徒野-13-

隠す努力のまったく見られない「禁」と書かれたでかい紙の前に佇み、尚樹は腕を組んだ。
我愛羅達の気配を追ってたどり着いた先には、強力な結界が施してあった。
カカシ先生曰く、五封結界、と言うらしい。近辺に貼られた”禁”の札をはがせば解除されると言う簡単仕様なのだが、いかんせん札の位置が遠い遠い。
嫌がらせか、と念を使って周囲を探した尚樹はそれこそ自分の円に久々に限界を感じた。
一番遠い所で800mほどあったのだから、行動する前から疲労困憊である。
ようやくうっすら思い出してきたのだが、これは確かガイ班の役割だったはずだ。うっかり手出ししてしまったために、面倒な仕事をまわされている気がする。
やはり欲をかくと良い事はないのである。
「ジジ、もう少しまっすぐ。木の幹に張ってあるよ」
めまぐるしく切り替わる視界に辟易しながら、シノとシカマル、夜一に指示を出す。
全員が目的地に着いたのを確認して、一気に札をはがした。
これで、今回の尚樹の役割は終わりである。後は皆と合流して軽く援護と言った所か。
そう思ったところで、背後から不可解な音がした。土が人の形をとり、それはすぐに自分と同じ姿になる。
「キキ」
『ああ、罠みたいだな』
尚樹にはこれがなんなのか分からないので、すぐに頭脳担当のシカマルに話しかける。どうやら札をはがしにかかった全員が同じ状況のようだ。
夜一さんは大丈夫だろうか。
ふと考えて、夜一さんの相手は夜一さんな訳だから、猫同士のじゃれあいみたいなものかとちょっと微笑ましくなった。
罠を張った人物も、まさか猫がはがしに来るとは思わないだろう。
『動きも術も、同じのを使ってきやがるな』
無線から聞こえるシカマルのくぐもった声に、尚樹は改めて自分の前に立つものに視線をやった。
首を右に、ついで左にかしげてみる。
「……シカマル、俺は今ちょっとだけしょんぼりしたよ? どうしてくれるのこれ」
『……ちなみに聞くが、なんでしょんぼりした』
「だって俺動いてみたのに、おんなじ動きしてくれないんだけど。超スルーされたんだけど」
『ちっげーよ! 実力が同じって意味だ!』
同じく無線越しにくぐもった声を聞きながら、シカマルはぐったりと肩を落とした。こいつ、こんなにバカでよく今まで生きて来れたな、と失礼な事を考える。
わざとか? わざとなのか? ならそんなに体をはったギャグをかましてくれなくて結構なのだが。
シカマルにとって、尚樹はよく分からない生き物だ。
信頼はしている。
自分より強いのだろうという事も分かる。だが、常々自分よりは馬鹿なのではないかと思っている。
『夜一さん、平気?』
『ニャー』
『お迎えにいく?』
『ニャ』
『ああ、そうか。分かった、そうするね』
いったい今の会話のどこに理解するべき内容があったのかシカマルには甚だ疑問である。
とりあえず、尚樹の飼い猫の心配は無用だろうと高をくくって、地面をふみしめる。
僅かな緊張感を漂わせたシカマルの耳には、相変わらず気の抜けるような会話が飛び込んできた。
『あ、やっぱり夜一さんの相手は、猫なんだ』
『そうなのか?』
『うん、かわいいよ』
『そうか』
そうか、ではない。シノの返答に脳内で突っ込みながら、おさえきれない溜息が口から漏れる。
どうしてこいつらはこう、危機感って物がないんだろう。
『ジジ、シカマルの援護にまわってもらって良い?』
『分かった』
「……ジジ、無理しなくて良いぞ」
『問題ない。もう終わった』
「……はぁ!?」
『キキ、さっきの場所でサクラとチヨバア様が戦ってるから、終わったらジジとそっちに行ってね。俺はこれからカカシ先生の所行くから』
「こらこら、お前ら、自分の敵はどうした」
『倒した』
見事に重なった声に、シカマルは口を開ける。
いったい、どこにそんな余裕があったのだろうか。一人苦戦しそうだと思っていたシカマルは訝しげな声を上げた。
「……ちなみに聞くが、どうやって」
『蟲で』
『普通に。チャクラ刀で』
