徒野-15-

「テンゾウさん、どうしたんですか、微妙な顔して」
「……いや、なんでも」
出会った頃よりも高い背丈。顔につけた面のせいでその表情は窺い知れない。だいたいの想像はつくが。
「それにしても、テンゾウさんと一緒の任務は久しぶりですね」
「……ああ、そうだね」
久しく任務がかぶらなかったのは、自分の手には負えないと三代目にテンゾウが泣きついた結果なのだが、尚樹はきっとそんな事は知らないだろう。
今回の任務に一抹の不安を覚える。
人気のない廊下でテンゾウと尚樹の話し声だけが響いている。それを気にしたのか、近くの窓を尚樹が開け放った。
流れ込んできた風が尚樹の短い髪を揺らす。窓枠に寄りかかって、里の様子を眺める尚樹の後ろ姿。
テンゾウさん、と今では間違う事なく自分を呼ぶ目の前の子供は、出会った頃なぜか他の名前を呼んだ。
それに少しだけ背筋が寒くなる。
負傷したカカシの代わりにカカシ班の隊長を務める事になったテンゾウは、五代目と交わした言葉を頭で反芻した。
テンゾウにとって久しぶりとなる通常の任務。暗部としてではないこの任務では、コードネームをもらった。
それが「ヤマト」。
かつて尚樹が呼んだ名は「ヤマト隊長」
名前がかすりもしない上に、隊長でもないと当時は不思議に思ったものだが、ここにきてぴたりとはまった。
五代目にコードネームを告げられた時の驚きは、きっとテンゾウにしか分からないだろう。
「尚樹は今回の天地橋の事、どう思う?」
「……どう、っていうのは?」
ゆっくりと振り返った顔には鳥の面。
「罠だと思うかってこと」
「ああ……さぁ、どうでしょう? 個人的にはあんまり罠だとは思えないですけど」
「けど?」
「まあ、ろくな事にはならなそうだなって」
五代目の前でもさんざん行きたくないと言っていただけあって、その身体からは拒絶の色が見える。表情からではない所が非常に尚樹らしいとテンゾウは思う。最近、彼は面をつけている方が考えている事が読みやすいと気づいた。他人が聞いたら鼻で笑われてしまいそうだが、事実なのだから仕方ない。
「……なんで罠じゃないって思うのかな」
思い返せば、彼には昔から不可解な発言が多い。まるで、これから何が起こるか知っているかのような事を言う事がある。それを、今回テンゾウは強く感じた。
それは一種、畏怖にも似た感情をテンゾウに抱かせ、そして同時に強い不信感をもたらした。
鈍いようでいて、尚樹は時々鋭い。テンゾウの不審を敏感に嗅ぎ分けるだけの嗅覚が彼にはある。だからこそ、テンゾウは不自然でない様に言葉を慎重に選んだ。
首をこてりと右にかしげて、尚樹が面の下で口を開く。
「……別に根拠があるわけじゃないですけど、サソリさん友達いなそうだし」
「……君に聞いたボクが馬鹿だった」
「あからさまに失礼ですね、テンゾウさん」
失礼だとは言いながらも、何とも思っていないような声音。実際なんにも思っていないのだろう。テンゾウの知る尚樹は、そう言う人間だ。
「それより、ゆっくりしてていいんですか? すぐ出発するんでしょう」
話をそらしたな、と胡乱な目を向けるも、最もなのでこれ以上はここでは追求しないことにした。どうせのらりくらりと躱されてしまうのが目に見えている。わざとなのか無意識なのかは判断に困る所だが。
「君もだろう。任務を放棄するなよ?」
さんざん嫌がっていたので、念のため釘を刺しておく。さすがに任務を放棄するとはテンゾウも思っていないが、少しはやる気を出してもらわないと困る。主に、テンゾウの胃が。
「6日後でしょう? 俺が行くにはまだ早いですよ」
