徒野-12-
目が覚めたとき、倒れる前に感じていた体中の痺れはさっぱり無くなっていた。
視線を天井からゆっくりと移動する。壁際に寄りかかって立っている忍びの顔に、見覚えがあった。
中忍試験のときに、我愛羅と対等にやり合った下忍。そのあとも個人的に言葉を交わした事がある。
なんだか初対面から妙に懐かれていて、傀儡の術を教えてくれとせがまれたのはずいぶんと前の事だ。
悪い気はしなかったので、少し教えてやったのだが、余りに見込みがなくカンクロウはすぐに匙を投げた。
「……尚樹か」
「こんにちは、カンクロウさん」
「俺は、何日くらい寝ていた?」
体中の傷が、見当たらない。毒も完全に抜けている。そんなに長い事寝ていたのだろうかと、不安になった。
「一日くらいじゃないですかね。サソリさんとやり合ったのは、昨日ですよ」
「……我愛羅は」
「……木の葉からはもうすぐ増援が来ると思います。俺の仲間が報告に戻ったので、そう時間はかからないと思います。あと、サソリさんに目印を付けてあるので、後を追うのも可能です」
「そうか……ところで、お前いったいいつ砂に来たんだ?」
「……カンクロウさんのこと助けたの、俺なんですけど、覚えてないですか?」
倒れる前の記憶は、残っている。
カンクロウは自分を見下ろした烏の面をはっきりと覚えていた。
「……おい、冗談だろ。俺を助けたのはカラスだぞ。おまえ、下忍だろう」
「はあ、下忍ですけど。カラスって言うのは、これの事ですか?」
すっと、取り出した面を尚樹が掲げる。それはまぎれもなくカンクロウが見た烏の面。
”あの”カラスとは別の烏なんだろうか。
「一応きいとくが、おまえ暗部なのか」
「はい」
「……なんで砂に」
「うーん、一応今回は暗部の任務なので出来れば言いたくないんですけど……まあ、暁の調査ですよ。砂にいたのは、たまたま、尾行中だったので」
まったくの無表情なので、それが本当なのか嘘なのかはカンクロウには分からなかった。ただ、あの場にいてくれて助かったとは思う。
そうでなければ、今頃自分は赤砂のサソリに殺されていただろう。それに、体の傷。ここまで短期間であの怪我を治せるような医療忍者は、砂にはいない。
ならば、いったい誰が自分の怪我を治し、解毒をしたのか。
「治療をしてくれたのは、お前か」
「まあ、一応。俺もあんまり医療忍術が得意なわけじゃないから、詳しくはきかないでおいてくれると嬉しい」
「充分だろ……助かった、礼を言う」
「どういたしまして。俺の仲間が戻ったら、我愛羅の所まで案内出来ると思うので、それまで休んでおいた方が良いですよ。俺も一度木の葉に戻ります」
「木の葉に戻るのか?」
「はい。一応、俺は任務中なのでこの後のことは火影の指示がないと動けませんし」
「……そうか」
自分をかばう様に立っていた背中を思い出す。そんなに体格は良くないのに、カンクロウは妙な安心感を覚えた。
赤砂のサソリ相手に、臆した様子もなく立ちはだかった尚樹。もし彼にこの先も同行してもらえたら心強かったのに、と残念に思った。
それじゃあ、と当然の様に窓枠に足をかけた尚樹を見送って、カンクロウはこれからの準備をするべく立ち上がった。
「で、なーんでお前がここにいるのかな?」
「いや、出来れば俺も関わりたくなかったんですけどね、五代目の命令なので」
部屋に入るなりチヨバアに攻撃されたカカシは、壁に寄りかかって事の成り行きを見守っていた尚樹に、ようやく話しかけた。
ナルトとサクラの突き刺さるような視線にも、尚樹は平然としている。
「命令って?」
「風影の救出です。カカシ先生達の援護にまわるように言われてます。シカマルとシノ君も来てますよ」