シノの答えは分かる。今自分の前に立っているのは精度の良い影分身のようなものだ。蟲までは再現出来なかったのだろう。
相手もそこまでは想定していなかったに違いない。
しかし、尚樹の答えは納得出来ない。つい先ほどまで生きていたはずだし、つながりっぱなしの無線からそれらしい音は聞こえてこなかった。
「……あり得ねーだろ」
『シカマル、自分の弱点は自分が一番よく分かってるだろ?』
それだけ言い残して、尚樹は一方的に無線を切った。
尚樹の言葉を反芻する。つまり、チャクラ刀一本で簡単にやられてしまうような弱点が尚樹には存在するのだろうか。
一瞬肌が泡立つような感覚を覚えた。
ちがう、そうではない。
頭を振って思考を切り替える。尚樹の言葉はそう言う意味ではない。
あれは自分に向けた言葉だ。目の前に立つのは、自分自身。どうやって倒せばいいかは、自分が一番分かっているだろうと、そう言ったのだ。
シカマルは一瞬走った感覚を無視して影の中へ移動した。ここで時間をかけては、面目丸つぶれだ。シノが来る前に終わらせてやる、と両手を動かした。

足下には土塊にもどった自分であったもの。
それに突き刺さったチャクラ刀に手をかけるとばらばらと周りの土が崩れていった。
腰に固定した鞘に戻しながら後ろを振り返る。
そこに立つ姿に、尚樹は目を細めた。
「……こんにちは」
殺気は感じない。いつものあの、静かな水面のような瞳がこちらを見下ろしているだけ。
尚樹はそれを、怖いと感じた事はない。
「ずいぶん、あっさりなんだな」
何の事かと首を傾げ、その視線の先をたどって、今しがた倒した土塊の事かと納得する。
「そりゃあ、弱いですからね」
生身の尚樹は、脆弱そのもの。平和な日本で暮らした高校生。念が使えない自分など、それこそ屑のようなものだと常々思う。
「イタチさん、俺はね、忍術らしい忍術は使えないんですよ」
イタチの特徴的な瞳が眇められる。彼の瞳には自分はいったいどんな風にうつっているんだろうと、少しだけ気になった。
「警戒しないんだな」
「はあ、まあ……」
そう言うあなたも、警戒しないんですね、俺の事。
親指の腹を犬歯で噛み切って、夜一を口寄せする。抱き上げて傷がないかを念入りにチェックした。
「俺に、何か用でもありました?」
「……なぜ、俺ではないと?」
首を傾げる。どうも、イタチさんは言葉足らずなので情緒にとぼしい尚樹には分からない事が多い。
「……幻術は効かないと言っていたな」
ああ、移動していた時の話か、とイタチの言葉に頷く。なぜイタチの偽物に気づいたのかと問いたいのだろう。
すっと色味の変わった写輪眼に、違和感を覚える。凝をしてみてみれば、そこにほとんどのオーラが集まっているのが見て取れた。
「……イタチさん?」
「本当に、効かないんだな」
「ああ……もしかして今、幻術をかけてました?」
無言の回答を、尚樹は是ととった。もしかしたら、写輪眼の幻術にはかかるかもしれないと尚樹自身思っていたのだが、杞憂だったようだ。
「お前のチャクラは、変わっているな」
「そうですか?」
「ああ。経絡系をまったく無視してコントロールしているだろう」
「はあ……」
そんなことを言われても、尚樹には分からない。ただ、体の周りを循環する様に、ゆっくりとまわしているだけなのだ。
これはもう、無意識でしかなく、細かい事は考えた事がない。
「忍術らしい忍術が使えないのは、そのせいだろう」
イタチの言葉に、尚樹はいささか驚いた。まさかそんな建設的な意見がもらえるとは思っていなかったせいだ。
さすが写輪眼。
つまり、その経絡系とやらを意識してチャクラコントロールをすれば、忍術が使える可能性があるわけだ。
これは、検証の余地があるな、と心に留めておく事にした。
「あれ、でも」
確かサクモさんはオーラだだ漏れだった、と思い出してイタチのチャクラの流れを追う。
「……イタチさん、チャクラだだ漏れだと思うんですが」
「……お前、この状態でチャクラが見えるのか」
「はあ、まあ……目がいいので」
このやり取り、どこかでしたなあ、と既視感。