軽く床を蹴るだけで窓枠に飛び乗った尚樹は、テンゾウの言葉に肩をすくめてみせた。セルを組んで移動するテンゾウ達とは違い、尚樹はいつも通りの単独行動だ。確かにテンゾウ達よりも速く動けるだろう。それはテンゾウも理解しているのだが、尚樹の驚異的な方向音痴が、欠片も安心感を与えてくれない。
「……出来れば君には先回りしていて欲しいんだけどね」
「カカシ先生の看病があるので、それが終わったら行きますね」
そのまま窓枠を蹴って飛び降りた尚樹の姿を追うようにテンゾウは窓枠に飛びついた。
「それ! 凄く時間がかかると思うんだけど!」
張り上げたテンゾウの声が聞こえたのか、眼下で小さくなった尚樹が手を振っている。ちがう、そうじゃない。別段これっぽっちも手を振って欲しいなんて思ってない。
すぐに歩き出してしまった尚樹に、テンゾウは口をぱくぱくさせるだけで、完全にタイミングを逸した。
カカシは重傷というわけではないが、例によって写輪眼の使い過ぎによるチャクラ切れを起こしている。
もともとうちはの人間でないカカシには写輪眼の使用は負担がかかるので、こうなってしまうとしばらくは動けない。
その看病となると、必然的に1週間くらいはかかるわけで。
本当に天地橋に来る気があるのか、ものすごく不安になるテンゾウだった。

あたたかなものが神経を伝うような、不思議な感覚だった。ゆっくりと意識が浮上する。
視界を覆うのが人の手の平だと認識するのに、少し時間がかかった。
カカシのまぶたの動きを感じたのか、それはすぐに離れていって、その先には今までに何度も見た天井が広がっている。
そういえばまたここだったっけ、と思いながら視線を動かすと、まだ幼さの残る養い子の顔。
起き上がれないかと思ったが、意外な事に身体は動いた。
「おはようございます」
「……おはよう」
「着替えとか家から持ってきましたよ」
「ああ……ありがとう」
すっかり入院の準備が整っている様子に苦笑しつつ、カカシは尚樹の頭を撫でた。妙なことばかり覚えてしまって困る。
カカシの暇つぶし用にか、サイドテーブルには見慣れた表紙の本が二つ。一輪挿しには、先ほどとは違う花が一つ。
「……何か寝てる間に進展あった?」
カカシの質問に、考える様に視線を動かしてあまり間をあけずに尚樹が口を開いた。
曰く、サソリから大蛇丸の組織に送り込んだスパイの情報が得られたので、ナルト達が天地橋まで生捕りしにいく予定。
「……スパイ、ねぇ」
情報の出所に不安を感じるが、行かざるを得ない内容だろう。真偽は行って確かめるしかない。
「今回は、テンゾウさんがカカシ先生に変わってカカシ班の隊長を務めるそうです」
「ふーん。ま、テンゾウなら、おかしなことにはならないでしょ」
お前は? と尚樹の予定を確認すると、しばらく任務はないとの事だった。
ここ最近働き過ぎなのでは、と思っていたところだったので尚樹の返事を聞いて安心する。暗部の任務はただでさえランクの高いものばかりだ。
「もうしばらくここにいますから、カカシ先生は眠って下さい。チャクラが回復しないと、退院出来ないですよ」
上半身を起こしていたカカシをベッドに戻そうとする尚樹に素直にしたがって、カカシは枕に頭をあずけた。
尚樹の手元に目をやると何故か毛糸と金属の棒が握られている。俗にいう、かぎ針というやつである。また何か変な事に手を出しているな、と半眼でそれを見遣って、まだ編み始めたばかりらしい円状のそれが何なのか尋ねた。
「アクリルたわしです。洗い物するとき、洗剤がいらない優れものらしいです」
「……そう」
誰だそんなおばあちゃんの知恵袋みたいな事を教えたのは。
