徒野-11-

早朝の空気は冷たくて、密度が濃く清浄な感じがする。肺をおかす空気はゆっくりと下に沈んでいくようだった。
まだ日の登りきらない中で、尚樹は門の前に立った。顔には暗部の証である動物の面をかぶっている。
羽織ったパーカーの前を閉じてフードをかぶってしまえば、露出している所はほとんどなくなる。
後ろに立った気配に、ゆっくりと顔を向けた。
猫とネズミ。
しっかりと暗部の衣装に身を包んだ二人の腕には、渦を巻く刺青が見て取れた。
暗部として結構長い間、尚樹も彼らのように律儀に同じ格好をしていた。どうせ任務をこなせばいいわけだし、どんな格好しても変わりないのでは、と気づいたのは情けない事につい最近の事である。
なにもすすんで寒い思いをする必要はないのである。


砂の里ってどっちだっけ? と尋ねた尚樹に方向を指し示してやれば、文字通りそのまままっすぐ、道などおかまい無しに移動するハメになった。
俺が進路を取るべきだったか、と激しく後悔しながら油断すれば遠くなる尚樹の背中を追う。
暗部の格好をしているシノとシカマルとは違い、尚樹はその上からいつものパーカーを着込んでいた。
砂の里を囲む城壁が遠くに見える。
足を止めた尚樹に合わせて、シカマルとシノもその隣に立つ。
「……見張りがいない」
ぽつりとつぶやいた尚樹の気配が変わる。鳥肌が立つような感覚が体をすり抜けていった。
「血のにおいもするな。ヤバいときに来たかも」
くん、と鼻を鳴らした尚樹に習ってシカマルも匂いをたどってみるが、尚樹の言うような血のにおいは感じられなかった。
「さて、どうしようかな……出来れば見て見ぬ振りをしたい所だけど、そうもいかないか。シカマル達も不運だね、最初の任務がこれなんて」
「まったくついてないな、面倒くせー」
「どうする? 尚樹」
「とりあえず中の様子を見てこない事にはね……正面は人がいるな。別の所から……ああ、もう、面倒くさい」
この距離でも人の気配が読めるのか、と尚樹の言葉を聞いていたシカマルは、次の瞬間何が起きたのか理解出来なかった。
視界がひどく歪んで落下するような浮遊感のあと、目の前に広がっていたのは里の風景。
「……まさか」
「暁……尾獣狩りか」
「え?」
尚樹の言葉が理解できず、シカマルはその表情を振り返った。面に遮られてはいるが、どうせ相変わらずの無表情で、これといった感情の色もないのだろう。
遠くを眺めていた視線が、シカマルに戻ってきた。
「……一応同盟国だし、やっぱり助けるべき、だよね?」
「なんで疑問形なんだ、お前は」
「いや、正直俺たちの手に負える相手か否かってレベルなんだけど」
尚樹は再び視線を空に向けた。
上空を飛んでいる鳥は、あきらかに偽物だ。あんな前衛芸術みたいな鳥はいかにナルトの世界と言えど、存在しないはずだ。あとデカ過ぎ。
もしかしてこれは、デイダラと我愛羅がやり合う場面か、とさすがの尚樹でも気づく。
もちろん細かい所は覚えていないが、確か我愛羅が連れ去られて一尾を抜かれ一度死んでしまうはずだ。
しかし、放っておいても問題はないはずである。
まったくついてない、とシカマルとシノを見遣った。いつも通り独りで任務についていたなら、尚樹はすぐに高みの見物を決め込んだだろう。
だがこの二人、特にシカマルを説得するのは難しそうだ。面倒くさいと言うわりに、情に厚く正義感が強い。このまま見過ごすようなことは、きっとシカマルはしないだろう。おそらく、シノも。
爆発音の間隔が狭くなってきている。ひときわ激しい爆発音の後、影が一瞬で足下まで広がって、空を砂が覆った。
爆風で体に叩き付けられる砂の感触に顔をしかめて、尚樹は腹をくくった。
よし、放置。
「……というわけで、本来ならこれから任務、という言いたい所だけど、そうもいかなくなったので」
続く言葉を促す様にシノとシカマルの視線が尚樹に向けられた。
これから尚樹が言おうとしている言葉を、二人がどう受け止めるか。
「調査する必要もないから、報告に戻ろう」
「……おい」
低い声を出したシカマルに、尚樹は面をはずした。
別に尚樹だって、面倒だからという理由でこんな事を言い出したわけでは断じてない。多分。
「ここから先は任務外だし、俺たち3人でどうにか出来るような範囲ではないよ」
「だからって、このまま帰るわけにはいかないだろ」
「帰るんじゃないよ、報告」
「屁理屈こねるんじゃねぇ」
