徒野-16-
思ったよりもチャクラコントロールは複雑なようだ。ようやく糸口が見えていただけに、尚樹はほんの少しだけ落胆した。
具体的に言うと、12秒くらいだ。
現状、忍術が使えなくてそう不便をしているわけではない。念があればある程度の事はカバー出来る。だから、まあいっか、とその程度のことだ。
今後の課題としては、キルアをまねて作った能力の定着だろうか。どうにも使い勝手が悪いせいで、使用頻度が低く完成度が低い。
尚樹のもともとの念能力自体も、実は完璧ではない。よく使う道具は難なく具現化出来るのだが、あまり使わないものや記憶が曖昧なものは具現化までに僅かではあるがタイムラグがあり、具現化しない事もある。
特にここ最近実践ではまだないが、訓練中は何度かそういうことがあった。
これに関しては、覚えているうちにメモでもとろうかと思ったが、やめておいた。
いざという時役に立つとは思えない。
記憶がある、という事と思い出せるという事は別物だ。
視線を地面へ、そしてそこに映る自分の足。
未だもとの世界の身体に届かない幼いそれ。記憶ばかりが老いていく。
視線を上げると、いつもと変わらぬ風景。いや、いつもと似たような風景、というのが正しい。
つらつらと考えながら歩いていたせいで、ここがどこか正直尚樹には分からない。
「……これは、迷ったかな」
違和感を感じたら、最近はすぐ念に頼ることにしている。もちろん、それに気づくのが遅いからこその方向音痴ではあるのだが。
するりと細い路地に入って人の気配がないのを確認しつつ、念を使って部屋まで移動。
流れるような一連の流れには、慣れ、という物がにじみ出ていたが、いまだかつて誰もその現場を目撃した事がないので気づく人物はいないのだった。
部屋に戻ると、夜一はカカシのベッドに沈み込む様にして眠っていた。
しばらくカカシが帰らないので、そこは夜一の天下である。
尚樹は自分の少ない私物の入った引き出しから一枚の紙を取り出した。
二つ目の懸案事項である。
紙には不格好な字がいくつか書かれていた。凝をして紙を見つめる。
「……駄目か」
数日前に尚樹が具現化してそこに貼付けておいたカードは無くなっていた。具体的には、任務に出る前だから、結構な日数が立っている。
感応紙のオーラをとどめやすい性質に気づいてから尚樹が試していたのは、一度具現化した道具をそこにとどめておけないかというものだった。
基本的に零時丁度に尚樹の念はリセットされる。ほんの僅かな間だけ絶の状態になり、具現化していた道具も消えてしまうのだ。
それは別にいい。問題は、いつでも好きな道具を具現化出来るというわけではない所にある。これが結構致命的で、逃走や治療用の道具を使えなくて困った事が今までに何度か。
それを解消するための糸口だったわけだが、これもチャクラコントロール同様芳しくない。
気を取り直してカードを具現化し直し、ふと思いついて感応紙で包んで最後を糊止めし、封の文字を書き付けた。
それを無造作に引き出しに戻し、薄暗くなってきた部屋の電気をつける。
もう数日すれば、ナルト達と同じく天地橋に向かわねばならない。カカシは地道にチャクラを補給すればあと2、3日もすれば退院出来るだろう。
帰りに仕入れてきた武器を机の上に並べて毒を仕込むために台所に移動する。とっておいた空き瓶と使用する毒を取り出して再び居間に戻り、椅子に腰を下ろした。
手はいつも通り毒を調整し、千本を瓶につめていく。
頭では、これから起こる事を考えていた。
「天地橋……」
尚樹の独り言が誰もいない空間に融けていく。ほとんど思い出せないが、おそらく大蛇丸は出てくるだろう事は想像に難くない。
本来ならこの頃の大蛇丸はだいぶ弱体化しているのだろうが、尚樹が暗部の任務で何度か見た時は、普通だった。というか、割と元気そうで首を傾げたものだ。
後からその原因に気づいたのだが、これがまた割と致命的なのである。
普通に考えれば、もっと早くに気づいても良さそうなものだが、記憶がだいぶ薄れていたのでこればっかりは仕方ない。
簡単に言えば、三代目が生きていると言う事態に起因するのだ。
本来なら三代目の命と引き換えに大蛇丸は両腕を失うはずだった。
すべての武器に毒を仕込み、尚樹は頬杖をついて揺れる毒の水面を視線で追った。
やはり今回の任務、どう考えても嫌な予感しかしない。せめて装備だけでも万端にしていきたいが、何故か内容をまったく思い出せない。対策のとりようもないというものである。
深く深くため息をついいて、尚樹は千本をつめた瓶を棚にしまうために立ち上がった。