汚れがよく落ちるんですよ、なんて真顔で言いながら慣れない手つきで毛糸をすくっていく。少しずつ大きくなっていくその固まりを眺めて、無意識に編み目を数える。
起きたばかりなのでそう簡単には眠れないだろうと思っていたが、体中を覆う温いお湯のような感覚にすぐにまぶたが重くなる。それに僅かに違和感を覚えつつも、身体は疲れていたのか深く考える事もなく眠りに落ちた。

ゆっくりと確実に眠りに落ちているカカシを見下ろす。
身体からはオーラが少しずつ漏れては消えていく。自分のオーラでそれをとどめられないものかと思ったが、やはり無理のようだ。
その代わり、綱手の時ほどではないが尚樹のオーラがカカシの身体に取り込まれていく。ここの人間が特別なのか、ハンターの世界で試した事がなかったから気づかなかったのか、今の尚樹に確認する術はない。
カカシの治療をしてしまってもいいのだが、尚樹がすると、急に全快してしまって怪しい事この上ないので、オーラを分けるだけにしておく。チャクラ切れなら、これで少しは良くなるだろうという安直な考えである。
ふう、と小さくため息をついた。なんだか、やる事が色々ある。
天地橋に向かうのに、急ぐ必要はない。こんなに時間が空く事も珍しいので、尚樹は今のうちにいろいろ片付けることにした。さしあたって、何から手を付けるべきか。
ぐっすり眠っているカカシを確認して、イスから立ち上がる。
イタチからあまりダンゾウの情報を得られなかったので、まだ手を出すのは早いだろう。下手に失敗すれば警戒をあおる。
ふと、連鎖的にイタチの言葉を思い出す。
経絡を無視してチャクラをコントロールしている、と。その言葉が正しいなら、忍術が使えないのはそのせいかもしれない。たしかに、変化の術はカカシのチャクラコントロールをまねている。比較的単純な術だからそれで成功したのだろう。
もっと複雑なものになってくると上辺だけのコントロールでは成功しなくなるのだ。
ただ、尚樹の凝では経絡、身体の中のオーラの流れまでは見えない。これは協力者が必要だな、と尚樹は念を使ってその場から姿を消した。

「それで、ここに来たと」
自分より低い位置にある、年のわりには幼い顔を見下ろす。目も髪も白い自分とは正反対の色。
「うん。ヒナタでも良かったんだけど、任務に出てるってヒアシさんが」
「……ちなみに聞くが、ヒアシ様とはどこで知り合ったんだ?」
「甘味仲間」
「……そうか」
ネジはその事実をそっと胸の内にしまった。
ちょうど誰も道場を使っていない時間帯で助かった、と今は二人しかいないそこを現実逃避気味に見渡した。
使い込まれてどこそこ痛んではいるが、優しく光を反射する板の間は手入れが行き届いている。
「それで、俺は何をすればいいんだ?」
「白眼って確か経絡系も見えるんでしょ?」
「ああ」
「最近知り合いに、俺が術を使えないのは、経絡系を無視してチャクラをコントロールしてるからじゃないのかって、言われたから気になって」
知り合いに、という尚樹の言葉にわずかに引っかかるものがある。
人の身体に流れるチャクラを見ることが出来る人間はそうはいない。
それこそ、ネジの様に血継限界を持つものでなければ。
まず一番に思いつくのは白眼だが、それならわざわざ知り合い、などという言い方はしないだろう。
もう一つは、写輪眼。
尚樹の身近な人物でそれを使うことが出来るのは、カカシくらいだが、それならやはり知り合いなどという言い方はしないはず。
他に写輪眼を使えるのはうちはの一族だが、ネジの知るかぎり尚樹と交遊があるのはサスケくらいだ。
「……つまり、チャクラの流れを見ればいいのか?」
いろいろと気になる事はあるが、サスケに関してネジが思う所はない。