「この場で俺たちが出て行く場合、シカマルはここにいた理由をなんて言うつもり?」
だって凄く怪しい。
このタイミングで木の葉の暗部が砂にいるなんて、とても偶然とは思えないだろう。
それに本当の理由だって、あまりおおっぴらにいえるものではないのだ。同盟国? そんなの手放しで信用出来ないから、定期的に暗部で調査やってます、とか喧嘩を売っているとしか思えない。
尚樹の念があれば、ここからすぐに木の葉に戻れる。
こんな状況でなければ、念を使おうなどとは思えなかっただろう。
時空間忍術は、他のものに比べて難しいのか、使う者が極端に少ない。
それに尚樹の様に好きなときに好きな所に移動出来るようなものはどうもないようなのだ。
使う前に、ある程度の仕込みが必要なのである。
忍術が使えない尚樹は、念を使って擬似的に使える様に見せかけているにすぎない。
出来るだけ不自然なものは使わない様に、あるいは人目につかない様にしてきた。
綱手だって、三代目だって、尚樹が念を使って移動している事は知らないのだ。三代目はもしかしたら、何か術を使っていると感づいているかもしれないが。だが、もともとミナトと仲の良かった尚樹だ。あまり不自然にもうつっていないだろう。
まあ、なんだかんだ言いつつ、結構使っているのだが、要はばれなければ良いのである。
すっと手を伸ばした尚樹に、シカマルが身を引いた。
「……?」
「お前、さっきの術を使って移動しようとしただろ」
「違うよ?」
使おうとしたのはどこでもドアである。先ほど使ったのは姿現しだ。
この場合、シカマルにとって重要なのは術で木の葉に強制連行されることだったのだが、尚樹は何の意図もなく「術」の方に重きを置いた。
「尚樹、今から木の葉に戻るのか」
「うん。俺一人ならここに残っても良いんだけど、シノ君達を初任務で危険な目に遭わせるわけにはいかないし、今暗部が動くのは時期尚早だしね」
シノに答えながらも、尚樹は円の範囲を広げて我愛羅達の動きを追っていた。
既に我愛羅が暁の手の内にあるのは先ほど視認したので、分かっている。
暁は二人。合流した気配をよんで、デイダラともう一人は誰だったかと考え、すぐに思い出す事を放棄した。
「……カンクロウさんが追ったのか」
一人で我愛羅を助けにいこうなんて、自殺行為だ。
「……あれ? シノ君もしかして、からくり相手にするの得意だったりするの?」
サソリだ。カンクロウで思い出した。この場にいる暁のメンバーはデイダラとサソリ。
カンクロウとサソリのからくり対決だ。そして確かあっさり負けるんだ、カンクロウさん。かわいそう。
奇跡的にそこまで思い出して、尚樹はシノに視線を向けた。その問いにシノはゆっくりと頷く。
「蟲達はチャクラを食うし、からくりなんかは関節に蟲が詰まると動かなくなるから、相性はいい方だと思う」
「だよね。シビさんもそう言えばからくり蟲だらけにしてたし」
「……親父とも任務をした事があるのか」
「うん、昔ね」
そういえば、あの時も砂漠だったか。
懐かしい事を思い出したが、すぐに思考を切り替える。出来ればあまり介入せず、原作通りに勧めてもらいたいのだが、ここでサソリをやってしまえば後々楽になりそうな気がする。
それに、サソリを倒すのはたしかサクラとチヨバア様で、ナルトは関与していなかった……と思う。尚樹の記憶違いでなければ。
ならば別に、多少手を出しても問題ないだろう。運が良ければからくりの一つ二つは壊せるかもしれない。
向こうも無理にここで争うつもりもないだろう、という打算も、尚樹にはあった。
何せこれから我愛羅の一尾を抜かなくてはならない。長居はしないはずだ。
「ま、カンクロウさんなら知り合いだし、通りすがりでごまかすか、記憶消しちゃえばいいか」
なんて一人心の中で完結して、はずしていた面をかぶり直した。
「暁のメンバーが二人、目的は我愛羅。いま里の正面で合流してて、その後をカンクロウさんが追ってる」
急に事務的な口調で話しだした尚樹に、シカマルとシノの空気が張りつめた。その内容のせいもあるのだろう。
「暁のメンバーの一人はおそらく傀儡使いだから、シノ君がいれば多少有利に事を運べるかもしれない」
「じゃあ」
「でもさっき言った様に、俺は手出し無用がベストだと思ってる。だからもしここで砂を助けるつもりなら、二つ約束して」
シカマルの言葉を遮って告げる。二人が頷いたのを確認して続きを口にした。ぴっ、と指を一本立てる。