以前処理していた瓶を取り出し、新しいものと置き換える。ホルスターに少し、任務に出るときに羽織る上着に残りを全部補充して準備完了だ。いつでも任務に出れる様にした所で満足した尚樹は久しぶりに夜一を風呂に入れようと軽い足取りで湯を沸かしに行く。
その後はもちろん、黒猫と飼い主の間で一悶着ありながらも、黒猫は遠慮なく洗われたのである、
寝返りを打とうとして、布団がおさえられている感触に目が覚める。違和感を覚えた方に視線をやると、椅子に座った状態の尚樹がベッドの上に埋もれる様にして頭だけを伏せていた。
どうなの、その寝方。窒息するんじゃなかろうか。
しばらく任務はないと言っていたその通りに、尚樹は毎日カカシの所に顔をだした。
カカシが寝ている間にここ最近ブームらしい編み物でもしていたのか、カカシの上には毛糸やらかぎ針やらが編みかけの状態で放置されている。
途中で力つきたか、とそれを手に取って思わず手を動かす。
ここ2、3日こればかり見ていたので、記憶力のいいカカシはやり方を覚えてしまっていた。
すでにチャクラの方はほとんど回復しており、これなら今日明日にでも退院出来るだろうと踏んでいる。
ぴくりともしない尚樹を起こすべきか悩む。どう考えてもその姿勢は呼吸出来ていない様に見えるのだが。
そうやってカカシが逡巡していると、病室にアスマが顔を出した。軽く手を挙げて挨拶をしたアスマは、ベッドに頭を埋めている尚樹に気づいて、無言で指を指す。
それにカカシは首を横に振った。
「苦しくねぇのか、これ」
「さあ……俺が起きたときには既にこうなってた」
「ふうん……ほら、坊主起きろ。窒息死するぞ」
カカシの逡巡など知る由もないアスマは、ためらいもなくその頭をつかんで顔を上げさせた。うっすらと開いた瞳は、しばらく空を漂い、そして頭上のアスマへと向かう。
「……おはようございます?」
「おはよーさん」
「席はずした方がいいですか」
「いや……相変わらずぼんやりしてるわりには気のまわるやつだな、お前は」
「あと、禁煙です、ここ」
すっと手を差し出した尚樹に、アスマは苦笑を漏らした。吸いかけのタバコを大人しく差し出すと、躊躇なく火のついた先っぽごとその手が握りつぶす。どうやら灰皿代わりに素手を差し出していたらしい、ということに気づいてアスマは呆れた。まったく躊躇しなかった所を見ると、この程度は特にダメージを受けないのだろうが、彼の保護者が動揺するのでアスマとしてはやめて欲しい所だ。
その動揺したカカシはと言えば、タバコを握り込んだ尚樹の手をつかんでわたわたしている。
本人がいつも通りの無表情でいる所がまたなんとも言えない。うっかり煙草を吸ったまま見舞いに顔を出してしまったアスマは僅かに責任を感じて事態の収拾に乗り出した。
「あー……手は大丈夫か? 坊主」
「はあ、別にどうともないですけど」
「とりあえず、手ぇ洗ってこい」
「はい。ついでにお茶の用意しますね」
「……ああ」
病院でお茶の用意なんて出来るのかとちらっと思ったが、そこは流しておく。未だ呆然と尚樹の手を握っているカカシを引きはがし尚樹を病室から追い出す。
その背中を見送ってからアスマはカカシに視線を戻した。
「大丈夫か、カカシ」
「……あー、悪い、取り乱した」
「まあ、分からなくもないけどな。本人がけろっとしてんだから大丈夫だろ」
「いや、でもあの子、あんまり顔に出ないから」
「まあな……どっちにしても少し落ち着け」
ここ数年ですっかり過保護になってしまったカカシに苦笑を禁じえない。意外と子煩悩なタイプだったんだなこいつ、と随分調子が良くなったらしいカカシを見下ろした。
「その様子だと、今回はもうそろそろ退院出来そうなのか?」
「ああ……結構写輪眼を使ったから、もうすこしかかるかと思ったけど、大丈夫みたいだ」
「そりゃ、良かったな。写輪眼がちっとは馴染んできたのかね」
「それはどうかな……使った後は正直いつもよりきつかったから……どっちかと言えば回復が早くなった感じだな」
調子を確認する様に手を動かすカカシに、アスマは僅かに考えた後、先ほどまで尚樹が座っていた椅子に腰を下ろした。
「尚樹は今日は任務はないのか?」
「ああ、しばらくはないらしい。戻ってきてからずっとこっちに顔出してる」
カカシの返事にアスマは僅かに顔をしかめた。この忙しい時期に、そう何日も任務がないというのは考えづらい。それにカカシが気づいていない、というのも考えづらいが。
「しばらくない、ねぇ」
