる?」
「……どれの事かしら」
「別にどれってことはないけど、昔のこと。大蛇丸の身体がまだ本物だった時の」
「……思い出せるわ」
もう何度も身体を取り替えてきた。蛇が脱皮を繰り返す様に、幾度となく。
「そう……ならいいんだ」
地面を伝った振動が足裏に伝わる。この短い時間の終わりを告げる様に。
何度も脱ぎ捨てては、自分の意志もこぼれ落ちていくよ、と言った尚樹の言葉を鮮明に思い出す。青く澄んだ空も、地面の草を撫でていく風も、まるで今そこに立っているかのような錯覚を覚えるほどに。
こんなに鮮明に思い出せるのに、今の今まで忘れていた事が大蛇丸には不思議で仕様がなかった。
つないだ手の温かさも、子供の手独特の柔らかさも遠い記憶の中だけのものだ。
足下の振動が大きくなる。抗議する様に炎がゆらりと揺れた。
「もう行かないと駄目みたいね」
「そうだね」
尚樹の視線は天井のさらにその先を見ている。
「一人でここから出られる?」
「ん? んー……まあ、なんとか」
ああ、これは出られないな、と大蛇丸は苦笑して手を差し出した。これは本当なら自来也の役目だけれど、ここには自分しかいない。その手をしばらく無言で眺めて尚樹は首を横に振った。
「他の人たちに見られると面倒だからね。それより、一つ頼み事してもいい?」
「内容によるけど、何?」
「ナルト、まだ今日は殺さないであげて」
「‥‥別に殺す気はないわよ」
「うん、だとは思うけど、サスケがね。まあ、なんだかんだ言っても、サスケもナルトの事殺せないんじゃないかって思うけど、若気の至りってあると思うし」
「……しょうがないわね」
「ありがと」
尚樹が壁にもたれたままばいばい、と昔の様に無表情で手を振って、大蛇丸も昔の様に無言で手をふりかえした。
たぶん、これが最後。
大蛇丸がその場から姿を消したのを確認して、尚樹はまぶたを閉じた。
ナルト達の気配は地上近くにある。
サスケの気配も近くにあるから、もう接触した後だろう。ここまで来ればもう尚樹の仕事はない。大蛇丸に頼んだから、ナルトも怪我をする程度で済むだろう。
「任務完了、かな」
地下に潜るのは比較的簡単だが、地上に登るのは少し骨が折れる。もうここから直接木の葉に戻ろう、とどこでもドアを具現化した。
一瞬だけ尚樹の影がゆらりと揺れて、その後には何も残らなかった。