後半はカカシにだけ聞こえるような声で尚樹が告げた。いつもと変わりない格好に見えるが、暗部としてこの任務に就いているのだろう。
そうでなければ、カカシ達より先に尚樹がここにいるのはおかしい。
ナルトと違って、尚樹は下忍である時は本当にDランクCランクの任務しか受けないからだ。
「シノ君の蟲を暁の一人につけてます」
「……そうか」
それならすぐに追跡出来るな、とカンクロウに視線を移す。迎えに出た砂忍の言だと、たしかサソリの毒にやられたときいていたが、傷らしい傷は見当たらない。
尚樹が解毒をしたと言っていたから、傷もそのときに治したのだろうが……。
「追跡が出来るのなら、すぐにでも出発出来そうだな」
「それならすぐ出発だってばよ!」
「ちょいまち、ナルト」
今にも部屋を飛び出していってしまいそうなナルトを呼び止めて、尚樹に視線を戻す。
無表情のままに首を傾げた尚樹に、カカシはサソリの事を尋ねた。
「相手は赤砂のサソリだと名乗ったんだな?」
「はい。間違いないです」
「……どうやってカンクロウの解毒をした?」
「……」
反対側にこてんと首を倒して、尚樹が視線をさまよわせる。
「……どんな毒だった?」
「なかなか良い毒でした。ちょっと甘みがあって、匂いもほとんどなかったです」
別に、毒の味をきいたわけじゃないんだが、とその的外れな回答に苦笑。ついでに、舐めたな、と尚樹の言葉の裏を読んだ。
さすがのカカシも、尚樹の嗜好というものを多少は理解していた。
そして、毒などという物騒なものを好んで食べているという事にも薄々気づいている。
毒に対する収集癖も。
「もってるでしょ」
出しなさい、と手を差し出すと、たっぷりと10秒は沈黙で返した後、パーカーのポケットから小さなガラスの容器を取り出した。
それを受け取ってサクラに渡す。
「サクラ、一応調べて。可能なら解毒薬を作ってくれ」
「はい!」
カカシ達を案内した砂忍は、カンクロウが一時はひどく危険な状態にあったと言った。サソリの使った毒がなんなのか分からず、手の施し用が無かったと。あとから、尚樹が見るに見かねて治療を施し事なきを得たと。
何故すぐに治療してくれなかったのか、という響きが混じっていたのには気づかないふりをした。
尚樹の考える事は、カカシにも分からない。
「サクラの準備が出来たら出発しよう。それまでに我々も準備を。尚樹も、話を聞かせてくれ」
軽く肩をすくめてみせた尚樹は、視線だけでカカシについてくるよう促してきびすを返した。
ナルトがカンクロウと話しているのを尻目に、カカシも静かに後に続く。
廊下には、暗部の忍びが二人。尚樹の先ほどの言葉から察するに、シカマルとシノだろう。
「……風影をさらったのは、暁のメンバーです。デイダラとサソリですね」
デイダラ、という名にカカシは覚えがなかった。壁に背を預けた尚樹は何かを思い出す様に緩くまぶたを伏せる。
「……デイダラさんは、爆弾を使うのが主な戦術ですが……たしかチャクラの性質は土なので、カカシ先生とは相性が悪いはずです」
カカシの属性は雷。雷は土に強く、土は雷に弱い。
これはなかなか有益な情報だ。
「サソリさんは……俺よりチヨバア様の方が詳しいと思うので、そっちにきいて下さい。あと、カカシ先生も知っているかもしれませんが、暁の目的は尾獣狩りです」
ナルトには気をつけておいた方が良いですよ。
そう忠告した尚樹の顔は、心無しか笑んでいるようだった。
見間違いか、とその考えを振り払う。
猫とネズミの面に視線を移すと、二人とも一瞬だけ面をとってカカシに素顔を見せた。
「二人とも、ご苦労さん」
「カカシ先生、今回のコードネームはキキとジジです」
シカマルをさしてキキ、シノをさしてジジ。
なんだその名前は。
「……その名前、お前がつけたでしょ」
「はい」