「変わったやつだ。普通の目に見えるがな」
「ふつーの目ですよ。写輪眼とか白眼とか、そんな大層なもんじゃないです」
視力は良い方だ。生まれてこのかた眼鏡の世話になった事はない。
そう言えば、イタチさんはなんでここにいるんだろう。見た所、本人のようだが。
じっと見つめる尚樹に気づいたのか、イタチの手は無防備に尚樹の頭に伸びた。頭を撫でる仕草に、なんとなくサスケの影を見た気がする。
「……俺は、サスケに似てます?」
「いや? サスケはもっと分かりやすかった」
それだと、まるで自分は分かりにくいように聞こえる。尚樹は自分をとても単純な生き物だと感じるのに。
「サスケの事なら、心配しなくても大丈夫だと思いますよ」
彼はきっと木の葉に戻る。漫画は途中までしか読んでいないから尚樹は結末を知らない。でもきっと悪い様にはならないだろうとも思う。
それが、この世界の意思だ。
「あきらめずに手を差し伸べる相手がいますから」
「……うずまきナルトか」
「はい」
僅かに目を細めたイタチの表情に、負の感情は見られない。もしかして、笑ったのだろうか。
「イタチさんも、分かりづらいと思いますよ?」
「お前より年だからな。アカデミーの時から、お前は子供らしくなかった」
「……いや、多分年だけなら俺の方が上だと思うんですが」
しん、とした静寂が横たわる。
尚樹の頭を撫でていた手は、微動だにしなかった。
「冗談はよせ」
「冗談と言われましても……一応、自来也の同期なので」
痛いほどの沈黙があたりを支配した。そんなに驚く事だろうか、と尚樹は目を瞬く。確かに、自来也ほど年ではないが、確実にカカシよりは上なはずだ。必然的にイタチよりも年上だと思うわけで。
忍びであれば、常にさらしている姿が本性だとは限らない……残念ながら、尚樹の外見はこれが本物だが。
身近な例で言えば、綱手なんかがそうだ。いつまでも若い姿のまま。
そもそも、変化には大したチャクラを必要としないので、しようと思えばいつまでも変化していられる、と尚樹は思っている。そんなにずっと変化していて疲れないのか、とサクモにはよく聞かれたものだが、自分以外の人間はそうではないのだろうか。
「……聞かなかった事にしていいか」
「はあ、まあ……お好きにどうぞ」
そんなにショックだったのか。イタチさん意外とデリケートだなと的外れな事を思いながら、ぎこちなく撫でる手にその動揺を感じた。
「少しお前に話しておきたい事ある」
「……うちはマダラのことですか」
「……知っていたか」
かろうじて。今いったい原作のどの辺なのだろう。尚樹の記憶は、自来也が水の国に行くぐらいまでなのだが。
「サスケを止めろって言うなら、見当違いですよ。俺は、どちらかと言うと利己的な人間なので、他人の事はどうでも良かったりしますよ」
里のために、とか、仲間のために、なんて言う善良な考えは尚樹には二の次だ。そんなことを言っていたら、とっくの昔に死んでいる。
弱い人間は、他人を助けようなどと思わない事だ。
「それに、イタチさんも他人の事心配してる場合じゃないでしょう」
ああ、サスケは兄弟だから厳密には他人とは違うか。だが、自分以外は他人だと、尚樹は思う。
妹も兄もいる尚樹だが、そのどちらとも、自分とは違った生き物だった。別に、仲が悪かったとかそういう事ではなく、同じ心を持つ人間なんて、存在しないという事だ。
「以前から思っていたが、お前のその情報はどこからくるんだ」
なんかこれデジャヴ。いつか誰かにもそんな事を言われたな。
「……まあ、細かい事はいいじゃないですか。それより、俺もイタチさんに聞きたい事あったんですよね」
「なんだ」
ほんの少しの間を空けて、尚樹は僅かに歯列をのぞかせた。
「ある人物を、ちょっと目障りなので消したいなー、と思っているんですけど、なんせ地理に疎くて相手にたどり着かなそうなんですよね。なので、その辺詳しいイタチさんにぜひ協力頂けないかと思いまして」
天気の話でもするかのような気軽さで紡がれた言葉は、イタチの想像を遥か斜めに横切るようなものだった。