「まず、無理をしない事。相手はどう見ても格上だから。やばくなったら即逃げる」
他人のために死ぬなんて行為は、尚樹は好かない。まして自分の里ではない不特定多数の人間のために怪我をするつもりもない。
さらにもう一本指を立てる。
「二つ目は、これ以上の手出しは上からの指示がない限りしない事。これはあくまで砂の問題だからね」
OK? と首を傾げてみせると、まずシノが頷き、一拍遅れてシカマルが頷いた。
よしよし、なんとか折衷案が受け入れられたようである。
「それじゃあ、移動しようか」
と言うが早いか、二人の手を取って正門の上に姿現しをした。
随分と下に小さく横たわる人の姿が見える。ここにいた砂の忍びだろう。気配から既に全員絶命しているのが分かる。
砂の城壁はずいぶんと高い。木の葉に比べると頑強なイメージを受けた。
やはり砂漠と言う過酷な環境がそうさせるのだろうか。
少し先、砂漠の中に暁の二人が見える。ちょうどカンクロウが尚樹達の下を通り過ぎていった。
「……シノ君、今砂漠にいる方の片方がサソリっていう傀儡使いだから。壊せるのが一番良いけど、無理なら何匹か潜らせておいて。後で必要になるかもしれない。追尾は出来るよね?」
「ああ。……サソリという名前に覚えがある。本物なら、止める事は出来ても破壊は出来ないかもしれない」
「構わないよ。俺はシノ君のガードをするね。出来ればこっちの位置が分からない様にしてね。シカマル、ここを見張ってもらってても良い? 砂の忍びが来たら教えて。撤退する」
「分かった」
「あ、っていうかカンクロウさんやられちゃった。瞬殺か」
もうちょっと頑張ってもらいたいものである。まあ、相手が悪いか。
「ごめん作戦変更。シノ君援護してね。俺カンクロウさん拾ってくる」
言うが早いか、尚樹はその場から姿を消して地面に伏しているカンクロウの前に立った。姿現しをした瞬間、目の前に迫ったサソリのしっぽに体を反らす。顔面に直撃するのは避けられたが、その先が右肩をかすった。
「……木の葉の忍びか」
「どうも。本当は手出ししたくなかったんですけどね、止むにまれぬ事情というやつで」
気だるげな口調でそう告げて、尚樹はカンクロウを振り返り、その体に手を伸ばした。
「我愛羅を……」
「とりあえず今はあなたが先ですよ」
自分より大きいカンクロウを抱えようとその首根っこをつかんだが、やはり黙って見過ごしてはくれないらしい。再び襲ってきたしっぽの切っ先をチャクラ刀で切り落とす。意外と簡単に切れるんだな、と思って落ちた先を見ていたら、ふよふよと浮いて元の位置に収まった。
「……うわぁ」
思った以上に傀儡は厄介そうである。しかしあの先からぽたぽた垂れているのはなんだろうか。もし毒なら、一口譲っていただきたいものである。
再び襲ってきたしっぽに目を凝らす。落ちた水滴を手に取った。何か容器があれば良いのに、と手の平を嘗める。
「……へぇ」
なかなか。
いっそあのしっぽごともらってしまおうか。
チャクラ刀に少し多めにオーラを纏わせる。相手が傀儡使いの場合は、基本は傀儡を操っている糸を切れば良い。
だがサソリ本人は傀儡の中にいるはずだ。表に出ている糸はない。
ぞろりと砂の下を動く気配。
一瞬でサソリを黒いものが覆い、動きが鈍くなった所を狙って、尚樹は目的の場所を切り落とした。
再び元に戻ってしまわぬ様にそれを手にとり、つながっていたチャクラの糸を切断する。
うまく先端を手に入れられた事に、思わず口の端が上がった。
とん、と尚樹の肩に手の平の感触。
振り返らずとも手の主は分かっている。
「リューク、人が来た」
「うん」
ジジ、とシノに声をかけて蟲を引かせる。胡乱な目を向けたサソリに、尚樹は口を開いた。
「早く逃げないと、砂の忍びが来ますよ? サソリさん」
「……何故毒がきかない」
右肩の傷の事を言っているのだろう。なかなか美味な毒でした、とはさすがに言えず、曖昧な笑みを浮かべてみせたが、面をかぶっているので無意味だった。
睨み合ったのはほんの一瞬で、サソリがきびすを返す。
シカマルの隣にシノが立ったのを確認して、尚樹はぐい、と二人まとめて横に押しやった。地面に具現化されたどこでもドアは既に開いている。
「それじゃあ、二人とも、五代目に報告よろしく」
後ろから呼びかける声を聞きつつ、二人をぽっかりあいた穴に突き落とした。