我愛羅を追うメンバーは、カカシ班と暗部三人、チヨバア様となった。進路を取るのはシノ。最後尾には尚樹がついた。
顔の見られていないシノとシカマルは今回暗部として動くが、尚樹は表、つまり下忍として動く事になっていた。
「カカシ先生、人の気配が」
尚樹のおさえた声にカカシは素早く反応した。全員の足を止めさせる。
「人数は」
「一人です」
尚樹の視線の先を追うが、まだ何も見えない。
「見つかりましたね。見張りがいたみたいです」
逃げられました、と尚樹が下に向けた視線の先には地面に深く刺さったクナイ。いったいいつ投げたのか、カカシは気づかなかった。
「来ますよ」
それが合図だった様に、カカシ達の前に男が姿を現す。それが誰なのか、カカシにはすぐに分かった。
ナルトもすぐに気づいたらしく、すぐに顔を険しくする。
「カカシ先生、ここは俺が」
カカシの立つ枝の上に移動してきた尚樹が、ささやいた。
「みんな、やつの目を見るな」
イタチの幻術は瞳術。
以前ガイにイタチとどうやり合ったのか聞いたことがある。
体や足の動きだけで相手の行動を判断するのだと言っていた。ガイは当然の様に言ったが実際にはとても難しい事だ。
カカシのライバルを自負するガイだからこそ、訓練している方法だった。一朝一夕で出来るものではない。
「……ここは俺がやる」
一人では厳しいが、同じ写輪眼を持つカカシが一番適当なのは明白だった。
「カカシ先生、俺が一番向いてるんです。幻術の類いはききませんから」
それに、イタチさんは普通の幻術も使いますから、手も見ない方が良いですよ。
尚樹の声は決して大きいものではなかったのに、よく通った。
しん、と場の空気が固まる。
イタチの手の動きが一瞬ぎこちなくなったのに、カカシは気づいた。
視線をさらに下げて、完全にイタチの足下だけを視界に入れる。
「尚樹、お前にかなう相手じゃねぇってばよ!」
「普通ならね……だってばよー」
以前からカカシは薄々気づいていたのだが、ナルトと話すとき限定で、尚樹の口調はおかしくなる。
何故口調を真似ようとするのかは甚だ疑問だが。
微妙に気が抜けて、体のこわばりが無くなった。
「こんにちは、イタチさん。3年ぶりくらいですか?」
「……そうだな」
「ゆっくりお話でもしたい所ですが、今回はあまり時間もないですし、さくっと終わらせましょうか」
「ずいぶん……自信があるようだな」
「そうですね。まあ、今まで一度も幻術にかかった事がないので正直どういうものなのかは分からないんですが、少なくともその体がイタチさんではないという事くらいは分かりますよ」
尚樹のその言葉が引き金になった。
カカシの隣から尚樹の気配が消える。空気の流れが激しく乱れて、木の葉が舞った。
視線をあげて、尚樹の姿を追う。幻術にかかっているような雰囲気はない。
イタチの方も、万華鏡写輪眼を使う気はないのか、体術で肉薄する尚樹に同じく体術で答えていた。
また空気が激しく動く。カカシの写輪眼は、尚樹の足先に回転するチャクラの流れをはっきりと映していた。
「……螺旋丸」
螺旋丸と言えるほどしっかりとしたものではなかった。蹴りの要領でそれを叩き込もうとしたのか、一瞬でふくれあがり渦を巻いたチャクラは、イタチの腕を傷つけるだけにとどまり、すぐに霧散。
音もなく左手で抜いたチャクラ刀が、するりと抵抗も見せずにイタチの肩に深く沈む。
刹那の出来事だった。
途中からイタチの瞳術にかかる危険を顧みず、顔を上げていたカカシだけが正確にその一部始終を見届けていたと言える。
ほんの僅かな放電の後、地面に落ちた体は、イタチのものではなかった。
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