これがナルトやサクラならまず間違いなく尚樹を問いつめただろうが、ネジはそっとしておくことにした。
ネジの言葉にこくりと頷いた尚樹を、白眼を使って眺める。以前見た時にはそのチャクラに違和感なんて覚えなかった。
今も、常人のそれと変わりない様に見える。
尚樹が素早く印を組む。印は分身の術。
しかし、尚樹の経絡系を流れるチャクラはその動きを変える事なくゆるゆると循環している。
「……チャクラがまったく反応してないな」
「むしろ俺の経絡系にチャクラって存在してるの?」
「そこからか?……多い少ないはあるにしても、チャクラが存在しない人間などいないだろう。要はそれをうまく扱えるかどうかだ」
そもそもチャクラとは、肉体エネルギーと精神エネルギーだ。
リーの様にチャクラを扱えるにもかかわらず、忍術が使えない人間というもの少数ながら存在する。
コントロールの善し悪しは別として、生きている人間ならばチャクラは存在するのだ。
ネジの言葉に尚樹は何かを考える様に視線を落として、手を顎にあてる。
床に落としていた視線を再びネジに戻して、尚樹が口を開いた。
「……ネジ、これはチャクラ?」
ピンと立てた人差し指の上に、「?」の形をとる人の目には見えないもの。そう言えば以前もこんな事をしていたか。
これが出来てなぜ経絡系のチャクラが無反応なのか理解に苦しむ。
「チャクラだな」
「そっか。なら、これを経絡系に流せば、忍術が使える様になると思う?」
「可能性はある。だが、リーの様に向き不向きはあると思う」
そもそも、チャクラは意図して経絡系に流すようなものではないのだが、そこは脇においておく事にする。尚樹が変わっているのは、今に始まった事ではない。
「うーん……難しいかなぁ。俺、さすがに身体の中のチャクラの流れまでは見えないし」
「それは……さすがに見えたらこちらの立つ瀬がないな」
ネジの言葉に一瞬きょとんとした後、珍しく尚樹が笑った。
「それもそうだね。分身の術くらいは出来る様になりたいんだけどなー」
何かと便利そうだし、と僅かにうつむいて腕を組む。どうすれば出来る様になるか考えているのだろう。これはそう言うジェスチャだ。
視線が空を泳いでいる時は、尚樹は大抵何かを考えている。
「……ただの分身の術ならそう難しいものではないし、使える様になる可能性もあるとは思うが……俺も分身の術を使うときに細かいチャクラの流れなんて見ていないぞ」
あたりまえである。分身の術なんて初歩の初歩だ。大半の人間がそうである様に、そんな初歩の技を使うときにチャクラの細かい流れなんて把握していない。まして、どの経絡をどのように動いているかなど。
そこまで考えていなかったのか、僅かに目を見開いてネジの言葉を聞いていた尚樹は、ぽん、と手を打った。呑気だな、とその動作に苦笑が漏れた。
「……力になれなくて悪いな」
「別に、ネジのせいじゃないよ。まあ俺も駄目元と言うか、出来たら良いなーってくらいだったしね」
ま、欲張りすぎちゃ駄目ってことでしょ、とあきらめた様に肩をすくめて、ため息を一つ。
尚樹のその言葉に引っかかるものがあって、ネジは反射的に口を開いた。
「欲張るって、他に何かあるのか?」
ネジの言葉にきょとんとした後、すぐに言葉の意味を理解したのか尚樹の唇が弧を描く。
「生きてるだけで儲け物ってね」
またね、と手の平をひらひらと振ってきびすを返した尚樹の後ろ姿を見送る。
問いに答える気はないらしい。
「また遊びにくるといい」
ネジの言葉に、ちらりと振り返ってまた小さく手を振る姿に、思わず苦笑が漏れた。こちらも手を軽くふりかえす。
猫の様に丸まった背中は、以前よりは大きく見えた。