何かこの後に大きな任務でも入っているのか。先日砂で暁とやり合ったばかりだ。それに関する任務かもしれない、とシカマルからあらかたの事情を聞いていたアスマは当たりを付けた。
相手が相手だけに、今回はシカマルまで声がかからなかったのだろう。
「お前んとこの坊主も、なかなか大変そうだな」
「なに、いきなり……」
「いや、この後の任務がな……烏だし、まあ簡単な任務は基本的にないだろうが」
「……烏?」
首を傾げたカカシに、おや? とアスマは言葉を切った。まさか、一緒に暮らしていて尚樹が暗部の烏である、という事を知らないわけではないだろう。
暗部の中でも烏がひときわ目立つのは、小さいからだ。大人の姿をしている事もあるが、大抵は子供の姿をしている。大人達の間では、それだけで目立つというものだ。
以前アスマが尚樹に烏かと尋ねたのは、尚樹が小さいからに他ならない。
尚樹は否と答えたが、シカマルからその答えが間違っていた事は報告を受けている。
だから、烏は尚樹で間違いないはずなのだが、カカシの反応はいったいどういう事か。
「……坊主は、烏だろう?」
「いや、年が合わない……」
言葉を途中で切って頭を抱えたカカシに、今頃気づいたのかとアスマは呆れるよりも驚いた。
「お前、坊主から何か聞いてないのか?」
「聞いてない……俺も何も尋ねなかったし」
「そりゃまた、なんで」
アスマですら、いろいろと聞いたというのに、この保護者は何をしているのか。甚だ疑問である。
「や、もうなんて言うか……あんまり言いたくなさそうだったし、無事だったならいいかと思って」
「はぁ……お前らしくないな、まったく」
自覚はあったので、カカシはアスマの言葉に苦笑で返した。
「まあ、それで話を戻すけどな、しばらく任務無しってことはこのあと大きい任務が入ってるんじゃないのか?」
「……聞いてない。本人はしばらく任務はないって、それだけだったし」
「ふーん。ちゃんと聞いとけよ?」
「分かったよ」
お茶をこぼさない様に慎重におぼんを抱えて戻ってきた尚樹に会話を中断する。無表情ながらも凄く真剣な様子がうかがえるほどの足取りだ。
それもそのはずで湯のみにはなみなみとお茶がつがれている。正直何故そのきわどいラインまでついだのか問いたいレベルだ。
「坊主、お茶なんてどこで入れてきたんだ?」
「給湯室、時々借りてるんですよ」
ここ、結構お世話になる事が多いので、知り合いが多いんです、と続けた言葉をアスマは正確に把握した。
尚樹はあまり病院に世話になる事はないので、カカシの世話をしに通う間に仲良くなったのだろう。おねーさんたちがお菓子もくれました、とどこか嬉しそうに最中を手渡してくる。それを受け取って、例えばこれをくれた人の思惑とか、いろいろ邪推しそうになるのを振り払いながらアスマは口を付けた。そろそろと差し出された湯のみを受け取って、半端ない熱さに反射的に手を離しそうになるのをこらえる。
これを平気そうに持っているのだから、きっとさっきのタバコもどうという事もないのだろう。
とりあえずその熱いお茶をサイドテーブルに追いやって最中を消費する。
「そういえば、さっきおねーさん達に明日退院出来るって言われましたよ」
「俺としては、今日でもいいくらいなんだけどね」
「まあまあ。明日の朝に迎えにきますね」
夫婦か、と心の中でこっそり突っ込みを入れて乾いた口の中を潤そうと湯のみに手を伸ばし、ものすごくあつい事を思い出して手を引っ込める。
「カカシ先生、編み物できるんですか?」
「いや、出来なかったんだけどね。お前がずっとしてるから覚えた」
「天才過ぎるんですけど!? 俺いまだに途中で鍵棒動かなくなりますよ」
「力加減じゃないの。その辺は得意そうだけどね」
「出来るだけ目の大きさをそろえないと歪になっちゃうんですよね。慣れだと思ってしつこく編んでるんですけど」
手の焼ける親と子の会話に耳を傾けると、とてつもなく生温い気持ちになってしまうアスマを責められるものはいない。
退院時期についての話は問題ない。なのに何故そのあと編み物の話になっているのか。しかもすでにコツをつかんだらしいカカシが尚樹にレクチャーまではじめてしまって、やれやれである。
ようやく触れる様ようになってきた湯のみを手にとり、お茶を冷ますために息をふきかける。
一口飲むと条件反射的にため気が出た。
つまりこうして、いつも何も聞かないわけだ、と妙に納得してアスマはもうなにも突っ込まないことにした。
ただ単に面倒くさくなっただけとも言う。
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